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第千百五十一話 王宮風景

 敵と味方がいる。

 それは当然のことだ。

 味方がいれば、当然、敵もいるものだ。

 しかし、国内に限っていえば、それが当然であるべきではない。国内の貴族、政治家、軍人、そのほとんどすべてを味方にしておくべきで、でなければ外征になど乗り出すべきではなく、小国家群統一などという大それた野心を掲げるべきではないのだ。

 だが、彼の主は、内に敵を抱えたまま、外征に乗り出し、さらには連戦連勝の果て、小国家群統一の旗を掲げてしまった。彼の知らぬところで。彼とは無関係のところで、だ。それもそのはず。当時の彼はようやく悪夢から目覚めたばかりで、どうすればレオンガンドの力になれるのかを日夜考えている最中だったのだ。

 やっとの思いでレオンガンドと再会したのが半年前のことだった。それ以来、レオンガンドは、彼を側近のひとりとして重用し、ことあるごとに使ってくれている。そのことがとにかく嬉しくもあり、悩ましくもあった。

 重用されるということはつまり、仕事が多いということだ。それも、いい。だが、仕事に忙殺され、敵を探しだす暇もないというのは、少しばかり困りものだった。時間がほしい。少しでもいい。敵を見つけ出す時間が欲しかった。

 内に敵を抱えたままでは、いくら国が巨大化しても安心していられないのだ。いや、巨大化すればするほど不安が増大していくだろう。内に、敵が実在するならば、の話だが。

「陛下にも困ったものだ、という顔をしているわね」

 突如として耳元に吹きこまれてきた声に、彼は文書を認めていた筆を止めた。声のした方向を見ても、だれもいない。彼に与えられた広い一室の飾り気のない空間が横たわっているだけだ。幻聴かもしれない――などとは、思わない。聞き知った声だ。

 ジルヴェールは、嘆息とともにつぶやいた。

「……アーリア殿か」

「アーリアでいいわ」

 声の主が、形になって現れる。妖艶な空気を纏う女だ。美女といっていいだろう。艶やかな黒髪と凄絶なまでの色気を放つ灰色の目が印象的な女だった。彼の主であるレオンガンド・レイ=ガンディアの影とでもいうべき人物であり、本来ならばレオンガンドのアバード行きに付き従っているのだが、今回は、ある理由から王都に残っていた。

 レオンガンドの護衛には、《獅子の牙》と《獅子の爪》、そして《獅子の尾》がついている。完璧といってもいい布陣であり、それ以上の戦力は不要といってもよかった。国内から支配地に移動するだけなのだ。敵に襲われる心配は、まずなかった。あるとすれば、皇魔の襲撃くらいだが、皇魔が相手でも《獅子の尾》が同行している限り、絶対の安全が約束された。なんの心配もない。レオンガンドがアーリアを王都に残したのは、自分の安全が保証されているからであり、アーリアにしかできないことがあるからだ。

「では、アーリア。なにか用事か?」

 ジルヴェールは、文書に視線を戻しながら、問うた。目を通さなければならない書類は山程あったし、認めなければならない文書も数えきれないほどにある。レオンガンドの側近というのは、とにかく忙しい。

 ガンディアの中枢なのだから、忙しくないはずがなかった。

「用事がなければ話しかけてはいけないのかしら」

「ああ」

「あら、つれないのね」

 アーリアがつまらなそうにいう。

「陛下の側近に暇なんてないのだよ」

「残念。遊び相手を見つけたと思ったのに」

「……遊んでいる暇があるとは羨ましい限りだ」

「だったら、わたしと遊ぶ?」

「遠慮しておくよ、アーリア。何度も言うがわたしは暇ではないのでね」

 こうやって話している時間すら、惜しい。

 アーリアが、ジルヴェールの向かい合っている机に腰を載せた。すらりとした長い足が視界の端に移り込むが、彼は気にしなかった。文書を認める手を止めることもなければ、文書を考えることもやめない。アーリアの相手は適当にすればいいという頭がある。

「わたしも、別に暇人ではないのよ?」

「だったら、あなたの仕事に戻ってくれればいい」

「いまも、仕事中なのだけど」

「ほう。わたしを監視しているのか」

 ジルヴェールは、横目にアーリアを見上げた。

「そういうこと」

「わたしも監視対象のひとりか」

 アーリアの細い指が鼻先を撫でるのを止めることもなく、ジルヴェールは、彼女の目を見つめた。灰色の瞳は、こちらの意気を吸い込むかのように魅惑的だった。レオンガンドが彼女を側に置く理由が少しわかった気がした。無論、レオンガンドがアーリアを常に側に置いているのは、アーリアの持つ異能故であり、彼女が見目麗しい女性だからではないのだが。

「ジゼルコート伯も、デイオン将軍も、エリウス殿も、ジルヴェール殿も……王都に残された方々は、皆、わたしの監視対象ですわ」

 彼女は、平然と言い放った。それがアーリアがこの王都に残された理由だった。彼女は、姿を消すという異能を持っている。外法機関なる研究機関によって生み出された能力は、彼女の姿や気配の一切を他人に認識させないという、隠密行動に相応しいものだった。

 どうしたところで見つからないのだから、監視対象の間近でその行動を観察するということさえもできた。つまり、内部の敵を探しだすのにも最適の能力であり、だからこそアーリアは王都に残されたのだ。レオンガンドが王都を出発して以来、アーリアは常に王宮を漂い続けている。だれにも見つからず、だれにも悟られず、だれにも気取られることもなく、だ。

 そして、アーリアが王都に残っているという情報さえ、ほとんどの人間は知らない。彼女に密命が与えられていることを知っているのは、ジルヴェールらレオンガンドの側近くらいのものであり、アーリアの存在を知る多くの人間は、彼女もまた、レオンガンドと行動をともにしていると信じているだろう。彼女はレオンガンドの影であり、護衛なのだ。常に側にいることが、彼女の本来の役割だった。

「大将軍閣下もか?」

「当然」

「それは大変だ。休む暇も、遊んでいる暇もないだろう?」

「はい。ですから、監視対象であるジルヴェール殿に、遊んでいただこうかと」

 アーリアは、ぞくりとするほどに艶美な笑みを浮かべて、ジルヴェールの頬を撫でた。爪が頬にわずかに食い込んだかと思うと、指先が頬を撫で唇へと至る。ジルヴェールは、抗わないまでも、応じようともしなかった。

 からかわれているのは百も承知だ。アーリアがレオンガンド以外のガンディア人を快く想っていないのは、彼女の普段の言動から知れた話だった。

 いまこそ遊んでいるのだろう。

 ジルヴェールは、アーリアの遊びに適当に付き合いながら、文書を書き上げることを急いだ。ジルヴェールは自分が監視対象に入っていることに不満を抱いたりはしない。むしろ、当然だと想ったし、自分を監視対象から除外するようなレオンガンドならば失望すら抱いたかもしれない。ジルヴェールは、いまもっとも疑念を抱かれているジゼルコートの実の息子なのだ。順当に行けば、ケルンノール家の次の当主になるだろうことは明らかであり、ジゼルコートが、ジルヴェールに策謀のひとつでも託している可能性を考慮するのは、当然の話だった。

 無論、ジルヴェールはレオンガンドを裏切ってなどいないし、ガンディアの敵となるつもりもなかった。むしろ、ガンディアの敵を見つけ出したいという欲求に駆られているくらいだ。たとえ実父ジゼルコートが敵で、その事実を発見することになったのだとしても構わないと想うくらいには、ジルヴェールはレオンガンドに忠誠を誓っていた。

 しかし、いや、だからこそ、ジルヴェールは、アーリアの監視対象に入っていなければならなかった。

 たとえジルヴェールが潔白であったとしても、ジルヴェール自身がガンディアの敵ではなかったとしても、その敵がジルヴェールに近づいてくる可能性は十分にあった。その敵が監視対象外の思わぬ人物であった場合、ジルヴェールを監視していなければわからないことだ。

 エリウスやデイオン将軍、アルガザード大将軍を監視しているのも同様の理由だろう。

「一番の監視対象は、お父上ですが」

「知っているさ」

 残念なことに、ジゼルコートがもっとも疑われているのは、ジルヴェール自身が一番よく理解している。

「それで、なにか収穫はあったのか?」

「ジゼルコート伯がデイオン将軍にご執心だということくらいしか」

「デイオン将軍に……ね」

 ジゼルコートとデイオン将軍が急接近しているのではないかという話は、少し前から聞いていた。ルシオン王の戴冠式では、ふたりがよく談笑している様が見られた。話をするくらいならば普通のことだし、とるに足らないことだ。人前でもある。その程度のことで、急接近などとはいえまい。しかし、王都への帰還後も、ジゼルコートは事あるごとにデイオン将軍の元を訪れ、相談しているといい、ジゼルコートがデイオン将軍を頼みにしているのは明らかだった。デイオン=ホークロウは、優秀な軍人だ。ガンディア軍人の鑑ともいうべき人物であり、ジゼルコートが頼りにするのもわからないではない。

 しかし、どうやらそれだけがジゼルコートがデイオンに近づいている理由ではないらしいということが、アーリアの報告で明らかになった。

 不意に、アーリアが耳元に顔を近づけてきた。囁くように、いってくる。

「そしてもうひとつ」

「うん?」

「陛下の側近の方々に、内通者がいるかもしれませんわ」

「内通者……?」

 反芻したのは、信じられない言葉だったからだ。裏切り者がいたとしても、レオンガンドの側近の中にはいないと想い込んでいた。レオンガンドの側近といえば、四友とも呼ばれるレオンガンドが選び抜いた四人のほか、エリウス=ログナーと、新参のジルヴェールの六名だ。このうち、ジルヴェールは除外するとして、残り五人のうちのいずれかがレオンガンドを裏切っているというのか。とても信じ難い話だった。

「陛下と側近の方々、それにわたししか知り得ない情報を、ジゼルコート伯が話しておられたのです」

「……本当なのか」

「嘘はいいませんよ。だからどうか、ご警戒を」

「わかった。引き続き、各人の監視を頼む」

 ジルヴェールはアーリアの目を見つめながらいった。未だに信じられないという感覚が残っているものの、アーリアが嘘をつくとも思えず、彼は胸中で唸るよりほかなかった。

「もちろんです。が」

 アーリアが、艶然と笑いかけてきた。その笑顔の艶やかさは、ジルヴェールもはっとするくらいだった。

「なんだ?」

「その前に、遊んでくださいませんか?」

「わたしにはそんな時間はないよ」

「つれないひとだこと」

 少し寂しそうな顔をして、アーリアはジルヴェールの視界から消えた。文字通り、目の前から忽然と消失したのだ。認識ができなくなるというのはつまり消滅も同じであり、ジルヴェールは、だれもいなくなった虚空を少しの間見つめて、再び筆を手に取った。

 彼女には彼女の、ジルヴェールにはジルヴェールの役割がある。

 ただそれだけのことだ。



 カイン=ヴィーヴルは、後宮の護りについている。

 ガンディア所属の武装召喚師にして王宮特務のひとりである彼は、いつものように竜の怪物を模した仮面を被り、仮面の内側から外の世界を監視していた。王宮区画の一角にある後宮、その内部で警戒に当たるのが彼に与えられた任務であり、レオンガンドたちがアバードから帰ってくるまでは、その任務が変更される予定もなかった。つまり、一ヶ月以上は、この女だらけの後宮を警護し続けなければならないということだ。

 任務なのだから、文句はないし、不満もない。戦えないのは、いまに始まったことではない。戦争でもなければ、彼の本来の出番が回ってくることなどないのだ。その戦争でも、彼が望むような戦いができるとは限らない。

 血沸き肉踊るような苛烈な戦場ばかりでは、ない。

「警護って退屈よね」

 隣で不満の声を漏らしてきたのは、もちろん、ウルだ。同じく王宮特務のひとりである彼女は、相変わらずの喪服のような黒ずくめという格好で、黒髪とともに全身が真っ黒になる組み合わせだった。いつものことだし、見慣れた格好でもある。特に問題があるわけでもなければ、むしろほかに似合う服装のほうが思いつかなかった。

「そうか?」

「だってさ、なにも起こるはずがないのに、一日中同じ所に留まっているのよ? これが退屈に感じないならおかしいわ」

「つまり、俺はおかしいのか」

「はあ?」

 ウルが声を裏返らせた。

「ん?」

「あなたがおかしいのは、いまに始まったことじゃないでしょ」

「そうか」

 確かにそうかもしれない。カインは至極すんなりと納得したのだが、ウルは、どうやらそれが気に入らなかったらしい。不服そうな表情でいってくる。

「……つまんない」

「そうか」

「もう、少しは反論くらいしなさいよ」

「それは、命令か?」

「ちーがーうー。ちがいますー」

 なにやらむきになっているウルを横目に見て、再び視線を前方に戻す。彼女のいう通りなのは、間違いない。なにも起こるはずのない、起きようのない場所を日がな一日警護するというのは、ひとによっては退屈かもしれない。以前のカインならば我慢できなかっただろう。ランカイン=ビューネルと名乗っていたころのカインならば、だ。

 だが、いまのカインは、あのころのカインとは違っていた。どんな状況にも、どんな任務にも耐えることができた。それはまず間違いなく、隣に立つ女のせいだった。彼女の持つ支配の力による副作用というべきか。制御された狂気は、正気よりも正気となり、彼に冷静さを与えた。熱を帯びた狂気は鳴りを潜め、凍てついた正気が彼を支配している。

 だから、このような任務にも熱中できるのかもしれない。

 そのときだった。

「カインちゃんにウルちゃん、退屈ならわたしたちと一緒に遊ぶ?」

「はい!?」

 ウルが素っ頓狂な声を上げたのも、当然だったのかもしれない。

 カインは、声をかけてきた人物を一目見るなり、その場に傅いた。相手は、グレイシア・レイア=ガンディアだった。この後宮の主であり、ガンディア王レオンガンドの母親にして太后と呼ばれる人物だった。

「恐悦至極ですが、わたくしどもは陛下の御命令により、後宮の警護に当たる身。太后殿下の思し召しとあれど、任務を放り出すわけには参りません」

「あら……そうなの? 残念ねえ」

 グレイシアは、言葉以上に残念そうな顔をした。顔全体、体全体で無念を表現する彼女の姿は、彼女が太后という立場にあることを忘れさせる。心苦しく想ったのは、なぜだろう。カインは別段、グレイシアのことを慕っているわけでもない。もちろん、グレイシアがガンディアという国にとって特別重要な人物であり、レオンガンド王、ナージュ王妃とともに敬服するべき相手だということは知っている。しかし、この心苦しさは、そういったところからくる感情ではなさそうだった。

 ウルの視線が突き刺さる中、カインは、口を開いた。

「殿下の御命令とあらば、話は別ですが」

「そう! それじゃあ、命令しちゃおうかしら」

 グレイシアの表情があざやかに変化するのを見つめながら、カインは、自分でいった言葉の意味を理解して、憮然とした。

 らしくないことだ。

 が、ウルがグレイシアに喜んでついていくのを見ると、それも悪くないように思えた。


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