第千百七十二話 代価(二)
ミドガルド=ウェハラムは、天輪宮玄龍殿の一室にいた。彼が龍府にいるのは、ウルクの保護者として、バンドールでの戴冠式にまでついてきたからだ。
ウルクは魔晶人形である。躯体に不具合がないか、定期的に検査しなければならず、そのためには専用の機材と、機材を扱える人間が必要だった。ミドガルドがアバードにまでついてきたのはそういう理由からであり、龍府に滞在しているのも同じ理由だ。
保護者というよりは管理者であり、整備士とでもいうべきかもしれない。
魔晶人形の状態を精密に調べあげ、異常が見つかれば即時即刻修正することができるのは、現状、魔晶技師を自称するミドガルド=ウェハラムをおいてほかにはいないのだ。そして、彼がガンディアに魔晶技術を伝えるつもりがない以上、その状況が変わることはなかった。
魔晶技術とは、大陸全土で灯明や光源としてのみ利用されている魔晶石を戦闘兵器などに転用する技術の総称であるといい、魔晶人形ウルクは、現存する魔晶技術の結晶だということだった。魔晶技術の粋を集めて作り上げた戦闘兵器。
それが魔晶人形なのだ。
その魔晶人形のうち、唯一起動に成功したのがウルクと呼ばれる魔晶人形だった。絶世の美女といっても間違いはないくらい完成された容貌と引き換え、女性らしさはありつつも、控えめといってもいい肢体。両目は淡い光を発し、表情はない。人間とまったく同じ構造の体は、人間と同じように動き、人間以上の力を発揮する、魔晶石を動力とし、動力源となる魔晶石は心核と呼ばれる。ミドガルドから教わった魔晶人形の情報を頭の中に並べながら、セツナは、ミドガルドの準備が完了するのを待っていた。
セツナがミドガルドの部屋にいるのは、彼に呼ばれたからだ。
ガンディアとミドガルドの契約を履行するときがきたのだ。
ニーウェに受けた傷は塞がり、体調も万全だった。どのような言い逃れもできないくらい元気そのもので、セツナはミドガルドの研究に付き合わなければならなかった。でなければ、戦力としてウルクを貸し出してもらうことができなくなるからだ。ウルクの戦闘力は、契約当初こそ未知数だったが、いまでは武装召喚師に匹敵するものだということが判明している。エイン=ラジャールなどは、ミドガルドとの契約期間を延長させたいと望んでいたし、そのためにも、セツナはミドガルドの被験者にならなければならなかった。
よって、セツナは彼の部屋を訪れたのだが、ミドガルドは先程からなにやら調整中のようだった。
室内には、ミドガルドのほか、調整を終えたばかりのウルクが椅子に腰掛けていたのだが、彼女はセツナが部屋に入るなり、すぐさま立ち上がって敬礼してきた。ガンディア式の敬礼であり、ウルクがガンディア色に染まりつつあることがわかった。気になったのは、ウルクが一糸まとわぬ姿だったことだが、ミドガルドに聞いたところ、ウルクの躯体を検査するためには服を脱ぐのは当然であり、また、魔晶人形には本来服など必要ではないため、検査後は代々脱いだままだということだった。
ウルクが衣服を着ていないからといって、なにがどうということはない。躯体を覆う精霊合金製の装甲が顕になるだけであり、女性的ななめらかな曲線を描く体は芸術的であっても、性的興奮を覚えるようなものではなかった。人形なのだ。胸や臀部の膨らみなどは女性らしく作られてはいるが、なにもかも人間そっくりに作られているわけではない。もちろん、そんなことでがっかりするようなことはなかったし、装甲の下も似たようなものだと教えられたところで、そういうものかと納得するだけだった。
ミドガルドが内部を覗き込んで調整しているのは、一見すると金属製の棺のような代物だった。一見もなにも、じっくり観察しても棺にしかみえないのだが、棺にしては機械的に過ぎた。魔晶技術とは、機械技術でもあるらしい。棺の外側はともかく、内側には精密機械があるように見えたし、セツナの好奇心が刺激されたのは、この世界に来てからというもの、まったく見たこともない代物だったからだ。
「なにしてるんです?」
近づいて、内部を覗きこむと、ミドガルドがなにやら小さな端末を持って、作業を行っていた。
「魔晶人形用の設定から、人間用の設定に変更しているんですよ。魔晶人形と人間では、細部が異なりますからな」
「人間用の設定?」
「まあしかし、セツナ伯サマは、特定波光の持ち主。これくらいでいいでしょう」
「まさか、俺にそのなかに入れというんじゃないでしょうね?」
嫌な予感に問いかけると、ミドガルドが作業の手を止めて、棺の中に沈めていた上体を持ち上げてきた。こちらを見て、笑う。
「そのまさかですが」
「やっぱり」
「駄目ですか?」
「駄目じゃないですけどね」
「でしたら、なにも問題ありませんな」
「ええ、まあ」
「では、設定も済みましたし、この調整器の中に仰向けに寝てください」
にこやかに導かれて、セツナは、調整器と呼ばれた棺をしばし睨み続けた。この棺そのものといっても決して間違いではないような器の中に飛び込むことに躊躇はないが、なんとも変な感じだった。
「御主人様、頑張ってください」
「頑張るもなにもないだろ」
レムの応援を背に受けながら、覚悟を決めて調整器に歩み寄る。
「服は脱がなくていいんですか?」
「脱いでくださっても構いませんが」
「じゃあ、脱がなくていいってことか」
「残念でございます」
「なにがだよ」
「ああ、靴は脱いでください。土足厳禁です」
ミドガルドの注意を受けて、棺に入れかけた足を戻し、靴を脱ぐ。服は脱がなくてもいいということから靴下までは脱がず、そのまま棺の中に足を踏み入れた。棺の底は、平らではない。凹凸が激しく、足の裏が刺激されたが、体重をかけても大丈夫だということは、ウルクが横たわっても問題ないことからもわかっている。ウルクの体重は、セツナよりも遥かに重い。全身重い金属の塊のようなものなのだ。それでハートオブビースト装備のシーラと互角の速度を出していたのだから、未知数ながらも彼女の戦闘力が凄まじいことは疑いようがない。
調整器に両足を踏み入れ、腰を下ろす。ウルクと目があった。相も変わらぬ無表情だが、じっとこちらを見ていることはわかる。彼女がなぜ自分のことを主と認識しているのかが解明するときはくるのだろうか。そんなことを思いながら棺の底に座り込み、それから上体を倒した。左右から異様な圧迫感を受けるが、狭い空間だ。仕方がない。
「では、蓋を閉じますよ」
「あ、やっぱり?」
セツナの嫌な予感が的中した。蓋が、調整器の脇に置かれていたのだ。ミドガルドとウルクの手によって持ち上げられたらしい蓋が、天井を見ていたセツナの視界を覆い、やがてセツナの世界を暗闇で包み込んだ。
「しばらく、そのままでお待ちください」
ミドガルドの声こそ聞こえたものの、その声は小さく、はっきりとは聞き取れなかった。
(しばらく……ね)
セツナは、仕方なしに棺の中で時間が過ぎるのを待つことにした。これもガンディアのためだ。ミドガルドとガンディアが交わした契約にセツナの調査研究がある以上、この研究を拒絶する権利は、セツナにはなかった。
セツナ自身、自分が持つという特定波光についてなにかわかるというのであれば、研究に付き合うのも吝かではなかった。
ミドガルドの調査目的は、特定波光について完全に解き明かすことだが、それだけではあるまい。おそらく解き明かした後、その成果を元に他の魔晶人形を起動させるべく技術転用することだろう。魔晶人形はいまのところ、ウルクの起動にしか成功していないのだ。
ウルクの起動に成功したのは、ウルクの心核に黒魔晶石を使用しているからであり、他の魔晶人形も黒魔晶石を心核にすることで、理論上、起動することは可能だというのだが、黒魔晶石も大量に存在するわけではない上、ウルクのためにも予備を確保しておかなければならず、他の魔晶人形への搭載は見送られているという。そこでミドガルドは、特定波光を徹底調査し、他の魔晶石でも黒魔晶石と同等量の波光を発生させることができないかと考えた。
セツナの体を調べているのも、それだ。
セツナが持つという特定波光を徹底的に調べ上げ、研究し、他の魔晶石に転用することができれば、心核に黒魔晶石を用いずとも構わないということになり、魔晶人形を量産することが可能となるからだ。
つまり、ミドガルドの研究に付き合うということは、神聖ディール王国の戦力強化に繋がるのだが、神聖ディール王国を敵に回さないのならば、いくら神聖ディール王国の軍事力が強大になっても問題はないと考えている。どれだけ軍事力を積み上げようとも、数百年続いた三大勢力の均衡が崩れるようなことはないだろう、というのがガンディアの考えだった。それについては、ミドガルドも保証している。
魔晶人形の量産がなったところで、ディールが小国家群に領土を広げようとすることはないというのだ。
ディールは、現在の領土を維持するので精一杯であり、それは他の勢力も同じだという。帝国にせよ、ヴァシュタリアにせよ、成立して数百年もの長きに渡って沈黙しているのは、広大な国土の維持と安定に力を注いでいるからであり、これ以上の国土拡大に意味はないと断じているからだということだった。
ミドガルドの言に説得力があるのは、本当にこの数百年、三大勢力が小国家群に勢力を伸ばそうとした記録がないからだ。帝国が他の二勢力を出し抜こうとしたこともなければ、聖王国が他勢力に先んじて小国家群に軍勢を差し向けたという記録もない。ましてやヴァシュタリアが戦力を小国家群に進出させたということもなかった。
大陸を囲う巨獣たちは、ひたすらに沈黙の眠りの中にいる。
魔晶人形の量産がディールの眠りを覚ますことなどありえない。
ミドガルドの発言は彼の本心なのか、レオンガンドらガンディア政府と契約し、セツナを調べるための欺瞞なのか。
セツナは、調整器の暗闇の中で、そんなことを考えていた。
しばらくすると、闇の中に光が生じた。
冷ややかな光。
魔晶石の光。
どうやら、この棺には魔晶石がふんだんに使われているらしい。暗闇に覆われていたはずの視界が、魔晶石の光で賑やかになっていた。
光が、瞬く。