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第千百十六話 交渉(後)

「まあ、なんだ。セツナ伯サマの身体調査の許可が下りたのは良かった。これで黒魔晶石の研究が少しは進展するかもしれない」

 セツナとの会見を終えたミドガルドは、緊張から解き放たれたような気分の中で隊舎の廊下を歩いていた。予定とは異なる結果になったものの、セツナの体を調べられる目処がついたのはなによりも大きい。

 エイン=ラジャールなる人物のおかげといってもよかった。彼が妥協案を提示してくれたからこそ、ミドガルドはセツナを調べることができるのだ。

 エイン=ラジャール。容貌からは十代前半の少年にしか見えない人物は、ガンディアの参謀局第一作戦室長という肩書を持っている。そして、その肩書に見合うだけの才能と実力の持ち主だということは、彼に纏わる様々な逸話からも明らかだ。若くしてガンディアの天才軍師ナーレス=ラグナホルンに見込まれただけのことはある、という。そういう人物だからこそ機転を利かせて妥協案を提示してくれたのだろうが。

(エイン=ラジャールか。覚えておく必要はあるかな)

 少なくとも、ガンディア滞在中は彼に世話になることはありそうだった。

「そうなれば君が生まれた理由もわかるのかな」

 後ろを見やると、魔晶人形の無表情が目に留まる。長い灰色の髪を揺らしながら歩く様は、人間の美女にしか見えないのだが、よく見れば彼女が普通の人間とは異なることがわかるだろう。皮膚の質感までは再現していないし、表情も変化しない。瞼が上下し、口が動くといったことはできるのだが、それも人間らしい動きではない。

 人形は人形に過ぎない。どれだけ精巧に創り上げようとも、彼女が人間と同じ存在になることなどありえないのだ。

「生まれた理由? 作られた理由の間違いではないのですか? だとすれば、魔晶人形の開発責任者であるあなたが知らないのはおかしなことです」

「知らないねえ」

「ミドガルド。やはりあなたのいっていることはときどきわからなくなります」

「そうだろうね。わたしにもよくわからない。なぜ君という人格が生まれたのか。なぜ君はセツナ伯サマを主と仰ぎ、彼のために行動するのか。わからないことだらけさ」

 セツナが発した特定波光によって彼女の心臓とでもいうべき黒魔晶石が動き出し、彼女の躯体に波光の供給を始めたこと、それ自体は理解の範疇にある。研究所から波光の発生源までは遥か遠い上、当時の波光観測器では観測できないほどの微々たるものではあったものの、黒魔晶石が励起し、ウルクが動き出したことは認めるしかない。だが、ウルクの中に自我が生まれるなど、想像もつかないことであり、説明もできないことだった。

 奇跡が起きたとしかいいようがないことだ。しかし、この世に奇跡が起きることなどあるものなのだろうか。結果には、原因がある。原因もなく、ただそこに結果だけがあるとは到底考えられない。

 ウルクの自我が芽生えた原因の追求。それこそ、ミドガルドがこのガンディアまでやってきた最大の理由といってもいい。原因が判明し、再現することが可能であるならば、ウルク以外にも自我を持った魔晶人形を誕生させることができるだろう。

 ミドガルドが知るかぎりでは、いまのところ、起動に成功したのはウルクだけなのだ。ウルクの起動後、いくつかの実験機の心核をウルクと同じ黒魔晶石に変更したものの、ウルクのように起動することはなかった。

 やはり、特定波光に合う黒魔晶石でなければならないということなのだろう。

 ミドガルドが小国家群を目指して旅立ってからも部下たちによって研究は続けられただろうが、ウルク以外の魔晶人形が起動した可能性は低い。昨年の六月から一年近く検証し続けて失敗ばかりだったのだ。この数ヶ月で進展するとは、考えにくい。

 その鍵を握るのが、セツナなのだ。

 セツナと黒魔晶石を結ぶ特定波光の解明こそ、ミドガルドたちの研究と開発、魔晶人形の完成へと至る近道にほかならない。

 そんなことを考えていると、ウルクの硬質な靴音が止まった。ミドガルドも足を止めると、彼女が問いかけてくる。

「ミドガルド。ひとつ、伺ってもよろしいですか?」

「改まって、いったいなんだね?」

 振り向く。不完全な魔晶人形の完成された容貌は、いつ見ても惚れ惚れするほどに美しい。

「先ほど、わたしが敵になると仰られましたが、だれの敵になるというのですか?」

「わたしの、いや、ディールのだよ」

「なぜです?」

「君はディールとセツナ伯サマが敵対した場合、どちらにつく?」

「無意味な質問です。わたしはセツナを主と認識しました。である以上、セツナにつくのが道理」

「だろう? 君ならばそうする。わたしとは違う」

 ミドガルドは、ウルクの淡く輝く目を見据えながら、告げた。わかりきった答えだ。迷いもなく、躊躇もない。それはウルクもミドガルドも、という意味だ。どちらの解答にも一瞬の逡巡さえない。ミドガルドは神聖ディール王国につくしかないし、ウルクは、その意思の命じるままにセツナにつくのだろう。それがウルクという自我の定めだというのならば、仕方がない。

 術式制御が効かないのだ。彼女のディールの裏切りを止めるには、彼女を破壊するか、機能停止に追い込むしかない。しかし、敵対した瞬間、彼女はミドガルドの命令にさえ応じなくなるだろう。彼女は完全にセツナを主と認識し、ミドガルドの言葉にさえ耳を貸さなくなるかもしれない。彼女は人形だ。人間ではない。感情はなく、故にその判断は苛烈だ。

 だから、彼女にはミドガルドの立場が理解できない。

「ミドガルドもセツナにつくべきです」

 頭を振る。

「無理だよ。わたしはディールの人間だ。どうなろうと、その立ち位置を変えるつもりはない。変えようがないんだ」

「なぜです?」

「なぜもなにも、わたしがディール人だからさ。ただそれだけのことだよ。わたしの研究も、技術も、聖王国のためのものだ。君を作り上げたのも、本来は国のためだった。君が目覚めてからこの方、随分、目的が変わってしまったがね」

 嘆息とともに自嘲する。

「目的が変わった?」

「君の完成は、手段に過ぎなかった。国に忠を尽くすという目的の手段でしかなかったんだ。だが、君が目覚めた。目覚めてしまった。君という意思が。君という自我が。そうなれば、研究者としては見てみたくなるのが心情じゃないか?」

「なにを見たいのです?」

「君の行き着く先をさ」

「わたしの行き着く先……」

「そのためにはまず、君が生まれた理由を知らなければならない。それこそ、わたしがいま、ここにいる理由なんだよ」

 ウルクがどこからきて、どこへいくのか。

 見届けるのが、生みの親たるものの責務だとミドガルドは想いながらも、胸中で苦笑せざるを得なかった。

 いつからか、手段が目的になってしまっていた。

 魔晶人形ウルクの完成――。

 いまやそれだけがミドガルドの夢となった。



「なんだか御主人様の意思や人格まで無視されていたような気がしますが、それでよろしいのですか?」

 レムが多少なりとも心配そうな表情で尋ねてきたのは、ミドガルドとの交渉が終わってからのことだ。交渉は、エインの機転によって結実し、後日、改めて文章を取り交わすことになった。交渉後、ミドガルドはウルクとともに病室を去ったため、部屋に残ったのはセツナほか、レム、エイン、ラグナの三人と一匹だ。ラグナはミドガルドがいなくなったことで

「そうはいいますけど、セツナ様が俺の提案を断るとは思えませんよ」

「それはそうですが」

「そうなのかよ」

「そうでしょ?」

「違うのですか?」

 エインとレムに同時に見つめられて、セツナは苦い顔をするしかなかった。

「違わねえけどさ!」

「でしょー! やっぱり!」

「御主人様はご自分の意見よりも、周囲の意見に流されますものね」

「人聞きの悪い言い方はよしてくれないか。もっとこう、ひとの意見を尊重する、とかさ。言いようがあるだろ」

 セツナが口を尖らせると、視界の上辺にラグナの頭が入り込んできた。頭の上からこちらを覗き込んでいるのだ。額がひんやりとするのは、彼の胴体や翼が額に張り付いているせいだろう。

「尊重するもなにも、おぬしは一言も発していなかったではないか」

「それこそ、エインとミドガルドさんに任せたってことだろ」

「物は言いようじゃな」

 笑って、ラグナはセツナの視界を落下していった。セツナの顔を覗きこむために無理な体勢を取った結果だ。布団の上に落下した衝撃で小さくうめく奇妙な生き物を見下ろしながら、セツナは、ざまあみろと思ったりした。すると、彼にはセツナの思考を読み取ったかのようにこちらを見上げ、睨んできたが、小さなドラゴンに睨みつけられたところで怖くもなんともなかった。

「まあまあ、セツナ様が口を挟まなかったから交渉が無事に終わったのも事実ですし」

「そういう言い方もどうかと思うぞ」

「事実ではないか」

 ラグナがセツナの腕から肩に飛び移りながら、いってくる。そして肩から頭の上の定位置に戻ろうとした彼を、セツナは左手で捕まえてみせた。ラグナは、まさかセツナに捕まえられるとは想定していなかったのだろう。セツナの手の中の彼は、なにが起こったのかわからず、きょとんとしていた。

「おまえこそ研究されてろよ」

「な、なにをいうか!」

「陛下にラグナさんを研究したいともいっていたそうですよ、ミドガルドさん」

「なんじゃと?」

「ディールは広大な、それこそ小国家群がすっぽり収まるくらいの領土を持っていますが、その領内をくまなく探しまわっても、ドラゴンを見つけることはできなかった、という話ですからね。研究熱心なミドガルドさんには、ラグナさんの存在ほど調べてみたい存在はないのでしょう」

「へえ、いいこと聞いたな。つぎはラグナを交渉材料にしようぜ」

「セ、セツナ、おぬしはなにをいうておるのじゃ!?」

「それでミドガルドさんとの協力を取り付ければ、ガンディアはさらに強くなるぞ」

「まあ、ラグナさんを研究するよりも、セツナ様の体を徹底的に調査して、黒魔晶石との関係を解明するほうが先決みたいですし、ラグナさんを交渉材料にするのは、そのあとのことになりそうですけどね」

「エイン! おぬしまでわしを交渉材料にするつもりか!」

「エイン殿、エイン作戦室長、エイン室長殿、だ、馬鹿者」

「むう……」

 セツナが語気を強めていうと、彼は難しい顔をした。ドラゴンであるラグナには、肩書や立場で言葉遣いを変えるなど、わからないことなのだろう。おそらく――いや、まず間違いなく、レオンガンドを目の前にしても、彼はその傲岸不遜な態度を改めることはないだろう。主と仰ぐセツナに対しても横柄な態度を取っているのだ。主の主であるレオンガンドに

「ははは、俺のことはエインでいいですよ」

「なんじゃ、おぬし、話のわかる相手ではないか。セツナもおぬしのように素直ならのう」

「あら、ラグナ。御主人様は素直ですよ。素直すぎて困るくらいには、素直です」

「褒めてるのか貶してんのかどっちだよ」

「もちろん、賞賛しているつもりでございます」

「はあ……」

 セツナは、レムの満面の笑顔を見て、ため息を浮かべるよりほかなかった。彼女には言葉で勝てるとは思えなかった。

「む……素直、とは違うな。物分りが良ければ、というべきじゃったな」

「どっちてもいいっての」

「どっちでもいいとはなんじゃ! おぬしはもう少しわしに関心を持たぬか!」

「構って欲しいだけじゃねえか」

「そうじゃ、構え!」

「直球だな、おい」

 セツナは、ラグナの振る舞いに思わず笑ってしまった。

「ま、いいや。どうせしばらく暇だ。遊んでやるよ」

「なんじゃなんじゃ、たまには物分りのいいところを見せて、わしの心をくすぐる魂胆か?」

 ラグナの喜びを隠し切れないといった反応は可愛らしいというほかなく、そういう愛嬌がセツナをして彼の相手をさせるのかもしれない。

 すると、エインが立ち上がった。

「さて、俺は王宮に戻りますね。陛下にご報告申し上げて、文書の作成にも取り掛からないといけませんし、アレグリアさんとの打ち合わせもあるし」

「打ち合わせ?」

「参謀局の今後について、ですよ」

「参謀局の今後、ねえ……」

 エインの説明を反芻すると、脳裏に浮かぶのはある男の顔だ。シーゼル以来、二ヶ月あまり顔を見ていない人物は、ガンディアの軍師として知られている。ナーレス=ラグナホルン。

「ナーレスさんに任せときゃいいってわけでもねえのか」

「……ええ」

 こちらを見てうなずいたエインの笑顔は、なにか息苦しさを感じさせるものだった。なぜかはわからない。エインが心から笑っていないのがわかってしまったからかもしれない。それほど、彼には似つかわしくない、不自然な笑顔だった。

「いずれ、俺たちふたりのどちらかが継がなきゃなんないんです。いまのうちに訓練しておけっていう、局長命令なんですよ」

 それから、深々とお辞儀をして、彼は病室を後にした。

 なるほど、と思った。

 局長命令ならば、軍師ナーレス直々の命令ならば、彼もあのような顔をするだろう。ナーレスは、仕事には人一倍厳しい人物だという。エインもアレグリアもナーレスの元で徹底的にしごかれているのだ。そんな軍師様の命令とあらば、厳しい表情にもなろう。

 エインとアレグリアのことを心のなかで応援しながら、セツナは、ラグナの相手をするために頭の上に手をやった。



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