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第千百七十七話 ファリアとファリア(四)

 大召喚師ファリア=バルディッシュの寝室は、戦神の座と呼ばれる中庭の奥にある。寝室からは、中庭がよく見えた。ただの中庭が戦神の座と呼ばれているのは、戦女神ファリア=バルディッシュに由来するのだろう。戦宮自体、戦女神の居所として名付けられていることもあって、戦宮内の各施設はそれぞれ戦女神に倣ったような名称がつけられているのだ。

 ファリア=バルディッシュの寝室も、戦女神の霊域と呼ばれることもあるくらいだ。祖母自身がその呼び名を気に入っていないこともあって、あまり呼ばれることはなかったが。

 戦宮は、空中都の多くの建造物と同じく石造りの古い神殿か遺跡のような印象を受ける建物だ。一般人が立ち入ることは禁じられている影響からか、内部は常に清潔に保たれている。たとえ一般人の出入りが自由であったとしても、戦女神の居所となれば、そうそう汚れることもないだろうが、ここまで綺麗さを維持することはできなかったかもしれない。

 しかし、戦女神の孫娘であるファリアには、そういった一般常識は通用せず、戦宮に自由に出入りすることが許されていた。戦女神も四大天侍も護峰侍団も、護山会議すら、戦宮を自由に駆け回る子供の存在を容認していたのは、いまにして思えば、戦宮に慣れておいてもらおうという魂胆があったからかもしれない。

 ファリアに戦女神を継承させようという考えは、ファリアの名を与えられたときから既に動き出していたのだろう。

 生まれながらにさだめられた運命なのだ。

 戦宮の変わらぬ風景の中を歩きながら、ファリアは、胸に当てた手で拳を作った。

 やがて、戦女神の霊域に辿り着くと、シヴィルが部屋の中に伺いを立てた。

「大ファリア様、小ファリアが到着いたしましたが、いかがなされますか?」

「あら、もう着いたの? 案外早かったわね」

 部屋の奥から、大ファリアの声が聞こえてくる。戦宮は作りが古く、いくつもある部屋に扉がなかった。つまり全室開けっ放しであり、一般人の立ち入りが禁じられているのも、そういう理由からだった。扉を設置することくらい簡単なことなのだろうが、戦宮の美しさを損ねたくないという大ファリアの我儘から、すべての部屋に扉が設置されていなかった。

「もちろん、逢うわ。入ってもらって」

「は」

 シヴィルが、室内に向かって敬礼する。それから、こちらに向き直った。

「と、いうことです。大ファリア様の体調は、小ファリア、あなたがリョハンに到着したという報せを聞いたときからすこぶるいいということですが、あまり無理をさせるのはよくありません。そのことだけは、重々、承知しておいてください」

「わかりました」

 ファリアは、シヴィルの真剣なまなざしを見つめ返して、首肯した。あまり長居するのは好ましくない、ということだろう。なにも、いま、この瞬間だけしか会えないわけではない。最低でも数日は滞在するつもりでいるのだ。その間に何度か話し合えばいいだけのことだ。もちろん、ファリア=バルディッシュの体調と相談しながらになるが。

 時間はたっぷりある。

 もちろん、何十日も、何ヶ月もリョハンに留まるつもりはない。

 帰りを待ってくれているひとがいる。

 彼の元に帰ることそれがファリアの最優先事項であり、それだけは譲れない。

 それから、シヴィルに礼を言う。

「シヴィル様、いつもありがとうございます」

「いえ。四大天侍として当然のことをしているまで」

 シヴィルの反応は、予想したとおりだった。規律や規則に厳しい四大天侍の模範ともいうべき人物に相応しい反応だった。一方、四大天侍という枠に決してとらわれることのない少年はというと、既に大ファリアの部屋の前から離れ始めていた。室内に入るつもりはないらしい。

「じゃあ、ぼくは庭にいようかな」

「そうですね。わたしもそうしましょう」

「わあい」

 マリクが喜んだのは、シヴィルが遊び相手になってくれると踏んだからなのか、どうか。マリクとほかの四大天侍の仲の良さについてはよくわからないところだ。マリクがニュウ=ディーに気を許しているらしいのは、クルセルクの日々で実感できたのだが、シヴィルとの相性はあまりよくなさそうだった。無口で無愛想なカート=タリスマはなおさらだ。それでもマリクがシヴィルと一緒にいることを喜んでいるところを見ると、まんざら仲悪くもないのかもしれない。

 ファリアは、そんなことを思いながら、マリクに目を向けた。

「では、わたしは、大ファリア様とお話してきますので」

「うん。じゃあまたあとで」

「はい。また、あとで」

 そういい返して、ファリアは戦女神の霊域に足を踏み入れた。

 戦女神の霊域などという大仰な名前からは考えられないほど、その部屋の中はすっきりとしている。名は名として、部屋は、ファリア=バルディッシュの寝室に過ぎないのだ。寝起きするために必要なもの以外はほとんど置かれておらず、飾り気もなにもないのは、そのままのほうが美しいだろうというファリア=バルディッシュの考えが働いているのだろう。

 部屋に入るとまず目につくのは衝立だ。戦宮にそぐわない衝立は、ファリア=バルディッシュの趣味ではあるまい。おそらく、大ファリアの寝込んでいる様が外から見えないようにするための配慮であり、四大天侍か護山会議のいずれかがやったことだろう。ファリア=バルディッシュも自分の立場がわかっているから反論できなかったのだ。

 戦女神はリョハンの支柱だ。体調を崩し、寝込んでいるなどということが知れ渡るだけで、リョハンそのものが暗雲に飲まれてしまうだろう。

 衝立の横を通り抜けると、部屋に置かれた寝台の上にファリア=バルディッシュが座っているのが目に飛び込んできた。一目見た瞬間、ファリアは、なんともいいようのない気持ちに襲われた。それほど、やつれていた。半年ほど前、クルセルクの地で対面したときとは様変わりしたといってもいい。

「お帰りなさい、ファリアちゃん」

 しかしながら、彼女の満面の笑みには往年の輝きがあり、ファリアは、つい、引き込まれた。ファリア=バルディッシュはやはり、リョハンの支柱たる戦女神なのだ。リョハンに生まれ育ったファリアには、その言葉の意味がよくわかった。いま、実感として理解できている。彼女の笑顔を見るだけで力が湧いた。心が暖かくなり、嬉しくなる。

「……ただいまもどりました。大ファリア様」

「そっちで通すの?」

 残念そうな祖母の声に、ファリアは、一瞬たじろいだものの、すぐに気を取り直して微笑を浮かべた。

「では、お祖母様、とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「そうして頂戴。わたしは、孫娘のファリアちゃんとお話がしたいのよ」

「お祖母様……」

 ファリアは、なぜだか目頭が熱くなるのを感じて、どうしたらいいのかわからなくなった。

 なぜ泣きたくなったのかは、まったくもってわからなかった。

 ファリア=バルディッシュの言葉は、いつも通りの言葉だ、人前では戦女神と一武装召喚師という立ち位置を貫いたものの、ふたりきりのときは、いつだって祖母と孫娘だった。そうでなければならないというのが、ファリア=バルディッシュの言葉であり、考え方のようだった。

 祖母の心はなにも変わっていない。

 変わっているのは、彼女の肉体が、もう持たないところまで来ているという事実だけだ。



「規則違反ですよ」

 シヴィル=ソードウィンが冷ややかに告げてきたのは、ファリア・ゼノン・ベルファリア=アスラリアが、戦女神の霊域に足を踏み入れ、マリクたちの視界から消え失せてからのことだった。

 戦神の座と呼称される中庭は、庭というだけあって天井がなく、頭上の星空がはっきりと見えた。満天の星空。冬の夜空。寒風が吹きつける都市にあって、扉ひとつつけることさえためらうのは、ファリア=バルディッシュらしいというべきだろうが、戦宮で働くひとびとにとってはたまったものではないだろう。もっとも、戦宮で働くということは、それ自体が修行のようなものであり、冬場の寒さも修練にはもってこいという声もなくはない。

 マリクとしては、そういう馬鹿馬鹿しい考えは受け入れられず、戦宮のこの寒さをどうにかするべきだとなんどもいっているのだが、一度たりとも聞き入れられたことはない。

「わかってるよ。処罰は受ける」

 目眩がする。

 ここまで急ぎすぎたのが原因だ。

 血の巡りが悪い。失った血のいくらかは、山門街滞在中に補給したものの、まだ足りなかった。もっと、血を吸わなければならない。でなければ、思考をまともに働かせることさえ困難になる。自分が思ってもいないことを発するのは、そのせいだと彼は結論付ける。

 そしてこういうとき、人間は不便だな、と彼は思うのだ。

 血が足りなくなれば生きることも困難になる。体が多少損壊しただけで、生命にさえも危険が及ぶ。命の時間に限りがあり、だれもがいつか必ず死ぬ。死を免れることはなにものにもできない。人間だけではない。この世のありとあらゆる生物が同じように生きて死ぬ。死ぬために生を受けるのか、生を受けたから死ぬしかないのか。いずれにせよ、不便なものだ。

 不憫でもある。

 だから、というわけではないが、彼はここにいる。

「処罰? ありませんよ、そんなものは」

「どうして?」

 マリクは、中庭に一本だけ生えている大樹の幹に触れながら、シヴィルを振り返った。星明かりの下、シヴィルの目は天を仰いでいる。

 規則違反とは、マリクが勝手にリョハンを飛び出したことだ。大ファリアの命令でもなければ、護山会議からの要請でもなかった。マリクが勝手に、大ファリアのためを想い、行動しただけのことなのだ。四大天侍の役目は、リョハンの守護である。レイヴンズフェザーを引き継いだ関係上、マリクはリョハン各地を飛び回ることもあるのだが、基本的には、戦女神の指示の下、リョハンの守護を担わなければならなかった。戦女神からの命令がなければ、リョハンを離れることなど許されないのだ。

「違反は違反ですよ、もちろん。明確な規則違反です。とはいえ、君に罰則を課すのはわたしではなく、大ファリア様だ。大ファリア様が、自分のために善かれと想ってしてくれたことを罪に問うでしょうか?」

「問わない……かな」

「大ファリア様はお優しい方です。たとえ規則違反であれ、命令違反であれ、そこに理があれば笑って許してくださる。あしき前例となったとしても構わないとお考えなのです」

 シヴィルの大ファリアを語るまなざしは、とてつもなく優しい。まるでファリア=バルディッシュがそこにいるかのような錯覚を抱くほどだった。シヴィルだけではない。戦女神の直属の配下である四大天侍は、慈悲深い戦女神の言動に触れる機会がだれよりも多い。戦女神に影響されるのは当然のことであり、ニュウ=ディーも、カート=タリスマも、もしかするとマリクさえも、ファリア=バルディッシュの影響を受けているかもしれなかった。

「大ファリア様は、リョハンが規則でがんじがらめになることを恐れている。リョハンは、ヴァシュタリアという大海に浮かぶ陸の孤島です。人々の絆や結束が失われれば、たちどころに大波に飲まれ、跡形もなく消え失せてしまうほど、儚く、か弱い」

 大海や孤島といった言葉を聞くたびにマリクの脳裏に疑問が浮かぶのだが、なぜ疑問が浮かぶのか、どういった疑問なのかもわからないまま、消えていく。

「なればこそ、規則、法、掟で秩序を保とうとするのが護山会議であり、護峯侍団なのですが」

「大ファリア様とは考え方が違うのは知ってたけど、まるっきり違うんだね」

 リョハンは、一枚岩ではない。一見すると、戦女神という支柱を中心としてひとつに纏まっているように見えるのだが、その実、リョハンの中にも様々な考えがあり、戦女神と護山会議の意見や主張がぶつかり合うことはしばしばあった。そういった対立が表立たないのは、多くの場合、戦女神が主張を収めるか、護山会議が戦女神の意見に従うからだ。戦女神と護山会議の対立が深刻化すればリョハンにどのような悲劇がもたらされるのか、想像できないはずもない。だから、どちらかがどちらかの意見に従うことで、対立を表面化しないようにしているのだ。

 政治というやつだろう。

「ええ。対立しているとさえいっていいでしょうね。ですが、大ファリア様はなにも護山会議や護峯侍団の掲げる秩序を否定しているわけではありません」

「知ってる。大ファリア様だって規則に厳しいもん」

 規則を破れば怒られる。当然のことだが、マリクは、彼女の叱責には多分に愛情が込もっていることを知っているから、わざと規則を破ったこともあった。そのことで呆れられたこともあったりしたが、多くの場合、マリクの望み通りに怒ってくれたものだった。もちろん、昔の話だ。子供のころの話。ファリア=バルディッシュがもっと元気で、マリクがもっと自由であったころの思い出。

「法による秩序を否定すれば、リョハンはあっという間に瓦解するでしょう。かといって秩序でなにもかも縛り付けてしまうのも、人々に閉塞感を与え、息苦しさを感じさせてしまう」

「大ファリア様がそういった閉塞感を与えないようにしているってことか」

「そういうことです」

「だからぼくみたいのもリョハンで生きられるし、四大天侍になれるってわけだ」

「ええ」

 シヴィルは、にこりとして、肯定してきた。

「大ファリア様がリョハン全体のことを考えてくださるから、我々は安心していられるのですよ」

「それは確かにそうかもね」

 静かに納得する。

 護山会議は、戦女神ファリア=バルディッシュにはただその場にいてくれるだけでいいと考えているフシがある。戦宮に鎮座していてくれるだけでリョハンの人々の心に安息を与えるのだから、それでいい。それだけでいい、と。行政は護山会議や、各居住区の役所が行うのだから、戦女神と四大天侍には、リョハンの守護だけをやっていてくれればいい、と。

 それも確かにその通りと思うところはある。

 余計なことをせず、ただ守護女神、守護天使として在り続けるだけでも十分意味があるのだ。

 しかし、大ファリアはそれでは満足できない人だった。自分にできることがないか常に考えているし、できることが見つかれば黙ってはいられず、動かずにもいられなかった。そういうひとである以上、どうすることもできないし、護山会議でも止めようがなかった。相手は戦女神だ。場合によっては護山会議の意見が優先されることがあるとはいえ、リョハンのためを思う戦女神の行動を止めることなどできるわけもない。

 リョハンのため。

 大ファリアの行動原理はいつだってそうだった。

 ほかのだれでもない。

 リョハンに生きる人々のためなのだ。

 そのためだけに大ファリアは生き続けてきた。

 あるときから。

 いや、最初からかもしれない。

 彼女が生を受けたその瞬間から、彼女の命はこのリョハンの地に捧げられてきたのかもしれない。

 何十年もの昔、リョハンにひとりの女が現れた。アズマリア=アルテマックスと名乗る女は、リョハンの少年少女の中から四人、選び抜いて弟子とした。十年以上に及ぶ修行の日々は、四人の少年少女を優れた武装召喚師へと育て上げるに至る。

 アズマリアの四人の高弟は、のちに四大召喚師と呼ばれることになるのだが、そのうちのひとりが大ファリアであり、彼女はその類まれな武装召喚師としての才能と実力によって、アズマリアにもっとも愛された。

 何十年も前の話だ。

 それからというもの、大ファリアは、最初期の武装召喚師として、師の教えを広めるべく教室を開き、リョハンに数多くの武装召喚師を誕生させた。リョハンが武装召喚術誕生の地と呼ばれるのも、《大陸召喚師協会》の総本山となったのも、そういう理由からだった。それもこれも、大ファリアがリョハンのためを思っての行動であり、そういった行動は、リョハンのヴァシュタリアからの独立へと結実する。

 リョハンがヴァシュタリア共同体の勢力圏において唯一自治権を獲得することができたのも、大ファリアがリョハンのために粉骨砕身してきたからにほかならなかった。

 だから彼女は戦女神として尊ばれ、敬われ、信仰されてさえいるのだ。

 彼女の後を継ぐべき小ファリアには、荷が勝ちすぎる気がしてならなかったが、そのことは言葉にしなかった。

 それを口にすれば、大ファリアの死を認めることになるかもしれないからだ。

 マリクは、大ファリアに死んでほしくなどなかった。


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