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第千百四十五話 酒と肴と剣鬼と剣魔(二)

「そりゃあそうだ」

 エスクが嬉しそうに笑った。

 旧市街の裏通りの小さい酒場はいま、とてつもない人出で賑わっていた。おそらくは酒場が開店して以来の盛況ぶりだろう。そう思わせるくらいの賑わいの原因のひとつは、シーラだ。シーラたちが旧市街の散策の締めとして酒場に立ち寄ったことが、この酒場に客を呼びこむ原因となっている。自意識過剰でもなんでもない。シーラたちのあとに店に立ち寄ったほかの客は皆、シーラ目当てだった。シーラはいまでこそ黒獣隊の隊長という肩書だが、元はといえばアバードの王女であり、獣姫の呼び名で知られた有名人でもあった。旧市街のひとびとが、シーラをひと目見ようと酒場に殺到するのもわからないではなかった。散策中も、シーラたちの後を追いかけてくる市民も多く、ガンディオンがいかに平和な街なのかと思わないではなかった。平穏だからできることだろう。都市警備隊の目が光っていて、犯罪が少ないから、市民も自由気ままに動き回れるということだ。

 ほかの原因は、いま喋っている男と、相手の男だ。

「良かったよ、あんたがそういう感覚を持っている人間で」

「どういう意味かな?」

「あんたがみずから“剣鬼”なんて名乗るようなくだらない人間なら、俺はもっとくだらない人間になっただろうからな。“剣魔”って二つ名、あんたの“剣鬼”から取られたものだって、知ってるだろ?」

“剣魔”エスク=ソーマと、“剣鬼”ルクス=ヴェイン。大陸小国家群でも有数の剣豪として知られるふたりの傭兵(ひとりは元傭兵だが)が、こんな何の変哲もない酒場で遭遇したのだ。騒ぎにならないわけもなかったし、“剣鬼”と“剣魔”の揃い踏みという場面をひと目見ようと、街中からひとが集まってきたとしても、なんら不思議ではない。

 幸い、シーラたちは、店主の機転によって店の奥の個室に通されていたこともあって、ひと目に触れるようなことはなく、エスクやルクスの注意をひくようなことはなかったが。

「しっかし、まさかこんなちっぽけな酒場でいまをときめく《蒼き風》の突撃隊長殿とでくわすとはなあ」

「それはこっちの台詞だな」

(それは俺の感想だ)

 シーラは、大声でかわされるふたりの会話を聞きながら、胸中で毒づいた。大通りから離れ、路地裏の小さな酒場を選んだのは、そこがひと目につきにくいと判断したからだ。気兼ねなく休憩したかったこともあり、そういう店を選んだのだ。結論から言えば、シーラの判断は大きな間違い(どこへ行こうとついてくる市民のおかげでごった返すことになったからだ)だったのだが、それはともかくとして、まさかエスクやルクスまでも同じ酒場に入ってくるとは思ってもみなかった。

 無意識に体を小さくしたのは、あまり関わり合いになりたくないという気持ちがあるからにほかならない。ルクスはともかく、エスクには苦手意識があった。シーラは、エスクが心より慕っていたシドニア傭兵団長ラングリード・ザン=シドニアを見殺しにしている。

 隊舎などで会えば挨拶くらいは交わすが、基本的に会話をするようなことはなかった。シーラがそういう態度を取っているから、エスクもそうせざるを得ないのか。エスク自身、シーラを黙殺しているのか。いずれにしても、シーラはシドニア戦技隊との折り合いの悪さは自覚していて、だから、できるかぎり、隊舎の外では彼らの目に触れまいとしていたのだ。

「おふたりとも、店に失礼ですぜ」

 と、エスクとルクスを窘めたのは、エスクの部下のひとりで、ドーリン=ノーグという男だ。朗らかな声は一度聞けば忘れようがないくらいには特徴的だった。外見も特徴的で、たっぷりと蓄えられた真っ赤な髭がシーラの脳裏に思い浮かんだ。思えば、彼と彼の部下に絡まれたことが、アバードの状況を動かしたのだ。もし、あのとき、ドーリンの部下たちがシーラとセツナに声をかけてこなければ、アバードの結末は多少、違ったものになっていたかもしれない。

 センティアには行かず、バンドールに直行していた可能性もある。その場合、どうなっていたのか。シーラは頭を振った。過ぎ去ったことの可能性を探ったところで、意味はない。起きてしまったことを変えることはできない。過去は変わらない。失ったものは失ったままであり、奪ったものは奪ったままだ。事実は、事実なのだ。

「るせえぞ、髭親父」

「本当、いつ見ても立派な髭だなあ」

「でしょう? それなのにうちの隊長ったら、この髭の良さを理解しようともしてくれないんですわ」

 ドーリンがまたしても大声で笑う。彼の笑い声は、狭い店内によく響いた。そんな彼にルクスが一言、突き刺すようにいった。

「まあ髭親父には違いないけど」

「ひでえ」

「まあ冗談はこいつの顔くらいにして」

「もっとひでえ!」

「そうだな」

「ぐはっ……」

「ドーリンさん、だいじょうぶですか?」

 といったのは、レミルだろう。レミル=フォークレイ。シドニア傭兵団最後の団長ラングリード・ザン=シドニアの実の妹で、現在はシドニア戦技隊の小隊長としてエスクを補佐していた。ドーリンも同じく小隊長であり、隊員の半数ずつをそれぞれ率いているということだった。シドニア戦技隊は、黒獣隊よりも隊員数が多く、戦力的にも黒獣隊より上と見てもいい。もちろん、黒獣隊のひとりひとりがシドニア戦技隊の元傭兵たちに劣るというわけではなく、総戦力の差だ。隊員の数が同じなら、戦力差はなくなるだろう。もっとも、元傭兵たちと同じくらいの実力者を揃えられれば、という前提の話だが。

 黒獣隊の隊士が少ないのは、シーラとシーラの元侍女たちで構成された隊だからであり、増員するという予定こそありながら、一向に増員の目処が立っていなかったのは諸々の事情による。黒獣隊発足直後にアバード動乱があり、動乱終結後も自由に動ける時間というものが少なかった。ルシオンへのセツナ軍の派遣に一戦力として付き従ったこともあったし、ルシオンからの帰国後は、セツナの身辺警護という重要な任務があった。隊士を募集し、選定している暇はなかったのだ。

 ようやく、そういう時間ができた。今日、旧市街を散策したのも、各所に黒獣隊の隊士募集の張り紙を出すためでもあった。王都は、ガンディアの中心だ。純粋なガンディア人のみならず、ログナー人、ザルワーン人、ベレル人にアバード人に至るまで、様々なひとびとが生活している。特に新市街の建設が始まってからというもの、各地からの流入は顕著になっている。そのことで元々の住人と流入者との間で軋轢が生じ、問題が起きたりもしているようだが、国土が拡大し、国そのものが巨大化していく中では避けられないことだろう。それらを上手く解決するのが政府の手腕の見せ所であり、いまのところ、住民同士の激突が大事件に発展する様子もなく、政府の誘導が効果的に機能していることが窺える。

 そういった話はともかく、ガンディア中からひとが集まっている王都だからこそ、隊士を募集をする意味がある。もしかすると、とんでもない人材が発掘できるかもしれない。淡い期待だし、裏切られる可能性のほうが高いのは明白だが、期待しないわけにはいかなかった。

 黒獣隊は、シーラの意向として、女性のみで構成するつもりだった。人数の上限は、設けていない。シーラたちの戦いについてこれる人材ならば何人でも採用する予定だ。無論、それについてはセツナから了承を得ている。最終的に採用不採用の判断をするのも、セツナだ。黒獣隊は、領伯近衛である。つまり、セツナの近衛部隊なのだ。セツナが採用不採用を決めるのは、当然だった。

「いつものことだ。気にすんな」

「いつものことなんだ?」

「おうよ」

「ま、うちも、あまり変わらないけどさ」

「《蒼き風》も、こんな感じか?」

「シグルド団長は、隊長ほど傍若無人な方には見えませんが」

 とは、レミルの発言だ。エスクは、レミルに対しては甘いのか、なにも言い返さなかった。ドーリンが同じことをいえば、どのような言葉を返したかはわからない。

「傍若無人……ってほどじゃあないけど、あのひとも奔放なひとではあるよ」

「そっか。そうだよな。傭兵団の頭を務める人間なんざ、奔放でなきゃいけねえ」

「そういうものかもね」

 ルクスが小さく笑った。

 ふと、気づくとさっきまで賑わっていた酒場の中が、静まり返っていることに気づく。部屋の外を覗き見ると、狭い店内を埋め尽くすほどにいた客がほとんどいなくなっていた。エスク、レミル、ドーリンのシドニア戦技隊幹部と、ルクスという奇妙な取り合わせの四人だけが、薄明るい店内で酒を飲んでいる。店主が気を利かせて、客を追い出したようだった。ほかに考えられない。シーラたちは奥の部屋に案内されたこともあってそういう気の利かせ方は不要と判断したのだろうが、ルクスとエスクの場合はそうもいっていられないと思ったのだろうが。

 おかげで、シーラはゆっくりとふたりの話に耳を傾けることができた。食事に夢中のミーシャとそんな彼女が喉をつまらせるのを介護するリザの声が少々耳障りではあったものの、ふたりの会話を聞く分には邪魔にはならなかった。

 ふたりの話を聞きたくなったのは、単純に興味が湧いたからだろう。

“剣鬼”と“剣魔”。凄腕の剣士が言葉を交わしているというだけでも震えるようなことだ。生粋の戦士であるシーラにとっては特に興味深い場面でもあった。

「それで、俺になにか用かい?」

「いんや。別に。たまたま立ち寄った店にあんたがいた、ってだけの話さ」

「そうかい」

「ただ、話をしてみたいと思ったのは事実だがな」

 そういって、エスクはようやく店に注文をした。酒と軽い料理を頼み、ドーリンとレミルがそれに倣う。ルクスが苦笑を浮かべた。

「話……ねえ。俺はしたくないなあ」

「つれないねえ」

「そりゃあ、俺は団長と副長以外には興味ないからさ」

「ベネディクト=フィットライン」

「ん?」

「《紅き羽》の女団長は、あんたと結婚するって言いふらしてるけどな」

 おそらく、エスクはにやりと笑っているのだろう。声音からして、そういう感じがあった。

 シーラは、小部屋の壁際に座りながら耳をそばだてているだけであり、彼らの様子を盗み見てはいない。盗み聞きしている様子を見られるようなことがあれば恥だ。もちろん、この部屋に息を潜めて隠れているということが露見した場合でも、恥ずかしいものだが。

「あれは……彼女の勝手な言い分だろ。俺には関係がない」

「へえ」

「ま、彼女の気持ちは嬉しいし、嫌いじゃないけどね」

 ルクスのいつになく穏やかな声は、言葉通り、彼がベネディクト=フィットラインを嫌っていないということの証明となるだろう。傭兵団《紅き羽》の団長ベネディクト=フィットラインについては、シーラはあまり詳しくはない。クルセルク戦争で連合軍に参加した傭兵団だということは知っているし、戦後、ガンディアとの契約を延長したという話も聞いている。ガンディアの傭兵は、クルセルク戦争後から傭兵局によって管理されており、《紅き羽》も例外ではない。傭兵局の局長は《蒼き風》団長シグルド=フォリアーだったが、《紅き羽》の団長はそのことが気に食わないとはいいながらも、ルクスがいるなら文句はないともいっているらしい。

 ベネディクト=フィットラインは昔からルクスに惚れているという話だった。

「けど、俺は彼女を幸せにはできないからさ」

「幸せかどうかを決めるのは、当人ですよ」

 といったのは、レミルだ。

「そうなんだろうけど……すぐに不幸にしてしまう気がしてね」

「どうして?」

「結婚して、幸せになったとして、つぎの戦いで命を落としたら、それこそ不幸だろう?」

「“剣鬼”が命を落とすのかい?」

「そういうことだって、ありうるさ」

 彼のその一言は、少しばかり、重い。さっきまで、エスクと言い合いをしていたときの言葉の軽さからは考えられないほどで、ひとが変わったようでさえあった。

「たとえば、セツナを敵に回せば、俺は死ぬだろう」

 ルクスの言葉に、場の空気が凍りつく。

「まあ、セツナがガンディアの敵にならないかぎり、そんなことはありえないんだけどさ。うちの団長、ガンディアから離れるつもりはないみたいだし」

 そして、そんなことはありえない、と彼はいっている。セツナがガンディアの敵になることなどありえないことだ、と。それはそうだろう。セツナがガンディアの敵になることなど、ありうることではない。セツナはレオンガンドに忠誠を誓っている。絶対の忠誠を。その忠誠心の強さ、深さは、シーラの目にもまばゆいほどだ。まぶしく、強烈だ。そこまで純粋に忠誠を誓うことができるのは、彼がそれだけレオンガンドを慕っているからだろうし、敬っているからだろう。なぜ、彼がそこまでレオンガンドを敬慕しているのかは、神ならぬシーラにわかるはずもないが。

 セツナがガンディアを裏切ることも、見限ることもないことくらいは、わかる。自明の理といっていい。そして、セツナがガンディアを見限るようなことがない限り、シーラもガンディアの敵となることはない。

 シーラは、人生の残りのすべてをセツナに捧げるつもりでいる。

「けど、そういう覚悟は常にしておくべきでね」

「そりゃあわかるがな」

 エスクが静かに肯定する。覚悟の話であって、セツナと戦う可能性の話ではないだろう。エスクがセツナと戦う可能性について考えているとは思い難い。エスクは、彼の言動を見ている限り、どうやらセツナに心服しているらしいのだ。彼がどういう経緯でセツナの下についたのかは知らないが、ともかくも、エスクがセツナに敬服していることは間違いなかった。だから、シーラもエスクやシドニア戦技隊を受け入れられているのだが。

「……って、あんた、うちの大将には負けるって思ってんのか?」

「意外かな?」

「ああ。てっきり、負けることなんてありえない、とでも思ってるとばかり」

「負けることもありうるさ。黒き矛のセツナが相手なら、ね」

 ルクスの言葉に、はっとなる。セツナと、黒き矛のセツナ。その違いについては、シーラも実感として理解できることだ。ただのセツナも随分と強くなった。クルセルク戦争前と比べると、比較にならないほどに腕前が上がっている。腕だけではない。体力も増大し、筋力も増した。強くなったのだ。しかし、それでも常識の範囲内だ。シーラはまだ、通常のセツナが相手ならば負ける気がしなかったし、実際、ほとんど負けることがなかった。だが。

「ただのセツナなら、おそるるに足りない。俺たちの領域には到達していないんだから、当然だ。でも、黒き矛を手にしたセツナとなると、話は別だ。あれは、怪物みたいなもんでね」

 ルクスが苦笑を交えながらいった。

「ひとの手に負えるようなもんじゃない」

 ルクスの言葉が耳に刺さったのは、シーラがセツナの戦いを目の当たりにしてきたこともあるからだろう。

 確かに、黒き矛のセツナの戦いは怪物染みていた。

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