第千百五十二話 憧憬
レオンガンドたちがアバード王都バンドールに到着したのは、十一月十八日のことだった。
ガンディオンを出発してからバンドールに到着するまで、特に大きな問題も発生せず、事件や事故に巻き込まれることもなかった。
マイラムからナグラシアの道中で皇魔の集団と遭遇したものの、《獅子の尾》の活躍によって損害はでないまま、皇魔の撃退に成功している。
レオンガンドがアバード行きにともないガンディオンから随行させた戦力というのは、王立親衛隊の三隊とセツナ配下の二部隊だけだった。移動のほとんどが国内ということを考えれば十分すぎるくらいの戦力であり、途中、ログナー方面軍第三軍団(通称、ドルカ軍)を加えたくらいで、それ以上の戦力増強は不必要と判断された。実際、ナグラシア近辺で皇魔と戦った以外、戦闘も起きなかった。
ドルカ軍と合流する必要さえなかったのではないかという声もあったが、念には念を入れたほうがいいというエイン=ラジャールの声に押される形で、ドルカ軍の同行を承認した。エイン=ラジャールがドルカ軍を贔屓にしているというのは、レオンガンドの目にもわかっていたが、エインがガンディアのためにそうしているということも理解しているため、彼の思うようにさせているのだ。エインは、ナーレスが認めた軍師候補のひとりだ。ナーレスほどの男が、エインの本質を見抜かないわけがない。だから、レオンガンドもエインとアレグリアに全幅の信頼を寄せているのだ。
ドルカ軍を加えたことで賑やかさを増したレオンガンドたちは、ナグラシア付近での戦闘以降、なんの問題もなく国境を越え、アバードへ至った。シーゼルに入り、歓迎されたのは、シーラを伴っていたからであり、シーラの人気が未だに根強いことが明らかになった。アバード政府がセイルの即位を急ぎたい気持ちもわからないではない。シーラ派の暴走という二の舞いを防ぐ意味でも、空席となっている王の座を早急に埋めたほうがいいだろう。
セイルはまだ幼いし、王となるには色々と足りないこともあるだろうが、王位を継承してから学んだとしても遅くはない。国政に関しては政治家たちが取り仕切ればいいのだ。そして、後見人のアスタルが目を光らせている限り、アバードの政治が暴走するようなことはあるまい。
バンドールに到着すると、復興真っ只中といった王都の様子がレオンガンドたちを待ち受けていた。話に聞いていた以上の被害状況を目の当たりにした一方、たった数ヶ月で崩壊当時とは見違えるほどにまで復興しているという話であり、レオンガンドは人間の持つ底力や逞しさといったものを感じずにはいられなかった。もっとも、復興が思いのほか早く進んでいるのは、アバードのみならず、ガンディアやベノアガルドが復興に協力し、支援したからであり、セツナが多額の支援金を提供したからでもあった。
アバードと直接関わりがあるわけではないセツナが、なぜそこまでしてバンドールの復興に尽力しているのかについては、レオンガンドはセツナ本人から話を聞いている。
セツナは、バンドールが崩壊した瞬間に立ち会ったのだ。シーラがハートオブビーストの秘められた力を解放し、王都バンドールを徹底的に破壊する様を目撃しているのだ。セツナには、シーラをどうにかすれば、バンドールの壊滅は食い止められていたかもしれないという想いがある。もちろん、話を聞く限りでは、シーラとハートオブビーストの暴走を止めることなどできなかっただろうし、セツナにシーラを即座に殺すという決断などできるわけもない以上、バンドールの崩壊は免れ得なかったに違いない。
それでも、セツナにはなんとかできたかもしれないという想いがあり、その想いが自責の念となって彼を責め立てているらしい。その想いの行き着く先が、復興資金の提供であり、支援だった。
それは、シーラの自責の念を少しでも減らしたいというセツナなりの思いやりもあるのだろう。彼はそんなことは一言も言わなかったが、バンドール破壊の責任を取ってアバード王家を去り、アバードそのものとの関わりを断たざるを得なくなったシーラのことを思いやらないわけがなかった。なにもいわずシーラを迎え入れたのも、そういった思いやりの現れだろう。特別扱いもせず、これまで通りを通しているという。
セツナというまだ十八歳を迎えて半年ばかりの人間は、最初こそ、主人のご機嫌ばかりを窺っている卑屈な子犬のような性格の持ち主だと思っていたのだが、どうやらそれはただの勘違いだった。本当は、だれよりも他人を思いやることのできる人物で、自分のことよりも他人のことを優先する精神の持ち主だった。ひとりでなにもかも抱え込むくせに、他人が同じようにすべてを抱え込むことを良しとはせず、無茶も無理も許さないくせに、彼はだれよりも無理をして、無茶をする。そして傷だらけになりながら、道を切り開くのだ。
無茶をさせているのは、レオンガンドたちであって彼本人の問題ではないのだが、彼自身にそういう面があるのも事実なのだ。
自分以外のだれかを護るためならば、救うためならば、自分を傷つけることを厭わない、そんな心根の持ち主だった。
だから、眩しい。
レオンガンドは、バンドールへの道中、馬車の隣に座らせたセツナの横顔を見るたびに目を細めたくなった。
眩しいのだ。
馬車の中は、暗い。窓があり、日が差し込むこともあるが、屋根などのせいで影になることが多いのだが、そんな状況であっても、彼の顔は眩しかった。特にその目を見ると、直視できなくなるくらいの光を感じる。
いままでは、そうでもなかった。目を背けたくなるほどの光を感じたことなど、一度たりともなかった。レオンガンドがかつて見た光というのは、過去、シウスクラウドが英雄然としていたときに見たものであり、それ以来、ひとにここまで強烈な光を見たことはなかった。
セツナにも、だ、
セツナは、英雄と呼ばれる。ガンディアの英雄と、呼ばれ、尊ばれている。黒き矛のセツナといえば、いまや小国家群で知らぬものなどいないだろう。泣く子も黙るといわれるほどであり、彼を呼び表す二つ名はいくつもあった。召喚武装カオスブリンガーこと黒き矛は、彼の代名詞であり、最初の二つ名だ。竜殺し、魔屠り、万魔不当、鬼砕き――それら二つ名は、彼の様々な偉業と直結しており、彼が如何にガンディアの勝利に貢献してきたかがわかるというものだった。
それでも、レオンガンドは最近に至るまで、セツナにこれほどまでに強烈な光を感じることはなかった。
なぜ、いまごろになってそう感じるようになったのか。
思い当たる節はいくつかあるが、そのうちもっとも大きなひとつが、セツナ自身に英雄としての風格が備わってきたことだろう。
レオンガンドを目の前にしても物怖じしなくなったのは当然として、どんな場所でも威風堂々としていた。
彼は、いまや、一年半前の卑屈な子犬ではなくなっているのだ。
それは喜ぶべきだと想う一方で、心の深い部分で彼への嫉妬に身悶えする自分がいることに気づく。レオンガンドには、決して到達できない境地に、彼はいる。
レオンガンドは、英雄にはなれない。
レオンガンドはみずから剣を掲げ、道を切り開くものではないからだ。ガンディアという小さな国の王に過ぎない。小さく、弱い国の、臆病な王に過ぎない。臆病故に策を張り巡らせ、謀略によって勝てる状況を作り上げ、戦略や戦術によって勝利を掴み取ってきた。そしてそれも、レオンガンド本人の力量などではなく、ナーレス=ラグナホルンを始めとする彼の臣下の手によるものであり、それら勝利の多くにはセツナが関わっている。
レオンガンドは、獅子王と呼ばれる。
獅子の国ガンディアの王だから獅子王なのだ。戦場にて獅子吼し、敵軍を怯ませ、自軍を勇奮させる百獣の王の如き存在だから獅子王、ではないのだ。
言葉だけ、名前だけの獅子王に過ぎない。
故に、レオンガンドはセツナが余計に眩しい。なにもかも、あらゆる評価をみずからの手でつかみとり、彼はそこにいる。
それがひたすらに羨ましく、妬ましい。
「くだらぬ感情だ」
バンドールに到着した日の夜、だれもいないひとりの部屋で、彼は吐き捨てるようにつぶやいた。
セツナに嫉妬してどうなるものでもない。
レオンガンドは絶対にセツナにはなれないのだ。
セツナのような英雄には、なれない。
そんなことはわかりきっていたことではないか。いまさら考えるようなことではない。そう、いまさらだ。なにもかも、いまさらなのだ。
闇の中で、膝を抱える。
彼のような英雄になりたければ、もっと剣の腕を磨くべきだった。槍でもいい。弓でもいい。とにかく、武芸を磨き上げ、研ぎ澄ませていれば、彼のように戦場で武功を重ね、名実ともに獅子王となれたかもしれない。
しかし、レオンガンドにそんなことができるわけもなかった。
開いた手を見下ろす。
訓練は、した。日夜、剣の稽古を欠かさなかった。“うつけ”の王子を演じながら、一方で、愚直なまでに剣術を学び、肉体を鍛え上げた。ある程度は戦えるようにはなった。少なくとも、士官学校上がりの新兵などには負けないし、熟練の兵士にも食いつけるくらいの実力はある。だが、そこまでだ。そこどまりなのだ。才能もなければ、それ以上剣に打ち込めるだけの時間がなかった。
それは、いいわけだよ。
声が聞こえて、彼は目を閉じた。
長旅の疲れが幻聴を呼んだらしい。
精神的な敗北感の中で、彼は眠りに落ちた。