第千百十八話 敵か味方か(二)
「俺が入っていてもいいんですかねえ」
ルウファがそわそわとしてながら不安そうにいったのは、そこが王宮だからではない。ガンディアにおいて名家のひとつに上げられるバルガザール家の次男坊である彼にとって王宮は歩き慣れた場所であり、緊張こそ覚えるものの、不安を抱くような場所ではなかった。物心付く前から出入りしていた場所だ。もっとも、それも子供の頃までの話で、成長するに従って王宮に出入りする機会は減っていった。やがて彼はこのままではバルガザールの人間として相応しい人物にはなれず、王宮に関わることもないまま一生を終えるかもしれないと考え、武装召喚師を目指した。それが十年ほど前のことだ。十年かけて武装召喚術を学び、師匠からのお墨付きを貰って王都に戻ってきてしばらくして、王都の騒ぎに遭遇、それがセツナとの出会いであり、幸運の始まりと言ってもよかった。
セツナとの出会いによって、ルウファは、幸運街道を驀進しはじめたといってもいい。彼との出会いがなければ、ここまでなにもかもうまくいくことはなかっただろう。王宮召喚師に任じられることもなければ、《獅子の尾》の副長になることも、最愛のひとと出逢うこともなかったのだ。そのことには感謝しているし、だからこそ、セツナのことはレオンガンドのつぎに敬愛し、彼のためならば手を汚すことも厭わないと思えるのだが、いまはただ、凄まじいまでの緊張の中にいた。
ルウファが現在いる後宮は、異世界といってもよかった。先の国王シウスクラウドが、妻であり当時の王妃グレイシアのために作った小さな宮殿であり、王宮区画の中では獅子王宮に次ぐ立派な建物として知られている。シウスクラウド亡き後、太后となったグレイシアは後宮に篭もることが多くなり、太后派貴族の溜まり場として利用されることも多く、生粋のレオンガンド派というべき《獅子の尾》のルウファには無縁の世界だったのだ。
ましてや、ラインスの死とともに太后派が解体されてからというもの、後宮は女の世界になったといってもいいのだ。太后グレイシアを始め、王妃ナージュ・レア=ガンディア、ベレルの王女であり人質ともいうべきイスラ・レーウェ=ベレルやその侍女たち、さらにはガンディア貴族の女性たちが集い、女性だけの世界を作り上げつつあった。その上で妊娠中のナージュの居場所となったこともあり、ますます女性だけの楽園という様相を呈しており、男のルウファには肩身が狭いのだ。
「よくないわけないでしょ。隊長代理なんだし」
「それはそうだけど」
ミリュウの発言を肯定しながらも、ルウファは、肩身の狭さを解消する方法はないだろうと諦めてもいた。一方、隊長代理の一言に身が引き締まる想いがする。ニーウェとの戦いで重傷を負ったセツナが回復するまでは、副長であるルウファが《獅子の尾》の実行部隊を率いることになるのだ。といっても、ファリアとミリュウだけではあるのだが。
《獅子の尾》の隊士を増やすべきだという降って湧いたような話は、いつの間にか流れてしまっていた。《獅子の尾》は少数精鋭の遊撃部隊だ。国王の親衛隊でありながら戦場を蹂躙するのがその使命であり、任務のほとんどすべてといってもよい。それは、隊長であるセツナの戦闘能力がもたらした隊の性質なのだが、人数を増やせば増やすほどその自由な面が薄れるかもしれないという理由と、《獅子の尾》に相応しい武装召喚師がそう簡単に見つからないという至極もっともな理由から、立ち消えになったらしい。もっとも、能力面で相応しくとも、性格面で折り合いがつかなければ、隊に入れることは難しいだろうが。
《獅子の尾》は、個性的な面々の絶妙な均衡で成り立っているといってもいい。そこに新たな人員が入隊して均衡が崩れ去るのは、隊士のだれもが望んではいない。そうなるくらいならば、自分たちこそが奮起して、少人数であることが問題ではないということを明確にするだけの話だ。もちろん、性格、能力ともに問題のない隊員ならば、それが最善だ。
「そうはいっても緊張はしますよねえ」
ルウファはさんざん考えぬいた末、適当につぶやいた。三人がいるのは、後宮の奥まったところであり、ナージュ王妃とレオナ王女、そして太后グレイシアたちが起居する区域の廊下だった。《獅子の尾》に与えられた任務は、後宮の警護であり、そのための下見をしている最中といってもいい。後宮のどこに人員を配置するのが適当なのか、三人で見て回っているのだ。
当然、後宮の主たるグレイシアへの挨拶は済ませているし、その際、ナージュとも言葉を交わし、生まれたばかりの王女様の顔も見せてもらっていた。そんなことが許されるのは、《獅子の尾》が王立親衛隊だからにほかならない。
「わたしもよ」
「ファリアさんも?」
「あたしだって、一応、緊張はしてるんだけど」
「そうは見えないなあ」
「なんでよ」
ミリュウが憮然としたが、ルウファには意外なこととしか思えなかった。しかし、彼女の説明を聞けば、彼女が緊張しているというのもあながち嘘ではないらしいということも分かったのだが。
「粗相があったりしたら、セツナの評判に響くかもしれないでしょ」
「なるほど」
「あなたって、いつもセツナセツナよねえ」
「ファリアだってそうじゃない」
「わ、わたしのどこにそんな要素があるのよ」
「ふふん、顔に書いてあるわよ。早く任務を終えて、セツナに逢いたいって」
「な、なにいってんの、馬鹿じゃないの。わたしはそこまで能天気じゃないわよ」
「あら、そうなの?」
「考えなくちゃいけないことも、色々あるのよ」
「たとえば?」
「そうねえ……昨日のこととか」
「昨日のこと……か」
ミリュウが、ファリアの言葉を反芻するようにつぶやいた。少しばかり深刻そうな声音は、昨日の出来事を思い出したからに違いない。
昨日。九月二十三日といえば、ジゼルコート・ラーズ=ケルンノール・クレブールが、私兵を引き連れて王都にやってきた日だ。ジゼルコートは領伯である。自前の戦力を持つのは許された権利であり、彼が私兵部隊を有していることそれ自体はなんら問題ではない。それが問題ならば、セツナが黒勇隊や黒獣隊という戦力を持つことも問題になる。
彼らにとって問題もまた、当然、そんなことではない。ジゼルコートがどれだけの戦力を保有していようと関係がない。しかし、その戦力の内容そのものが、彼らの人生に大きく関係しているから、考えなくてはいけないのだ。
「昨日のこと、昨日の……うう」
「あら、隊長代理もだっけ?」
ミリュウが聞いてきたのは、昨日、彼女が自分のことで精一杯だったことに起因するのだろう。彼女にも、ファリアにも、衝撃的な事件だったのだ。そして、それらはそれぞれに異なる人物が原因となっている。
「ええ、まあ。色々あるんですよ、色々、ね」
「色々、ね」
「本当、運命って皮肉よねえ」
「皮肉というか、なんというか」
考えたくもないことを思い出してしまって、ルウファは、多少、気落ちしたりした。考えたくもないとはいえ、いつかは考えなくてはならないことではある。目を逸らしてはいけない現実でもある。
ルウファの気分を落ち込ませるのは、ジゼルコートが率いた戦力の中に知った顔があったからだ。グロリア=オウレリア。優秀な武装召喚師である彼女こそ、武装召喚師の素人でしかなかったルウファを一から鍛え上げた師匠であり、ルウファにとっては頭の上がらない人物のひとりだった。
(まさか師匠がねえ)
師は、どこかに属するということを好まない人物だった。故に《大陸召喚師教会》にも属していなかったし、国籍も持っていなかった。そんな人物に弟子入りすることにしたのは、彼女の圧倒的な力を目の当たりにしたからであり、もし彼女と皇魔が戦っている場面に出くわさなかったら、ルウファは彼女に弟子入りするということはなかっただろう。《協会》の武装召喚師のいずれかに弟子入り志願していたはずである。
しかし、グロリアに弟子入りしたのは、間違いではなかった。グロリアは、皇魔の群れをたったひとりで圧倒しただけのことはあり、優秀で有能な武装召喚師だったのだ。ただ、その分、修行は苛烈を極め、ルウファは何度となく死にそうになった。そのおかげで十年足らずで立派な武装召喚師になれたのだから、その苛烈極まる修行にはいまとなっては感謝しかないのだが。
師グロリアと別れて一年以上になる。師のもとを去る直前、彼女に《協会》を紹介され、《協会》に所属するきっかけを与えてくれたことを覚えている。自分は《協会》に所属していないにも関わらず、弟子であるルウファには《協会》に所属することを勧めるあたり、考えの分からない人物だった。
それから、一度も会っていない。強力な武装召喚師だ。何度かガンディアに仕官する気はないかと尋ねたことがあったが、そのたびに鼻で笑われた。
『わたしはだれにも支配されるつもりはないのさ』
そんな彼女がなぜ、ジゼルコートに従っているのか、ルウファには納得のいく答えが出せず、昨夜から悶々としていた。
一年以上ぶりの再会。
グロリアは、別れたときと外見上の変化はなく、いまも格好いい女性であり、言葉を交わしたところ、内面上の変化もなさそうに見えた。
『よお、弟子。活躍は聞いているよ。師匠としては、弟子の活躍ほど嬉しいことはない』
グロリアの昔となにひとつ変わらない態度が嬉しくて、ルウファはつい相好を崩してしまったものの、彼女がジゼルコートの配下であるという現実を直視したとき、笑うに笑えなくなった。
ジゼルコートには、疑いがある。
もし、本当にジゼルコートがガンディアを裏切っていて、ガンディアの敵に回った場合、グロリアはどうなるのか。
そのことを考えると、夜も眠れなかった。
『わたしにだって色々あるのさ』
なぜジゼルコートの配下にいるのか、と問いかけたときのグロリアの答えは要領を得ないもので、故にルウファは余計に頭を悩ませるしかなかった。なにかしら理由があるということは、ジゼルコートがガンディアの敵となった場合、彼女もまた、敵に回る可能性があるということだ。
師と戦うことになるのだろうか。
それだけは避けたい。避けたいが、そうなってしまえば、戦うしかなくなる。そして、そのときは、ルウファが戦うべきなのだ、とも彼は想った。戦いたくないからと他人に任せるわけにはいかない。グロリアの戦い方は、弟子として十年、傍で見続けてきたルウファが一番良く知っているのだ。
そんなことを考えながら、後宮の警護についても考えなければならず、ルウファの頭の中は混沌としているといってもよかった。