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第千百七十三話 代価(三)

「御主人様は無事でしょうか?」

 不意に、レムの声を聞いた。

 明瞭な声はいつになく不安そうで、彼女がセツナの身を案じてくれていることがよく伝わってくるものだった。別に大きな声ではない。それなのに綺麗に、はっきりと聞こえるのはなぜなのだろう。セツナは棺の中にいる。棺の蓋は閉ざされ、外部の音はほとんど聞こえなかった。それなのに、突如としてレムの声が聞こえたのだ。疑問が浮かぶ。が、考える間もなく、別の声が聞こえてきた。ミドガルドだ。

「無事もなにも、ただセツナ伯サマの体を外部から調べているだけですよ。セツナ伯サマの体を傷つけることはおろか、触れることさえありません。ただ、波光を当てているだけですよ」

「波光……魔晶石の光のことでしたね?」

「ええ。我々、魔晶技師の間でのみ通用する言葉ではありますがね」

 ふたりの会話がすんなり耳に入ってくる。

「この大陸で魔晶石が使われるようになったのは、何百年も前の話だといいます。何百年もの昔、それこそ聖皇の時代にまで遡ると、魔晶石はむき出しの石のまま使用されていたといいますな。当時、魔晶石は光石と呼ばれ、珍重されていた。その時代、光石は発掘されていたわけではないらしいのですよ」

「光石……ですか」

「光石が魔晶石と名を変えるのは、それからしばらく後のこと。聖皇時代が終わりを迎え、三大勢力の勃興と小国家群の成立後のことといわれています。光石が魔晶石と呼ばれるようになった由来はいくつかありますが、生物が触れることで光を発することが魔法のようだということから魔法の結晶とされ、魔晶石と呼ばれるようになった、というのが一般的ですな」

 ミドガルドが早口で説明しているのは、魔晶石のことであるらしい。魔晶石の由来や歴史など始めて聞くことばかりだったが、魔晶技師である彼には常識的なことなのかもしれない。そんなことを口早にまくし立てる彼は、調整器の隣に配置した机に向き合っていた。配線のようなもので調整器に繋がった小さな端末と睨み合い、紙になにかを書き記している。

(ん?)

 セツナは、疑問を感じた。なぜ、ミドガルドの姿が見えているのだろう。いや、ミドガルドだけではない。彼の近くに立ち、調整器を見つめるレムの姿まで、はっきりと見えている。室内の様子もだ。がらんとした室内。部屋の真ん中に設置された調整器だけが奇妙なまでの存在感を放っている。

「魔晶石がなぜ光を発するのか。我が聖王国がその調査、研究を始めたのは、約百年前のこと。魔晶石の仕組みを解明することができれば、それを利用し、国をさらに豊かにすることができるのではないかというのがものの始まりです」

「その研究の中で波光と呼ばれるようになったのでございますね」

「波光は、魔晶石の光そのものというよりは、生物の持つ魔晶石に作用する力のことですがね」

「なるほど。御主人様が特定波光の持ち主と呼ばれる理由がやっとわかりましたわ」

「黒魔晶石は、膨大な量の波光を発生させることのできる魔晶石だということは、ずい分前に判明していたのです。黒魔晶石を心核として使うことさえできれば、魔晶人形を安定的に起動することは容易い、ということもわかっていました。しかし、我々では黒魔晶石の波光を引き出すことはできなかった。ほかに心核に相応しい魔晶石が発掘されるのを待つしかないという状況でした」

 ミドガルドとレムの会話が聞こえる中、セツナの頭の中の疑問は増すばかりだった。セツナは、棺の中にいるはずだった。棺状の調整器の暗闇の中。魔晶石の光が賑やか暗闇の中。魔晶石の光が視界を埋め尽くしているはずだった。眩しくはなかった。ただ、青白い光が視界を包み込んでいた。

 気が付くと、ミドガルドとレム、そして調整器を視界に納めていた。

「ウルクが起動したのは、偶然以外のなにものでもなかった。起動するわけがないと知った上で、ウルクの心核に黒魔晶石を使用してみたのですからね。それで、まさか起動するとは思いも寄らなかった」

「そんな偶然があるのでございますね」

「忘れもしない。昨年の六月十七日のことです。調べたところ、セツナ伯サマがガンディアの記録に始めて登場した日のようですな」

「まあ。そうなのでございますか」

「セツナ伯サマが、記録上、始めて黒き矛を用いた日でもありますな」

 そしてそれは、セツナがこのイルス・ヴァレに召喚された日でもあった。

 アズマリア=アルテマックスの召喚武装ゲートオブヴァーミリオンによって召喚され、黒き矛を召喚した日。

 その日が、ウルクの目覚めの日でもあるという。

 ミドガルドが神聖ディール王国からガンディアを目指したのは、今年の五月五日、黒魔晶石の起動に必要な特定波光が龍府近辺に発生したということが計測されたからだった。それは、セツナがラグナと戦い、黒き矛の持ちうる限りの力を駆使したときのことであるらしかった。水龍湖の森を破壊するほどの熱量は、今思い出してもぞっとする。あれだけの力を戦場で用いることはできない。味方を巻き込む可能性があまりに強すぎるからだ。

 しかし、あのときは使うほかなかった。でなければラグナを倒すことはできなかっただろうし、倒せたとしても、ラグナはすぐさま転生できなかっただろう。そして、ミドガルドたちは特定波光の発生源を特定できず、ウルクとともにガンディアを訪れることはなかった。その場合、セツナは、ニーウェに殺されていたかもしれない。

 様々な要因が巡り巡って、セツナを生かしてくれている。

 ふと、そんなことを考えてしまって、セツナは頭を振った。いまは、ミドガルドの調査研究に集中するべきだと想ったのだが、目の前に広がる光景は相変わらずミドガルドの室内であり、セツナには疑問しか生じなかった。頭を振ったつもりでも、視界は揺れなかった。それどころか、視線を動かすことさえできない。

 不意に視界が揺れたかと思うと、斜めに傾いた。

「ミドガルド」

 ウルクの声は、間近で聞こえた。まるで自分が発しているような、そんな感覚。声が、あまりにも近い。どれだけ側にいても、ここまで近くで聞こえることはないだろうと言い切れるほどの距離感。

「なんだね?」

「躯体に異常があります」

「ふむ? 異常?」

「はい。とても奇妙な感覚があります」

「感覚……君がそのような言葉を使うとは驚きだ」

 ミドガルドが手を止め、こちらを向いた。彼の目が、鈍く輝く。

 その瞬間だった。

 視界が目まぐるしく揺れた。光が瞬き、意識が揺さぶられるような感覚があった。

 気が付くと、鏡を見ていた。

 鏡に写るのは、金髪碧眼の美丈夫であり、整った顔立ちはセツナのそれとはまるで違うものだった。貴族然とした秀麗な容貌に相応しい豪奢な衣服は、鏡に写る人物の立場を示しているのだろうが、セツナには、その人物が一体何者なのか、まるでわからない。いやそもそも、この光景は一体なんなのか、それさえわからないのだから、どうしようもない。

 鏡に写るのは、なにもその貴公子の顔だけではない。貴公子の背後の風景も映り込んでいる。どこか部屋のようだった。広い部屋であることは間違いなさそうで、しかも高級そうな調度品の数々が写り込んでいた。

 不意に、開ききっていた瞳孔が収縮したかと思うと、表情が生まれた。

「わたしの目を通してわたしを見る君はだれだ?」

 不審なものを見るような目がセツナを見据えた――。


 視界が開けたかと思うと、心配そうな表情をした女の顔が目の前にあった。

「ああ、御主人様! お気づきなられましたか?」

 レムが大袈裟に喜びを示してくるのだが、セツナは、彼女の反応の意味がわからず、怪訝な顔になった。

「レム? お気づきに? どういうことだ?」

 それから、自分のいる場所が変わっていることに気づく。調整器と呼ばれる棺の中ではなく、ミドガルドの部屋に置かれていた寝台の上に、寝かされていた。

「セツナ伯サマはしばらくの間、意識を失っておられたのですよ」

「意識を失っていた? 俺がですか?」

 ミドガルドを見ると、彼は調整器の内部に潜り込んでいた。設定をしているのか、なにかを調べているのか、それはわからないが、なにか作業中であることは確かだった。

「はい。ウルクが不調を訴えるので、セツナ伯サマの調査を一旦取りやめようと調整器の運転を停止したのです。ウルクを再調査するためにですね。それでセツナ伯サマの様子を確認したところ、意識を失っておられた。最初は眠っておられるものだとばかり思ったのですが、どうやらそうではなかったようで」

「意識を失っていた……」

「気が付かれたようでなによりです。セツナ伯サマにもしものことがあれば、一大事ですからね」

 棺の中からを顔を出したミドガルドがにこりと笑ってきた。確かに、ミドガルドによる調査研究中、セツナが意識を失い、そのまま目覚めないようなことがあれば、大問題となるだろう。とはいえ、ディールという強大過ぎる後ろ盾を持つミドガルドを相手に、ガンディアが責任追及などできるものかはわからないが、ガンディアにとって大きな痛手であることは間違いない。セツナがガンディアの主力であることは、自他共に認める事実だ。

 茫然とする。手も足も動いたし、視界も自由自在だった。

「じゃあ、あれは夢だったのか……?」

「夢、でございますか?」

「俺、ずっと意識あったんだよ。でも、意識を失って夢を見ていたとしても不思議じゃないかもなってさ」

 現実感のある光景だったし、会話だったが、現実感があるからといって夢ではないとは言い切れない。夢というのは、基本的に極めて現実感を持ったものなのだ。夢の中で夢を見ることだってありうるくらいには現実的で、奇妙なものだ。

「どのような夢を見たのか、おしえていただけますか?」

 レムが聞いてきたのは、夢の内容を知れば、セツナが夢を見ていたかどうか判別できるからだろう。

「ん……夢の中で、レムがミドガルドさんと話してたんだ」

「ほう」

「魔晶石の話をしてたな。光石と呼ばれてたとかなんとか」

「まあ」

「それは……」

 ふたりが顔を見合わせる。

「ん?」

「確かに、そんなことを話していました」

「ええ。わたくしもそう記憶しています」

「光石に関するミドガルドとレムの会話は、わたしの記憶にもあります」

 セツナの直ぐ側に立ち尽くしていたウルクが、ふたりの発言を保証する。

「じゃあ、夢じゃあなかったってことか?」

「そういうことになりますね」

 とは、ミドガルド。彼も不思議そうな顔をしていた。ふたりの会話が、調整器の中にまで聞こえていることが不思議だったに違いない。

(じゃあ、最後に見たのも夢じゃなかったってことか? 最後……?)

 セツナは、意識が途切れる寸前に見た光景を思い出そうとしたが、なにも思い出せないことに気がついて、愕然とした。確かになにかを見た覚えがあるのだが、なにひとつとして思い出せなかった。レムとミドガルドの会話風景から、ウルクが不調を訴えるところまでは思い出せる。しかし、そのあとミドガルドがウルクを見て、そこから先のことが一切記憶になかった。

 そこで意識が途切れ、夢に落ちたのだろうか。

(そういうこともありうるか……?)

 セツナはひとり納得すると、ミドガルドとレムに、それまでに見たことを包み隠さず話した。

 ふたりはセツナの話が終わるまで不思議そうな顔をしていた。

 


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