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第千百五十五話 獅子と矛(一)

「はっはっはっ、なかなか面白いことになったじゃないか」

「笑いごとじゃないですよ」

 セツナは、主君の笑いっぷりに憮然とした。まさか、真剣な話を笑い飛ばされるとは思っても見なかったのだ。

「いいんですか? 俺の派閥なんて作って」

 セツナがレオンガンドにした話というのは、数時間前、セツナの了承も経ずに結成された派閥に関することだった。エイン=ラジャールが音頭を取って結成したその派閥は、セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドを党首とし、右眼将軍アスタル=ラナディースを始め、ログナー方面軍大軍団長グラード=クライドや第四軍団長ドルカ=フォームなどが名を連ね、さらには参謀局第一作戦室長エイン=ラジャール、第二作戦室長アレグリア=シーンまでが参加していた。あの場にいた全員が賛同者であり、つまり、《獅子の尾》の面々もセツナ派の結成に賛成かつ参加するということだった。

 そんな話を突然聞かされた上、セツナの了承も待たずに全会一致で可決という結論がくだされてしまった。数の暴力とはまさにこのことであり、セツナは呆然とするよりほかなかった。まるで嵐に見舞われたような気分で、どうすればよかったのかもわからないまま、レオンガンドに相談するべく彼の元を訪れたのだ。

 すると、レオンガンドが大笑いしたものだから、質が悪い夢でも見ているのではないかという気分になった。

「むしろ、なにが悪いのか聞きたいくらいだよ、セツナ」

「え?」

「派閥を作ることそのものが問題ではあるまい。ひとが集まれば、なんらかの形を作ろうとするのは当然のことだ。派閥や組織が生まれるのは自然の流れなのだ」

「そうかもしれませんけど、俺は、陛下の臣下ですよ? それなのに」

「臣下の中にも色々な考えを持つものがいる。様々な意見を持つ集団の中から、同じ意見の持ち主が集まれば、派閥ともなろう。特に権力者の元にはひとが集まりやすい。意見が食い違っていても、権力者の元でならば食いはぐれることもないと考え、派閥に入ろうとするものもいるだろう。君ほどの権力者の元にひとが集まるのは、道理でもあるのだ」

「権力者……」

「そろそろ実感しているだろう? 君は、ガンディアでも国王に次ぐ権力者といっても差し支えないのだよ。ガンディアの二大領伯のうちのひとりであり、さらに君は、だれもなしえないような戦功を積み重ねてきた英雄なのだ。むしろ、今日に至るまで君の派閥が作られなかったことのほうが奇跡だろう」

「そう……ですか?」

「まあ、君が王立親衛隊長だから祭り上げにくかった、というのも間違いなくあるだろうが」

 

「しかし、これで君は派閥の長となったわけだ。これからはますます君の活躍に期待がかかるな」

「陛下……煽らないでくださいよ。派閥っていっても、別になにかするわけでもないんですし」

「君はそう考えていても、周りのものたちはそうは思うまいさ」

 レオンガンドは、やはり楽しげに頬を緩める。レオンガンドがなにを考えているのか、セツナにはさっぱりわからなかった。そのうえ、派閥の長になったからといって、セツナに益するものはなにもない気がするのだ。責任が増えるだけではないのか。

「特にエイン=ラジャールはなにをしでかすかわかったものではないぞ?」

「ええー……」

「君の権力を笠にきて、好き放題するかもしれんな」

「エインに限ってそんなことは……」

 ない、といおうとして、セツナは口篭った。レオンガンドがにやりと笑う。

「彼は軍師候補だ。アレグリアともども、なにか企んでいるかもな」

 レオンガンドのいう通りだった。今回のこともそうだ。エインとアレグリアが発案しただけでなく、セツナに意見を求めるどころか、勝手に取りまとめてしまった。セツナが口を挟む余地もなければ、異議を唱えることさえできないまま、セツナ派なる派閥は結成されてしまった。派閥が形作られた以上、その力を使わないエインたちではあるまい。もちろん、エインたちのことだ。悪用するということはないだろうし、最低限、セツナに迷惑をかけるようなことはしないとは想うのだが、しかし、なにをするかはレオンガンドのいうようにわかったものではない。

 セツナの威を借りて、好き勝手暴れ回った結果、セツナの立場が苦しくなるということにはならないと信じたいところなのだが。

 セツナは、嘆息とともにレオンガンドを見遣った。

「なんでそんなに楽しそうなんですか」

「安心しているからだよ」

「安心?」

「君がわたしを裏切ることなどありえない。そうだろう?」

「もちろんですよ、陛下」

 レオンガンドの問いに、セツナは即答した。当たり前のことだ。言葉にするまでもなければ、約束するまでもない。当然の、それこそ、道理といっても差し支えのないようなことだと思っている。だから即座に答えたのだが。

「セツナ」

「はい? なんでしょう?」

「近くに来て、顔をよく見せてくれないか?」

「は、はい」

 レオンガンドの要望に応えるべく、セツナはレオンガンドに近づいた。室内には、レオンガンドとセツナのふたりしかおらず、元より近くにいた。しかし、レオンガンドがそう要請してきたのなら、従うよりほかはない。立ち上がるときわずかに緊張したのは、レオンガンドにそんなことをいわれたのがはじめてだったからだ。顔を見てどうするのだろうという疑問は、緊張の中に掻き消えた。

 一歩、また一歩と近づき、レオンガンドの目の前に辿り着く。すると、さらにレオンガンドが手招きするので、彼の一歩手前まで近づかなければならなくなった。レオンガンドの隻眼が、こちらを見ている。青い瞳だ。はじめて見たときよりも雄々しさが増しているように思えるのは、きっと気のせいではあるまい。レオンガンドもまた、数多の戦いを経ているのだ。それを成長と呼ぶのか、変化と呼ぶのか、セツナには判断しようもないが。

「いつ見てもいい目をしているな」

「そうですか?」

「ああ。とてもよい目をしている。いつだって前を見ている、そんな男の眼だ」

 不意に、レオンガンドの眼光が鋭くなったと思った瞬間だった。

「君は、どうしてそうなんだ?」

「へい――」

 言葉が途切れたのは、喉が圧迫されたからだ。呼吸ができなくなっていた。一瞬、気が動転した。なにが起こったのか、なにをされたのか、理解できなかった。レオンガンドに首を締められたのだと認識した瞬間、さらなる混乱が起きた。なぜ、首を絞められているのか。殺されるのか。どうして。理由がわからない。原因が思いつかない。頭の中が真っ白になる。視界が空転した。

「君は、どうしてそんなに眩しいんだ。君は、なんだ? いったい、なんなんだ? どうして」

 レオンガンドのうわごとのような声が聞こえる中、背中に衝撃を受けた。首を絞められたまま押し倒されたようだった。後頭部を床に打ち付けなかったのは、運が良かっただけだ。最悪、床に激突していた可能性もあった。

 そのまま、どれくらいの時間が流れたのだろう。

 セツナは、首に食い込むレオンガンドの手を振りほどこうともしなかった。首に食い込む指の力は一向に緩まなかったし、緩むどころか強くなる一方だった。死ぬかもしれないとは思ったが、それがレオンガンドの望みならば構わないのではないか、と想った。死にたくはない。もっと生きていたい。けれど、必要とされなくなったのなら、死んだほうがましだ。そんな風な考えが、セツナという人間を成り立たせている。

 だれかが必要としてくれるから、ここにいられるのだ。

 ここは、セツナのいるべき世界ではなかった。寄る辺なき異世界。そんな世界に放り出されて、ひとりで生きていかなければならなくなったとき、手を差し伸べてくれたのがレオンガンドだった。必要としてくれたのも、レオンガンドが最初だった。それがたとえ黒き矛の力だけを欲したものだったとしても、構わなかった。

 居場所があれば、それだけでよかった。必要としてくれるのなら、どんな理由でも良かったのだ。

「どうして、わたしを裏切らない」

 レオンガンドの声が震えていた。そして、気が付くと、首を締め付けていたレオンガンドの手が、離れていた。呼吸が復活し、息苦しさが消える。痛みは残っているものの、すぐに消えてなくなるだろう。

「どうして、抗わない?」

 レオンガンドの顔は、目の前にあった。床に押し倒したセツナに覆い被さるようにして、彼はいる。首を絞めていた手は、いまは自分の体を支えるように床に置いているようだった。レオンガンドの獅子の鬣のように長い黄金色の髪が、セツナの顔に触れる。

「俺は……陛下にすべてを、あ、与えてもらったんです、よ」

「すべてを?」

 レオンガンドが、頭を振る。

「違うだろう。わたしは、俺は、君になにを与えたというんだ? 俺の方こそ、君にもらってばかりじゃないか。なのに、それなのに、このような惨めな真似をして……なんと愚かなんだ。済まない」

 レオンガンドが顔を俯けて、セツナの視界から表情を隠した。セツナは、レオンガンドの心情を思いながら、ゆっくりと息を吐き、空気を吸った。首や背に残る痛みは、わずかばかりだ。大したことはない。戦場で負う傷に比べれば、どうってことはない。

「済まない」

 レオンガンドがゆっくりと起き上がり、こちらに背を向けた。

 その背中は、どこか儚く見えた。

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