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第千百三十五話 種子

「エイン=ラジャール……な」

 ジゼルコートがふとつぶやいたのは、昼過ぎ、新市街で建設中の王立召喚師学園校舎で遭遇した人物の名前だった。ガンディアにおける重要人物のひとりともいうべき少年である。少年。まだ十七歳なのだから、少年だろう。

 エイン=ラジャール。ログナー出身の参謀局第一作戦室長。彼が頭角を表したのはザルワーン戦争時のことであり、彼がまだ十六歳のころだ。ザルワーン戦争ではナグラシアからバハンダールを攻める西進軍の軍師的立ち位置であり、彼の戦術が西進軍の連勝を導き、結果、ガンディア軍の勝利に貢献したことはよく知られている。ナーレス=ラグナホルンが彼を評価し、彼を参謀局に誘うのもわからないではなかった。有能な人材ならば、出自など関係ない。

「面白い御仁ではあったな」

「面白くもなさそうに仰られますね」

 アスラ=ビューネルの臆面もない言い様には、ジゼルコートも苦笑せざるを得ない。ザルワーン五竜氏族ビューネル家の令嬢であった彼女は、魔龍窟という地獄を経験したことで、怖いものなどなにもないのだという。

「そう見えるかね」

 ジゼルコートは、アスラの顔を横目に見た。彼女は、いつものように薄ら寒い笑みを浮かべている。それも、魔龍窟を経たことによる後遺症らしい。長期に渡って絶望的な状況を経験したことが、彼女の顔に笑みを張り付かせているのだろう。哀れなことだが、そのことが彼女の強さに繋がっているのだから皮肉なものだ。

「はい。とても、つまらなそうな顔をしていますよ」

 アスラの歯に衣着せぬ物言いに対し、残るふたりの従者のうち、オウラ=マグニスは戦々恐々としている様子で、もうひとりグロリア=オウレリアはどうでも良さげに窓の外を見たりしていた。馬車の中。ジゼルコートは、三人の武装召喚師と同じ空間にいる。三人の武装召喚師は、彼の私兵である、彼の護衛でもある。なにが起きたとしても、三人がいる限り、ジゼルコートの無事は約束されるだろう。

 もっとも、王都ガンディオンでなにか物騒な事件が起きることなど、考えられるものではないが。少なくとも、ジゼルコートが狙われるような事態にはなるまい。

 馬車は、新市街から旧市街へ至り、群臣街に入っていた。じきに王宮につくだろう。新市街にいったのは、単に竣工間近だという召喚師学園の様子を見てみたかっただけのことだ。興味本位。それ以外はなく、深い考えがあってのことではない。

 しかし、そのおかげでエイン=ラジャールに遭遇できたのは、悪いことではなかった。むしろ、よかったというべきだろう。

「だが、つまらないわけではなかったのだよ」

「本当ですか?」

「エイン=ラジャールのひととなりを多少なりとも知ることができたのだ。悪いことではないさ」

「ひととなり、ですか」

 興味もなさそうに、グロリア。彼女はここのところ、不機嫌そうだった。彼女の身になにがあったのかは、想像するしかない。が、彼女の心情を勝手に想像してもなにもいいことなどないそのことを知っているから、ジゼルコートはグロリアのことは放置している。それが、互いのためにいいのだ。

「彼は、軍師の後継者候補だそうだ。実際、才覚があり、能力もあるのだろう。功績を見ても、十分かもしれない。が、ナーレスには一段も二段も落ちる」

 それが、ジゼルコートのエイン=ラジャール評だった。腹芸のひとつもできない軍師の相手など、彼にとっては赤子の手をひねるように容易いものだ。不躾な質問が、未だに耳に残っている。不快感はなかったが、驚きはした。まさか、直球で問われるとは思ってもみなかったからだ。

『ジゼルコート様は、ガンディアの敵ですか?』

 単刀直入にも程がある、と思いはしたし、つい笑ってしまったのも本心だった。普通、そんな質問をするものではない。いくら疑わしく想っていても、遠回しに、婉曲に、慎重に探るものだ。ナーレスならば、そうしただろう。いや、ナーレスならば、ジゼルコートに尋ねるということはせず、ジゼルコートが裏切っているという証拠集めに全力を上げるに違いない。

 しかし、エインにはそういったことができないらしい。できないのか、できても、しないのか。いずれにしても、ナーレスとはまったく異なる種類の人間であることは確かだ。そして、人種の違いが、軍師としての能力の差となっている。

「つまり、ナーレス様が亡くなられれば、参謀局など取るに足らないというわけですね?」

「そういうことだ」

 参謀局にはもうひとり、軍師候補がいる。アレグリア=シーン。参謀局の第二室長は、ガンディア方面軍において第四軍団長を務めていた人物であり、そのころの評価はあまり良くはない。彼女がなぜ軍団長に抜擢されたのか不思議に思うものも少なくはなかった。が、ザルワーン戦争を機に彼女の評価はガラリと変わった。ナグラシア迎撃戦における見事なまでの防衛戦術は、ナーレスの目に留まるほどのものであり、彼女の評価は高まる一方だった。参謀局に引き抜かれるのも当然だったのだろう。そして、彼女の才能は、参謀局にて花開いている。

 そのアレグリアも、ジゼルコートからしてみれば取るに足らぬ相手だ。戦術家としてはエイン=ラジャールに匹敵し、防戦においてはエインを超えるというが、政治力は皆無に等しく、エインよりは思慮深く、腹芸もできるものの、ジゼルコートの目からは子供の遊びにしか見えない。

「そして、ナーレスはもはやこの世にはいまい」

 確信に近い。

 アバード動乱の終結後から今日に至るまで、療養するということでエンジュールに篭もりきりだというのが、まず奇妙なところだった。ナーレス=ラグナホルンという人物は、ジゼルコートをして尊敬に値する人物といえるほどに職務に忠実であり、どんな状況にあっても仕事を途中で放り出すような人物ではなかった。療養が必要な状態であったとしても、まずはアバードの事後処理をして、王都に帰還し、レオンガンドへの報告を行うだろう。それをしなかったことが、最初の疑問点だった。ナーレスらしくなかった。

 それほどまでに病状が悪化していた、という話も伝え聞いた。アバードに随行した兵士たちがいっていたのだから、まず間違いないのだろう。だが、ナーレスならば、そのような体を押してでも王都への帰還を急いだはずだ。

 しかし、ナーレスは、そうしなかった。

 アバード動乱後のエンジュールへの直行は、ナーレス=ラグナホルンという人物のこれまでの人生を否定するような行動で、故にジゼルコートは不審に思った。ナーレスの身になにかあったのではないか。たとえば、ナーレスが命を落とし、そのことを隠すためにエンジュールで療養しているということにしたのではないか。

 療養先がバッハリアではなくエンジュールというところも、気にかかっている。

 ナーレスはかつて、ザルワーンの土牢から救出されたとき、ぼろぼろの状態の体を癒やすべく、バッハリアで湯治を行っていた。バッハリアは温泉が有名だからだ。エンジュールも温泉地として流しれてきてはいるのだが、都市であるバッハリアに比べると、エンジュールは小さな街でしかない。湯治を行うなら、バッハリアよりもひとの少ないエンジュールのほうがいいと考えるのは、なにもおかしいことではないのかもしれないが、ジゼルコートには、エンジュールがセツナの領地だから療養先に選ばれたのではないかと思えてならなかった。

 セツナの領地は、当然、セツナの息のかかった兵士たちによって守られている。小さな街だ。黒勇隊なる私設部隊でも十分にまかなえるくらいの広さであり、そこに都市警備隊が入っているのだから、警備網は十分過ぎるくらいに整っていることだろう。つまり、外部からの侵入者を警戒するには、バッハリアよりもエンジュールのほうがいいということだ。

 それに、ナーレスはセツナと親しくしていることは、よく知られている。自分の死を隠すため、セツナになんらかの力添えを願い出ている可能性は、皆無ではなかった。

 しかし、それだけでは不十分だ。確証もなにもない。ただの憶測にすぎない。ナーレスらしくないとはいっても、なんらかの策のためにエンジュールに隠れたということだって十二分に考えられる。ナーレスは策士だ。策のためならばなんだってするのが、彼なのだ。策のために自分らしさを捨てることくらい簡単にやってのけるだろう。

 故に、ジゼルコートは、エンジュールに諜者を派遣した。ナーレスの生死を確認するためだった。生きていればそれでいいし、死んでいることが確認できれば、それもまた、重畳。

 結果、ナーレスの生死は不明だった。

 ジゼルコートの派遣した諜者が一向に帰ってこないのだ。二陣、三陣も同じだった。皆、エンジュールの警備網に引っかかったわけではあるまい。手練れを寄越している。つまり、エンジュールにも手練れがいて、ジゼルコートの諜者を発見し、殺したか、拘束したに違いなかった。もちろん、捕まり、取り調べを受けたところで、ジゼルコートにはなんの影響もない。送り込んだものは皆ジゼルコートの直接の配下ではなく、ジゼルコート自身が送り込んだわけではないからだ。たとえウルの精神支配を用いたとしても、ジゼルコートの影すら掴めないだろう。

 ナーレスが生きているのか、死んでいるのか。生きていてなにか策謀を練っているのか、生きていて本当に療養中なのか。

 なにもわからないまま、時間だけが過ぎていった。

 ナーレスの不在がガンディアに与える影響は、小さくはない。ナーレスはガンディアの軍師であり、政治、軍事、人事、都市開発に至るまでありとあらゆる物事に精通した人物だった。政治家としての手腕こそジゼルコートに劣るだろうが、それ以外の多くの面で、ジゼルコートはナーレスには敵わないと認めていたし、尊敬すらしていた。

 なればこそ、ナーレスが生きている限りは行動を起こすべきではないと判断していたし、彼が死ぬよりも自分の命数が尽きるほうが早ければ、それもまたよいと想っていた。

 だが、そのナーレスの命の時間が終わりかけているということを知った以上、黙っているわけにはいかなくなってしまった。

 ナーレスがこの世から消えてなくなれば、ジゼルコートにもはや敵はいない。エイン=ラジャールにせよ、アレグリア=シーンにせよ、恐れるような相手ではない。彼らは、軍師ナーレスの後継者といわれているが、ナーレスには遠く及ばない。過小評価しているのではない、冷静に分析して、そう見ている。

 ナーレスの生死を探り続けて早数ヶ月が経過している。エンジュールからはなんの音沙汰もないまま、ナーレスの体調が回復したという話さえ聞かれない。月に数回、エンジュールのナーレスからレオンガンドに手紙が届くということだが、それがナーレス本人の手によるものかなどわかるわけがない。手紙など、いくらでも偽造できる。

 焦れた。

 焦る必要が無いのはわかっている。

 ジゼルコートの時間は、まだたっぷりと残されている。少なくとも、毒を盛られたナーレスよりは長生きできるだろうという自負がある。これでも健康には気を使っていたし、体調管理と、それにともなう日々の鍛錬はかかさなかった。鍛えているのだ。並の兵士ほどには戦えるだろう。

 しかし、焦りを消し去ることはできそうになかった。理由はわかっている。

 レオンガンドだ。

 レオンガンドは、“うつけ”の仮面を脱ぎ去って以来、連戦連勝の中で、王者の風格を身に着けていっていた。ジゼルコートですら、レオンガンドの目の前に立てば、妙な緊張を覚えるほどだった。一年と少し前、戴冠式に見たレオンガンドからは感じられなかった圧力と迫力があった。国土が何倍にも膨れ上がり、臣民が増大したことで、レオンガンドの意識に大きな変革が起きたのだろう。それにしても一年あまりで変わり過ぎではないのか、と思う一方、これだけの拡大を成し遂げたのだから、変貌もするだろうという思いもある。

 そうでなければ嘘だ、とも想うのだ。

 彼は、ジゼルコートがもっとも尊敬したシウスクラウドの実の子なのだ。シウスクラウドに遠く及ばずとも、近づいてもらわなければ困る。

 だが、英傑になられても困るのだ。

 彼が真に英傑となり、シウスクラウドを越えたとすれば、そのとき、ジゼルコートはすべてを失うだろう。

 だから、焦る。

 彼がさらに王としての経験を重ね、獅子王の名に恥じない存在へと上り詰めるまで、それほどの時間は残されてはいまい。

 つぎか、さらにそのつぎの戦いが、最後の機会となるだろう。

 そのためにも、ジゼルコートの目的を果たすためにも、彼はナーレスの生死を知らねばならなかったのだ。

 彼は、十中八九、死んだ。

 しかし、まだ完全に死んだとは言い切れない。

 彼の墓があれば墓を暴き、亡骸を確認するまでは、確証は持てないのだ。

 それでも、ジゼルコートは重い腰を上げるときが来たのだ、と思った。

 既に、種は蒔いている。

 あとは、その種が芽を出し、花咲かせるときを待つのみだった。


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