第千百二十六話 敵か味方か(十)
「ハルベルク陛下、万歳! 新国王陛下、万歳!」
ルシオンの新国王ハルベルクの戴冠式が無事に終わり、新たな国王が誕生した。そのことを国民に報せるため、新国王ハルベルクを乗せた馬車が王都セイラーンを行進し、王都は興奮と熱狂に包まれた。ルシオンの人々は、だれもがハルベルクの王位継承を喜び、口々に新国王の誕生を祝福し、全身で感激を現したりし、セイラーンは凄まじいまでの人出で賑わった。
行進を彩ったのは、きらびやかな鎧兜を身につけた白聖騎士隊や白天戦団の隊列であり、一糸乱れぬ行進模様は、さすが尚武の国ルシオンだと人々をうならせ、感動させた。関係各国からの招待客の多くも行進を見学し、ルシオン軍の統率の取れた行軍の様を目の当たりにして、これがルシオン軍の強さの秘密なのかというものもいた。
音楽隊の奏でる旋律が王都を包み込み、歓声が王都を揺らすほどに響き渡る。
まるで夢のような光景だった。
そして、その夢は、行進の後も続いた。
行進が終われば、セイラーン城にて宴が開かれることになっていたのだ。
近隣諸国から招かれた要人たちは、ルシオンの新王誕生を祝福する一方、各国間の交流の場として、宴を大いに活用するつもりであり、それはガンディアからの参加者にも変わりがなかった。もっとも、政治的な用向きを行うのは、デイオンの仕事ではない。レオンガンドや彼の側近たち、ジルヴェール、エリウスの役割であり、デイオンは大将軍アルガザードの相手をしていればよかった。
静天の間からセイラーン城大広間へと移動した一同を待ち受けていたのは、贅を尽くした料理の数々であり、数えきれないくらいの種類の酒だった。
新王ハルベルクは、王子妃から王妃となったリノンクレアとともに主賓席にいて、相変わらずの仲睦まじさを大いに主張したりした。
デイオンたちは、主賓席の様子がよく見える場所に陣取った。ガンディアの人間が一番場所を取っているのだが、それは仕方のないことだ。ガンディアはルシオンと長らく同盟国を続けている。そのルシオンで戴冠式のような重要な式典があり、参加要請があったのだ。しかも、新王となるのは、ガンディアの勝利に多大なる貢献をしてきたハルベルクとあらば、ガンディアは全力を出さざるをえない。
国王レオンガンドはいわずもがな、大将軍に左眼将軍、領伯にふたりの親衛隊長まで参列していて、他の国々からの参列者たちから思わずため息が漏れたほどだった。
レオンガンドや彼の側近たちは各国首脳との交流のために席を離れることしばしばであり、デイオンが面倒を見るべきアルガザードも席を離れ、遠くイシカから訪れた弓聖サラン=キルクレイドと話し合ったりしていた。アルガザードはガンディアの大将軍であり、有名人だ。彼がイシカの弓聖と談笑していると、各国の将が集まり、軍談に花が咲いたかのような空気を見せていた。
デイオンは、ガンディアが専有する席に残されたものの、別段、なにも思うことはなかった。デイオンは、自分の役割というものを認識しているし、それ以上のなにかをしようとは思わなかった。ガンディアの左眼将軍として必要なことをするだけのことなのだ。
「将軍は、他国の方々に話しかけたりしないのですかな?」
そう尋ねてきたのは、ふらりと席に戻ってきたジゼルコートだった。ジゼルコートは、引き連れていたものたちに席を外すように伝えると、デイオンの隣に腰を下ろした。ジゼルコートは領伯である。ガンディアにおける立ち位置としては、ジゼルコートのほうが上といっていい。そもそも、ジゼルコートは王弟であり、デイオンは昔から彼を敬い、尊ぶことを忘れなかったが。
「ええ、まあ。わたしが他国の方と交流を持ったところで、どうなるものでもありませんからな」
「そうですか? デイオン将軍といえば、いまやガンディアを代表する将のおひとり。近隣国の方々ならば、将軍と面識を持ちたいと思われるのでは?」
「わたしなど、ガンディアを代表する将とはいえますまい」
デイオンは、あからさまにこちらを持ち上げている言葉に、苦笑さえ浮かべて頭を振った。左眼将軍とはいうものの、名ばかりの役職であることは認識している。軍の頂点には大将軍がいて、つぎに列せられるのは右眼将軍ことアスタル=ラナディースであることは、だれの眼にも明らかだ。ログナーの飛翔将軍は有能で優秀、非の打ち所のない完璧な人物であり、デイオンでは並び立つこともできなかった。
だから、というわけではないが、デイオンはみずからの価値をよく理解していたし、同国人からも他国人からもそれほど重きを置かれているとは想っていなかった。実際、そうだろう。デイオンが成し遂げたことなど、なにがあるのか。ガンディアの英雄や軍師のようなきらびやかな活躍などなにひとつない。ただ、将として与えられた任務をこなしてきただけのことだ。人目を引くような功績など、いっさいなかった。
「クルセルク方面平定の手腕、デイオン将軍ならではでしょう?」
「アスタル将軍ならば、もっと上手くやれたのではないか、と思わないではありませんよ」
「そう、卑下するものではない」
ジゼルコートの目が、鈍く光る。
「将軍、あなたは自分の価値を知らないからそういうのだ」
「価値……」
反芻する。
何度となく聞いた言葉だ。価値。特にジゼルコートは、よく、そういう言葉を使う。価値。デイオン=ホークロウには価値があるのだ、と。
レオンガンドが“うつけ”であったころからガンディアの将であるという立ち位置を守り続け、シウスクラウドのみならず、レオンガンドにも同等の忠誠を誓ってきたデイオンには、ログナー人のアスタル=ラナディースにはない価値があるというのだ。
アスタルになくてデイオンにあるもの。
それは、デイオンがレオンガンドを裏切ることはないだろうという確証である。
だからこそ、デイオンにこそクルセルク方面を一任したのだろうし、アスタル=ラナディースにはガンディア本国近郊のミオンを任せるにとどまったのだ、と。
「しかし、つぎの大将軍となると、アスタル将軍に分があるというべきでしょう」
ジゼルコートが声を潜めたのは、聞かれると問題になりかねない発言だったからだ。大将軍が交代するということは、現在の大将軍であるアルガザードが大将軍の座を降りるということであり、それはアルガザードが軍を辞めるか、死ぬかのどちらかでしかない。そして、アルガザードが軍を辞めることなどありえないということを考えると、アルガザードの死を暗示していると受け取られても仕方がないような発言だった。
聞かれれば、問題になりかねない。
もちろん、だれもが考えていることではある。アルガザード・バロル=バルガザールは、有能な人物だ。それこそ、デイオンやアスタルでは足元にも及ばないほどの威厳や貫禄があり、彼ほど大将軍に相応しい人物もいない。アルガザードが大将軍という新設の位に抜擢されたとき、だれもが当然のように受け入れたことからも、アルガザードの評価の高さがわかる。
そして、アルガザードが老齢であるということも、誰もが知っている事実なのだ。齢六十を過ぎ、なおも戦場に出られること自体驚嘆するべきであり、いまもなお武人として戦い続けられることは恐るべきことなのだが、彼もまた、ただの人間なのだ。人間はいつか死ぬ。そればかりは、だれにも避けられない。この世の道理といっていい。早いか遅いかの違いでしかない。そして、アルガザードの死は、そう遠くはあるまい。
アルガザードはここのところ、目に見えて衰え始めていた。
「陛下は、ログナー人を優遇するところがある」
とは、ジゼルコートだけがいっていることではない。
クルセルク平定中、何度となく聞いた言葉であり、聞くたびにデイオンはそう発言したものを注意したものだ。
「道理でしょう」
デイオンは、食事を続けながら、告げた。
ログナー人の優遇は、アスタル=ラナディースが右眼将軍に抜擢されたことがきっかけとなって、影で囁かれるようになったのだが、それは仕方のないことだった。ログナー人には優秀な人材が多い。飛翔将軍アスタル=ラナディースを始め、現在参謀局の作戦室長として名を馳せるエイン=ラジャール、ログナー方面軍大軍団長グラード=クライドなどはガンディア軍でも名の通った人物だ。現在、ガンディア軍の中核をなしているといっても過言ではなかった。
そんな優秀な人材が評価されないわけがないのだ。
特にレオンガンドは、実力さえあれば出自を問わないというところがあり、どんな人間であっても、能力さえあれば取り立て、役職を与えている。セツナなどその筆頭だろう。どこの馬の骨ともしれない少年がいまやガンディアにおいてふたりしかいない領伯のひとりなのだ。ほかの国では考えられないようなことを、レオンガンドは平然と行っている。だからこそ、ガンディアの支配下に組み込まれた国からも続々と仕官してくるものがいるのだ。出自に囚われず、才と能力だけで評価してくれるというのだから、腕に覚えがあるものならば挑戦してみようと思うものだろう。
レオンガンドの実力主義は、ザルワーンのミレルバス=ライバーンにも似ている。が、ミレルバスほどの苛烈さがあるわけではなく、能力のない門閥貴族にもそれなりの立場や役職を与え、不平や不満を最小限に抑えている。そのあたり、レオンガンドの才覚なのか、ナーレスの入れ知恵なのか、デイオンにはわからない。
ともかく、実力主義がガンディアをここまで強大化させた以上、実力のあるログナー人が優遇されるのも当然のことなのだ。
「道理?」
「ログナー人が優遇されるのは、ログナー人だからではない、ということです」
デイオンは、ジゼルコートから目を逸らしながら、にべもなく告げた。皿の上の野菜を口に運びながら、会場内に視線を彷徨わせる。会場にいるログナー人といえば、エリウス=ログナーくらいのものだ。アスタル=ラナディースは、ミオン方面の任務を終えてすぐにアバードに飛び、ログナー方面軍の各軍団長は任地での職務に当たっている。参謀局のエイン=ラジャールは、《獅子の尾》に出向中であり、《獅子の尾》は隊長のこともあってガンディオンで待機している。その点、エリウスは自由に動くことができた。
彼は、ログナー最後の国王だが、いまではレオンガンドの側近となっている。いまも側近のひとりとして、各国首脳の席を訪問して回っているレオンガンドに付き従っている。
「アスタル将軍やエイン=ラジャールが取り上げられるのは、彼らの能力を考えれば、当然のこと。むしろ、彼らほどの優秀な人材を無下にするような国ならば、ここまで急速に発展できませんでしたよ」
「なるほど。それも一理ありますな」
ジゼルコートはうなずいてみせたが、そのまなざしは、デイオンの解答に満足していないものだった。
「しかし、デイオン将軍は、どうお考えなのです?」
「わたし? わたしは、わたしのなすべきことをなすだけですよ」
「その結果、大将軍の座をアスタル将軍に取られても構わぬ、と?」
「もちろん。わたしは、将軍位になどこだわってはいませんよ。位など、結果に過ぎません。大事なのは、わたし自身がいかにガンディアのために力を尽くしてこられたか、ということです」
「将軍位は、そういった国への功績を図る要素のひとつだと思うのですが」
「それは……そうでしょうね。閣下が大将軍に任じられたのも、閣下の功績を評価されてのこと」
閣下とは、アルガザード・バロル=バルガザールのことだ。ガンディアにおいて、将軍のことを閣下と呼ぶことは稀だが、大将軍に対しては閣下と呼称するのが通例である。なぜ、いつからそうなったのかはともかく、アルガザードが大将軍に就任してからというもの、だれもがそう呼ぶようになった。アルガザードは当初、その呼び方を照れくさいといい、嫌っていたが、いまではもう慣れているらしい。
「なれば、デイオン将軍こそ、つぎの大将軍に選ばれねばなりますまい」
ジゼルコートの目が、鈍く輝いていた、
「デイオン将軍は、これまでガンディアのために骨を砕き、身を粉にして戦ってこられた。そのことは、陛下のみならず、臣民のだれもが知っております。そこでアスタル将軍が大将軍の後継となられることなど、あってはならない。それは、将軍を無価値に貶めることでしょう」
「無価値に」
「ええ」
ジゼルコートは、静かに肯定してきた。彼の声は、ともすれば宴の喧騒に掻き消えそうなほどに小さい。隣に座っているデイオンでさえ、ちょっとしたことで聞き逃してしまうのではないかという恐れがあった。それでも、聞き逃すことなど想像出来ない。
ジゼルコートは、そういう男だ。必ず、相手の耳に言葉を届けることができるのだ。
(価値……わたしの価値か)
デイオンは、ジゼルコートと見つめ合い、しばし沈黙した。沈黙の中で思考を巡らせる。
新王が誕生したばかりのルシオンの前途を祝する宴は、いままさに最高潮を迎えていた。