第千百六十九話 魔龍の呼び声(五)
日が、過ぎた。
十二月一日、龍府では、天輪宮の守護として、龍宮衛士の設立が正式に発表された。龍府天輪宮の衛士だから龍宮衛士と名付けられた組織は、領伯配下の一部隊であり、その役目は名前の由来通り、天輪宮の警護にある。天輪宮は龍府の中心にしてザルワーンの象徴というべき歴史的建造物であり、領伯の住居でもある。その警備は厳重でなければならず、龍宮衛士には屈強な戦士が求められた。
龍宮衛士の組織によって、これまで天輪宮の警備をしていた都市警備隊は、龍府の全体の警備に回されることになった。
龍宮衛士の初代筆頭には、リュウイ=リバイエンが任命された。任命の場で、リュウイ=リバイエンは、任命権者であり領伯であるセツナに忠誠を誓って見せている。厳粛極まる場での礼節を弁えた立ち居振る舞いは、さすがはリバイエン家の当主として育てられた人物であり、式典に参列したミリュウは、内心安堵したものだった。
リバイエン家からは、ほかにもシリュウ、リュウガらミリュウの兄弟が龍宮衛士に参加しており、ほか、リバイエン家の私兵だった人物も何人か、龍宮衛士に入隊している。
龍宮衛士は、広い天輪宮の警護を任務とするということもあって、発足時の人数は五十名ということだった。それでも足りないときは追加人員を募集するということになるが、いまのところ、五十人もいれば、天輪宮の敷地内を警護するには十分だろうと判断されていた。
その五十人の頂点にリュウイがいるのだ。
ミリュウは、龍宮衛士をリュウイに任せるのは大いに不安だったが、彼との取引の手前、筆頭に彼を推挙するほかなかった。彼女は、なんとしてもリバイエン家本邸を手に入れなければならない。もちろん、セツナには、不安があることも伝えてあるし、判断するのはセツナ自身であって、ミリュウの意見など参考程度にしてくれればよかった。
その結果、セツナはリュウイを龍宮衛士の筆頭に任命し、リュウイは大いに喜び、ミリュウに感謝の言葉を送ってきたものだった。
ミリュウとしては、リュウイが龍宮衛士として真面目に働かずとも、セツナに迷惑さえかけなければどうでもいいと想っていたが、リュウイが思った以上にやる気を出していることには、なんともいいようのない気分だった。リュウイら兄弟が屋敷にこもり、世間への不満を募らせ続けるよりは余程健全だし、彼らにとっても、国にとっても良いことには違いないのだが、なにか腑に落ちないことがあった。
「どうしたんだ?」
不意にセツナが話しかけてきたのは、龍宮衛士の発足式が終わった後のことだった。ちょっとした式典の後、天輪宮にて宴が開かれ、龍府中から集まった賓客や要人たちが、龍宮衛士や龍府の将来のことを話しあったりしていた。当然、龍宮衛士初代筆頭リュウイ=リバイエンの周囲には、人集りができていて、久々に注目を浴びていることにリュウイは上機嫌で大得意といった様子だった。
そんな兄の姿を遠目に眺めながら、嘆息を浮かべる。
「なんでこんなことをしなきゃならないんだろうってさ」
「ん?」
「あたし、あのひとたちのこと、憎んでるはずなのに」
兄と弟達。リュウイ、シリュウ、リュウガの三人は、魔龍窟を逃れ、のうのうと暮らしていた。それが許せなかった。当然だろう。ミリュウは、血で血を洗う地獄に落とされた。どれだけ助けを求め、救いを望んだところで、だれひとりとして手を差し伸べてくれなかったのだ。
「権力を使って追い出せば良かったんじゃないかって?」
「そうすれば、色々すっきり出来たかも、ってさ。考えたりもしたわ」
「でも、それはそれで後味の悪いものが残ったんじゃないか」
「……そうかもね」
小さく、同意する。
後味の悪さなど気にする必要などもない。家への恨みつらみは消しきれないほどにある。どれだけ声を上げても、泣き叫んでも、あの暗闇に手を伸ばしてくれるものなどひとりもいなかったのだ。地獄の日々は、愛情を憎悪へと変えてしまった。もちろん、頭では理解している。自分を地獄に突き落とした父はともかく、母や兄、弟たちになにができるはずもないことくらい、わかりきっている。それでもなにかしらの行動を起こしてくれてもよかったのではないかと思わずにはいられなかったし、地上に出たあと、家族が自分のことを心配してもしなかったことを認識したことで、すべてを理解した。家族など、とっくにいなくなっていたのだ、と。
それでも諦めきれなかった自分の愚かさを実感したのが半年前であり、やはり、リュウイがミリュウのことなど毛ほども心配していないことを思い知ったのもそのときだった。リバイエン家との繋がりを絶ち、リヴァイアと名乗ることを決めたのも、そのときの出来事がきっかけだった。もし、あのとき、リュウイがミリュウのことを快く迎え入れてくれていたら、状況は多少変わったかもしれない。少なくとも、リヴァイアと名乗ることを躊躇っただろうし、リュウイと交渉に及ぶこともなかっただろう。
しかし、リュウイや弟たちと仲良くしている自分など想像もつかず、ミリュウは頭を振った。家族と触れ合おうにも、この手はあまりに血に汚れすぎている。
そんなことをふと想ってしまった自分に腹が立つ。散々呪った相手のことを気遣う道理など、どこにもないはずだった。
ふと視線に気づいて顔を向けると、リュウイ、シリュウ、リュウガの三兄弟が、こちらに向かって手を振っていた。そして、隣に彼らの主たるセツナが座っていることに気づいたのか、慌てて手を止め、敬礼の姿勢を取った。ザルワーン式の敬礼。どことなくぎこちないのは、三人が三人、軍人としての経験も浅いからだろう。
「あのひとたち、上手くやれるのかしら」
「だいじょうぶだろ」
セツナの楽観ぶりは、どこからきているのだろう。ミリュウには、不安しかなかった。
「不安だわ」
「なにを心配することがあるんだよ。ミリュウの兄弟だろ」
「そうでございます。ミリュウ様のご兄弟様なら――」
どこからともなく口を挟んできたレムを一瞥する。
「だからよ」
「はい?」
いつもの微笑を湛えたまま、レムが小首を傾げた。ラグナが彼女の頭からずり落ちそうになる。いつもセツナの頭の上に乗っている小飛竜は、龍宮衛士の発足式からこっち、レムに面倒を見られていたのだ。
「あたし、不真面目でしょ?」
「そうでしょうか?」
「そういやそうだ。隊一の怠け者だったな」
「もう、セツナったら、あたしのことよくわかってるう」
「なんなんだ」
抱きついた勢いで、彼の耳元に口を寄せ、囁く。
「セツナ」
「うん?」
「ありがとね」
「なにが」
「あたしの我儘に付き合ってくれて」
「これくらい、なんてことないよ」
セツナは、少し照れくさそうにしながら、視線を逸らした。普段からミリュウの熱烈な愛情表現を適当にかわしたりすかしてみせたりする彼だが、こういうときは少年らしい初な一面を見せたりするものだから、ミリュウにはたまらない。胸のときめきを抑えられないのだが、宴の席ということもあって、抑えざるを得なかった。
「それに、龍宮衛士みたいなのは作っておかなきゃならなかったしな」
天輪宮は、セツナの住居でも有るのだ。その警備に、本来龍府全体を警備しなければならない都市警備隊の一部を使うのはあまりよろしくないことであり、セツナは常々、どうするべきかと頭を悩ませていたのだ。
当初、シーラの黒獣隊を龍府の警備に当てるつもりだったのだが、いつからかセツナの近衛部隊としての性格が強くなっていき、いまではセツナ軍の主要部隊として認識されるに至っている。つぎに、シドニア傭兵団がシドニア戦技隊としてセツナ配下に加わったものの、やはり彼らもセツナ軍の一部隊としての性格が強く、天輪宮の警備員にしておくにはもったいないという結論に至っていた。
そこで天輪宮専用の警備部隊を作ろうとしていたのをミリュウが利用した形となって、龍宮衛士は発足された。
龍宮衛士には、筆頭のリュウイ=リバイエンほか、シリュウ=リバイエン、リュウガ=リバイエン以下、リバイエン家のものが名を連ねている。五十名のうち、十人がリバイエン家の関係者であり、残り四十名も五竜氏族と血の繋がりを持つものが少なくなかった。司政官ダンエッジ=ビューネルが音頭を取って人材を募れば、そうもなろう。しかも、セツナ配下の新設部隊だというのだ。これまで陽の目を見ることもできなかった五竜氏族の子女が我こそはと手を上げるのはわからない話ではない。セツナの下で働き続ければ、いつか引き立てられるかもしれないのだ。領伯近衛と呼ばれる立場になれるかもしれないし、別の可能性もないわけではない。そしてそれは、一般兵から軍団長へと昇格するよりも余程現実味の有る話のように思えた。
龍宮衛士に任命されたザルワーン人たちがほろ酔い気分で喜んでいるのは、そういう理由からのようだった。
翌日、リバイエン家本邸に向かったミリュウがまず驚いたのは、予期せぬ出迎えを受けたからだ。
「お帰りなさいませ、ミリュウ様」
セナ=タールトンが、門前に立っていたのだ。
「なんであなたがいるのかしら。この屋敷はあたしのものになったはずよ」
ミリュウは。ただただ驚き、老執事の相も変わらぬ穏やかな表情を見つめるしかなかった。
セナ=タールトンは、リバイエン家の執事長であり、リバイエン家当主リュウイに仕えている人物だ。リュウイともども屋敷を去ったはずだった。
「あなたは、リバイエン家の執事長でしょう?」
「御当主様に、御暇を出されたのでございます」
「なんでまた?」
「さて……それはわたくしにもわかりかねます。御当主様の心慮を量るなど、従僕には畏れ多いこと」
「ふーん……それで、行く宛がないからここであたしを待っていたってわけ?」
「はい」
セナ=タールトンは、にこりと笑った。顔に刻まれる深いしわが、彼が生きてきた時間の長さを実感として認識させる。
「まったく、あなたの考えはよくわからないわね。あたしが来なかったらどうしたのかしら」
「ミリュウ様は必ず来られると信じておりましたゆえ」
「あたしがあなたを雇うとは限らないわよ」
ミリュウがそういったのは、ふと、セナの本心を探ってみたくなったからだ。セナは、現在のリバイエン家でただひとりミリュウが気を許せる人物なのだ。だからこそ、つい意地悪をしたくもなる。
「構いませぬ」
セナは、表情はそのままにまっすぐに断言してきた。
「はい?」
「わたくしの残りわずかな人生、ミリュウ様に捧げるだけにございますれば、ミリュウ様がわたくしをどのように扱われようと、構わぬのです」
「あなた、本気でいってるの?」
「わたくしはいつだって本気でございます」
「いつだって……」
「はい」
にこやかにうなずく老執事を見詰めていると、ミリュウの脳裏に閃くものがあった。
遠い遠い昔。
ミリュウがまだリバイエン家本邸という箱庭の楽園にいたころの記憶。
オリアスがオリアン=リバイエンを演じ、母リュウナが健在で、兄弟想いの兄と、幼い弟たちに囲まれた日常。まさに箱庭の楽園だった。屋敷の外へ出ることなどほとんどなかったが、なに不自由なければ、なんの不足もなかった。満たされ、幸せな日々。父を疑うこともなければ、家族を呪うこともない、穏やかで安らかな時間。そんな日々が永遠に続くに違いないと信じてやまなかった。ミリュウだけではない。兄弟も、おそらくは母すらも、そう信じていたはずだ。
だから、あんなことをいったのだ。
『わたくしたち、いつまでも一緒ですよね?』
『もちろんよ、ミリュウ』
リュウナの柔らかな笑顔は、いまも覚えている。
『ねえ、あなた?』
『ああ。もちろんだとも』
当時オリアンと名乗っていた男も、ミリュウの言葉を肯定した。彼がそのとき、本当はどう想っていたのかなど、想像することしかできない。彼は本当にそう想っていたのか、それとも、リヴァイアの“血”の宿命の中で、そのようなことなどありえないと考えていたのか。当時のミリュウは、父のその言葉を素直に受け取ったはずだ。
『ふふふ。みんな一緒ですね』
ひとしきり幸せを噛み締めた後、はたと気づいた。
『セナも?』
いつも側に居てくれる執事のことを忘れていたことに、だ。彼も、一緒にいてくれなければ意味がない。当時のミリュウは、本気でそんなことを考えていた。
『わたくしも、いつまでもお供いたします』
『約束ですよ、セナ』
『はい、ミリュウお嬢様』
セナ=タールトンの優しい笑顔が脳裏に浮かんで、いま目の前で笑みを浮かべる老執事の顔と重なった。
茫然とする。遠い記憶。遠い思い出。もはや取り戻すことなどできないと思っていた。取り戻せるはずなどないのだ。それくらいわかっている。
「あのときの約束……覚えていてくれてたんだ」
「もちろんにございます」
ミリュウは、セナが静かに肯定する声を駆け寄る中で聞いた。
「ミリュウお嬢様」
ミリュウはセナの骨ばった体を抱きしめながら、涙が頬を伝うのに任せた。