表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1122/3726

第千百二十一話 敵か味方か(五)

 イスラ・レーウェ=ベレルは、ベレルの王女だ。

 ベレル。大陸小国家群に属する小さな国のひとつであり、国土面積としては、ガンディア方面とほとんど変わらなかった。ガンディア方面北東に位置し、北にジベルという敵国を抱えていた。そのことが原因となって、ベレルはガンディアの属国となったのだが、そのことは、別段問題でもなんでもない。後先考えずガンディアに頼ったのは、ベレルのほうであり、ジベルとの休戦協定を結べたのも、国土をすべて失わずに済んだのもガンディアのおかげなのだから、その庇護下に入るというのは、正しい選択肢ともいえる。ガンディアの助力がなければ、国が滅びていたのは疑いようもない事実だ。

 そのことがわかっているから、イスラはガンディアに人質として差し出されることを良しとした。むしろ、ベレルから離れられることを心の何処かで喜んでいたのだから、自分としても始末に終えない。ベレルを愛していないわけではなかったし、国民も王家も心の底から愛しているというのは、間違いなかった。

 しかし、どこかでベレルという国に違和感を覚えていたのは確かだ。どうにも、腑に落ちない。妙な感じがする。自分の居場所ではないような、そんな感覚。ここにいるべきではないのではないか――そんな気分が、子供の頃からあった。弟が生まれ、彼が王位継承権を与えられてから、確信めいたものとなる。自分はこの国にいらない人間で、自分のことを敬うひとびとも、内心ではなんとも想っていないのではないか。

 そんな自分の卑屈さが嫌になることが多かった。

 そういうある日、降って湧いたように彼女は人質になった。小国家群の古くからの習わしだ。属国となれば、支配者にその証として、裏切らないことの誓いとして、人質を送ることになっている。ベレルは、彼女を人質として選んだ。王子と王女しかいないのであれば、王位継承権を持たない王女を選ぶのは当然の道理だ。イスラも大いに納得した。次期国王を人質に差し出すことなど考えられない。

 国のためだ。

 国のためになることができて、そのうえ、みずからの意志とは関係なく国を離れることができる。

 イスラにとってこれほど喜ばしいことはなかった。

 そして、その考えに間違いはなかった。

 人質としてきたガンディアでの暮らしは、彼女が想像していたよりもずっと快適で、ずっと自由だった。人質というのだから、もっと不自由なものを想像していたのだ。部屋の中に幽閉されることさえ覚悟していたのだが、ガンディアは、イスラが王宮内を歩き回ることは愚か、王宮区画内を出歩くことさえ自由にさせた。許可さえ下りれば、市街地を出歩くことさえできた。ベレルでも考えられなかったほどの自由さは、彼女の鬱屈とした気分を吹き飛ばし、世界を変えた。

 世界が変われば、出会う人々も新鮮に見える。

 なにもかもが新しく見えて、美しく見えた。

 ひととの出会いが、イスラの魂を自由にした。

「イスラちゃん、なんだか元気ないわね」

 不意に投げかけられた言葉に、イスラは現実に舞い戻るような感覚を覚えた。瞬きして、ここがどこなのかを思い出してはっとする。ガンディア王宮区画において燦然と輝く、後宮と呼ばれる建物の一室に、彼女はいる。部屋の主は、太后グレイシア・レイア=ガンディア。国王レオンガンドの母であり、この後宮の支配者だ。

 目を向けると、グレイシアが心配そうな表情を浮かべていた。しわの少ない、若々しく美しい顔は、グレイシアの実際の年齢を想像させなかった。いつ見ても、ぼうっとしてしまう美貌の持ち主で、イスラは彼女を何度となく羨んだことかわからない。

「そう、見えますでしょうか?」

「ええ。なんだかちょっぴり寂しそうよ」

 そういうと、グレイシアは、いたずらっぽく笑ってきた。

「エリウスちゃんがいないからね」

「はい……!?」

「うふふ。あなたたちの仲睦まじさを見ていたら、わたしまで幸せになってしまうわ」

「殿下……」

 イスラは、ただただ絶句した。

 まさか、グレイシアに知られているとは思ってもいなかったのだ。

 彼女のいうとおりだった。

 イスラは、エリウスと恋仲にある。

 エリウス=ログナー。ログナー最後の王である彼は、ログナーがガンディアに敗れ、併呑された後、ガンディアの貴族となった。ガンディア貴族としての彼は、ザルワーン戦争に参加したり、政治の場にたったりと忙しく、また、領伯暗殺未遂事件の最中、父を失っている。そんな彼と親しくなるまで時間はかからなかった。

 彼が、声をかけてくれたのだ。

 ガンディアに来て間もなく、右も左もわからず、心細くしている頃のことで、イスラは、瞬時に恋に落ちた。

 世界が美しく見えたのは、そのせいだったのかもしれない。

「結婚しちゃなさいな」

「は、はい……!?」

 心臓が止まるかと思った。それほどの衝撃が胸を貫き、彼女の頭のなかを真っ白にした。

「エリウスちゃんとイスラちゃんの結婚、ガンディアにとってもベレルにとっても悪い話じゃないと想うわよ」

 グレイシアが政治的な理由を真っ先に上げたのは、イスラの気持ちを汲んでのことかもしれなかった。

「エリウスちゃんはいまや押しも押されぬレオンの側近。イスラちゃんは人質とはいっても、ベレルの王女。ふたりが結びつけば、両国の紐帯もさらに深まるというものでしょ? 障害があるとすれば、あなたのお父上と、お母上が許してくださるかどうか、だけど」

 グレイシアの話は、納得のいくものだったが。

「あ、あの……」

「なあに?」

「そ、その……」

「イスラちゃん、エリウスちゃんと結婚、したくない?」

「そ、そういうわけじゃなくて、ですね……!」

 イスラは、グレイシアにいまの心境をどう説明すればいいのかわからず、しどろもどろになった。そして、しどろもどろになったまま、グレイシアに押され続けた。


 エリウス=ログナーは、ルシオンの地を生まれて初めて踏んでいる。

 ログナー以南に足を踏み入れたことなどなく、ガンディアを訪れたのも、ガンディアに敗れ、王都ガンディオンに住むことを勧められてからのことだ。それまでは、ログナーの大地を離れることはなく、また、離れようとも思わなかった。ザルワーンにはいったことがある。が、それも仕方のない事だった。ログナーは五年余り、ザルワーンに支配されていた。属国の王子が支配者の国王の機嫌を伺いに行くのは当然のことだった。

 ただ、エリウスは幸運にも、人質にはならなかった。王位継承者であるエリウスは、父であり当時の国王であったキリルの嘆願によって、人質になることを避けられた。代わりに人質となったのは実弟のアーレスであり、彼は人質として龍府に赴き、そこで勉学に励んでいたという。

 アーレスは、もうこの世にはいない。彼は、アスタルの反乱に激怒し、ザルワーンの軍勢を引き連れてログナーに襲来、レコンダールを制圧こそしたものの、ザルワーン軍が帰国したために戦力を失い、戦うこともできないまま終戦を迎えた。そのままガンディアに恭順すれば良かったものの、彼は最後まで抵抗し、結果、命を落とした。

 馬鹿なことをしたものだ、とエリウスは弟の融通のきかなさを哀れに思った。同時に、そうやって自分の意志を貫き通せたのなら、悪くはない人生だったのかもしれない、とも考える。他に翻弄され続けた父の人生を思えば、己が意志のまま死ねただけ、ましなのかもしれない、と。

(いや……そんなわけはないか)

 胸中、頭を振る。

 アーレスは、きっと、もっと生きたかったに違いない。彼は、ログナーのために軍を起こしたのだ。逆賊アスタル=ラナディースを打倒し、ログナーを取り戻すことこそ、アーレスの目的だった。その目的を果たせず、あまつさえ国を奪われたという状況で命を落とすなど、満足の行く死に方などではあるまい。

 だが、彼が生き残るには、レコンダールを捨てて逃げ出すか、ガンディアに降るしかなかった。彼は逃げることも、降ることもできなかった。彼の性格がそうさせた。頑固で意固地で融通のきかない性格が仇になった。

 彼のようにならないためには、柔軟な思考を持つことだ。

(柔軟に)

 左前方を見ると、レオンガンド・レイ=ガンディアの横顔がある。馬車の窓の外を見やる獅子王の横顔からは、彼がさまざまな苦難を乗り越えてここまできたのだということが想像できる。想像するまでもないことだ。彼の苦難の大半は、知っている。多くは戦争だが、戦争だけが苦難ではない。艱難辛苦を乗り越えて、ここまできた。

 ここまで。

 とはいえ、彼の掲げる夢から見れば、まだ道半ばであり、先は遠い。

 小国家群の統一。

 大それた夢だ。

 笑い話にさえならないような、そんな夢物語。

 実現するには、圧倒的な力が必要だ。

 ガンディア如き弱小国家では不可能だった。不可能なはずだった。しかし、レオンガンドは、ログナーを下し、ザルワーンを下し、クルセルクを下したことで、可能性を見せつけた。ガンディアの国土は瞬く間に広がり、最初期の数倍の版図を得た。国力も膨れ上がり、その戦力たるや、弱小国ガンディアだったころの面影さえ見えない。

 このまま前進し続ければ、小国家群の統一も不可能ではないかもしれない。

(前進)

 それはすなわち、戦い続けるということだ。

 戦争だけがすべてではない。外征だけがすべてではない。政治で解決することもあるだろう。圧倒的な戦力差を前に、戦う前から降参する国もあるだろう。国土が拡大するに連れ、そういう国が増えていく可能性も低くはない。が、戦っているのは、ガンディアだけではない。ガンディアが急激に拡大し始めた影響か、小国家群の様々な国が国土を広げるために動いていて、いくつかの国が消滅したという話もある。

 戦争は終わらない。

 少なくとも、ガンディアが小国家群を統一するまでは、戦火が収まることはないだろう。

 戦いに次ぐ戦い。

 溢れかえるほどに血を流し、地を埋め尽くすほどの死体を作る。

 戦うとは、そういうことだ。だれかが死ぬということなのだ。だれも死なない戦いなどはないのだ。

(戦い続けるということは、そういうことなのだ)

 エリウスは、考える。

 このまま戦い続けた先、行き着く先にはなにが待っているのか。

 ガンディアにとって輝かしい栄光の日々が待っているというのだろうか。

 そこに、自分はいるのだろうか。

 自分がいなくとも、自分の子や孫の居場所はあるのだろうか。

『エリウス殿、あなたはなにを望む?』

 ふと、思い出した言葉にはっとする。

 己が望みを問われたのは、それがはじめてだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ