第千百二十話 敵か味方か(四)
ガンディアには現在、派閥というほどのものはない。
以前は、ガンディアの政治を二分する派閥があった。ひとつは現国王であるレオンガンド・レイ=ガンディアの支持者によるレオンガンド派であり、ひとつは、有力な政治家であったラインス=アンスリウスが率いた太后派である。太后派とはいうものの、太后グレイシア・レア=ガンディア(当時)は太后派の行動には関与しておらず、名前だけ利用されていたといっていい。グレイシアは、ラインスの実妹ということもあり、ラインスの行動を止められなかったのだろう。グレイシアは愛のひとでもある。兄との間で争うことなどしたくなかったのだ。そういう考え方が、太后派の増長を生むのだが、太后グレイシアに怒りの矛先を向けるものはひとりとしていなかった。グレイシアは、太后派貴族だけを特別優遇していたわけでもなければ、レオンガンド派貴族を遠ざけたりもしなかったからだ。むしろ、太后派貴族による横暴が、レオンガンド派貴族の太后との距離感を取らせることになり、レオンガンド派は太后派貴族への憎悪を募らせたという。
太后派。その本質は、反レオンガンドにある。
“うつけ”の王子として知られたレオンガンドは、バルサー要塞の奪還という結果を出すまで、ガンディアの国民の多くから不支持を受け、存在そのものを否定されることも少なくなかった。それは、国民の間からだけではなく、貴族や軍人の間からもあった。そういったものたちが掲げたのが反レオンガンドの旗であり、その旗を掲げる一派は、一時期、リノンクレア派を名乗り、リノンクレアがルシオン王子に嫁ぐとなると、グレイシア派、太后派を名乗るようになった。
これほどわかりやすいものはなかったものの、結果を出すまでのレオンガンドが様々な面で反発されるのも当然のことであり、彼はそれらの批判や非難を甘んじて受け入れていた。むしろ、積極的にそうなるように仕向けていたのだから、“うつけ”を信じるものが増えることは、喜ばしいことだった。
そうでなければ、ガンディアを生き延びさせることはできない。
やがてシウスクラウドが死に、レオンガンドが王位を継承した。となれば、いつまでも“うつけ”でいるわけにもいかない。国王となってまで“うつけ”を続けていれば、外圧を回避するための策が内部から崩壊する方向に力を働かせることにもなりかねない。
“うつけ”を返上するためには、どうすればいいか。
簡単なことだ。
奪われて国土を取り戻せばいい。
バルサー要塞を奪還したことで、レオンガンドの評判は目に見えて変化した。国民の多くが、手のひらを返したようにレオンガンドの支持者に変わった。初陣を圧倒的勝利で飾ったのだ。いまのいままで不支持を決め込んでいた国民にとってどれほど衝撃的だったのか、想像に難くない。
しかし、反レオンガンドを掲げるものたちが消えることはなかった。
ログナー戦争、ザルワーン戦争、ベレル支配に至っても、太后派の勢いは衰えこそすれ、完全に消滅することはありえないように思えた。レオンガンドは、気にしなかった。ログナーやザルワーンの貴族、王族を取り込むことで、レオンガンドの派閥そのものを強化していたからだ。反レオンガンドの貴族たちはやがて行き場を失うだろう。
そういう考え方があまりにも甘く、自分にとって都合のいいものの見方だということを思い知ったのは、ザルワーン戦争後のことだ。反レオンガンド派がレオンガンドへの敵意を剥き出しにしたのだ。セツナが刺され、瀕死の重傷を負った。セツナは、小国家群統一を目標と掲げるガンディアにとって最重要人物といっても過言ではない。彼を失うということは、代えがたい戦力を失うということであり、ガンディアの目標が大きく遠のくということでもあった。彼は死ななかったが、そうなりかけたという事実は、レオンガンドに反レオンガンド派という存在を根絶するべきだと認識させた。
そう認識したのは、レオンガンドだけではない。軍師ナーレス=ラグナホルンもまた、ラインス=アンスリウスを筆頭とする反レオンガンド派を殲滅するべきだと考え、行動した。彼は、レオンガンドの命令を待たずして行動を起こし、ラインスら反レオンガンド派の中心人物たちを殺害した。ラインスらの死は、王宮に現れた皇魔の仕業として公表されたものの、当時の状況を知るものたちは、死体の発見現場などから、皇魔以外の手によるものではないかと密かに噂した。レオンガンド派が暗殺したのではないかという声もあり、反レオンガンドを掲げるものたちは、後難を恐れ、つぎつぎとその主張を取り下げていった。
反レオンガンド派は勢いを失い、レオンガンド派が、ガンディアの国政を完全に掌握することになる。派閥が消滅したといってもいい。
それから長期間、ガンディアの政治は安定している。
しかし、そんな状況にありながら、不穏な気配を感じ取ることがある。
それは、派閥争いとは異なるものであり、だからこそ形になって現れにくく、故に掴み所がないのだが、彼はそういった気配を感じるたび、このままではいけないと想うのだ。
敵が、いるのではないか。
国内――それも、ごく近しい人間の中に、裏切りものがいるのではないか。
そのことを真面目に考えるようになったのは、半年ほど前のことだ。
ナージュの懐妊発覚に伴う御前試合、その後の晩餐会において、異国の人間が参加していたことが原因となる。その異国人は、アルベイル=ケルナーといった。ベノアガルドからの間者であり、後にアルベイル=ケルナーなる人物は、テリウス・ザン=ケイルーンという騎士であることが発覚している。テリウス・ザン=ケイルーンは、ベノアガルドの騎士団の中でも十三騎士に数えられる幹部である。その事実が発覚したのは、アバード動乱の最中、セツナが他のベノアガルドの騎士からその名を耳にしか足らだ。
ともかく、それほどの人物がガンディアの内情を探るために訪れていたということであり、アルベイル=ケルナーを間者と知りながら王宮へと招き入れたジゼルコート・ラーズ=ケルンノールは、その事実も認識していたのではないかという疑いがあった。
当初、ジゼルコートへの疑いはそこまで強くはなかった。なぜなら、ジゼルコートはガンディアにとってなくてはならない人物といってもいいほどの人間であり、政治家だったからだ。彼の政治家としての腕は、レオンガンドのそれを軽く凌駕し、彼にさえ任せていればなにもかも上手くいくという安心感があった。実際、なにもかも上手くいった。それは、ジゼルコートがガンディアを裏切っていないからであり、ガンディアにとって最良の選択を取り続けていたからだ。
彼がアルベイル=ケルナーを王宮に招き入れたのも、ベノアガルドの目的を探るためだという。それも事実かもしれない。ジゼルコートほどの男が、(たとえ真にガンディアを裏切っていたとしても)疑いを招きやすいことをするとは到底考えられない。もし、ガンディアを裏切っているというのならば、もっとわかりにくい方法を取るだろう。だから、レオンガンドは、ジゼルコートに疑念を抱く一方で、彼の疑念が晴れることを願ってもいた。
ジゼルコートを失うのは、正直、辛いのだ。
彼に代わる人物がいない。
セツナもそうだ。代わりとなる人物がいないのだ。失えば、そのまま大打撃となってガンディアに損害をもたらす人物など、そういるものではない。
ナーレスの死も大きな損害だったが、彼は、後継者を育てていた。後継者はふたりいて、ふたりが力を合わせれば、ナーレス以上のものとなるとは、ナーレス自身の言だ。エイン=ラジャールとアレグリア=シーン。ナーレスの薫陶を受けた軍師候補たち。ふたりは信用に値する。アレグリアはレオンガンドに忠誠を誓い、エインはセツナ主義者だ。どちらもレオンガンドを裏切ることはあるまい。そしてふたりがいるおかげで、ナーレスの死による損失からは目を瞑ることができる。
ジゼルコートがガンディアを裏切っていた場合、彼を処分しなければならなくなる。彼を敵として、滅ぼさなければならなくなる。そうなると、彼ほどの人材を失うということであり、埋めようのない穴が空くことになる。ジゼルコートの休暇中、彼の偉大さを実感することが多々あったこともあり、レオンガンドはそう考えることが多くなった。ジゼルコートの長男ジルヴェールでは、まだまだジゼルコートの域には達していないのだ。
ジゼルコートがガンディアを裏切っていなければ、なんの問題もない。そうなれば、彼は今後もガンディアに忠を尽くし、力を尽くしてくれるだろう。ジルヴェールがジゼルコートの後継者として成長し切るまで。
裏切っていない可能性も、低くはない。
アルベイル=ケルナーに関するジゼルコートの行動は、必ずしも考えられないことではないからだ。アルベイル=ケルナーがベノアガルドからの間者であると見抜き、泳がせていたという可能性もなくはないのだ。ベノアガルドの目的を知ることは、ガンディアにとって今後の指針となりうる。ガンディア有数の政治家であるジゼルコートならば、それくらいのことは平然とやってのけるだろう。
しかし、アルベイル=ケルナーの正体がベノアガルドの十三騎士のひとり、テリウス・ザン=ケイルーンだったということがわかれば、見方も変わってくるというものだ。
もし、ジゼルコートがアルベイル=ケルナーの正体を知っていて、王宮に招き入れたのだとすれば、どうなる。
いや、知らないはずがないのではないか。
彼は、アルベイル=ケルナーがベノアガルドの人間であることを知っていた。アルベイル=ケルナーという偽名まで使った人物がどこから来たのかなど、どうやって調べたのか。正体を知っていたからではないのか。
考えれば考えるほど深みにはまっていく。
嫌なことだ。
だが、直しなければならない現実でもある。
『敵と味方を明らかにする時期に来たのかもしれません』
レオンガンドは、ナーレス=ラグナホルン直筆の最後の手紙に記されていた文面を思い出して、苦い顔をした。
セイラーンへの道中。
彼を乗せた馬車に同乗しているのは、バレット=ワイズムーン、エリウス=ログナー、ジルヴェール=ケルンノールの三名だけだ。四友のうち、ゼフィル=マルディーンとケリウス=マグナート、スレイン=ストールの三名は、王宮に残り、政務に当たっている。エリウスをジルヴェールを同行させているのは、今後、ふたりを政治家として育て上げるため、場数を踏ませる必要があると踏んだからだ。
ジルヴェールは、ジゼルコートの長男だ。ジゼルコートの血を色濃く受け継いでいるのか、政治家としての腕は確かで、いまでも十分にやっていける。しかし、ジゼルコートに比肩するかというと、そういうわけにもいかない。ジゼルコートとは、圧倒的な場数の差、経験の差がある。埋めがたいものだが、埋めてもらわなければならない。
エリウスは、政治家としてはまだまだ未成熟だが、将来性がある。なにより、彼のレオンガンドへの忠義心は、とてもログナー人とは思えないほどであり、レオンガンドはそんな彼を愛した。父殺しが契機となっているのは間違いない。同じ罪を犯した者同士、感じるものがある。
四友については、わざわざ育て上げるまでもない。彼らは彼らなりに自分の立場をわきまえながら、レオンガンドの不足を補ってくれている。それだけで十分だった。
彼らは、味方だ。まず裏切ることはないだろう。
では、敵はどこにいるのか。
ここのところ、レオンガンドが考えるのは、そのことばかりだ。
レオナが生まれ、幸せに包まれている最中、国内に潜んでいるかもしれない敵を探しださなければならないというのは、どうにも気分が悪く、嫌なことだ。気が重い。しかし、やらなければならないことだというのもわかっている。ナーレスがいうのだ。彼のいうことに間違いはない。
『ガンディアはいまや小国家群最大の国となりました。しかし、その急速な国土拡大は、反面、様々な面で歪さを抱えざるを得ず、そういった歪さが国内に悪意を膨れ上がらせる可能性は大いにあります。悪意は敵意となり、敵意は叛意になりかねない。そうなってからでは遅いのです』
ナーレス本人からの手紙は、それが最後だ。それ以降、エンジュールからレオンガンド宛てに送られてくる手紙は、ナーレス本人のものではなかった。
ナーレスは死んだのだ。
死者から手紙が送られてくることなど、ない。
おそらく、ナーレスとともにエンジュールに滞在しているというオーギュスト=サンシアンが、ナーレスの筆跡を真似て書いたものだろう。それらナーレス死後に贈られてきた手紙の内容は、エンジュールでの日々についてのことであり、益体もないことばかりだった。ナーレスらしい手紙ではある。彼が軍事、政略に関する手紙ばかり送ってくるわけではない。ふとした瞬間思いついたどうでもいいことをわざわざ手紙に書いて送りつけてくることも、少なくはなかった。そういう手紙を見るたびに苦笑したものだが、今にして思えば、こういう状況を想定しての事だったのかもしれない。
だとすれば、彼は自分の死後のことまで考えぬいて行動していたということになる。
(ありうる話だ)
ナーレスは、自分の死を秘匿した。
レオンガンド自身、彼が死んだと思っているものの、その死を実際に確認したわけではない。ただ、彼が王都に真っ先に帰ってこなかったということから、死んだのだろうと認識したまでのことだ。生きていれば、エンジュールでの療養に入らず、まず王都に帰還し、レオンガンドに報告しにきただろう。そういう男だ。
(敵と味方……か)
色分けする必要がある、という。
道中、レオンガンドはそのことばかりを考えていた。