第千百四十六話 酒と肴と剣鬼と剣魔(三)
「確かに、な」
つぎに苦笑したのは、エスクだった。
「確かに、黒き矛を手にしたあのひとは、手に負えねえや」
「だろ?」
ルクスが笑う。
ふたりの笑い声は、黒き矛のセツナの化け物じみた強さを認めるものであり、シーラはなぜだか嬉しくなった、好きなひとのことを褒められるのは、嬉しいものだ。そういうことだろう。心の中で、認める。いまさら、セツナへの想いを否定する必要はない。おおっぴらにするものでもないが、せずとも、ミーシャに指摘されたようにばれてもいる。いまさら隠したところで、否定したところで、どうしようもない。
セツナに見つめられれば思考が停止するくらいには、彼のことを好きになってしまっていた。こればかりはどうすることもできない。好きになってしまったのだ。心底、惚れてしまっている。アバードの一連の出来事が、シーラをそういう風にしてしまっていた。いまさら、彼を嫌いになることなどできない。嫌う必要はないし、そんなことをする意味はないが。
「そのくせ俺みたいのを頼りにしてくれるんだからな」
「“剣魔”なら、頼れるだろうさ」
「そうかね」
「俺と並び立つ剣の使い手だろ?」
「本当のところはどうかわかんねえ」
「何度か殺り合ったさ」
ルクスが、冷ややかにいう。“剣鬼”と“剣魔”の戦いは、戦場を生きる戦士の間で語り草になっている。《蒼き風》最強の剣士ルクス=ヴェインとシドニア傭兵団最強の剣士エスク=ソーマの激闘。まさに死闘と呼ぶに相応しいものであり、その周囲に立ち入ることさえできなかったという。
「結局、決着はつかなかったけどな」
「力量が同じなら、そうもなる」
しかし、いずれの戦いも、決着はつかなかった。決着がついていれば、どちらかが命を落としていただろうし、現在の様々な物事が大きく変わっていたことだろう。
ルクスが命を落としていれば、セツナの師匠は別のだれかになっていたか、だれにも師事していなかったかもしれず、その場合、セツナはいまよりずっと弱かったに違いない。エスクが死んでいれば、シドニア傭兵団の残党はレミルかドーリンが纏めることになり、エスクほどの纏まりはなかったかもしれない。そして、その場合、アバード動乱に関わることもなかっただろう。
そんなことを、考える。
「ま、あんたがそれで満足するなら、それでいいがな」
「満足しちゃあいないが」
「やるかい?」
気配が変わる。エスクが、やる気を見せたのだ。店内の空気が一瞬にして緊迫するのが、小部屋にいるシーラにもわかる。それほどの殺気。だが。
「やだよ」
「なんだ、つまらん」
ルクスが乗らなかったことで、エスクも殺気を消した。緊張していた空気が穏やかさを取り戻すまでに時間はかからなかった。
「つまるかつまらないかでいえば、あんたとの戦いはつまるものだけどね。ここじゃあ、つまらない結果に終わるのは目に見えてる」
「むう……そういうもんかね」
「それに店の人が可哀想だ」
「あんたがそんなことをいうとは思わなかったよ」
「俺をなんだと思ってんだか」
「傍若無人?」
「あんたにいわれたくなかったな」
「でも、間違いじゃないだろ?」
「かもね」
ルクスが小さく笑うと、エスクも笑った。和やかな雰囲気にシーラはほっとする。ふたりとも、セツナの関係者だ。そのふたりがセツナの知らぬところで敵対的な関係になるのは、シーラとしても心苦しいことだった。
「しっかし、あんたがうちの大将の師匠とはな」
「あんたがうちの弟子の部下っていうのも、不思議なもんだけど」
「あのひとは、同じなんだよ」
エスクが、つぶやくようにいう。その声音は、さっきまでと違って、妙に柔らかい。
「俺にとっては、ラングリード団長と同じなんだ」
「へえ……セツナがねえ」
「意外かもしれないけど、いい男なんだぜ、うちの大将」
「それは知ってるよ」
ルクスが笑いながら肯定した。そのことが、シーラには意外に思えてならなかった。ルクスがセツナを肯定するようなことなどありえないと思っていたからだ。
「でなきゃ、あんなにひとに好かれたりはしないだろうさ」
「モテモテですもんね」
レミルが笑ったが、シーラにとっては笑い話でもなんでもないことだった。セツナが同性に人気なのはいい。黒き矛のセツナはガンディアの英雄であり、数多の戦場で類まれな戦果を残してきた偉大なる戦士だ。人気ものになるのも当然だ。そして、その当然とは、異性への人気にもいえることなのだが、それがシーラを苦悩させたりする。
そもそも、シーラがセツナを知ったときには、すでにセツナにはふたりの女性が取り巻いていた。ファリアとミリュウだ。さらにそこにレムが加わったりして、シーラが少しばかり親密になったときには大変なことになっていた。無論、大変というのは、シーラから見て、の話だが。
「羨ましい限りですな」
「俺にはレミルがいりゃ十分だがな」
「た、隊長……」
「惚気るなあ」
ルクスがあきれたようにいうと、エスクが当然のように言い返す。
「俺は剣だけに生きるつもりはないし」
「それでいいと思うよ。剣だけに、戦いだけに生きるなんて、つまらない人生さ」
「あんたがいうかね」
「俺だからいえるんだろう」
と、ルクスがいう。剣だけに、戦いだけに生きているからこそいえる台詞なのだ、ということだろう。実際、その通りなのかもしれない。剣だけに人生を費やしているものにしかわからない境地があるのだ。きっと。シーラには、理解できない世界だ。そして、理解しようとも思わない。戦いだけに生きるには、色々なことを知りすぎてしまった。
いまさら、自分という人間を構成するすべてを捨てて、戦いだけの人生に身を投じようなどとは想いたくもなかった。
「……そうかもな」
「でも俺は、これでいいと思ってる」
「ひとが口出しできるような話じゃないさ。他人の生き様なんてな」
そんな風に、ふたりの会話は続いていく。
(戦いだけじゃつまらない……か)
シーラは、胸中でつぶやいて、意識をエスクたちから小部屋に戻した。話はまだまだ終わらないようだが、いつまでも聞き耳を立てている場合でもない。考えるべきことがある。
たとえば自分のことだ。
シーラの半生は、戦いに彩られている。獣姫としての時間。セイルが誕生して、王子という偽りの仮面を脱ぎ捨て、王女として、獣姫として振る舞うようになった時間の話だ。しかし、それでも戦いに人生を捧げたわけではなかった。戦いだけがすべてではなかったのだ。国のため、民のために戦う一方、王女としてもあり続けた。アバードの姫としてだ。
戦場を糧とする傭兵のルクスとは、根本からして違うのだ。
「隊長には無縁の話だねえ」
「なにがだよ?」
突然クロナに声をかけられて、シーラは我に返った。
「戦いだけに生きるって話さ」
クロナが酒を一口飲んで、いってくる。彼女も、ルクスたちの話に聞き耳を立てていたのだろう。趣味が悪い事この上ないが、ひとのことをいえた立場ではない。
「いまは戦いと恋に生きてるんですよね!」
「恋!?」
「それでは、シーラ様にはもっと女性らしくなっていただけねばなりませんね」
「なんでだよ!」
「約束、忘れましたか?」
「わ、忘れてなんかねえけど……」
「まあ、セツナ様のことだ。いまの隊長でも、喜んで受け入れてくれるだろうけど」
「あのなあ!」
卓を叩いて立ち上がったときだった。
「あれえ、シーラ隊長も来てたんだ?」
「え!?」
ふと見ると、小部屋の出入り口にエスク=ソーマが立っていて、こちらをしげしげとした様子で観察していた。筋骨隆々の体躯を誇りながらも、頼りになるというよりもどこか軽薄な印象を与える男。黒を基調とするシドニア戦技隊の隊服を雑に着ているのだが、容姿の整った彼にはどんな着方も様になって見えた。シーラは、そこまで認識して、頭の中が真っ白になるのを認めた。まさか、エスクに発見されるとは思っても見なかったのだ。
彼に発見されないように息を潜め、声も小さくしてもいた。
「知らずに来たんだ? 俺はてっきり、シーラ姫目当てかと思ってたんだけど」
エスクの後ろから顔を覗かせてきたのは、もちろん、ルクスだ。銀髪の“剣鬼”の、無駄のない筋肉によって引き締まった体躯は。エスクと並ぶと大人と子供ほどの体格差があった。にもかかわらず、剣の腕は同じだというのだから、不思議なものだ。ある評価によれば、技はルクス、力はエスクという。見た目にもそれが現れている。
「いやあ、なんか騒ぎになってるなーって思って覗いてみたらあんたがいたんで、それで入ってきたってわけなんだが」
「へえ、俺目当てか。めずらしいひともいるもんだ」
「そうでもないだろ。うちの大将は、あんたの剣に惚れたっていうぜ」
「そんなこといってたの? うちの弟子」
「誇張入ってるけど、まあ、あんたに師事したのは間違いじゃなかったってなことはいってたな」
エスクがいうと、ルクスは目を細めた。満更でもないという表情は、彼が普段、セツナに見せるような表情とはまるで違う種類のものだ。
「で、いつまで固まってんだ?」
「だ、だれが固まってなんているもんか!」
「固まってたじゃないっすか」
「盗み聞きとは趣味が悪いっすよ、姫さん」
「だから俺はもう姫じゃねえって。なんど言えばわかるんだよ」
シーラは、エスクの目を見据えながらいった。長い髪と無精髭の釣り合いの取れなさが、彼という人間の不均衡さを示しているような、そんな気がする。
「なんどいわれたって、あんたの本質はそう簡単に変わるもんじゃないだろうに」
「本質は変わらなくとも、現実は変わったさ。おまえだってそうだろ? エスク=ソーマ」
「……そうだな」
「なんなら、やるかい?」
ルクスが面白おかしく焚き付けてくるが、エスクがひらひらと手を振って取り合わなかった。シーラ自身、ルクスの戯れ言に付き合うつもりもなかったが。
「なんでそうなるんだよ」
「いやあ、弟子の取り巻きが喧嘩をするのも面白いかなあって思ってね」
「なにが面白いんだか」
「弟子がどう後始末をつけるのか、そう考えるのは面白いだろ?」
「セツナを困らせたいんですか」
「はあ……ったく、あんたはやっぱり邪悪だな」
「邪悪かあ」
ルクスは、エスクの一言を反芻するようにいうと、屈託なく笑った。
「悪くない響きだ」
そういう反応を見る限り、彼もまた、剣だけに生きているわけではないのではないか、と想わないではなかった。