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第百十二話 矛と姫

「あなたが黒き矛さん?」

 セツナが声をかけられたのは、バルサー要塞の城壁で夜景を眺めている時だった。

 王都ガンディオンを出発して、半日が経過しようとしている。進んだ距離は僅かで、ログナー方面に出ることもかなわなかった。結果、バルサー要塞で一夜を過ごすことになったのだ。

 今朝、ファリアに叩き起こされたセツナは、出発準備で大騒ぎになっていた王宮で今回の任務について聞かされた。レオンガンド王のマイラム行きに護衛として同行しろ、というだけの話ではあったが、王の身辺警護という王立親衛隊らしい任務には気が引き締まった。護衛人員が《獅子の尾》隊だけだというのが余計に緊張感を高めたが、同時に光栄でもあった。それほどまでに信頼されているのだ。そう思うと、筋肉痛や全身の痛みなど気にならなくなった。

 レオンガンド以外の同行者は、彼の側近ふたりと雑用のための使用人が数名、それに《獅子の尾》隊の三名だけの予定だった。しかし。

 振り返ると、女性が立っていた。昼間に見たときは褐色の肌の持ち主だとわかったのだが、夜の闇ではその美しさが損なわれてしまっていた。ナージュ・ジール=レマニフラ。どうやら、数日前にクレブールからガンディオンへの移動に際し護衛した人物であるらしい。ファリアに聞いた話だが。

「は、はい」

「そんなに緊張しなくてもいいのに」

 ナージュは、こちらの緊張した様子がおかしかったのか、快活に笑った。しかし、緊張するのも当然だった。彼女は南方の国のお姫様であり、レオンガンドと結婚するかもしれないと噂されている人物である。姫ということでただでさえ緊張するというのに、レオンガンドと結婚した場合、セツナの主筋となるのだ。言動に慎重になるのも当然だった。

「クレブールから王都までの護衛、ご苦労様でした。あのとき、声をかける機会がなかったのが残念だと思っていたのよ」

「あ、ありがとうございます。なんていったらいいのか……」

「普通に話してくれるとありがたいのだけれど。わたしはただのナージュで、あなたはただのセツナ。そういう感じで、ね」

「し、しかし」

 ここはバルサー要塞だ。かつてはガンディアの防衛の要であったが、ログナーを制圧したいま、その機能を失いつつあるものの、重要拠点であることには違いない。ひとの目も、耳もある。迂闊な言動はできない。たとえ、王宮召喚師という立場になった現在でも、調子に乗ってはいけないのだ。足場などたやすく崩れる。居場所なんて簡単になくなる。

「……案外、つまらないのね。もっと破天荒な性格なのかと思っていたのだけれど」

「えーと……」

 ナージュが勝手に落胆したことには腹も立たなかった。黒き矛の評判からくる想像上のセツナとの落差が、あまりに激しいのだろう。

 セツナは、自分という人間が必要以上に宣伝され、過大評価されているという現実を知っていた。ガンディアの黒き矛の名は、大きな宣伝材料だったのだろうし、喧伝するにたる戦果をあげることができたのも事実なのだろうが、それにしたって限度というものがあるだろう。もっとも、国の方針に異論を挟む気はさらさらないし、利用できるだけ利用してもらえばいいと思っていた。

 その結果、彼女のような思い込みや勘違いが生まれても、それは仕方のない事だ。

 ナージュが、値踏みするような目で、こちらを見てくる。じっくり見ると、息を呑むほど美しい女性だった。大きな目が、ブラックダイヤモンドのように輝いている。

「ひとつ、聞かせてほしいことがあるの。それくらいなら、いいでしょ?」

「も、もちろんです」

 問の内容によっては答えられないが、それは相手も織り込み済みだろう。

「あなたにとって、レオンガンド陛下はどんな方なのかしら?」

 質問は直球だったが、答えられないような問題ではなかった。むしろ、答えやすいものだといえる。とはいえ、回答は慎重にしなければならない。相手の立場も、こちらの立場もある。ありのままの思いを答えた結果、レオンガンドの不興を買うことになったら目も当てられない。

「陛下は、わたしにとって唯一無二の主で、全身全霊で仕える所存でありまして」

 ぎこちない敬語で答えようとすると、ナージュはあからさまに不機嫌そうになった。半眼で、告げてくる。

「あーもう、わたしが聞きたいのはそういうことではないのよ」

「は……?」

「陛下は、わたしの夫になるかもしれないのよ? 性格とか、考え方とか、そういうことを知っておきたいの」

「は、はあ……でも、それをどうしてわたしなんかに?」

「あなたは陛下に信頼されているっていう話だし、いろいろ知っているんじゃないかと思ったのよ」

 こちらの言動にあきれきった姫の姿に、セツナは少しばかり動揺した。これは失態ではないのか。彼女の不興を買うのも、将来的にまずいような気がする。いや、ナージュがレオンガンドと結婚すると決まったわけではないが、ガンディアがレマニフラと同盟を結ぶのは、十中八九間違いないらしい。とすると、結婚する可能性も低くはなかった。

 政略結婚である。ガンディアの姫が同盟先のルシオンに嫁いだように、結婚によって同盟の絆を深めようというのは、ありふれた話だという。

「あなた、本当にセツナ・ゼノン=カミヤ殿なの?」

「それは間違いないです……」

「なんで自信なさげなのよ」

 ナージュが屈託なく笑った。レマニフラの王女というだけで緊張していた自分が馬鹿らしく感じるほどに砕けた態度だったが、かといって気を抜くことは許されない。彼女は高貴な女性であり、セツナは一般人に過ぎない。いや、一般人ですらない。異世界人。ファリアの言葉が脳裏を過る。

「まあ、いいわ。本人と話せばわかることよね」

 最初からそうしてくれていれば、この緊張感に満ちた時間もなかったのに――とは、思っても口には出さなかった。心証をこれ以上悪くしたくはない。

「でも、話す時間もあんまり取れないのよね。こちらから接触を持とうとしても、振られるのよねえ」

 しょんぼりと肩を落とす王女に、かけるべき言葉も見当たらなかった。彼女は、レオンガンドに並々ならぬ興味を持っているのだろう。結婚するかもしれない相手だ。それも当然なのかもしれない。では、レオンガンドはどうなのか。彼女に興味が無いのだろうか。いや、そうとは言い切れない。レオンガンドはいま、多忙を極めているのだ。ゆっくりと言葉をかわす暇もないのだろう。

 とは思うのだが、それを言葉にして伝える勇気は、セツナにはなかった。

 遠くから、彼を探す声が聞こえた。

「セツナー! どこにいったのー!」

「タイチョー! タイチョードノー!」

 ファリアはともかく、ルウファのぎこちない呼び声に、セツナは苦笑した。《獅子の尾》隊が発足して一月も経っていない。大した任務もなく、ましてや戦争に出撃したこともない。隊長と呼ぶのにも慣れないだろうし、呼ばれるのも慣れていなかった。

「あなたを探してるみたいよ、隊長さん」

「いっても、いいですか?」

「ええ、もちろん。あなたを拘束する権利があるのなら、一晩中会話するのもいいのだけれど」

「はは……」

 本気とも嘘ともつかないような口ぶりに、セツナは笑って誤魔化すしかなかった。

「また、お話してくれるかしら?」

「ナージュ様がよければ」

「ありがと」

「いえ」

 ナージュに対し、深々とお辞儀をする。礼を失するようなことがあってはならない。そう思うと、お辞儀の角度まで気になってくるものだったが、それくらいの角度が最適解なのかわからず、セツナは混乱しかけた。儀礼作法の疎さにだけは自身があるのだ。王宮召喚師の叙任式でも、緊張しまくって頭の中が真っ白だった。なにがどうだったのかさえ覚えていない。記憶にあるのは、儀礼用の装束を纏ったレオンガンドの神々しい姿と、その言葉だけだった。

 ナージュの足音が離れていくのをじっと待ち続ける。全身が筋肉痛を訴えてくるが、そんなものに構ってなどいられなかった。いまは、失礼のないようにすることこそが先決であり、自分の体のことなど知ったことではない。

 しばらく待ってから顔を上げ、ナージュの姿が見えなくなっていることを確認する。それからようやく胸を撫で下ろした。緊張感から解放されて、その場にへたり込む。

 セツナは、王侯貴族を前にすると、どうも自分ではいられなくなるらしい。それが小市民というものかもしれず、一般人の限界なのかもしれない。王宮召喚師という肩書があっても、つけている人間がこれでは、称号も勿体ないのではないかと思わないではない。

 立場が人を作る、ともいうが、立場に見合った人間になれるまでにどれくらいかかるのだろう。セツナは自分の情けなさに泣きたくなった。しかし、悔いてばかりもいられない。

 立ち上がり、いまだに聞こえる声の主を探した。ファリアの姿は城壁の下に見つかったが、ルウファはどこを探しているのか、まったく見当たらなかった。

 要塞の夜は更けていく。


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