第千百三十二話 探り合う(三)
「ガンディアの敵?」
ジゼルコートは、エインの発した言葉を反芻すると、しばらくして大笑いした。
「なにを質問してくるかと思えば、そのようなことですか」
朗らかに笑ったあと、至極真面目な表情になって、告げてくる。
「断じて、ありえませんな」
声には、真に迫るものがある。
エインは、ジゼルコートの目を見つめながら、その表情と声の迫力に押される自分を認めた。役者が違うのだ。踏んできた場数の違いというべきか。いずれにせよ、腹芸の不得意なエインが太刀打ちできる相手ではなさそうだった。
だからといって、ここで引き下がるわけにもいかないのだが。
「わたしは、いつだってこの国のためを考えている。わたしのあらゆる行動は、ガンディアのため。ガンディアの民のため。わたしはガンディア王家の血を引いているのです。英傑と謳われた兄シウスクラウドとともにガンディアを盛り立てていくことだけを考えて生きてきたのです。それは、いまも変わらない」
謳うように言葉が紡がれていく。舌は滑らかで、声が踊る。聞くものの心に深く染み入るような、そんな声音だった。ジゼルコートが稀代の政治家とされる所以がわかった気がする。
彼の声には、魔力がある。
「わたしがガンディアの敵となるということは、ガンディア王家の誇りを捨て去るということであり、亡き兄の魂を冒涜することにほかならない。わたしがそのようなことをするはずがないのは、エイン殿にもご理解いただけるでしょう?」
「それは、わかります」
エインは、ジゼルコートの演説を聴き終えて、静かにうなずいた。
ジゼルコートがガンディア王家の人間であることに限りない誇りを持っていることは、彼の日頃の言動や政治活動における言行録などを見れば一目瞭然のことだ。また、実の兄であり先の王シウスクラウドのことを尊敬してやまないというのも、事実だった。彼が王家やシウスクラウドを裏切るような真似をしないという言葉にも、嘘はあるまい。
嘘はないが、真実もあるものかどうか。
「それで、疑いは晴れましたかな?」
「疑いだなんてとんでもない! わたしはただ、噂の真偽を確かめたかっただけなんです!」
「なるほど。そういうことでしたか。しかし、いくら噂の審議が気になったからといって、興味本意で聞くようなことではありませんな。わたしでなければ、大問題になっていたかもしれませんよ」
「すみません! 不躾なことだとはわかっていたんですが、つい知りたくなってしまって……」
「いや、いいのですよ。一部でそのような噂が流れているのも理解していますし、疑われたとしても仕方のないことをしたのも事実。特にベノアガルドの諜者を招き入れたことは、いくらベノガルドの動向を探るためだったとはいえ、疑念を抱かれたとしても不思議ではない」
ジゼルコートが自嘲的な笑みを浮かべた。アルベイル=ケルナーの件は迂闊だったとでもいうように。
「ですが、わたしの行動の一切はこのガンディアのためであることだけは胸を張っていえます。それだけは理解していただきたい」
「もちろんです! わたしも、レオンガンド陛下のために力を惜しまないつもりです」
「では、ともにガンディアのために力を尽くして参りましょう」
「はい!」
「では、エイン室長、わたしはこれにて」
「はいっ」
エインが最敬礼で見送ると、ジゼルコートはこちらに背を向けて、職員室から出ていった。左手の扉が開き、閉じる。しばらくすると右側の扉がこっそりと開き、閉じるのがわかった。セリカが、おそるおそる入ってきたのだ。
「ジゼルコート様は行かれたようだね」
「はい。いつになく上機嫌な様子でしたけど」
「上機嫌?」
顔を上げると、セリカが職員室の左出入り口を見つめていた。元気が取り柄の彼女らしくないしおらしさは、ついさきほどまで緊張の中にいたからかもしれない。彼女は、たったひとりで職員室の右扉を警戒していたのだ。対して、ジゼルコート側は三名の武装召喚師だ。離れていて、言葉を交わすこともなかっただろうとはいえ、緊張するのは間違いない。
「はい。有意義な時間だったとかなんとか、お連れの方々に話されていましたよ」
「へえ。さすが地獄耳のセリカ。油断も隙もあったもんじゃないね」
「だれが地獄耳ですか!」
「しかし……上機嫌かあ」
エインは、セリカの声を聞きながらも腕組みして頭をひねった。上機嫌。ジゼルコートが楽しそうに笑っている姿を思い浮かべて、目を細める。ジゼルコートはまず間違いなく、セリカの視線を意識していたはずだ。視線だけではない。セリカの耳も意識していて、だから武装召喚師たちに話す声も大声だったのだろう。室内のエインには聞こえず、廊下のセリカには聞こえるような声。
ジゼルコートは政治家だ。政治家は、常に演技をしていると見ていい。どのような状況であっても、自分の印象を操作するべく演じているのだ。上機嫌に笑っていたというのも、それに違いない。
「無視しないでくださいよお! 泣きますよ?」
「政治家は怖いなあ」
「本当に泣きますよ!?」
「泣くんだ? 怒るんじゃなくて」
エインが考え事をやめて彼女に目を向けると、セリカはにっこりといってきた。
「室長怒るくらいなら、アスタル様に報告したほうが効果的ですし」
「将軍は関係ないだろ」
「関係大有りです! アスタル様には、室長に泣かされるようなことがあれば、即刻報告するようにっていわれてるんですから」
「だから泣くのか」
「はい!」
勝ち誇るようにうなずいたセリカに、エインは返す言葉もなかった。アスタル=ラナディースという弱点を突かれれば、参謀局作戦室長といえど、どうすることもできないのだ。
「それで、ジゼルコート様となにをお話になられていたんです?」
「つまらない冗談をね」
「それで上機嫌だったんですかあ」
「セリカ。君はひとを疑うということを覚えたほうがいい」
エインは、彼女のために心底心配した。
「どういうことですか」
「くだらない冗談を真に受ける奴があるかってこと」
「室長……」
「わかった。わかったから泣くのはよしてくれ」
エインは、全力で涙ぐみはじめたセリカの様子に慌てた。本当に泣かれて、本当にアスタルに報告されでもしたら、堪ったものではない。アスタルはいまアバードにいるのだが、アバードでの任務を終えたあとのことが怖いのだ。
アスタルには頭が上がらない。
職員室を出るべく、歩きながら口を開く。
「ジゼルコート伯の本音をね、聞いたんだ」
「本音……ですか」
「ああ。ジゼルコート伯が裏切っているのかどうかってね」
「室長、相変わらず直球ですね!」
「回りくどいのは嫌いだからね」
「その結果、領伯様を怒らせたりするとか考えなかったんですか!」
「怒ったからって俺になにができるわけでもないし」
「それはそうですけど!」
「ま、俺になにかをしてきたとしたら、それはそれで面白いことになってたんだろうけど」
エインがにやりとすると、セリカが憤然といってくる。
「なりませんよ!」
「まあ、そうだね」
ある意味では面白いことになったのは事実だが、面白くないことでもあるのもまた、事実だ。
エインの不躾な質問に対し、ジゼルコートが政治家であるということを忘れて激怒したとすれば、彼が限りなく潔白に近いという証明になる。それはいいのだが、そのあと、エインの立場が悪くなるということを考えれば、必ずしも面白いこととはいえない。
とはいえ、激怒せず、冷静に対処したからといってジゼルコートが、ガンディアを裏切っているかというとそうでもない。何度も言うことだが、ジゼルコートは政治家だ。そして彼ほどの政治家ならば、自分の感情を支配することなど簡単にできるだろう。たとえエインの質問に怒りを覚えたとしても、それを上手く処理し、冷静に対応することくらいたやすくやってのけるはずだ。
「それで、領伯様はどうだったんです?」
「笑われたよ。そんなことはありえない、とね」
「やっぱり! いったじゃないですか、考え過ぎだって!」
「そうかもしれないな」
エインは、セリカの純粋さが羨ましくてたまらなかった。セリカは彼が軍団長の頃からの部下だが、そのころから純粋な部分に一切の変化はなく、そこが彼女をよく連れ歩く理由になっていた。素直で、ひとを疑うことを知らない彼女には、ひとを疑うことしか知らないエインの心に響くものがある。
職員室を出て、廊下を見回すと、既にジゼルコートたちの姿は見当たらなくなっていた。
「ガンディアのため……か」
「はい?」
「さて、そろそろ俺も動こうかな」
「なにをされるんです?」
「セツナ様に嫌われるようなこと」
「ええ!?」
セリカが大袈裟なまでに驚きの反応を示した。
「そんなことして、だいじょうぶなんですか?」
「なにがだい?」
「セツナ様に嫌われたら、室長、立ち直れなくなるんじゃ……」
「……そうかも」
セリカの心配事は予想外のことだったが、納得することでもあった。
しかし、やらなくてはならないことだ。
ナーレスは、ガンディアの将来のためならばやり方は問わないといった。だから、エインにはエインのやり方でやらせてもらうつもりだった。
たとえ、そのことでセツナに嫌われたとしても、だ。
ジゼルコートは、ガンディアのため、といった。
ガンディアのため。
その言葉に偽りはないのだろう。彼は、いまも昔もガンディアのために働き、ガンディアのために人生を捧げているといっても過言ではないのだろう。そこに疑いを挟む余地はない。実際、ジゼルコートの人生を振り返ってみれば、人生のほとんどがガンディアのために費やされていることがわかる。結婚し、家庭を持つことさえ、自分のためではなく、国のためだ。彼が自分のためになにかをしたことなどあるのだろうか。
私設部隊の増強も、自分の為などではあるまい。
(ガンディアのため)
なにもかも、ガンディアのためなのだ。
レオンガンドのためではなく。
(ガンディアのため、か)
エインは、ジゼルコートが敵に回る可能性を強く認識した。彼のガンディアのためは、現王レオンガンドのためではないのだ。