第千百七十話 魔龍の呼び声(六)
リバイエン家本邸の歴史は、オリアン=リバイエンことオリアス=リヴァイアが、天輪宮にほど近い屋敷を買い取ったことから始まる。オリアスは天輪宮への移動距離が短ければ短いほどいいという合理的な理由から、本邸の場所を決めている。
オリアスは、リバイエン家に養子として入ったのだが、前当主にいたく気に入られ、跡継ぎとなっている。そのまま当主となってからはやりたい放題だったらしく、リバイエン家の親族からの評判はすこぶる悪かったのだが、親族はだれひとりとして彼には逆らえなかった、意見ひとついえなかったという。それにはわけがある。
当時のザルワーンの国主マーシアス=ヴリディアが、オリアスを寵愛していたからだ。マーシアスは暴君として恐れられていた。政敵はおろか、マーシアスに意見したもの、反発するものは皆、不可解な死を遂げており、マーシアスか彼の手のものが暗殺しているとまことしやかに囁かれており、信じられてもいた。味付けが気に入らないという理由で、天輪宮の料理人が処刑されたという事実が、そういった噂に現実味を帯びさせた。
マーシアスのお気に入りであるオリアン=リバイエンに意見などしようものなら、マーシアスから圧力をかけられるどころか、下手をすると不可解な死を遂げることだってありえた。リバイエン家の先の当主がオリアン=リバイエンに家督を譲ったのも、そういう理由からかもしれない。マーシアスの意向に従っただけなのではないか。
もっとも、そういった親族たちの囁きは、ミリュウの耳には入らなかった。
オリアン=リバイエンの悪評も批判も非難の声も、リバイエン家本邸には一切届けられなかった。暴君マーシアスの威光があまりに強力だったからにほかならない。マーシアスに刃向かうことは死を意味し、マーシアスに関連するひとやものへの些細な批判さえも禁じられた。故にマーシアスの治世は暗黒時代といわれ、つぎの国主ミレルバス=ライバーンが全国民に歓迎され、礼賛されたのだ。ミレルバスは国民の期待に応える一方、オリアン=リバイエンをマーシアス以上に重用したが、ミレルバスの信望の高さは、オリアン=リバイエンの悪評さえもかき消すほどのものだったという。
もっとも、ミリュウがミレルバス時代の詳細を知ったのは、魔龍窟を出て、ガンディアに降ったあとのことだ。さらにいうなればザルワーン戦争が終わり、龍府がガンディアのものとなってからのことであり、そのころにはオリアン=リバイエンへの憎悪も薄れていたこともあって、なにを感じるということもなかった。
オリアン=リバイエン――いや、オリアス=リヴァイアの遺産ともいうべき屋敷の中をさまようように歩きながら、彼女は、ひとり考えていた。長い歴史を持つ古い建物だ。ザルワーン様式の建築物の多くがそうであるように全体に木が使われており、木材の質感を楽しむような作りになっている。板張りの廊下を歩く。人気はない。当然だ。この屋敷からは、既にリバイエン家の人間や関係者は去り、いまやミリュウ個人の所有物となっている。屋敷の維持のために必要な人数こそ、リバイエン家から譲り受けるようにして契約しているものの、それら使用人たちは、彼女の行き先にはいないだろう。セナ=タールトンも、彼女と一緒にはいない。彼には、この屋敷のすべてを任せた。屋敷をどのように作り変えようとも構わないといったものの、セナが好き勝手に改造するようなことはないだろう。彼にそのようなことができるわけもない。だからこそ任せたのだが、それは、補修が必要となるたびにミリュウに許可を取らなければならないということが彼女には面倒極まりないからだ。それならば、執事長にすべてを任せたほうが気楽だし、安心していられる。
屋敷の中は静寂に満ちている。静けさは、敵だ。特にいまのミリュウには、物音ひとつしない静寂ほど嫌なものはなかった。廊下を踏む靴音こそするものの、それだけでは抑えきれないほどの雑音が、脳裏に湧き始めていた。音の洪水。過去の残響。記憶たち。顔をもたげ、泣き叫ぶ。慟哭。呪詛。絶叫。それがリヴァイアの“知”を継承するということならば、オリアスはあるときからずっとこの現象に耐え続けてきたということだろうし、この現象を取り除くために、リヴァイアの呪いを克服する方法を模索していたのだろう。
そのためになにをしてもいいとは思えないし、そのために魔龍窟なる実験場が作られ、数多の同胞親族が研究のための贄に捧げられたという事実を曲げることはできない。
そう、魔龍窟は実験場だったのだ。
マーシアス=ヴリディアは、オリアン=リバイエンに武装召喚師の育成を命じた。オリアン=リバイエンは、強力な武装召喚師を育て上げてみせると豪語し、魔龍窟を作った。魔龍窟には、ランカイン=ビューネルなど五竜氏族の次男次女が集められた。家督を継がなければならない長男長女が除外されるのは、道理といえるだろう。最初期の魔龍窟は、オリアンが教鞭を取り、武装召喚術を一から教えるという程度のものだったらしい。しかし、いつからか血で血を洗う戦場へと変わった。そして、死んだものは、オリアンの実験材料となった。いや、生きているものですら、実験材料となっていたようだ。
オリアンは、魔龍窟を利用して、リヴァイアの血の呪いを克服する方法を探し続けた。だが、魔龍窟を利用した研究と実験が生み出したのは、蘇生薬や英雄薬などの副作用の強い薬だけであり、ついぞ、リヴァイアの呪いを克服する方法は見つからないまま、魔龍窟は解散された。
魔龍窟が輩出した武装召喚師も、たった六人だけであり、その中から生き残ったのは、ランカイン=ビューネルと、ミリュウのわずかふたりだけだった。ふたりとも、ガンディアに降ったから生き残ったといってもいいだろう。そして、ランカインもミリュウも共通しているのは、セツナと戦い、敗れたということだ。不思議な縁を感じるものの、ミリュウはランカインことカイン=ヴィーヴルが好きではない。セツナに馴れ馴れしいからだが。
頭を振る。
余計なことを考えるのは、脳内に散乱する数多の声のせいかもしれない。このまま声が大きくなり続ければ、正気を保ってなどいられなくなるのは間違いなさそうだった。代々の“血”の継承者が最終的には死を求めざるを得なかったのは、そういう理由があるのだ。連綿と受け継がれてきた膨大な量の記憶が、自我を押し潰していく。それに抗うには、強烈な個性と自我が必要であり、オリアスが長らく耐えていられたのも、きっと、彼の持つ強烈な自我のおかげだったに違いない。
自分はどうだろう。
目的の部屋の前に立ち止まり、ミリュウは考える。オリアン=リバイエンが書斎として使っていた部屋だ。リュウイが家主となってからも手付かずのまま放置されているということは、セナから聞いていた。セナが定期的に掃除のために入っていたくらいだという。
リュウイは、ミリュウの部屋さえそのまま残しているような男だ。なんの考えもなく、片付けるのが面倒だったから放置していたのだ。
鍵を使い、扉を開ける。窓に帳がかけられているためか、室内全体が暗い影に包み込まれていた。魔晶灯に照らされた廊下とは打って変わった暗さに、ミリュウは目を細めた。壁に手を這わせ、魔晶石を探す。書斎にも連動式の魔晶灯が使われていた記憶がある。
それはミリュウ自身の記憶だ。オリアンのいないときに書斎に潜り込んだはいいものの、魔晶灯に手が届かず、結果、暗闇の中を探索しなければならなくなったのだが、怖くなってすぐに部屋を出るはめになったことがあった。
子供の手には届かない位置に、魔晶石はあった。触れると、しばらくして天井から吊り下げられた魔晶灯が光を発した。室内の闇が吹き払われ、いくつもの書棚に囲われた書斎の光景が顕になる。室内は、セナが定期的に掃除していてくれたこともあって、埃ひとつ見当たらなかった。ミリュウは、セナに感謝しながら室内に足を踏み入れた。
ミリュウがリバイエン家本邸を欲したのは、この書斎を必要としたからだった。リバイエン家との関わりを捨て、リヴァイアを名乗るようになったミリュウが、オリアスの書斎に篭もるには、屋敷そのものを手に入れるのが手っ取り早い。
書斎に籠もっている間、だれにも邪魔されたくなかった。リュウイに頭を下げ、書斎に入り込むことができたとしても、長時間、書斎に籠もっていることなどできなかっただろう。きっと、リュウイの邪魔が入る。リュウイが邪魔をするつもりがなくとも、結果的にそうなるのが目に見えている。そして、そういった邪魔が入ったとき、ミリュウがリュウイに怒りをぶつけてしまうのもわかっているから、ミリュウは屋敷を手に入れることにしたのだ。
この屋敷からリュウイたちを追い出せば、時間の許す限り書斎や研究室に篭もることができる。
好きなだけ、過去との対峙を行うことができる。
ミリュウは、書斎の扉を閉めると、内から鍵をかけた。セナにもしばらく書斎に篭もると言いつけてある。長時間出てこなくとも、なにも心配する必要はない、と。
セナはよくできた執事だ。彼ならばミリュウの邪魔をすることはないし、使用人たちも彼の指示に従い、この書斎に寄り付くことはないだろう。
ゆっくりと、息を吐く。
(ようやく……ね)
思い立ってから一月ほどは経過しているだろうか。
ミリュウは、力を欲した。
通常人よりは、力がある。武装召喚師だ。魔龍窟の地獄を生き延びたのだ。そこらの武装召喚師よりも余程強いだろうという自負はある。だが、それだけでは、足りないのだ。この程度の力では、もはや足りない。
愛しいひとを護るためには、愛しいひとの力になるためには、より大きな力が必要だった。
力を得るためにはどうすればいいのか。
ミリュウはずっと考えていた。
ずっと、ずっとだ。
ザルワーン戦争のときからそうだ。セツナの敵は、いつだって凶悪だった。強力無比であり、ミリュウたちが足手まといになるような戦いばかり、彼はしていた。そんな彼の力になるには、彼と並んで戦うためには、もっと強くなる必要があるのだ。
強く。ただ、強くなりたい。
その方法のひとつとして思い至ったのが、リヴァイアの“知”だった。
“知”を紐解くことで、なんらかの知識なり、技術なりが手に入るかもしれない。可能性の問題だ。もしかしたら、なにも得られないかもしれない。なにかを得るどころか、むしろ失う可能性だってあった。“知”を紐解くということは、過去の残響がより大きくなるということだ。人間性を失い、過去の記憶に蝕まれた化け物へと成り果てる可能性だって、大いにあった。
それでも、ミリュウはやらなければならないことだと想った。
でなければ、大切なひとを失ってしまうかもしれない。
もう二度と、あんな気分を味わいたくはない。
そのために、ミリュウは覚悟を決めたのだ。
「さあ、はじめましょうか」
ミリュウは、書斎を見回して、書棚に隠された魔方陣がわずかに浮かび上がっているのを認めた。オリアス=リヴァイアの記憶が、魔方陣の位置をミリュウに知らせてくれている。
オリアスは、地下の研究室だけでなく、屋敷内の複数の部屋に魔方陣を隠していたのだ。
それも“知”を受け継いだものだけにしかわからないような方法で。
ミリュウは、書斎に構築された魔方陣を形にするため、書棚を整理し始めた。オリアスの記憶を頼りに本の位置を入れ替え、魔方陣を形にしていくのだ。
やがて魔方陣が完成したとき、情報の洪水がミリュウの意識を包み込んでいた。