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第千百六十五話 魔龍の呼び声(二)


 飛龍殿の自室に戻り、服を着替える。厚手の寝間着を脱いでから着込んだのは、普段着ではなく、ガンディア王立親衛隊《獅子の尾》の隊服だ。黒を基調とし、ところどころ銀糸による装飾が施された隊服は、身に付ける隊士によって多少の変化が加えられている。

 セツナの場合は、隊長だけあって、一目見て隊長とわかるように派手で、権威的な意匠が組み込まれている。黒き矛のセツナの二つ名に相応しい装飾も施され、セツナ専用の隊服といってもいいものだ。副長のルウファも、隊長補佐のファリアも、それぞれの立場に見合った隊服であり、一般隊士のミリュウも彼女の象徴色といっても過言ではない赤が取り入れられている。一般隊士という身分のミリュウでさえそうなのだ。今後、隊士が増えることがあるすれば、それぞれ異なる象徴色を取り入れた隊服となるのかもしれない。

《獅子の尾》は、ザルワーン戦争後、戦闘要員としてミリュウを加え、専属の医療班としてマリア=スコール、エミル=リジルを加えて以来、一切増員していない。それには、《獅子の尾》という部隊の特性、特色が大いに関係している。まず、《獅子の尾》はガンディア国王レオンガンド・レイ=ガンディアの親衛隊なのだ。戦争においては、王の盾と剣たる他の親衛隊とは大きく異なり、戦場を飛び回る遊撃部隊という役割こそ与えられることが多いものの、その本質が王立親衛隊であることに違いはない。レオンガンドの眼鏡に適わなければどれだけの実力者であっても入隊できないのだ。

 もうひとつの理由がこれまた大きいのだが、それは隊士に求められる武装召喚師としての実力である。

《獅子の尾》は、王立親衛隊であるのと同時に、ガンディアが誇る最強部隊と言っても過言ではないのだ。ガンディアの英雄にして竜殺し、魔屠りなどの二つ名で知られる黒き矛のセツナを隊長とする少数精鋭部隊。それこそ《獅子の尾》であり、生半可な力量の武装召喚師では、《獅子の尾》に入隊する資格も与えられないのだ。そして、優秀な武装召喚師を欲するのは、《獅子の尾》ではない。

 軍も、武装召喚師を求めている。親衛隊とは無関係の、正規の軍人としての武装召喚師が軍に所属すれば、それだけで軍の戦力は大きく増加するからだ。《獅子の尾》におんぶに抱っこという状態が続くような状況は、ガンディア軍としても脱却したいところなのだろう。

 その方策のひとつが術師局であり、術師局の武装召喚師たちは基本的に軍属であり、戦いにおいては軍の命令で行動することになっている。王命で動く《獅子の尾》と術師局の違いはそこらへんにあるといっていい。

 そして、クルセルク戦争後、ガンディアが新規に雇用した武装召喚師は全員が全員、術師局への配属となっている。ハンナ=エンドーウィル、マルーン=メディック、サデュー=シンディ、ルカ=ファードなどの人材から《獅子の尾》の隊士が現れなかったのは、実力的にも、人格的にも相応しい武装召喚師がいなかったからにほかならない。

(まあ、あたしの人格が親衛隊に相応しいとは到底思えないけどさ)

 自虐気味につぶやいて、彼女は自室の姿見を見た。彼女の全身を映しだすには十分すぎるほどに大きな鏡には、赤毛の女の不機嫌そうな顔が映り込んでいる。黒を基調とした《獅子の尾》の隊服は、体の輪郭がはっきりとわかる。鍛え上げた体。しかし、女性的な魅力を残ってはいないはずだ。表情さえ変えれば、男を魅了することなど造作もない。それくらいの自信はあったが、その自信が想い人を前にして抱いていられるかというと別の話だ。

 彼を前にすると、大袈裟に茶化すかわざとらしく振る舞うことしかできなくなる。本気にされたら困るからだ。

 彼女は胸中で頭を振る。本気にされて困ることなどひとつとしてない。むしろ、本気で、全身全霊で愛されたいと願っている。だが、困るのだ。きっと、セツナがそんな風な態度を見せてきたら、それだけでミリュウは呼吸を忘れ、意識を失うだろう。妙な自信と確信に、苦笑を漏らす。

(なんだ……悪くないじゃん)

 鏡の中の女の苦笑に、ミリュウは、心の中で及第点をつけた。

 それは、幸せを噛みしめる女の顔だった。


 要するに《獅子の尾》の増員は、ガンディアにおいて優先順位の低い部類だということだ。

《獅子の尾》は、王立親衛隊の中でも特別な立ち位置にある。《獅子の牙》、《獅子の爪》が国王の剣と盾であるために、多くの人材を揃えなければならないのとは違って、少数精鋭でも構わなかったし、これまでも十二分以上に効果的に機能していた。《獅子の尾》には《獅子の尾》の役割があり、それには大人数である必要性は薄い。

 これ以上《獅子の尾》の隊士の数を増やすよりは、ガンディア軍全体の戦力の底上げを図るほうが効果的であり、効率的だと判断するのもまた、至極納得のいく話だった。

 セツナたちはどうかしらないが、ミリュウとしても、戦闘要員四人と医療班ふたりのいまのままで十分だと考えている。これ以上《獅子の尾》の仲間が増えても、ミリュウが困るだけだ。ミリュウは特に人見知りだ。

 いや、人見知りというよりは、他人への嫌悪が強いのだろう。

 魔龍窟の十年が彼女の心に落とした影は、いまも彼女の人格に深く影響を及ぼしている。

 その事実は彼女自身が強く認識していることだ。ひとが多い場所を嫌い、ひとのいない空間のほうが落ち着くのも、それが原因だろう。他人の悪意を感じ取りすぎるきらいがある。そんなものはどうでもいいと断ち切ることができていた時代はよかった。魔龍窟で生きることに必死だったころ、他人の悪意や敵意、殺意など、どうでもよかった。むしろ、そういった悪意を喰らって生き延びたといってもいい。しかし、地上に出て、セツナに出逢い、セツナの記憶に触れた瞬間から、そうはいかなくなってしまった。

 他人の悪意などどうでもいい。しかし、その悪意に対して悪意でもって報いることができなくなってしまった。そんなことをすれば、セツナの評判に関わる。

 なにを行うにしても、セツナという少年のことが脳裏を過ぎった。自分のことなどどうでもいい。どう思われようと、蔑まれ、侮られようと構いはしない。くだらない評価など覆せるだけの力はある。だが、そういった自分の荒ぶる本能を曝け出すには、セツナに心を委ねすぎていた。

 セツナがいて、自分がいる。

 ミリュウはそう認識していたし、だからこそ、ガンディアという国の中でもそれなりに上手くやれているのだということもわかっている。もし、あのとき、セツナの記憶に飲まれていなければ、いまの自分はいないだろう。

 父を殺せなかったことですべてを失い、とっくに命を絶っていたかもしれない。

(きっと……そうよ)

 自分がいまを生きていられるのは、すべて、セツナのおかげだ。セツナがいて、セツナの記憶に触れ、セツナに依存していられるから、ここにいることができる。ファリアやルウファ、レム、ラグナたちと馬鹿をやっていられるのも、新入隊員の可能性を心配してしまうのも、彼がいるからだ。

 彼がいなければ、ミリュウの物語はとっくに終わっていたのだ。

 そんなことを考えてしまうのは、過去と対峙する必要があったからだが。

 十一月二十七日。

 龍府の空は晴れていた。あざやかなまでの青空の下、彼女は、実家の門前に立っていた。

 オリアン=リバイエンの趣味と実益を兼ね備えた屋敷の正門には、リバイエン家の私兵が門番を務めており、その門番たちに挟まれるようにして老紳士が立ち尽くしている。セナ=タールトン。リバイエン家の執事長を務める老人は、ミリュウの到着を待っていてくれたのだ。

「わざわざ出迎えてくれなくてもよかったのに」

 ミリュウがいうと、セナは、少しばかり悲しそうな顔をした。

「そういうわけにもまいりませぬ。お嬢様は、おそらく、用事を済ませたあと、わたくしどもに言葉をかけることもなく出て行かれるおつもりでしたでしょうから」

「……お見通しってわけね」

 嘆息する。

 昔からそうだった。

 セナ=タールトンには、ミリュウの考えていることなど筒抜けなのだ。


 リバイエン家本家の屋敷は、龍府の中心、天輪宮のほど近くにある。

 オリアン=リバイエンと名乗った先のリバイエン家当主が、国主の住まう天輪宮に近ければ近いほうがよいという理由から手に入れた屋敷であり、実際、使い勝手は良好だっただろう。ミリュウが天輪宮から屋敷に移動するまで馬を利用するまでもなかった。徒歩でもなんの問題もないくらいの距離であり、そのことからオリアンの合理的な考え方がわかるというものだ。

 オリアンは、マーシアス=ヴリディア、ミレルバス=ライバーンといった歴代の国主に重用され、特にミレルバスとは半身と言い合うくらいの間柄だったという。そんな彼が屋敷と天輪宮の行き来に時間を取られたくはないと考えたとしても不思議ではなかった。

 セナに案内されるまま屋敷の中を歩きながら、ミリュウは、屋敷内の見慣れた景色が以前とほとんどなにも変わっていないことを感じていた。ひとの出入りも少ないのかもしれない。それもそうだろう。リバイエン家の当主は、彼女の実兄であり、この屋敷の主でもあるリュウイ=リバイエンだが、現在、リバイエン家でももっとも権勢を誇るのは、ユーラ=リバイエンだった。ユーラは、ミリュウ、リュウイらと同じリバイエン家の人間ではあるが、本家ではなく、傍流である。つまり親戚なのだが、そのことがリュウイの逆鱗に触れていることは、以前の対面時に理解した。

 リュウイにしてみれば、五竜氏族リバイエン家の当主であるはずの自分ではなく、なぜ傍流のユーラがちやほやされているのか納得出来ないに違いなかった。しかし、ミリュウにはユーラが重用される理由がわかっていた。

 ユーラは、傍流ではあるものの、先のザルワーン国主ミレルバス=ライバーンに重用され、側近衆に加えられていたひとりだった。現在、龍府の司政官を務めているダンエッジ=ビューネルらとともにミレルバス政権の将来を担う五人として知られた人物であり、ザルワーン戦争後、ガンディアとの間で折衝を重ねた政治家集団の筆頭格でもあった。ガンディア政府が彼を優遇するのは道理であり、彼がクルセルク戦争後、大軍団長に抜擢されるのもわからないではなかった。

 もっとも、ミリュウにしてみれば、五竜氏族の血を引く人間など、顔も見たくなかったし、彼と言葉を交わしたことさえなかったが。

 一方、リュウイは、オリアン=リバイエンの長男だ。

 リバイエン家は、ザルワーンの支配階級である五竜氏族に名を連ねる血筋であり、ザルワーンという国の礎を築き上げた一族の末裔として、知られている。

 ザルワーンは、奇妙な国だった。

 国の統治者を国主と呼ぶ。決して、王とは呼ばない。その事自体は別段奇妙なこととはいえまい。国の支配者は必ずしも王ではないのだし、国や地域によって様々な呼び方が有るのは当然のことだ。ザルワーンの奇妙なところは、その国主の座が、ひとつの血筋ではなく、五竜氏族によって持ち回りにされているところだ。ヴリディア家のマーシアスが国主となり、その跡を継いだのはヴリディア家ではなく、ライバーン家のミレルバスだった、ミレルバスの後継は、ミリュウとリュウイの父であるオリアンだったようだが、彼がザルワーン国主としてなしたことといえば、ユーラたちに丸投げしたことくらいだ。

 ともかく、五竜氏族とは、他国でいうところの王家、王族に当たり、オリアン=リバイエンの長男にしてリバイエン家の当主であるリュウイが、ユーラの重用に憤るのもそういうところにある。リバイエン家の当主である自分を無視してユーラを優遇するのはどういうことなのか、特権階級であることに慣れすぎてしまったリュウイには理解できないのだろう。

 だから彼はミリュウを利用しようとした。

 ガンディアでもふたりしかいない領伯のひとりである、セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルド。ミリュウは彼の愛人や恋人と目され、噂されている。噂は、ただの噂にすぎない。セツナならばくだらない風聞だと笑い飛ばすだろう。ミリュウにとっては嬉しいことであっても、本当のことではないのだから笑い飛ばされても仕方がない。もっとも、セツナのことだ。ミリュウの目の前で笑い飛ばしたりするような、そんなことはしないだろう。

 ミリュウには、そういったセツナの気遣いが嬉しかったり、切なかったりする。もちろん、笑い飛ばされたりすれば、不愉快に思うだろうし、一瞬でもセツナのことが嫌いになるかもしれない。しかし、気を使われるのもなにか変な感じだった。

 リュウイは、そういうミリュウとセツナの微妙な距離感をまったく理解していないのだ。

 だから、ミリュウとセツナの関係を利用し、伸し上がろうと考えた。策謀とか、陰謀とか、そんなだいそれたものではない。もっと単純で、故に馬鹿馬鹿しく、ミリュウの神経を逆撫でにしたのだが。

 やがて、セナが足を止めたことで、ミリュウはリュウイの執務室に辿り着いたのだと知った。緊張はないが、感情を制御しなければならないことを想い、気を引き締め直した。以前のような振る舞いをすれば、交渉が失敗しかねない。

「御主人様、ミリュウ様をお連れいたしました」

「入ってもらえ」

 室内から聞こえてきたのは、傲然たる声だった。

「ミリュウ様、中でリュウイ様がお待ちでございます」

「ありがとう、セナ」

 ミリュウは、老執事に礼をいうと、リュウイの待つ執務室の扉を開いだ。

「もう二度と、ここには来ないのではなかったのか?」

 リュウイ=リバイエンの目が、嗤っていた。

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