第千百三十四話 引き際を(二)
「アルガザードが大将軍を降りるそうだ」
レオンガンドが渋い顔で告げたのは、会議の最中のことだった。
王宮の作戦室で執り行われる会議には、レオンガンドとその側近のみが参加している。ジルヴェール=ケルンノール、エリウス=ログナー、バレット=ワイズムーン、ゼフィル=マルディーン、ケリウス=マグナート、スレイン=ストール。四友にジルヴェールとエリウスを加えた六名が、レオンガンドのいまの側近である。
側近のみを集めて行われる会議というのは、主に国内政治に関するものだが、その中でも些細なことを議題に取り上げることが多い。重要な話をこの人数だけで決めてしまえば、ほかの政治家たちに反発されかねない。もちろん、レオンガンド派によって統一されたいまとなっては、反発などどうでもいいことかもしれないが、小さな軋轢が大きな反動を生みかねないのだ。
反発は少なければ少ないほどいい。
「つぎの外征が終われば、それを機に大将軍の位を返上するつもりだという」
「なんと……」
「なぜです?」
側近たちが一様にざわめいたのは、想像だにしていなかったことだからだろう。
レオンガンド自身、アルガザード本人から打ち明けられたときは、愕然としたものだ。
「年齢による衰えを気にしてのことのようだ」
「とてもそのようには見受けられませんが」
「閣下は、大将軍を拝命なされてから、若々しくなったとの評判ですし」
「周囲の評価と、本人の気持ちは乖離するものだ。それに、肉体の衰えなど、当人にしかわからないだろう。わたしたちがなにをいっても、本人が衰えを感じている時点で、それは事実なのだ」
そして、それを否定することはできない。アルガザードの年齢を考えてみれば、当然のことでもある。彼は今年、六十三歳になる。五十年近くに渡ってガンディア軍に従事し、戦場に立ち続けてきたのだ。体のどこかに支障が出たとしてもおかしくはないし、体力的な面で不安を感じたとしても、なんら不思議ではない。むしろ、この年齢になるまでよく頑張ってくれたものだと褒め称えるべきことだろう。
「それは……そうですが」
「陛下は、引き止められなかったのですか?」
「引き止めたさ。が、アルガザードの決意は固くてな。わたしの声では動かしようがなかった。それに、ガンディアのためといわれれば、な」
「ガンディアのため……ですか」
「老人がいつまでも頂点に居座るのは良いことではない、とさ」
「いつまでも、って、まだ一年余りじゃないですか」
「陛下、閣下の長年に渡る戦闘経験はなにものにも代えがたいものです。いかに参謀局の戦術が優れていようと、そればかりは上回ることはできないでしょう」
「わかっている。だからわたしも引き止めたのだ。アルガザードには、長らく支えてくれた恩もある。わたしが幼いころからずっと側にいてくれたのも彼だ。だからこそ、彼にはできるだけ大将軍をやっていて欲しいといったのだがな、お飾りの大将軍など御免こうむるといわれたよ。アルガザードにも誇りがあるのだ。こればかりは、どうしようもない」
「理解できなくはないのですが……」
「国のために若く優秀な人材に大将軍の座を譲りたいというアルガザードの意思は強い。たとえわたしが命令したところで、聞いてくれはしないだろう」
「そこまで……ですか」
「相当、堪えているらしい」
レオンガンドは、アルガザードとの話し合いを思い出しながら告げた。アルガザードは、終始穏やかな様子であり、レオンガンドによる引き留めに対し嬉しそうな態度だったものの、最後まで辞意を取り下げなかった。どこまでも意固地で、頑固なのがアルガザードらしいといえばアルガザードらしい。
そんな頑固者が長年支えてくれたことを考えると、感慨深いものがあった。
「年齢による老いを感じることが多くなってきたそうだ。経験では庇いきれないほどにな」
「それで……辞任すると」
「しかし、閣下が大将軍を辞任されるとなると、後任を決めねばなりませんな」
「だから諸君を呼んだ。だれが大将軍に相応しいか、考えるためにな」
レオンガンドは、一同の顔を見回して、いった。
大将軍は、ガンディア軍の頂点に位置する将位だ。ガンディアの全軍を統括する存在であり、多くの将兵が憧れる地位といってもいい。アルガザードは、将軍から大将軍へと一気に格上げされたが、それはガンディアの国土拡大にともなう軍の再編成の関係もあった。現在、大将軍にしても構わない地位にある人間はというと、数えるほどしかいない。
左右将軍のふたりと、大将軍の副将ふたりだ。
左眼将軍デイオン=ホークロウ、右眼将軍アスタル=ラナディース、副将ジル=バラム、同じくガナン=デックスの四人。このうち、副将のふたりは、左右将軍に比べると一段、落ちるだろう。大将軍は全軍を統括する地位であり、その補佐を務めるのが副将なのだが、左右将軍のほうが格としては高い。つまり、次期大将軍候補は、左右将軍のいずれかということになる。
そのことは、この場にいるだれもが認識として理解している。
「わたしは、アスタル=ラナディースが適任だと思うが」
レオンガンドが最初に発言したのは、会議をその方向に持っていくためだった。会議に参加しているのは、彼の側近ばかりだ。側近たちには常に忌憚のない意見をいわせるようにしているし、ときにはレオンガンドを諌めるのが側近の役割であり、であればこそ、レオンガンドは思うままに振る舞うことができる。間違っていれば、だれかが正してくれるからだ。とはいえ、このような会議でレオンガンドの意向を完全に無視することは難しく、レオンガンドの考えている方向へ誘導することは必ずしも難しくはなかった。
「アスタル将軍ですか」
ケリウス=マグナートが、眉を潜めた。生粋のガンディア人であり、ガンディア至上主義者である彼には、大将軍にはガンディア人こそ相応しいと考えているに違いなかった。つまり、デイオン=ホークロウであろう。このとき、レオンガンドがデイオンを押していれば、ケリウスは目を輝かせるくらいに喜んだかもしれない。
アスタル=ラナディースは、ログナー人だ。ログナー人ながらもその力量と才覚、評価をもって右眼将軍に任命した。その任命に関する会議でも、もっとも反発したのがケリウスだった。ほかに相応しい人材がいないということで納得してくれたものの、彼のガンディア至上主義は未だに健在であり、おそらく死ぬまで変わらないだろう。
それは、いい。
ケリウスがガンディア人であることを誇りに思い、重職にはガンディア人をつけなければならないと考えている事自体は、別段、おかしなことでもなんでもない。どの時代、どこの国にも、彼のような考え方をする人間は一定数いるだろうし、ケリウス以外にもガンディア至上主義者はいる。
しかし、ガンディアという国が数多くの国を飲み込み、その上で成り立っているという現状を考えると、そういった考えだけで押し進むのは危険だ。小国家群の統一を目標と掲げるならなおさらで、能力さえあれば人種、出自など一切関係なく登用し、要職につけることができるくらいでなければ、多数の国の上に君臨することなどできないだろう。ガンディア人のみを優遇すれば、ガンディア人以外のひとびとが反発するのは必然なのだ。
現在、そういった反発が少ないのは、出自を問わない方針で登用しているからであり、各都市の司政官、各方面軍の軍団長には、それぞれの方面出身者を使うことにしているからでもある。基本的には、大軍団長に至るまで、その方面の人間を使っている。そうすることで、ガンディアという国が、ガンディア人のみ優遇する国ではないことを主張し、不平や不満を抱かせないようにしているのだ。
また、アスタル=ラナディースが右眼将軍として君臨し、軍師の後継者候補としてログナー人であるエイン=ラジャールが上がっていることも、他国出身の軍人の希望となっている。これが、要職をガンディア人のみで固めていれば、そうはいかなかっただろう。不平や不満が募ったに違いない。
もちろん、デイオン=ホークロウも、悪くはない。能力、人格、経験、どれも大将軍後任として申し分ないものだ。特に野心を持たない彼の穏やかな性格は、大将軍を任せるにたるものだろう。長年ガンディアのために骨を砕いてきた人物であり、信頼のおける人物でもある。
側近たちの口からは、そういった意見も飛び交った。デイオンこそガンディアの大将軍に相応しいのではないか。デイオンならば、アルガザードの後を任せられる。エリウス=ログナーもデイオンを押したが、それは自身がログナー人であることを配慮してのことだろう。ログナー人がログナー人を押すのは、ためらわれる。本音は、わからない。
もちろん、アスタルが全面的に否定されたわけではない。甲乙つけがたいといったところであり、だからこそ、会議は紛糾した。
レオンガンドは頑なにアスタル=ラナディースを押した。アスタル=ラナディースの能力というよりは、その人間が持つ魔力に期待した。
『大将軍後任には、アスタル将軍を』
ナーレス=ラグナホルンの遺言が、レオンガンドの考えを縛っている。
ナーレスへの信頼は、いまや信仰のようになっていた、