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第千百三十三話 引き際を(一)

 風が頬を撫でた。

 秋の風は冷気を運び、渦を巻いて天へと登る。肌寒くなってきたのは、秋もいよいよ深まってきたからだろうし、じきに冬が来ることの前触れでもあるのだろう。

 アルガザード・バロル=バルガザールは、王宮区画の通りを歩きながら、そんなことを想っていた。

 十月も終わろうとしている。

 十月が終われば、五百二年もあと二月ということになる。

「今年は、昨年に比べれば静かなものだったな」

 アルガザードは、彼に付き従うふたりに向かって、つぶやくようにいった。ジル=バラムとガナン=デックスは、大将軍の補佐とでもいうべき副将と呼ばれる位についている。

 アルガザードは、大将軍である。ガンディア軍の最上位に位置づけられる位であり、彼は、ガンディア軍の頂点に君臨しているといっても過言ではなかった。

 一年と少し前まで、ただの将のひとりに過ぎなかったはずの彼が大将軍に抜擢されたのは、レオンガンドの意向であろう。レオンガンドにとってもっとも操縦しやすい将がアルガザードだったというだけの理由に違いない。無論、能力や人格、実績などを考慮した上での最終判断がそうだといっているのであり、すべてがレオンガンドの一存で決められたことだとは思ってもいない。それに、レオンガンドにそのように思われていたのだとしても、なんら気分を害するようなこともない。むしろ、嬉しいとさえ思える。

 レオンガンドがそれだけアルガザードに気を許してくれているという証左ではないか。

「外征自体、あってないようなものでしたからな」

「アバードぐらいか」

 アバードも全軍を出したのではなく、ザルワーン方面軍とログナー方面軍の一部を出しただけに留まっている。アバード軍はともかく、騎士団との戦いは苛烈を極め、相当な損害を出してしまったようだが、クルセルク戦争での被害に比べると微々たるものだろう。クルセルク戦争を引き合いに出せば、なにもかも微々たるものに感じてしまうのは、感覚が麻痺している証であり、良くないことなのはわかりきっているのだが。

「ああ、そういえば、クルセルク戦争も今年だったのだな」

「そういえば、そうですな」

 ガナン=デックスが思い出したようにうなずいてくる。彼も、忘れていたのかもしれない。全軍を統括する大将軍はいわずもがな、大将軍の手足となる副将たちもまた、忙しい日々を送っているのだ。それこそ、休みがないといってもいいくらいに忙しく、休暇を返上して働くこともままあった。それでも、去年に比べると随分とましだと思わざるをえないし、実際、そのとおりなのだが。

 昨年の中頃から年末にかけての忙しさたるや、凄まじいものがあったのを記憶している。戦争に次ぐ戦争。ガンディアの歴史上、あれほど短期間で戦争を行ったことなどないと言い切れるくらい、戦い続きだった。そうなったのも、そうしなければならない状況が続いたからであり、レオンガンドひとりの意向でそうなったわけではなかった。

 しかし、今にして思えば。よく続けてこられたものだと感心せざるを得ない。常に勝ち続けたことが、全軍の戦意を維持し続けることに繋がったのだろう。敗北らしい敗北もなく勝利し続けてきた。そのことが、度重なる戦争への不満の声を掻き消し、興奮と昂揚へと繋がったのだ。その状況がクルセルク戦争まで続くのだが、クルセルク戦争が終わると、夢から覚めたようにそういった興奮は消え去った。

 クルセルク戦争では、あまりにも多くの将兵が命を落としたからだ。

 クルセルクの軍勢が何万もの皇魔だったことが原因なのだが、戦死者の家族親族には、相手がだれであれ、夫や息子が戦死した事実には変わりがない。戦争がいかに悲惨で、虚しいものかを訴えるものたちが現れ、厭戦気分がガンディア全土を覆っていったのは、ある意味では当然といえる。

 そんな空気を完全に払拭することもできないまま、月日が流れた。ガンディア全土を覆っていた厭戦気分は、ようやく落ち着きを見せていた。

「クルセルク戦争、アバード動乱、ルシオンへの援軍の派遣――今年のガンディア軍に関連する大きな出来事といえば、これくらいのものでしょう」

「それで十分だろう」

 アルガザードは、空を仰いだ。滲んだような青空が、遥か頭上を覆い尽くしている。いつもと変わらぬ空。イルス・ヴァレの空だ。

「それだけで、十分だろう」

 もう一度、つぶやく。

 齢六十を越えた体は、いまや限界に迎えつつある。

 何十年にも渡って鍛え上げて作り上げた肉体は、いまも彼の思う通りに動くし、その動作は軽快そのものだ。武器を取れば右に出るものはなく、若さだけが取り柄の連中に負ける気もしないし、事実、負けることはないのだが、だからといっていつまでも戦えるものだとは言い切れなかった。信じてもいない。日々、疲労の回復が遅くなっているのを実感する。

 老いている。

「つぎの戦争が、わたしの大将軍としての最後の戦いになるかもしれん」

「閣下、突然なにを仰られるのです!」

「そうです! 我々には、まだ閣下が必要です!」

「……そうでもあるまい」

 アルガザードは、ジル=バラムとガナン=デックスの慌てぶりにも表情ひとつ変えなかった。そういってくれるのは嬉しいし、頼られるのは悪い気分ではない。そういった気分や感情が、大将軍を続ける支えになっていたのも事実だ。

「ガンディアには数多の人材がいる。わたしの代わりなど、いくらでもいよう」

 むしろ、そうでなくては困る。でなければ、いつまでも老体に鞭打ち続けなければならなくなる。いまはまだ、いい。しかし、いずれそういった無理が祟り、活動に支障が出てくるに違いないのだ。そうなってからでは、遅い、健康で、正常に判断できるうちに大将軍の座を降り、若く優秀な人間に後を任せるのがいいのだ。

「閣下の代わりなど、どこにもおりません!」

 ジル=バラムが強い口調でいってきた。気丈な彼女らしい反応だった。その気丈さ故、近づきがたい空気を醸し出しているのだが、実際は、そんなことはなかった。気を許した相手にはとことん甘いのが彼女であり、アルガザードは、彼女を自分の娘のように大切に想っていた。ガナンを息子と思うように、だ。

 もちろん、実の息子であるラクサスやルウファのことも、大切に思っているし、大事にしている。ただ、ふたりの息子はガンディア軍と直接関わりのある立場ではないため、アルガザードと接する機会は少なかった。その一抹の寂しさを紛らわせているのもあるのかもしれない。

「まず、君らがいる」

「なにを……」

「ジル=バラム、ガナン=デックス、君らはこの一年余り、わたしの補佐を続けてきた。わたしを見てきたのだ。大将軍アルガザード・バロル=バルガザールをな。君らほど大将軍の仕事を理解しているものは、いまい」

 能力的にはひとつ物足りないが、能力を補って余りある経験を持っているのが副将ふたりの強みだ。大将軍業務を側で見続けてきたのだ。そのことは、何事にも代えがたい経験であり、経験は、実力を底上げするものとして機能するだろう。

「だからこそ、わたくしどもでは無理だというのです」

「そうです。大将軍は、閣下以外には考えられません」

 ジル=バラムトガナン=デックスの発言は嬉しく思う反面、苦しくもあった。振り返ると、ふたりの強い視線が突き刺さってきた。

「……視野を広く持つのだ」

 そういうしかない。

「考えを固定し、視野を狭めることなどあってはならぬ。大将軍はわたしでなければならぬという考えを捨てよ。たとえ、つぎの戦争が大将軍としてのわたしの最後ではなかったとしても、いずれ最後のときはくる。遅いか早いかの違いしかないのだ」

「しかし……まだ早すぎます」

「確かに、早いかもしれぬな」

 アルガザードは、自嘲気味に笑みをこぼした。大将軍の位を拝命して、一年余り。振り返れば、大将軍の名に相応しい、大将軍として誇れるようなことはなにひとつしていないのではないかと思える。ザルワーン戦争、クルセルク戦争においては大将軍として戦場に立ったものの、目覚ましい活躍などしていない。後方で全軍の指揮を取るのが大将軍の仕事なのだから当然といえば当然なのだが、その当然が、少しばかり虚しくもある。

 戦場を駆け抜けていたころが懐かしくもある。

 大将軍として、なにか残せないものか。

 考えれば、それこそ、後継者の選定なのではないかという結論に至るだけのことだ。

「だが、陛下とも話し合って決めたことなのだ」

 アルガザードたちが王宮から出てきた理由がそれだ。アルガザードは、レオンガンドと話し合うために王宮を訪れ、数時間、じっくりと語り合った。ふたりきりで、だ。余人を交えなかったのは、そうしなければレオンガンドが本音をいえないだろうという配慮からだったし、アルガザード自身、本心を打ち明けるにはそのほうが都合が良かったからだ。

 副将たちには長々と待たせることになってしまったが。

「陛下と……? 陛下は、引き止められなかったのですか?」

「引き止めてくださったよ。わたしの手を取ってまでして、な」

「でしたら!」

「それでも、わたしの決意が揺るがないとしって、了承してくださった」

 そこまでいうと、ジル=バラムも黙り込まざるを得なくなったようだった。レオンガンドが認め、了承した以上、副将ふたりが反対したところでどうにもならないと悟ったのだろう。アルガザードはそんなジル=バラムとガナン=デックスの表情を見やって、穏やかな気分になった。良い部下に恵まれたものだと思う。彼らのような副将がいたからこそ、アルガザードは大将軍をやってこられたに違いないのだ。彼らがいなければ、とっくにやめていたかもしれない。

 そんなことさえ、思う。

「なに、つぎの戦争がいつになるかなどわかったものではないのだ。もうしばらくは、大将軍でいさせてもらうよ」

 アルガザードは、そういってふたりの肩に手を置いた。

「最後まで、よろしく頼む」

『……はっ!』

 異口同音にいってきたふたりの表情は、いつにもまして力強く見えた。


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