第千百二十九話 太后と領伯
五百二年十月十日、ガンディア王都ガンディオンに帰国したレオンガンドは、王都市民による盛大な出迎えを受けながら王宮区画へと向かった。新市街はルシオンへと向かうときとほとんどなにも変わっていなかったが、たった二十日程度で様変わりするわけもない。当然のことだ。群臣街に至れば、軍関係者やその親族家族がレオンガンドたちを待ち受けており、敬礼するものもいれば、軍人の子供たちなどは全力で声援を送ってきたりなどして、レオンガンドの表情を綻ばせた。
子供をいままで以上に可愛く感じ、愛おしい存在だと思うのは、娘が生まれたからだろう。すぐにでもナージュとレオナの顔を見たいというはやる気持ちを抑えながら、王宮区画の門を潜る。
王宮では、太后グレイシアが待ち受けており、母のいつも以上に元気な姿を見ることができて、レオンガンドは安堵する気持ちだった。グレイシアは、レオナが誕生して以来、日に日に元気になり、若返っているのではないかという評判であるらしく、そのことを自慢気に語ってきたのには、レオンガンドも笑うしかなかったが。
王都に残っていた彼の側近たちや、《獅子の尾》の面々もいた。セツナはもはや歩き回れる程度には回復していたらしく、そのことにもレオンガンドは安堵した。彼なくしてはガンディアは立ち行かない――というほどではないにせよ、彼は必要不可欠な存在なのは間違いない。しかし、彼が少しばつの悪そうな表情をしているのが気にかかって、そのことを問うと、グレイシアに笑いながら練武の間まで連れて行かれた。
練武の間は、どういうわけか改修工事中であり、北側の壁に大穴が空いていることが工事中のいまでもよくわかった。グレイシアによると、セツナが作った穴だといい、セツナがバツの悪そうな顔をしていた理由が判明した。
「なんだ、そんなことか」
レオンガンドは、大いに笑ったが、同時にセツナらしいとも思ったりした。王宮の一部である練武の間が破壊されるなど断じて許されることではないが、破壊したのがセツナであれば、問題にもなるまい。話によれば、壁が破壊されただけで巻き込まれた人間はひとりもいないというのだから、問題とする必要さえなかった。グレイシアもそう考えたからこそ、レオンガンドの帰国を待たずして改修工事に踏み切ったのだろう。
「セツナちゃんってばそのことでずっと悩んでたのよ」
「その程度のこと、なにも悩む必要はあるまいに」
「うふふ。だから、わたし、セツナちゃんと取引したの。領伯様と」
「取引?」
「そう、取引。そうでもしないと納得しないみたいだったから、ね」
グレイシアがお茶目に笑うと、セツナも困ったようななんともいえないような笑顔を浮かべていた。
「どのような取引をされたのです?」
「うふふ。練武の間の改修工事費用をわたしが持つ代わりに、セツナちゃんにはしばらくわたしの遊び相手になってもらうことにしたのよ」
「遊び相手……?」
レオンガンドは、グレイシアとセツナの取引内容がよくわからず、怪訝な顔になった。そんなことで納得するのなら、取引するまでもないのではないかと思わないでもなかったが、なんでもかんでもひとりで抱え込みがちなセツナの性格を考慮すれば、そういうことにもなるのかもしれない。
「それはともかく、改修工事の費用ならば、国庫から出せばいいでしょうに」
「そうすると、セツナちゃんが責任感じちゃうもの。ねえ?」
「本当は俺が全額支払いたかったんですが」
「セツナちゃん、いまお金ないものね」
「……そういうことか」
レオンガンドは、グレイシアとセツナが取引を交わした理由を理解し、納得もした。セツナが現在金欠なのは、アバード王都バンドールの復興に多額の資金を提供したからだ。シーラの暴走によって廃墟と化したバンドールの復興には、膨大な額の資金が必要となる。アバードがガンディアの属国となった以上、ガンディアからも復興費用を提供するのは当然だったが、王都ほどの都市を再建するとなると、ガンディアとアバードの金だけでは物足りないのだ。国庫からすべての金を放出するなどということができるわけもない。
そんなおり、セツナから資金を提供するという話があり、レオンガンドはそれを認可した。セツナは、エンジュール、龍府というふたつの領地を持つ領伯だ。観光都市として知られる龍府と、温泉街エンジュールは、セツナの収入源として優秀だ。それに、数々の戦いにおける論功行賞で一位を取ってきたセツナには、多額の褒賞金が支払われてきているのだが、その褒賞金を使うことなどほとんどなかったらしい。生活に必要な分は給与でまかなえるし、給与のすべてが生活費に消えるはずもない。王宮召喚師であり、王立親衛隊長であるセツナには月々、それなりの額の給与が支払われている。つまり、これまでの戦いにおける褒賞金は貯めるだけ貯めており、あのままなにごともなければ、使い道もないままに膨大化していたことだろう。
バンドールの復興支援のためにセツナが多額の資金を提供したことは、ガンディア中で話題となっている。ガンディアの英雄セツナの名声は、その一事でますます高まったことはいうまでもなく、その人気は国内に留まらなかった。アバードでも、セツナ人気が高まりつつあるのだが、それは、シーラ姫を救ったという事実も大きいのだろうが。
ともかく、セツナは現在、生活費に困らない程度の金しか持っていないのだ。セツナがグレイシアと取引するのもわからないではなかった。
「しかし、王宮の改修など、国に任せておけばよかったのだ」
「そういうわけにも参りませんよ」
「なぜだ?」
「俺が壊したんですから」
セツナはそういって聞かなかった。
彼の頑なな態度にはなにか裏があるのではないかと感じ取ったレオンガンドは、その場ではこれ以上の追求を避けた。彼に話を聞くのは、人気のない場所のほうがいいだろう。そう判断したレオンガンドは、練武の間を後にした。
それから後宮へ入り、ナージュとレオナの顔を見た。ナージュは健康そのもので、そのことがレオンガンドを安堵させた。よく食べ、よく眠るといい、少しばかり肥えてきたのではないかと彼女は気にしているようだったが、多少肉がついてきたほうが彼女の健康のためにはいいのではないかと思わないではなかった。元々、痩せ気味なのだ。
レオナは、眠っていた。まだ産毛も生え始めたばかりの小さな子供は、レオンガンドとナージュの血を引いているのだ。レオナの寝顔をまじまじと見つめながら、そういった事実を認識する。生きなければならない理由ができた。少なくとも、レオナが成長し、立派な大人になるまでは生き続けなければならない。
決意を新たにしたレオンガンドは、後ろ髪を引かれる思いで、ナージュとレオナの元を離れた。レオンガンドは国王だ。娘が生まれたからといって、政務を疎かにする訳にはいかない。
「王宮に帰ってきたときくらい、ゆっくりすればいいのに」
グレイシアの一言には、苦笑を返すしかなかった。
それもいいだろう。そういうときがあっても、なんら問題なく国は回る。レオンガンドがいなくとも、国政を取り仕切ってくれる人間は何人もいて、ジゼルコートのような優秀な政治家に任せたほうがいい結果に繋がる場合も多い。しかし、レオンガンドは王としての自分を見失いたくはなかった。王として、ガンディアの頂点に立つものとして、常に気高くありたかったのだ。
そのためには、そうあるためには、王としての責務を全うし続けるよりほかない。
レオンガンドは、王都に帰還したその日の内に政務を再開したが、ルシオンに同行した側近たちには休むことを命じた。エリウスもジルヴェールも自分たちだけが休むことなどできるわけがない、といってきたが、レオンガンドは王命を理由に彼らを強引に休養させた。
バレット=ワイズムーンだけは、いつものことだと受け入れ、王宮を後にしたものだが。
「それで、練武の間で本当はなにがあったのだ?」
レオンガンドがセツナに問うたのは、その日の夜のことだった。政務を終えたレオンガンドは、自室にセツナを招き入れた。セツナには常に従者レムとラグナシア=エルム・ドラースなる小さなドラゴン、そして魔晶人形のウルクが付き添っていたが、大事な話ということで、彼女たちには部屋の外で待機してもらっていた。
「それについては、ミドガルドさんに話を聞くのが早いんですが」
「ミドガルドに?」
レオンガンドは、セツナが提示した人物に驚きを覚えた。まさか、ミドガルド=ウェハラムの名前が上がるなど、想像しようもない。
「彼が練武の間の状況とどう関係するというんだ? まさか彼が破壊したというわけではあるまい」
「もちろん、ミドガルドさん本人が破壊したわけではないんです。間接的に関わりがあるといいますか」
「……ウルクか」
「はい」
レオンガンドは、セツナが小さくうなずくのを見て、目を閉じた。ウルクは、この部屋のすぐ外にいる。魔晶人形なる人外の存在である彼女は、きわめて精巧に作られた人形でありながら、人間と同じように動き、言語を解し、意思を持っていた。ありえないことのように思えるが、現実に動いているのだから、受け入れるしかない。ドラゴンと同じようなものだ。神話に等しい存在だと思われていたドラゴンは、いまやとてつもなく身近な存在として認識している。ドラゴンは存在して当然という感覚が、いまのレオンガンドにはある。
魔晶人形のウルクがみずからの意思をもって行動するのも、いまとなってはごく当たり前のように受け入れていた。
その魔晶人形が、練武の間の分厚い壁に大穴を開けたという。恐るべきことだ。大問題に発展しかねないほどのことだ。
セツナが自分の責任としたのも、わからないではない。セツナが罪を被ることで、ウルクへの追求――引いてはミドガルドへの追及を交わし、ディール王国との関係の悪化を防いだのだ。
「あれにそれほどの力がある、ということか」
「はい」
セツナは、レオンガンドの言葉にうなずくと、そのとき練武の間で起きたことをすべて説明してくれた。
その日、練武の間にウルクがいたのは、ウルクがセツナの護衛をしていたからであり、セツナが練武の間で訓練中のシーラたちの元を訪れたからだという。そして、ウルクが城壁を破壊することに至ったのは、シーラがウルクの実力を図るため、訓練に誘ったことがきっかけだったらしい。シーラと対峙したウルクは、突如として右腕を掲げ、手のひらから光を放出、直後、手の先の壁が破壊されたということだった。
それだけでは、ウルクがなぜ壁を破壊するに至ったのかはわからない。
「ミドガルドさんの話によれば、ウルクが興奮状態に陥り、制御不能になったということだそうです」
「興奮……制御不能……?」
要領を得ない。
「それにより、ウルクが右腕部内蔵波光大砲を使用したそうなのですが、ミドガルドさんが今後の事も考え、それら内蔵武装に封印処置を施したとのことです」
(内臓武装……)
ウルクには、練武の間の壁を破壊することのできる武器がいくつも内蔵されている、ということだろう。魔晶人形は戦闘兵器だという。なんらかの武器が内蔵されていたとしてもなんら不思議ではないし、おかしいことでもない。とはいえ、分厚い壁に大穴を開けることのできる破壊力を持った兵器を内蔵しているなど、想像しようもなかったことだし、驚愕に値することでもある。すなわち、召喚武装に匹敵するということだ。
「封印処置とはつまり、もう二度とそのような事は起きない、ということか?」
「はい。少なくとも、今後興奮状態に陥ったとしても、制御不能になったとしても、波光大砲やそれに準じる内蔵武装が使用されることはないとのことです」
「ふむ……」
「そもそも内蔵武装など使用しなくとも十分に強いでしょうから、単体の戦力としてそこまで低下するというものでもなさそうです。暴走して味方を巻き込まなくなったと考えれば、今回の事件は起きてよかったと考えるべきでしょうね」
「ミドガルドがそういっていたか」
「はい。ミドガルドさんにも想定外の出来事だったらしくて」
セツナが苦笑したのは、そのときのミドガルドの顔を思い出したからなのかどうか。
ミドガルドに直接聞いてみるのもいいだろう。
「興奮……な」
「ウルクが制御不能になったことなんてこれまで一度もなかったらしいですよ」
「なぜ、興奮したのかは聞いているのか?」
「ミドガルドさんにいわせると。俺のせいみたいです」
「君の?」
レオンガンドは、セツナの目を見た。血のように赤い目が、こちらを見ている。その目には困惑が浮かんでいて、彼自身、よくわかっていないとでもいうような感じだった。実際、そのようなことをいってくる。
「俺にはよくわからないんですが、ウルクが俺に見られていることで興奮して暴走したのではないか、と、ミドガルドさんは分析されていました」
「……君は、なんなんだ?」
レオンガンドが苦笑交じりに尋ねると、セツナも苦笑いを浮かべた。そうするしかあるまい。レオンガンドの問いも要領を得ないものだし、どう答えていいのかわからないようなものだ。
「ベルやミリュウはわかる。エインもな。死神もいいだろう。しかし、ドラゴンや魔晶人形までが君を求め、君の側にいたがっているのは、不思議だな」
「不思議……ですね」
それが悪いこととはいわない。むしろ、ガンディアの戦力増強に直結しているのだから、喜ぶべきことだろう。ラグナにせよウルクにせよ、セツナがいなければガンディアの戦力になることなどなかったのだ。セツナひとりでも十分過ぎる戦力なのだが、セツナに加え、ドラゴン、魔晶人形といった戦力が加わることで、ガンディアは過剰なまでの戦力を得ることができた。
小国家群統一には、戦力が多すぎて困ることはない。むしろ、多ければ多いほどいい。圧倒的な戦力を持てば、戦わずして勝利することも難しくはないのだ。
なにも戦うだけが能ではない。
いや、戦争での解決など、下策も下策なのだ。力による制圧など最終手段だ。戦争には犠牲がつきものだ。出費も痛いし、失うものも大きい。無傷の勝利など、通常、ありえない。その点、戦争以外のほうほうで問題を解決することができれば、人的被害を出すことはないだろう。少なくとも、戦争によって失う犠牲よりはずっと少ないはずだ。
そんなことをよく考えるようになったのは、昨年から今年の春にかけての連戦がいまになって堪えているからなのかもしれない。
「しかし、そんな不思議な魅力を持った君がわたしの元にいてくれる。そのことが、わたしにはこの上なく嬉しいのだ」
レオンガンドが素直な気持ちを告げると、セツナは、照れたような笑顔を浮かべた。
「俺には自分に魅力があるかどうかとかわかりませんけど、それが陛下のためになるのなら、嬉しいことです」
セツナのそういう言葉が、単純に嬉しかった。