第千百七十六話 ファリアとファリア(三)
大召喚師ファリア=バルディッシュの住居である戦宮は、空中都の北側にある。天道から空中都に入るために必ず通らなければならない天門が空中都の南側に位置するため、戦宮に至るためには、空中都を南から北まで縦断しなければならなかった。とはいえ、空中都は、山の頂にあるということもあって、名前ほど広いわけでもなく、王都ガンディオンや龍府のような大都市ほど、縦断するのに時間がかかるわけでもない。
星空の下、魔晶灯の光がそこかしこに散乱する都の中を進んでいく。遺跡のような古びた町並みは、この都だけが何百年も前から時間が止まっているのではないかという感覚を抱く。リョハンは外界との関わりが薄い。リョフ山に篭もり、生涯を終えるものが多く、特に空中都のひとびとは、山間市以下の下界と関わりを持つことさえ稀だった。だから、なのかもしれない。空中都の時が止まったような風景が、昔からなにひとつ変わらないというのは、そういう理由なのかも知れなかった。
ただし、武装召喚師を目指すものは、別だ。
空中都の武装召喚師が開く教室で学びながら、リョフ山全体を使って修練に励む見習い武装召喚師たちは下界にも外界にも関わりを持ったし、場合によってはリョハンの外に出て修行することもあった。そして、武装召喚師として一人前になると、リョハンを離れるもののほうが多かった。リョハンは《大陸召喚師協会》の総本山だ。リョハンで生まれ育った武装召喚師は全員、《協会》に所属することになり、《協会》の意向に従うことになる。そして、《協会》の局員として大陸各地に派遣されることが多かった。
《協会》の意向とは別に護峰侍団に入ることでリョハンに残るものもいる。護峰侍団から四大天侍に抜擢されるものもいて、それが現在の四大天侍たちだったりする。シヴィル=ソードウィン、ニュウ=ディー、カート=タリスマ、そしてマリク=マジク。戦女神の四大天侍は、護峰侍団出身であり、四大天侍に憧れる武装召喚師が護峰侍団に入りたがるのも無理からぬことだった。
ファリアは、どちらでもない。
表向きは《協会》の意向でリョハンを離れ、小国家群に向かったのだが、真の理由は、アズマリア=アルテマックス討伐のためだった。
武装召喚術の発明者にして戦女神の師、そして《協会》の設立者でもあるアズマリア=アルテマックスの討伐が護山会議によって決議されたのは、魔人によるリョハン侵攻から数年後のことであり、長い長い審議の果ての結論だった。
リョハンとしては、アズマリアは大のつく恩人でもあった。アズマリアが武装召喚術を教えてくれたからこそ、リョハンはヴァシュタリアの勢力圏で独立不羈を貫くことができるのであり、アズマリアが武装召喚術をファリア=バルディッシュら四人の高弟に伝授してくれなければ、リョハンはヴァシュタリアの支配下に在り続けただろう。自由を得ることができたのも、力を持つことができたのも、アズマリアのおかげだった。
そのアズマリアがリョハンに襲来し、優れた武装召喚師数名の命を奪ったのは、悪夢としかいいようがない。信じていた師に裏切られたのだ。リョハンも《協会》も、アズマリアへの対応を改めざるを得なくなった。
その結果がアズマリア討伐として打ち出されたのが、襲来から数年後であり、今日から数年前のことだった。
もう何年になるのか。
アズマリアを討伐すると発表されたとき、ファリアは歓喜した。やっと、父の仇が討てるのだ、と。やっと、母の尊厳を取り戻すことができるのだ、と。そのためにはみずからが討伐に参加し、みずからの手でアズマリアを討たなければならないのだが、迷いはなかった。そのためだけに力と技を磨きぬいてきたのだ。
彼女は、周囲の反対を押し切って、討伐部隊への参加を願い出た。護山会議は悩んだだろう。ファリアは、戦女神の後継者だった。少なくとも、ファリア以外のほとんどの人間がそう見ていた。アズマリア討伐に行かせても大丈夫なのか、審議を重ねたに違いない。結論としては、ファリアはアズマリア討伐に参加することが許された。おそらく、護山会議は、ファリアがアズマリアと交戦する可能性は低いと見たのだ。でなければ、許可されるはずがなかった。
実際、ファリアがアズマリアと直接戦うことができたのは、たったの二度しかない。
それも、アズマリアがセツナに逢うために現れたからであり、ファリアがセツナの側にいなければ、二度とも遭遇することはなかったということになる。護山会議の考えは、あながち間違いではなかったのだ。
そういう事実があったから、アズマリア討伐任務からファリアを外すということに至ったのだろうが。
「それにしても、あなたを慕うひとの多さには驚かされるね」
道中、不意にマリクがそんなことをいってきたので、ファリアは目をぱちくりとさせた。
「マリク様ほどではありませんよ」
「そういうの、謙遜じゃなくて、皮肉っていうんだよ。知ってる?」
「そんなつもりは……」
「まあ、ぼくが子供に人気なのは知ってるけどさ」
自信満々というよりは、多分に自嘲の意味合いが強い言い方だった。マリクが子供に人気があるのは、彼がほかの四大天侍よりもずっと年下で、子供たちにとって親しみやすいとか、そういう理由ではないはずなのだが、彼はそう考えているらしい。もっとも、長らくリョハンを離れていたファリアには、彼が子供に人気があることの本当の理由は知らない。そもそも、彼が四大天侍に選ばれた事自体、二年前、リョハンからの情報で知ったのみだった。
無論、マリク=マジクのことはよく知っていた。彼は、彼女の祖母ファリア=バルディッシュとよく戯れていたからだ。いつからか、当然のようにいた。マリク=マジク。リョハンにマジク姓の家はない。空中都だけでなく、山間市、山門街を含めてもだ。彼がどこからきて、いつからリョハンにいついているのか、ファリアにはまったくわからなかったが、ファリア=バルディッシュが大丈夫だというので気にしなかった。彼が何処の生まれであれ、祖母を慕い、敬っていることは普段の言動からよく伝わってきたからだ。
そんな彼が武装召喚師として類まれな才能を持っていたことは、祖母を大いに喜ばせただろう。祖母は、彼の保護者でもあったからだ。マリク=マジクは、あっという間に武装召喚術をものにし、武装召喚師の常識をつぎつぎと覆していったものだから、リョハンに並み居る武装召喚師たちは、彼の存在そのものに閉口した。マリクはそんな大人たちの態度を冷ややかに嘲笑うものだから、彼への風当たりが強くなるのも当然だった。もっとも、戦女神の寵愛を受ける彼を表立って非難するものはひとりとしていない。できて、仲間はずれにすることくらいだった。それがマリクにどの程度の影響を与えているのかは、ファリアにはわからなかったが。
「あなたは、子供よりは上の年齢層に強いよね。さすがは次代のファリアというべきかな」
「マリク様までそんなことを」
ファリアが驚いたのは、マリクがそういうことに興味なさそうな人物だったからだ。戦女神だの、戦女神の後継者だの、リョハンにおける政治だの、そういうことに一切関わろうとしないのがマリクだった。四大天侍になったのも、四大天侍そのものは、そういったしがらみに囚われない存在だからだ。戦女神直属の守護天使――それが四大天侍なのだ。
護山会議ですら、四大天侍を支配することはできない。四大天侍を支配するのは、己自身だ。
マリクを横目に見ると、彼は前方を見ていた。
「皆がそう望んでいる。ぼくには関係のないことだけれど、皆の望みがあのひとの望みなら、ぼくもまた、それを望もうと思う。ただそれだけのことなんだよ」
彼がいうあのひととは、まず間違いなくファリア=バルディッシュのことだろう。ほかには考えられない。傲岸不遜、傍若無人な彼が唯一頭が上がらないのが、ファリア=バルディッシュなのだ。
「マリク様……」
ファリアは、なにもいえなかった。皆がそう望んでいるということは、知っている。痛いほど、わかる。ファリア自身も、状況が許すなら、それを望まれるというのなら、戦女神の名と役割を受け継いでもいいと考えている。たとえいまその名がただの重圧にしかならなくとも、だれかが引き継がなければならないというのなら、自分が引き継ごう。それくらいの覚悟はある。しかし、いまはできなかった。いま、そんなことをすれば、自分はリョハンを離れられなくなる。
戦女神は、リョハンの支柱なのだ。
リョハンという天地を支える柱であり、リョハンのひとびとの心をも支える光だった。
戦女神を受け継ぐということは、リョハンの支柱という役目も受け継ぐということなのだ。戦女神という名前を受け継ぐだけならば、だれも悩みはしない。
受け継げば、ファリアはリョハンを動けなくなるだろう。戦女神として、リョハンに存在し続けなければならない。クルセルク戦争のように、場合によっては四大天侍とともに外界にでることはあるかもしれないが、基本的に戦女神の役目とは、リョハン空中都戦宮にあることなのだ。
そして、戦女神になるということは、独立不羈を貫くための中立性を維持しなければならないということでもある。ガンディア一国に肩入れするようなことはできないし、ガンディアとの繋がりは完全に断たなくてはならなくなる。
セツナとも、そう簡単に逢えなくなるだろう。
いや、それどころの話ではない。
二度と、逢えなくなるかもしれない。
「話しすぎた」
「はい?」
マリクの一言によって現実に回帰したファリアは、目の前に戦宮を発見して驚いた。いつの間にか空中都を縦断していたということだ。考え過ぎていて、前をまったく見ていなかったらしい。
「……そういえば、もう夜更けか。明日にしたほうが良かったかな」
「ファリア様の体調を考えれば……そうですね」
ただでさえ体調が悪くて寝込んでいるというのなら、夜更けに会いに行くのは少しどころかかなりまずい気がした。
「いえ、その必要はありませんよ、小ファリア」
聞き知った声が、戦宮の開かれた門内から聞こえてきたかと思うと、その人物は門前まで歩いてきた。眼鏡が魔晶灯の光を反射してきらめく。シヴィル=ソードウィン。四大天侍の筆頭である彼が戦宮にいるのは、不自然なことではない。四大天侍は、戦女神の使徒だ。
「シヴィル様……」
「大ファリア様がお待ちになっておられます」
シヴィルは、だれに対しても慇懃な態度で応対する。その物腰の柔らかさには、ファリアですら安堵を覚えるほどだった。それでも心配になって、問いかける。
「お祖母様――いえ、大ファリア様の体調は大丈夫なのでしょうか?」
「ええ。小ファリアが来られると聞いて、昼のうちにたっぷりと睡眠時間を取られております」
「はあ?」
「山門街から空中都に至る時間を逆算したところ、夜中には到着するだろうと判断なされたようですね」
「それでお昼寝したんだ?」
マリクがあきれたように笑った。
「ええ。ですので、いまあなたがたに戻られると、大ファリア様がお困りになられるでしょうね」
シヴィルが苦笑を浮かべる。ファリアもなんといったらいいのか、返答に窮した。
「お祖母様ったら……」
「そういうことなら、行こうか」
「はい」
「では、こちらへ」
シヴィル=ソードウィンに案内されて、戦宮の奥まった部屋に向かった。