表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1149/3726

第千百四十八話 響く声(一)

「力」

 つぶやく。

 考え事を声に出すのは、そうするほうが考えが纏まるような気がするからだった。必ずしも気のせいではない。そうでもしなければまともに思考できないほどに混乱している。特にこの時間帯はそうだ。ひとりきりの、だれもいない静かな空間では、頭の中の混乱はひどくなる一方だった。

 だから、つぶやく。声を出す。言葉にする。

 声に出せば、言葉にすれば、音にすれば、それが耳を叩き、鼓膜を震わせ、脳を振動させる。脳が揺れてくれれば、この悪夢のような混乱はわずかに収まり、濁流に飲まれがちな思考が少しの間、安定する。

 だから、静けさが嫌いになってしまった。

 以前は、そんなことはなかった。

 いつでも静けさを求めた。音がなければないほどよかった。なにも考えず、なにも想わず、なにも聞かず、なにも感じない。そんな闇のような静けさの中で、思考を凍りつかせておきたかった。思考だけではなく、心まで凍てつかせることができたなら最上だっただろうが、残念ながら、彼女にはそんなことはできなかった。人間は、みずからの意思で凍りつくことなどできるわけもない。

 そして、いまはそんなことを冷静に考えている余裕さえない。

 静寂とともに押し寄せる頭の中の混乱に対抗するためには、混乱に飲まれる前に眠りにつくか、ひとりごとでもつぶやくしかなかった。そうするほか混乱から逃れる術はないのだ。それも、完全な解決策ではない。混乱を科前に取り除くことなどできるわけがないのだ。

 それが呪いだからだ。

「力……か」

 また、つぶやく。

 呪詛のように、呪文のように、願いのように、祈りのように、同じ言葉を何度となく繰り返す。繰り返したところでなにが生まれるわけでもない。なにか新しい考え生じるわけでもない。ただ無意味に言葉を浪費し、想いを消費し、時間を失っていくだけのことだ。しかし、そうでもしなければ、思考することもままならないのだから、考えを口にするほかない。

 ミリュウは、うんざりとしながらも、そういった苦悩をだれに打ち明けようともしなかった。

 この混乱は、リヴァイアの“知”を継承したことが原因だ。本来ならば血とともに継承するべきはずの知識を、ただそれだけで継承してしまったことが原因となって、彼女の頭の中で暴れ回っている。きっと、そういうことだろう。

 もちろん、最初からこうではなかった。最初、つまりオリアスの幻像に触れ、“知”を継承した直後こそ多大な混乱が起き、自分をも見失いかけたものの、混乱が収まってからは静かなものだった。静寂を静寂と感じ取れるくらいには落ち着いていたし、受け継いだ膨大な量の記憶が開放されるのもゆっくりとしたのもなのだろうと想っていた。しかし、違った。記憶の解放こそ遅々たるもので、欲しい記憶を拾い上げることさえ困難なのだが、意識への侵蝕は想像以上に早かった。

 いずれ、この混乱が思考を飲み尽くし、意識を蝕み尽くすのだ。そうなってからでは遅いから、そのことだけはセツナに伝えてある。そういう意味では、このまま自分を見失い、化け物と成り果ててしまっても、殺してくれるひとがいるのだから安心だ。

「力」

 また、同じ言葉を紡いだ。

 視界には、漠たる闇がある。真夜中の闇。帳も半開きな窓からは月明かりが差し込んできていて、その闇の勢力を多少なりとも弱めていた。暗いなりにも天井の木目まで見えるのは、目が闇に慣れてしまったからだろう。なんとはなしに起き上がり、寝台から降りる。

「眠れない」

 ここのところ、いつもそうだった。頭の中がうるさくてかなわないのだ。

 彼女の脳内に響くもの。それは、過去からの残響とでもいうべきものだ。レヴィアから続くリヴァイアの血筋が受け継いできた膨大な量の記憶、知識が津波のように押し寄せて、頭の中を席巻していく。放っておくと気が狂いそうになるから、声を出して、混乱を一瞬でも静めなければならない。でなければ自分を見失い。昼間のようなことになりかねない。

「嫌な女」

 ミリュウは、吐き捨てるようにいった。

 嫉妬心を剥き出しにしてしまった。レムへの嫉妬だ。常にセツナの側にいることが許された彼女へは、以前から深い嫉妬を抱いていたが、ここまで表面に出したことはなかったはずだ。出したとしても、簡単に取り繕えるくらいの些細なものだったはずだ。しかし、今回ばかりは、そうもいっていられないほどのものを出してしまった。

 嫉妬のあまり、セツナに八つ当たりをしてしまった。

 普通ならありえないことだ。普段の精神状態、いつもの感覚を持っている状態ならば、あんな風にはならなかった。

 なぜ、あんなことになってしまったのか。

 答えはひとつだ。

 あの瞬間、ミリュウは感情を制御できなくなっていた。

 頭の中をかき乱す過去の残響が、感情の制御を阻害した。だから、セツナとレムの会話を耳にした瞬間、弾けてしまった。どうしようもなかった。頭ではわかっていても、心がいうことを聞かなかった。こんなにもセツナを愛しているというのに、どうしてセツナはわかってくれないのか。そんな想いがミリュウの心を塗り潰した。気が付くと、彼を締め上げていた。

 エリナがいて、彼女の声が聞こえていたにも関わらず、それなのだ。このままリヴァイアの“知”がミリュウの意識を掻き乱し続けるようなことがあれば、怪物に成り果てる日もそう遠くはないのではないか。そんな恐怖が、彼女の心を支配する。

 想像よりもずっと早い。

 オリアスやそれまでの継承者は、これらの記憶に翻弄されるようになるまで、もっと時間がかかったはずだった。でなければ、オリアスが記憶の封印を行うことなどできなかったはずだ。様々な手段を用意する暇もなく、呪われ、狂っていったはずだ。しかし、オリアスは、呪いを克服できなかった場合の手段としてのミリュウを用意することもできていたし、記憶を封印することで、継承の負荷を低下することさえできていた。

 ミリュウは、“知”を受け継いだ。受け継いでしまった。“血”ではなく、“知”だけを、継承した。そのことが、現在のミリュウの状態に影響していないとは言い切れなかった。“血”が“知”の受け皿となって意識への流入をある程度抑えこむものだとしたら、“知”だけを受け継いだミリュウの意識が記憶に翻弄され、我を失いかけるのも当然なのかもしれない。

 憶測にすぎない。推測にすぎない。しかし、ほかに理由は考えられなかった。まともな方法で継承しなかったから、オリアスを殺せなかったから、このような目に遭っている。皮肉なことに。

「嫌よ」

 唾棄するように、つぶやく。

「いや」

 魔晶灯の光もない闇の中、自分の部屋を抜け出す。ここのところ、ずっとそうだった。ひとりでは、眠れないのだ。どれだけ眠気があっても、頭の中がうるさすぎて、眠らせてくれない。たぶん、眠らずに起きていればいつかは意識も闇に落ちるのだろうが、それまで待ってはいられない。それでは、規則正しい生活などできるわけもない。ミリュウは一応、王立親衛隊《獅子の尾》の隊士だ。親衛隊の一員なのだ。清く正しい生活を送らなければならない。少なくとも、隊長の名を辱めるようなことがあってはならない。それはセツナに嫌われるとか、そういうことではなく、ミリュウ個人の想いだ。セツナに迷惑をかけるようなことはしたくなかった。

 だから、昼間のことが尾を引いている。

 結局、セツナに迷惑をかけてしまった。マリアに怒られるのも当然だったし、マリアのいうことはなにもかも正しかった。病み上がりのセツナを傷めつけてどうするのか。セツナにもしものことがあったらどうするのか。そんなことをこんこんと説教された。反論の余地もない。なにも間違ってはいない。間違っているとすれば、それはミリュウのほうだ。

「セツナ……」

 つぶやきながら、隊舎の廊下を歩く。

 窓から差し込む星明かりが、真夜中の廊下をわずかに照らしている。闇になれた目には、十分すぎるくらいの明るさだった。その明るさを頼りに歩いていく。靴音が廊下に響く。静寂が乱れ、頭の中の騒音がわずかに消える。音さえあればいい。それだけで、意識は少しの間、正常化する。それでも抑えきれなくなったのが昼間であり、その状態が恒常化したときこそ末路だ。

 眠れないときは、眠れるまで我慢しようなどとは想わなかった。その結果朝まで眠れないことのほうが恐ろしい。そのままつぎの夜まで眠れないというのならまだしも、そうなるとも思えない。いくら頭の中がうるさくとも、疲れ果てれば眠り落ちてしまうに違いないのだ。

 だから、夜の内に眠るために歩いていく。だれかが隣で寝てくれれば、それだけでいい。寝息は、外の音だ。外の音は、内の音を瞬間的にもかき消してくれる。頭の中の混乱が消えてくれれば、ミリュウは眠ることができる。眠りに落ちさえすれば、どれだけ混乱が大きくなろうとも、すぐさま目覚めるようなことはなかった。眠ることさえできれば、だが。

 それが問題なのだ。

 ファリアの部屋の前で足を止める。扉を叩こうとして、やめた。いつも、ファリアにばかり頼っている。それはそれでいいのかもしれない。ファリアも頼られるのは嫌いではなさそうだった。しかし、いつもいつも彼女にばかり頼っていては、いずれ負担になるのは目に見えている。たまには、彼女以外の別のだれかを頼るべきではないのか。

(別の誰か?)

 歩き出し、靴音に耳を澄ませながら、彼女は考えた。ファリア以外、だれを頼るというのか。頼りがいのある同性といえば、マリアのことが思い浮かんだ。マリアのことだ。ミリュウが事情を話せば、受け入れてくれるだろうし、助けてくれるに違いなかった。マリアも、本質的に優しいひとだった。

 エミルは今夜、隊舎にはいない。ルウファとともにバルガザール家の本邸にいるはずだった。隊舎にいたとして、彼女の部屋に押しかけるのは憚られたが。

 シーラは、どうだろう。彼女は《獅子の尾》隊士ではないが、隊長であるセツナの配下ということもあって、黒獣隊の隊員たちとともに隊舎に寄宿している。シドニア戦技隊の連中もだ。幸い、隊舎の建物は大きく、部屋数は多い。黒獣隊、シドニア戦技隊を受け入れてなお、有り余るくらいの空間があった。

 シーラとは、そこまで仲がいいわけではない。シーラと比べれば、まだレムのほうが親しいとさえいえるくらい、接点がなかった。もちろん、シーラがセツナのことを好いているということは知っているし、彼女とセツナの距離感がアバード動乱以来縮まっていることも理解している。故にシーラもまた、ミリュウにとっては嫉妬の対象のひとりだ。そんな彼女の部屋に押しかけるのも違うだろう。当然、黒獣隊のほかの隊士たちはなおさらだ。

 では、レムか。

 レムは、別段、嫌っているわけではない。ただ、レムが四六時中セツナの側にいるのが気に入らないだけなのだ。

 以前、それはミリュウの役割だった。ザルワーン戦争後からずっと、セツナの側にいて、彼にくっついていることが多かった。離れたくなかった。一秒でも長く、一瞬でも長く、彼と触れ合っていたいという気持ちがそうさせた。セツナに嫌われても構わない、とまでは思わなかったし、場所によっては自重したりもしたが、基本的に自分の欲求に従って行動して、セツナを困らせた。

 レムが現れてからというもの、ミリュウの立ち位置は変化した。セツナと一緒にいる限りはその側に陣取り、すきあらば触れたり、抱きついたりして好意を主張しているのだが、普段、彼の側にいるのはレムの役割になってしまっていた。

 レムは、セツナの従者を自認した。

 最初それは、セツナを殺すための策謀であり、レム自身、気づいてはいなかったらしい。クルセルク戦争が終わり、レムの立場は変わった。いや、変わらなかったといったほうがいいのかもしれない。しかし、本質的には変わったのだ。レムは本当の意味でセツナの従僕となった。それからというもの、レムのセツナへの態度は、まさに主人と下僕であり、その点ではなにもいうことはないのだが。

 そんなことを考えながら、頭を振る。馬鹿馬鹿しいことだ。くだらないことだ。本当に同しようもない。

「嫌な女」

 もう一度、吐き捨てるようにいって、階段を上がった。

 二階には、セツナの部屋がある。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ