第千百二十四話 敵か味方か(八)
「セツナちゃん、弁償なんてしなくていいわよ。練武の間は、訓練施設。訓練中に壊れたのなら、なんの問題もないわ。セツナちゃんとカオスブリンガーちゃんの力を考慮しなかった壁がいけないのよ。つぎはもっと分厚く、硬い壁にしなくちゃ駄目ね」
練武の間の壁に開いた大穴をまじまじと見つめながら、グレイシアは、そんな風にいった。対して、セツナは恐縮しっぱなしといった態度で、グレイシアがセツナの頭の上がらない数少ない人物であることを思い知る。
「しかしですね」
「いいのよ。気にしちゃ駄目よ。あなたはガンディアの英雄で、あなたにはさんざん助けられてきたんだから、ときには国に甘えてもいいの」
「はあ……」
「それにしても、さっすがセツナちゃんねえ」
「セツナらしいというか、なんというか」
セツナの隣に立ったミリュウが、彼を横目に見ながらぼやくようにいった。圧倒的な破壊力は、黒き矛のセツナらしいといえば、らしいだろう。しかし、王宮の壁を破壊するとなると、セツナらしいとはいえまい。彼がそのようなことを配慮できないわけがないのだ。
「やりすぎですけどね」
「だから、すまないって」
「なんにせよ、だれも巻き込まなくてよかったですよ」
「ああ、そうだな」
セツナは、反省しきりのようだった。当然だろう。故意ではないとはいえ、王宮に穴を開けてしまったのだ。訓練中に興奮したからといって王宮を破壊するなど、あるまじきことだ。太后グレイシアから許しがでたからいいものの、本来ならなんらかの処分がくだされるところだった。それがたとえガンディアの英雄であっても、だ。
王宮は、ガンディア人にとって神聖な領域だ。王宮区画そのものが聖域といってよく、王宮や関連施設もすべて聖なる建物だった。それを破壊するなど、ガンディア人からしてみれば考えられないことであり、ルウファは、セツナが犯人だとわかったとき、頭を抱えたくなったものだ。もちろん、セツナがガンディア王家を心から敬愛していて、忠誠を誓っていることもしっているから、彼に対して怒りが沸いたりするということはなかったが。
「だれかを巻き込むようなことがなくてよかった」
セツナのほっとしたような一言は、どこか他人事のようで、ルウファは奇妙に感じた。セツナが自分のしでかしたことに対してそこまで無関心でいられるわけがなかった。
セツナがやったのではないのではないか。
そんな疑問が沸く中、グレイシアがウルクに歩み寄るのが見えた。ウルクが、グレイシアを一瞥する。双眸から漏れる光が、彼女が非人間であることを示している。
「なんですか?」
「ウルク、この方はな」
「いいのよ、セツナちゃん。わたしが無作法だったのよ」
グレイシアは、なんでもないことのようにいう。
「あなたがウルクちゃんね」
「はい。わたしはウルクです。あなたはだれですか?」
「わたしはグレイシア・レイア=ガンディアよ。この国の王様の母親なの」
「グレイシアですね。記憶しました」
人形たるウルクには地位や立場など理解できないのかもしれなかったが、だからといってセツナが慌てないわけにはいかなかったし、ルウファも内心ひやひやせずにはいられなかった。
「す、すみません、ウルクのやつ、言葉遣いがなっていなくて」
「なぜセツナが謝るのですか?」
「おまえは一応、俺が預かってるんだから、当然だろう」
「意味がわかりません。なにを謝っているのか、と聞いているのですが」
「だからさ」
「うふふ、話に聞いたとおりね」
「太后殿下?」
「お人形さんみたいに可愛らしいわ」
そういって、グレイシアはウルクを抱きしめた。ウルクは、グレイシアに抱きしめられたまま微動だにしなかった。混乱したミリュウとは正反対の反応だが、それは彼女が魔晶人形であることに起因するのだろう。
彼女に感情はない、という。
言葉遣いがだれに対しても一定なのもまた、彼女が人形であり、人間らしい感情を有していないからなのだろう。
グレイシアがそんな彼女を怒ったりしないのには、安堵したが。
ルウファは、ウルクを見つめるセツナの微妙な表情に疑問を抱いたりした。
「それで、本当にセツナ様がやったんですか?」
エイン=ラジャールに問いかけられたのは、参謀局の一室だった。参謀局は、王宮区画内に本部施設を持っている。国内の情報を一手に引き受ける組織という性格上、本部は群臣街に置くよりは王宮区画に置いたほうがいいと判断されたのだろう。参謀局本部には、多数の参謀局職員が働いているのだが、セツナがいまいる部屋には、エインしかいなかった。
セツナが、それを望んだからだ。
「そういうことにしておいてくれ」
セツナは適当に告げて、エインの部下が出してくれたお茶を口に含んだ。喉が渇いている。
セツナが参謀局を尋ねたのは、エインに呼ばれたからにほかならない。エインは、練武の間でなにが起きたのか、張本人ということになっているセツナから問いただしたかったようだ。あれから二時間余りが経過している。
いつも一緒にいるレムとラグナは、部屋の外で待機しており、護衛として付き従っているウルクは、ミドガルドの元に赴いていた。ウルクは躯体を検査してもらう必要があるらしい。
「……やっぱり、セツナ様じゃないんじゃないですか。なんで隠す必要があるんです?」
「事情が事情だからな」
「ウルクですか」
「察しが良いな」
「ほかには考えられませんからね」
「ラグナの魔法っていう可能性は?」
セツナは、意地悪に質問した。セツナ以外にウルクしか考えられないとはいうのは確かにその通りだが、ラグナは、かつて凄まじい破壊をもたらしたドラゴンなのだ。そのことはエインも知っているはずで、彼が本気を出せば王宮を破壊し尽くすことくらい造作もないことだってわかっているはずだ。
「ラグナがいまの姿になって攻撃性のある魔法を使った記録がありませんし、使えたとしても、セツナ様の命令を無視するとは思えませんから。そして、セツナ様がそのような命令を下すわけがない」
「そのとおりだな」
セツナは、エインの推察に嘆息さえ浮かべた。反論の余地さえなかった。ラグナは、どういうわけか、セツナの命令に従順だ。万物の霊長を誇り、人間を下に見ているというにもかかわらず、彼はセツナのいうことだけは守った。主従の契は、言葉だけのものではないということだろう。
「それで、なにがあったんです?」
「……俺にもよくわからない」
「はい?」
エインが困ったような顔をした。
「あのとき、ウルクとシーラが木剣を使って稽古をしていたんだ。シーラがさ、ウルクの力を知りたがってな」
「シーラさんらしいですね」
「ああ。そこまではよかったんだ。ウルクも剣の使い方は知ってるって話だったからな。けどさ」
脳裏には、練武の間での訓練の光景が浮かんでいる。木剣を手に対峙するシーラとウルク。シーラはやや緊張した、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべていて、ウルクは常と変わらぬ無表情だった。木剣を構えるシーラに対し、ウルクは剣を手にぶら下げているだけのような体勢だった。そのまま、戦闘が始まったのを覚えている。
「戦闘が始まった途端、ウルクのやつが壁に向かって光を放ったんだ」
「ひかり?」
「そう、光。綺麗だったな」
突如としてウルクの右手から放出された光は、シーラを襲いかかったのではなく、だれもいない空間を貫き、壁に激突した。分厚い壁に大孔を開けるほどの破壊力を持った光だ。シーラに向けて放たれていたら、壁を破壊するよりもとんでもないことになっていただろう。考えたくもないことだ。
「その綺麗な光が壁を破壊した、と」
綺麗な光。
魔晶灯の冷ややかな光を何倍にも強くし、膨大化したような光だった。実際、魔晶石の光だったのかもしれない。彼女は、それを右腕部内蔵波光大砲などと呼んでいた。波光とは魔晶石の光のことだ。つまり、彼女は波光で砲撃したということになる。砲撃。確かに、砲撃としかいいようのない代物だったが。
「そういうことだ」
「なるほど、そういうことですか」
エインがにっこりと笑った。セツナが言いたいことをすべて理解してくれたようだった。エインほど察しが良い人間はそういるものではない。セツナがエインを頼りにする理由のひとつがそれだ。一から十までいわずとも理解してくれるのは、ありがたかった。
「それで、セツナ様はウルクを庇うため、黒き矛を召喚した、ということですね?」
「ああ。大事になるのは、だれにとってもいいことじゃないだろ?」
ウルクが破壊したとなれば、大騒ぎになるのは明白だ。ただでさえ、ミドガルドとウルクは、その存在が疑問視されているのだ。ミドガルドたちに利用価値を見出しているレオンガンドやエインならばいざしらず、ふたりの存在に疑問を持っているものからすれば、このような大事件ほど叩きやすいものはないといえる。彼らへの糾弾が巻き起これば、ミドガルドたちもガンディア国内から退去せざるを得なくなるかもしれない。ミドガルドがウルクを使って王宮内で破壊活動を行ったとでもでっちあげれば、いくらでも世論を煽ることができるのだ。
もっとも、セツナはそこまで考えて黒き矛を召喚したわけではないが。
そして、ウルクを始め、あの場にいた連中には、口止めもしている。皆、セツナ配下のものばかりだ。彼の命令を聞かないわけがない。果たして、練武の間破壊事件は、セツナが犯人ということで周知徹底された。練武の間は、取り急ぎ修復されることになったが、修復が終わるまでは使えなくなったため、そのことでシーラが嘆き悲しんでいた。
「そうですね」
エインがまたしても微笑む。
「しかし、ウルクにそんな力があったとは驚きですね」
「本当にな。それがしばらくはガンディアのために使えるっていうんだからな」
「ええ。いい取引をしたと想いますよ」
「俺を調べられても、痛くも痒くもないもんなあ?」
セツナが睨みつけるようにすると、彼は慌てて話題を変えた。多少なりとも後ろめたいものがあるのかもしれない。
「えーと……それで、ウルクはいまどちらに?」
「ミドガルドさんのところ。自分でもなにが起こったのかわからないっていってたからな、調べてもらうんだろ」
「つまり、ウルク自身の意志で破壊したわけではない、と」
「そうらしい」
セツナは、エインの言葉に頷くと、壁を破壊したあと、呆然とするウルクの姿を思い出した。
彼女は、光を発した右腕と壁の大穴を見比べていた。
「ミドガルド。なにが起こったのか、わかりましたか?」
蓋の空いた調整器の中で上体を起こしたウルクが、こちらを見るなり、おもむろに尋ねてきた。
ミドガルドは、そんな彼女の様子を見て、手元の書類に視線を戻す。書類には、調整器と連結したウルクの躯体から得られた情報を書き記してある。ここ数時間以内の波光量の変動が手に取るようにわかり、二時間ほど前、つまりウルクがシーラと木剣の訓練を行おうとしたちょうどそのとき、突如としてウルクの躯体に供給されていた波光に乱れが生じていることが判明している。そういった乱れは、これまでにも見られている。
心核から一度に大量の波光が供給されるという現象のことを、ミドガルドは個人的にこう呼んでいた。
「興奮したようだね」
「興奮?」
ウルクが小首を傾げる。
彼女には言葉こそ理解できても、実感としては理解できないものかもしれない。ウルクは人形で、人間らしい感情を持ちあわせてはいないのだ。
だが、興奮とでもいうべき事象を何度となく確認していることもあり、ミドガルドは、彼女には感情があるのかもしれない、と想うようになっていた。
「おそらく、セツナ伯サマに見られていたことが原因だろうね」
ミドガルドは、断言した。その場にセツナがいなければ、ウルクはシーラとの木剣による訓練をやり遂げることができただろうし、シーラを満足させる結果に終わっただろう。
これまでも彼女が興奮に陥った場には、必ずセツナがいた。いや、セツナと逢ってからだ、というべきか。ウルクの心核が大量に波光を放出するのは、セツナがいて、おそらく彼の視線がウルクに注がれているときだった。記録からは、そう窺える。セツナがいない場所では、そういった現象は一切見受けられなかった。
なぜそんなことが起きるのか。
ミドガルドは、原因を突き止めるまでは頭を悩ませたものだったが、セツナが原因だということがわかれば納得もできるというものだった。
そもそも、ウルクの心核では、セツナが放出している特定波光に強く反応を示す黒魔晶石だ。ウルクは、特定波光を感じないかぎり起動することさえできなかった。現在、彼女が常時起動しているのは、特定波光の持ち主であるセツナが近くにいるからであり、セツナがいなくなれば、また停止状態に戻るかもしれないのだ。ウルクは、それほどまでにセツナの影響下にある。セツナが近くにいることで特定波光を多く感じ取れば、黒魔晶石が波光を大量に放出し、彼女を興奮させるのも、わからなくはなかった。
そして、彼女が波光大砲を使ってしまったのは、波光の供給過多による機能不全というべきで、改良、改善の余地があるということでもある。というより、そこに手を入れなければ、彼女を実戦に投入することなどできるわけがないのだ。
ウルクがガンディアの戦いに参加するということは、セツナの側で戦うということだ。セツナの側で戦うということは、常に今回みたいな興奮状態に陥る可能性がある。そうなれば、敵のみならず、味方に被害が出るだろう。
戦争などそうすぐには起きないだろうから、それまでに機能不全を改善すればいいだけのことではあるし、それくらい、ミドガルドの手腕ならば不可能ではない。
「いっている意味がわかりません」
「そうだね。わたしにもよくわからないよ。実際のところ、君が興奮することもそうだが、興奮のあまり波光大砲を使うとは思いも寄らなかった。だれも巻きこまなくてよかったよ」
「砲撃前に波光反応の有無を確認しているので当然です」
ウルクがにべもなく告げてくる。まるで、砲撃そのものには問題がないかのような答だった。
「興奮状態にあっても冷静に判断できるんだね。さすがはウルクだ」
「さきほどからミドガルドがいっている言葉の意味がわかりません。説明を求めます」
「気にしなくていいよ」
「気にします。わたしは自分のすべての機能を知っておく必要があります。でなければ、必要なときに必要なことができなくなる可能性があります。興奮という機能については、まだ聞かされてもいません。興奮とはなんですか?」
「それもそうだなんだがね」
ミドガルドは、ウルクの美しい顔を見つめながら、言葉を選んだ。
「しかし、どう説明すればいいのか、困ったことではあるんだよ」
まるで子を持つ親のような気分だと、ミドガルドは思った。
そして、自分が以前から考えていたことは大いなる間違いだったのではないか、とも考える。
感情の発露こそ、彼女を真に彼女たらしめるものなのではないか、と。
そのためにも、彼女の感情の鍵となる人物、セツナ=カミヤのことをもっと調べる必要がありそうだった。