第千百十九話 敵か味方か(三)
オウラ=マグニスは、《大陸召喚師協会》に所属する武装召喚師だ。
空中都市リョハン出身の彼は、リョハン出身者の例に漏れず、幼少のころから武装召喚術に慣れ親しんでおり、その実力派折り紙つきといってもいい。アスラリア教室の生徒でもある彼は、いわばファリアの同級生といってもよかった。メリクス=アスラリアとミリア=アスラリアの薫陶を受けた武装召喚師のひとりなのだ。
岩拳のオウラという異名で呼ばれることもあるが、それは彼の愛用する召喚武装に由来する。大地を殴りつけ、岩石を隆起させる力を持った手甲型の召喚武装は、彼の容姿や性格とも一致し、故に彼は岩拳のオウラと呼ばれるようになった。彼自身、その異名を気に入っているようであり、召喚武装を岩拳と称することもあった。
後宮の警護に関して考えている最中、そんな彼のことを思い出さざるをえないのは、昨日のことがあるからだ。昨日、九月二十三日、王都を訪れた一団の中に彼の姿があった。ジゼルコート・ラース=ケルンノール・クレブールとその配下の一団であり、私兵部隊の中に武装召喚師たちがいた。そのひとりが、岩拳のオウラことオウラ=マグニスだったのだ。
ジゼルコートに付き従う武装召喚師の姿に、ファリアは、まさか、と思った。しかし、彼の姿をはっきりと確認したあとには、それも仕方がないことだと思い返した。
オウラ=マグニスはリョハンではなく、《協会》に所属する。《協会》に所属する武装召喚師がどこに仕官しようとも、ファリアには関係のないことだ。たとえ彼がアスラリア教室の出身で、ともに武装召喚術を学んだ身であったとして、その人生に介入することはできない。彼がリョハンに属し、護山会議の意思に従っているというのなら話は別だが、その場合、ジゼルコートの配下になることさえありえない。護山会議は、リョハンの独立性を維持することこそが重要であり、そのためにリョハンの武装召喚師がなにかしら影響力を持つことを好まない。
しかし、衝撃を受けたのは事実だった。よりにもよってジゼルコートの元に仕官するなど、想像さえできなかった。
オウラは、クルセルク戦争で活躍した武装召喚師のひとりだ。リネン平原の戦いを生き抜いた数少ない武装召喚師のひとりでもあり、ファリアとともに死線を潜り抜けたことは記憶に新しい。彼の機転と召喚武装の能力が、ファリアたちに勝利をもたらしたといっても過言ではなかった。彼がいなければ、リネン平原の戦いはもっと悲惨なものとなっていただろうし、ファリアも生き延びることができたのかどうか疑わしい。
戦後、オウラに仕官を打診する国が多かったというのは、噂として聞いている。当然、ガンディアからも仕官の話をしているはずだ。彼ほどの武装召喚師を戦争が終わったからと手放すのはあまりにももったいない。だれもが、どの国もがそう考え、打診したはずなのだが、彼が選択したのは、ガンディアでも他国でもなく、ジゼルコートだった。
オウラと話す機会があり、そのことを問うと、彼は小さく笑った。
『君が眩し過ぎるんだよ』
彼の言葉の意味がわからず、ファリアは怪訝な顔をするしかなかった。
『君があまりにも眩しいから、近くにはいられないんだ。かといってガンディアを離れたくもない。そんなとき、伯から話があってね』
オウラの説明は、やはりファリアには納得のいくものではなかった。眩しいとは、どういうことなのか。ファリアにはまったく理解できない。
『これくらいの距離間で、ちょうどいい』
彼は妙に照れくさそうにしていた。
その表情が屈託のないものだったから、余計に深く考えるのだ。
彼は、政治のことなどまったくわかっていないのだろう。ジゼルコートがいまどのような立場にいるのかも把握していないのかもしれない。ジゼルコートにある種の疑いがかかっていて、ガンディアの上層部がジゼルコートの一挙手一投足に注目しているということも、知らないのだ。
だから、彼はそんなことをいってきたに違いない。
距離間。
ジゼルコートがガンディアを裏切るようなことさえなければ、距離間は保たれ続ける。
しかし、もし、ジゼルコートが本当にガンディアを裏切っていて、敵に回れば、その瞬間、この距離間は敵と味方の距離間へと変わる。殺しあうための間合いとなるのだ。
そしてそうなれば、ファリアは、同窓を撃たねばならなくなる。
そういう想像力が、ファリアの心を重いものにしていた。
そのとき、ふと体温を感じて、右手を見下ろした。ミリュウの手が、ファリアの手を握りしめていた。横目に彼女を見ると、ミリュウの目は考え事の真っ最中という感じであり、彼女が無意識に手を握ってきたことがわかる。ミリュウもミリュウで衝撃的なことがあったのだ。そのことが、彼女の言動にまでちょっとした影響を与えている。
ミリュウが考えるのは、昨日のことだ。
ファリアがいっていたように、考えなくてはならないことが起きた。ひとはそれを数奇な運命と呼ぶのかもしれない。奇妙な宿命と呼ぶのかもしれない。人生の不思議と呼ぶのかもしれない。いずれにせよミリュウは、そういった物事と対峙する日が来ることを想定してはいた。しかし、想像とはまったく違う形になって現れたことで、慌てふためいたのは事実だった。
昨日、九月二十三日は、セツナと並ぶもうひとりの領伯ジゼルコートが、手勢を引き連れて王都を訪れた。それは、ナージュの出産と王女の誕生を祝福するためだけであり、他意はないということは、ジゼルコートの言動からも明らかだ。ほかに意図があったとすれば、政治的な理由以外にはない。しかし、ジゼルコートがレオナ王女を目にした途端、溢れんばかりの涙を流したという事実は、彼が他意もなく王都を訪れたことを示しているのだろう。
そういう話を聞く限りでは、ジゼルコートがガンディアを裏切っているというのはあり得なさそうに思えるのだが、彼が優れた政治家であるということを考えると、その涙さえも演技かもしれなかった。ありえないことではない。いや、むしろありえるというべきことだ。彼は、ガンディア国内においては政治家として並び立つものがいないほどの実力者だというのだ。だれかのために涙を流すことくらい、平然とやってのけるだろう。
そう考えるとますます怪しくなるのだが、その怪しさが増大した出来事がひとつ、ミリュウの身に起きている。
ジゼルコートが国王、王妃、王女と対面した後のことだ。ジゼルコートは、《獅子の尾》隊舎を訪れている。その際彼が発した、同格の領伯として、また、国を愛する者のひとりとして、セツナの身を案じている、という旨の言葉は、ジゼルコートの本心のように聞こえた。
それはいい。それは問題にもならない。むしろ、いいことだ。領伯同士の交流は、政治的にも意味があり、意義がある。ジゼルコートとセツナは、政治と軍事の両輪といってもいい。政治の頂点に立つジゼルコートと、軍事力の頂点とでもいうべきセツナの関係が良好なのは、喜ばしいことだ。
問題なのは、ジゼルコートが隊舎を訪れた際、連れてきた人物のことだ。《獅子の尾》の隊舎とはいえ、身の安全のために護衛を連れてくるのは当然のことだったし、それ自体は気にも止めないことだった。しかし、彼が護衛として連れてきたひとりが、ミリュウを見て、冷ややかに笑っているのが気に食わなかった。
そして、その青ざめた顔に見覚えがあって、背筋が凍るような想いがした。
女だ。同年代の、女。血の気が引いたような肌の色が印象に残る黒髪の女。常になにかを冷笑しているような表情がとにかく記憶に残った。
その女は、ジゼルコートの去り際、ミリュウに近寄ってきて、いった。
『お久しぶりですね、ミリュウ様』
耳朶に絡みつくような声は、よく覚えている。
『覚えていませんか? アスラですよ』
もちろん、覚えていた。忘れるはずがない。忘れられるはずがない。ミリュウがかつて殺した女だ。魔龍窟の闇の底で殺し合った挙句、辛くも殺し勝った相手だった。そのとき、ミリュウも重傷を負い、危うくほかの相手に殺されかけたが、クルードとザインのおかげで助かっている。
アスラ=ビューネル。五竜氏族の末席に列するビューネル家の人間であり、カイン=ヴィーヴルことランカイン=ビューネルや、龍府の司政官ダンエッジ=ビューネルとは血縁関係に当たる。
『なぜ、という顔をされましたね。さて、なぜでしょう?』
『殺したはずよ』
『ええ。殺されたはずですね。でも、生きています。ご安心を。幽霊じゃないです』
そういって、彼女は長い足を見せつけるようにしてきた。ザルワーンでは、霊魂というのは足を持たないものとされている。足がないからこそなにものにも縛られず、自由自在に動き回れるのだ、と。彼女は、そのことをいっているのだ。足があるから幽霊ではない、と。
無論、足の付け根辺りまで見せつけられずとも、一目見ればわかることだ。彼女は青ざめた顔をしながらも、現実に目の前にいて、呼吸している。生きているのだ。だからこそ衝撃的だったいうべきだった。
『どういうことよ』
『単純に、死にきれなかった、というだけの話です。まあ、魔龍窟を脱出できたのは、幸運以外のなにものでもないんですけどね』
『殺せていなかったってこと?』
『そういうことです』
彼女は、ぞくりとするような笑顔を浮かべて、うなずいてきた。そして、顔を寄せ来るなり、耳元で囁いてきた。ひとに聞かれたくない、とでもいうような態度は、ミリュウにとってはありがたくはあった。隊舎の廊下。ファリアやルウファがこちらを注目しているのがわかる。離れているとはいえ、少し耳を澄ませば、彼女との会話を聞き取るくらい簡単にできるだろう。
『それにしても、ミリュウ様はお幸せそうで、羨ましい限りです』
『……なにがいいたいのよ』
『セツナ様みたいなかわいい男の子、好きですよ。わたしも』
そんなことをいうと、彼女は体を離した。艶美な笑みは、いまの言葉にある種の説得力を持たせるものであり、ミリュウは、怒りを覚えた。
『アスラあんた――』
『駄目ですよ。ここで殺し合いになったら、皆さんに迷惑がかかります』
鼻先に指を突きつけてくるなり、彼女は凄絶に表情を歪めた。
『今度は、わたしがあなたを殺す番、ですよね?』
『なにを――』
『うふふ。冗談ですよ。ジゼルコート様に仕えているわたしが、ミリュウ様と殺しあうことなんて、あるわけないじゃないですか』
囁くような声には本音と嘘が交じり合っていて、なにが本心でなにが欺瞞なのか、判断のつけようがない。苛立ちと不安、興味と狂気が入り混じり、なにがなんだかわからなくなる。これが現実なのかどうかさえ、だ。
『でも、楽しみです』
『なにがよ?』
『つぎの戦争ですよ』
『つぎの?』
『はい。つぎの戦争には、わたしたちにも出番があるかもしれませんから』
アスラは、そんな風にいってきた。つぎの戦争。間違いなく、あるだろう。ガンディアの目的は、小国家群の統一だ。そのためならば手段を選ばないという方針に変わりはない。外交で解決できるのならばそれを優先し、できなければ戦争に踏み切る。ガンディアのやり方が変わらない以上、これからも何度となく戦争を起こすことになるだろうし、そのたびにミリュウたちも戦うことになるのだ。
そして、ジゼルコートの私兵団が戦争に参加することも、当然、ありうるだろう。政治家としての実力と貢献で領伯の地位を得たジゼルコートではあるが、戦闘面でもガンディアに貢献しようと考えるのは、ごく自然なことだ。むしろ、これまでの戦いで戦力を提供してこなかったことのほうが不思議といえる。ジゼルコートにいわせると、戦力が整っていないから、ということであり、納得のいく理由ではあったのだが。
つまり、彼女がいうには、戦力が整った、ということだ。
『長い間、闇の底にいて、気が狂いそうでした。ミリュウ様は、そんなことありませんでした?』
『あったわよ。それで、十分以上に狂ったわ』
いまでも、狂っている。そのことを否定することはできないし、否定するつもりもない。そしてその狂気はさらに彼女の人生を狂わせていくに違いないということも、わかりきっている。狂気の果て、自分を見失い、化け物と成り果てることさえ、理解している。それでも歩みを止めることはできない。それでも、生きることをやめられない。やめたくなかった。
『狂ったミリュウ様、素敵ですよ』
ミリュウの目を覗き込むアスラの目は、狂気に満ちていた。
(アスラ……か)
そのときからミリュウの頭の中は、アスラ=ビューネルのことばかりで埋め尽くされた。
魔龍窟での日々の中、彼女との交流があった。クルード=ファブルネイア、ザイン=ヴリディアに続く仲間になるかもしれなかったのだ。それほど、気を許していた。アスラはミリュウのことを姉のように慕ってくれていたし、ミリュウも彼女のことを妹のように愛した。だが、蜜月の日々は、長くは続かなかった。
アスラはミリュウを裏切り、殺そうとしたのだ。
いや、裏切った、というのとは少し違う、
彼女は最初から、ミリュウを殺すために近づいてきたのであり、ミリュウはまんまと彼女の策に引っかかったというだけの話だ。
しかし、ミリュウは、裏切られたと想い、自分の不用心さを自嘲した。そして怒りの中でアスラを殺し、アスラの仲間は、クルードたちが殺した。
殺したはずだ。手応えがあった。アスラはミリュウの名を呼びながら息絶えたはずだし、そのことはクルードたちも見ていたはずだ。
それなのに、生きている。
蘇生薬ではあるまい。不完全な不死を再現する蘇生薬は、心臓を破壊されたり、首を切り落とされないかぎり何度でも生命活動を再開するが、思考力は蘇生のたびに低下する。最初の蘇生だけで人間性が失われるのだから、彼女が蘇生薬の力で蘇ったと考えるのは間違いだ。また、蘇生薬以外の方法で蘇ったとも、考えにくい。
やはり彼女がいう通り、ミリュウが殺し損ねていたのだろう。
感情の高ぶりが手元を狂わせたのか。
それとも、彼女を殺せなかったのか。
オリアスを殺せなかったように。