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第千百四十四話 酒と肴と剣鬼と剣魔(一)

 領伯近衛・黒獣隊は、龍府の領伯であるセツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドの私兵部隊であり、その主な任務は、近衛の名の通り、主たる領伯の身辺警護だった。セツナはガンディアの英雄と呼ばれる武装召喚師だ。黒き矛を手にしたセツナの実力のほどは、護衛など必要としないものであり、本来ならば近衛部隊など不要だろうことは疑いようがなかった。もちろん、毎日、一日中黒き矛を召喚していられるわけもないので、必ずしも不要かというとそうではないのだが、セツナが常にひとりで行動しているはずもなく、そういう面から考えても存在価値の薄い部隊だった。それは、シドニア戦技隊や、エンジュールの黒勇隊にもいえることかもしれないが、それらは戦力としても期待されている。当然、黒獣隊もだ。

 黒獣隊が発足されたのは、セツナに近衛部隊が必要となったからではなかった。

 アバードを逃れたシーラたちが本性を偽り、生きていくために用意してくれたものなのだ。黒獣隊という隊名も、黒き矛と獣姫を合わせたものであり、シーラは隊名をひどく気に入っていた。クロナに冷やかされたこともあったりしたが、いまでは黒獣隊と命名してくれたことに感謝さえしている。そして、シーラたちを受け入れる場所として黒獣隊を作ってくれたことにも、心の底から感謝していた。

 感謝。

 感謝しかないのだ。

 だから、シーラはセツナのためにできることはないかと常日頃から考えているのだし、黒獣隊の役割を広げられないかと日夜頭を悩ませていた。近衛部隊としての役割だけでは、満足できないのだ。それだけでは、セツナの恩義に報いることはできない。

 セツナは、アバードを逃れたシーラを受け入れてくれただけではなかった。国のことを顧みず、アバードに潜入しようというシーラに力を貸してくれ、さらには自暴自棄に陥り、死ぬしかないと想っていたシーラに生きる力を与えてくれたのだ。シーラは、セツナのために生きようと想ったし、この生命は、セツナのために費やすべきだと考えていた。

 それは、シーラだけの想いではない。シーラとともに黒獣隊の隊士としてセツナに仕えている、シーラの元侍女たちも、そうだ。彼女たちは、元の主であるシーラを救ってくれたセツナに心から感謝し、身も心も捧げるつもりでいた。戦闘要員ではないウェリス=クイードさえ、そういう覚悟を抱いている。

 そうさせたのは、セツナの無償の愛とでもいうべき行動だ。

 セツナは、シーラを殺せたはずだ。あのとき、王都バンドールを壊滅させ、敵味方のすべてを蹂躙した怪物と化したシーラを殺すことに躊躇する必要はなかった。人死が出なかったからといって、迷うことではあるまい。確かにその瞬間までは死者がでなかったかもしれない。しかし、あのまま暴走を続ければ、死者がでたとしてもおかしくはなかった。被害の拡大を防ぐならば、化物を殺すのが一番だったはずだ。

 だが、セツナはそれをしなかった。それどころか、シーラに手を差し伸べ、救い上げてくれたのだ。

 光。

 それは、シーラがこの世で初めて見る光だった。

 だからだろう。シーラはセツナのことを考えるたびに、胸が熱くなった。

 いまもそうだ。セツナのことを考えて、胸が熱くなっている。

「黒獣隊に必要なのは、なんだと思う?」

 シーラは、部下たちに質問を投げかけてから、胸の高鳴りを抑えるようにして果実酒を口に運んだ。

 ガンディア王都ガンディオン旧市街の一角にある酒場に、彼女たちはいた。

 黒獣隊は今日一日休みということもあって、クロナ=スウェンの提案で運動がてら王都を散策することにしたのだ。王都は広い。ただ歩き回るだけで時間が費やされ、汗が流れ落ちた。程よい運動の後は、酒を飲むに限るというクロナの発言は部下たちから不評だったものの、酒場に入ることにはだれも反対しなかった。客の少ない酒場だったが、シーラたちが入店すると、途端に客が増大した。旧市街を散策しているときからわかっていたことだが、どうやら黒獣隊は王都で有名になりつつあるらしい。

『隊長の髪のせいですよ』

 とは、クロナの言だが、否定しようもない。シーラの白髪が目立つのは否定しようのない事実だ。そして、黒獣隊の隊長がアバードの元王女だということは、いまとなっては有名な話になってしまっている。黒獣隊結成当初こそは隠匿されていたことも、シーラの生存が公表され、隠す必要がなくなったいま、知れ渡ったところで特に問題はない。問題があるとすれば、酒場の現状のように、シーラ目当てでひとが集まるということだ。

 とはいえ、酒場の主人が気を利かせてくれて、シーラたちは酒場の奥の席に通され、一般客とは隔離されているのだが。

 そのおかげで腹を割って話し合えるというのもある。これで一般客がすぐ隣の席にいたりしたら、こういった話はできなかったかもしれない。

「必要なもの、ねえ」

「まずは戦功、でしょうか」

「戦功……か」

 ルシオン・ハルンドールでのワラル軍との戦いにおいては、そこそこの戦果を上げているが、それだけではまだまだ物足りないというのがアンナ=ミードの主張のようだった。確かに、あのワラル軍との戦いでは、戦功らしい戦功も上げていないのが実情だった。ワラルの兵は蹂躙したが、決定的なものにはならなかった。そもそも、ワラル軍との戦いは、こちらの勝利で終わったとはいえ、なんとも消化不良な戦いだった。

「それもそうですが、戦功だけですと、わたくしにはどうすることもできないですよ?」

 といったのは、ウェリスだ。ウェリスは、シーラの元侍女の中で唯一、戦力に数えられない人物だった。それもそのはず。ウェリスは、シーラを女性らしくするために、リセルグとセリスが送り込んできた人物だったからだ。シーラに女性らしい立ち居振る舞い、挙措動作を身に付けさせ、王子から王女へと変貌させることがウェリスの使命なのだ。

 その使命は、未だにウェリスの中で生きているし、シーラもウェリスのいう通りにしようと考えたりもする。せめてセツナの前では女性らしく振る舞うべきではないか、などと思うのだが、そうしようとすると全身の血が沸騰したように体が熱を帯びた。

「じゃあウェリスさんは別の方法でセツナ様に恩返しをして頂くしかないねえ」

「わたくしだけ仲間はずれですか? ひどくないですか?」

「まあまあ、ウェリスさんにはシーラ様を女性らしくして頂くという任務がありますし」

 ひとり元気一杯なのは、ミーシャ=カーレルだ。彼女は、なによりも食べることが一番好きというだけあって、酒場に入ってから酒を飲むよりも料理を口に運ぶ事のほうが多かった。それこそ、シーラが呆気に取られるほどの量の食べ物を食らっている。それで太らないというのだから、ミーシャの体質はどうなっているのかとクロナやアンナが首を捻らせたりする。

「それは……そうですけど」

「それだけでも十分じゃないのかねえ」

「そうでしょうか」

「シーラ様が女らしくなられれば、セツナ様も喜ぶ……?」

 リザ=ミードが器一杯の牛乳を口に運んで、いってきた。彼女の口の周りが白くなっているのは、牛乳ばかり飲んでいるからだろう。彼女酒場に来てまで牛乳を飲んでいるのは、酒が苦手なのではなく、牛乳を飲むと胸が大きくなるという迷信を信じているかららしい。

「喜ぶんじゃないか?」

「そ、そうか?」

「きっとそうですよ! 女らしくなったシーラ様でセツナ様もめろめろですよ!」

「め、めろめろ……」

「そうそう、さっさとめろめろにしてしまわないと、ほかの女連中に出し抜かれちまうよ?」

「出し抜かれ……って、おい。お、俺は別にだな……」

 シーラはしどろもどろになりながら、藪蛇になることを恐れて果実酒を口に運んだ。このままこの話題を続けることは、シーラにとって恐ろしい結末になりかねない。が、酒に逃げたところで、話題が変化するわけもなく。

「いまさらなにいってんだか」

「そうですよ! シーラ様がセツナ様のことを好きすぎて添い遂げたいって気持ち、わかるんですからね!」

 ミーシャが立ち上がって声を張り上げる。あまりの声の大きさに、ざわめいていた店内が静まり返るほどだった。酒場の奥の部屋とはいえ、店内に響き渡るほどの声で叫べば、当然、ほかの客にも聞こえるものだ。

「ななななななにをいってるんだよおまえは!?」

 シーラは慌てて立ち上がり、ミーシャを抑えこんだが、時すでに遅しとはまさにこのことで、店内の客という客がシーラとセツナのことを話題にし始めていることがなんとはなしにわかった。顔面が熱くなる。いや、顔面だけではない。体中の血という血が沸騰し、全身が炎に包まれたかのように熱くなる。夏でもないのに冷水を浴びたい気分だった。冷水を頭から被ったところでどうにもならない熱量だということはわかっているのだが。

「動揺しすぎですよ……?」

「だ、だれが動揺なんてしてんだよ!?」

「相変わらず、わかりやすいねえ」

「でも、姫様らしくて、いいと想いますよ」

「セツナ様の前でも、これくらい素直ならいいんですけど」

 言いたい放題いっている部下たちを見回しながら、シーラは、自分の席に戻った。

「て、てめえら……覚えてろよ……」

「もちろん、忘れませんとも。シーラ様がセツナ様に心底惚れてるってことはね」

「あのなあ……!」

「おやおや、まさかこんなところで出くわすとはね」

「ん?」

 耳に飛び込んできたのは、シーラにとって聞き慣れた声だった。ここ数ヶ月で聞き慣れてしまった、というべきだろう。常にどこか皮肉げな響きのある声。シドニア戦技隊長エスク=ソーマの声以外のなにものでもない、

 シーラがふと身構えたのは、エスクに先ほどのミーシャの大声が聞こえていたのではないかと想ったからだ。エスクには負い目がある。これ以上の負い目を作りたくはなかったし、優位に立たれたくもない。そんなことを考えていると、エスクに反応する声が上がった。

「なんだ、傭兵くずれの“剣魔”さんじゃないか」

 シーラは、緊張を覚えた。エスクの声に反応したのは、間違いなくルクスの声だったからだ。ルクス=ヴェイン。傭兵集団《蒼き風》の突撃隊長にして、“剣鬼”の二つ名で知られる剣の達人。現代最高峰の剣士のひとりであり、“剣魔”エスクも彼に並び立つ剣士といわれる。

 シーラが緊張したのは、当代最高峰の剣士ふたりが同じ空間にいて、そのふたりが言葉を交わした瞬間、店内の空気ががらりと変わったからだ。シーラの体温が急激に冷えていく。当然だろう。まさに一触即発といった空気感の中、セツナのことで身悶えし続けるほど、シーラも愚かではない。

 息を潜め、耳を澄ませる。なぜそんなことをするのか、自分でもよくわからない。

 セツナが関係しているからかもしれない。

 エスクは、シドニア戦技隊の隊長を務めている。シドニア戦技隊とは、黒獣隊と並ぶセツナ伯の私兵部隊のひとつだ。近衛部隊とでもいうべき黒獣隊とは違い、純粋な戦力としての戦闘部隊であり、戦場に出て戦うことがシドニア戦技隊の役割だ。

 一方、ルクスは、いうにおよばずセツナの師匠だ。矛の使い手が剣士を師匠にするというのは不思議な事だが、セツナがルクスに師事したのは、なにも剣の扱いを学ぶためではない。武装召喚師でもない人間が召喚武装を扱うにはどうすればいいのか。そういう感覚的なものを学ぶには、武装召喚師よりも召喚武装使いであるルクスを師事するほうが的確であろうと判断したのだろう。

「その呼び名はよしてくれ、っていったろ、“剣鬼”さんよお」

「俺も別にその名は好きじゃないんだけど」

「へえ、そうだったのか。てっきり、自分で好んで呼んでるんだとばかり想ってたぜ」

「まさか」

 ルクスの薄ら笑いは、寒気さえ覚えるほどに静かだった。

「二つ名なんてのは、勝手につけられるもんだろ? 自分で言い出すことほど虚しいことはないさ」

 シーラにも実感として分かる話ではあった。

 シーラを呼び表す獣姫という二つ名も、いつごろからか、だれかが勝手に言い始めたことだ。自分からいうはずもなかった。

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