第千百九話 ひとのかたち、いのちのかたち(十一)
ミリュウは、隊舎の通路を歩いている。
エリナをセツナのいる病室に送り届けた跡、ふたりの会話に聞き耳を立てることもなく部屋前から離れた。それから、特に目的地もなく隊舎内を歩き回っているのは、エリナがセツナと話し終えるのを待つためでもあった。ミリュウはエリナの師匠であり、ある意味では保護者でもあるからだ。
廊下の内装の妙な古めかしさは、ルウファ主体の改装が隊舎全体の内装に手を入れるものではなかったからだろう。廊下の壁に取り付けられた魔晶灯も、どこか古いものに見える。もちろん、魔晶灯の灯器こそ古いものの、使用されている魔晶石は定期的に新しいものと交換されているのだが。でなければ、夜の隊舎は真っ暗になってしまう。
《獅子の尾》は、そういうための人員も雇っている。つまり、隊舎の管理人とでもいうべき人員であり、ミリュウたちが隊舎を留守にしている間、隊舎の状態を保ってくれているひとたちだ。長期間隊舎を放置していても埃が積もったりしていないのはそのためだった。レムは自分の仕事が奪われて残念、などといっていたが、いくら彼女でもひとりで埃にまみれた隊舎を掃除するのは骨が折れるだろう。もっとも、彼女のことだ。きっとミリュウやシーラといった手の空いている連中を動員しようとするだろうし、ミリュウも抗えないのだ。
そういう場面が想像出来すぎて、ミリュウは窓の外を眺めながらくすりと笑った。一階の通路。窓の外には、隊舎の庭が見えている。庭では、シーラ率いる黒獣隊の面々がなにやら話し込んでいる。木剣を手にしているところを見ると、訓練中だったのかもしれないし、訓練を終えたばかりなのかもしれない。シーラも、クロナ=スウェンら黒獣隊士たちも肩で息をしているのがわかる。相当激しくやりあったようだ。それでもだれひとり傷を負っていないところを見ると、彼女たちの力量や技量の凄さがわかるというものだ。肩で息をするくらい激しく木剣をぶつけあっても、本能のどこかで相手の体を負傷させまいとするのだろう。攻撃側も防御側もだ。そのために手を抜いていないのは、彼女たちの様子からなんとはなしにわかる。防具をつけてもいないのは、そういう訓練ができるからに違いなかった。
「あれ、ひとりとはめずらしいな」
「そう?」
声に振り見向くと、エスク=ソーマだった。長い黒髪を後ろでひとつに束ねた長身の男は、いつものような皮肉げな表情でこちらを見ている。シドニア戦技隊の隊長を務める彼については、ミリュウはあまり詳しくは知らない。ただ、強烈な皮肉屋で、大将といって頭が上がらないらしいセツナに対してさえ毒づくことが多々あり、その点でいい印象を持っていなかった。セツナを悪くいわれれば、そうもなろう。同じく、レムも、主に対して容赦のないエスクには敵意さえ抱いているようだ。
その印象も、先ほどのことで変わりつつある。
「あんたはいつもだれかと一緒にいると思ってたんだが」
「それ、あんたのほうじゃない」
「……確かに」
エスクは苦笑した。彼は普段、レミル=フォークレイかドーリン=ノーグのどちらかを連れていることが多く、ひとりで出歩いていることなど稀も稀だった。ましてやひとりで隊舎外に出かけることなどあっただろうか。
「で、あんたの弟子ちゃんはちゃんと大将に逢えたのか?」
「ええ、いま、逢って話し込んでるわ」
「そうか。なら、良かった」
エスクがほっとしたような顔を見せた。彼がそんな表情を覗かせるのはめずらしいことのように思えたが、気のせいではあるまい。そもそも、彼が皮肉屋以外の表情を持っていることを知ったのは、つい先日のことだ。瀕死の重傷を負ったセツナが隊舎に運び込まれたとき、エスクは初めて深刻そうな顔をしていた。皮肉も軽口もいわず、セツナの無事を祈る彼の姿は、脳裏に焼き付いている。
「ありがとね」
「ん?」
「弟子ちゃんをここまで送ってくれたことよ」
ミリュウは、エスクに心から感謝し、その想いのままに言葉を述べた。彼がエリナを隊舎まで送り届けてくれなければ、エリナが隊舎に到達するのは夜になっていたか、辿り着くこともできないまま街をさまよい続けていたかもしれない。王都市街の移動手段としては乗合馬車もあるが、乗合馬車では群臣街の《獅子の尾》隊舎まで辿り着くことは不可能に近い。
それに、エリナはなにやら思い詰めていた。ミリュウにさえ話し出せないことがあるようだった。ただセツナに逢いたいという彼女の想いに応えるべく、ミリュウは彼女をセツナに引き合わせた。エリナはミリュウを師匠と仰ぎ、頼ってくれてもいるが、やはり、彼女にとっての心の支えはセツナなのだ。そのことで悲しむようなことはない。ミリュウだって、きっと同じだ。
しかし、その一方で、エスクが旧市街を彷徨うエリナを見つけ、声をかけてくれなければ、いまごろどうなっていたのかと考える。エスクがたまたま旧市街の散策をしていたことが功を奏した、というべきだろう。そして彼がエリナのことを覚えていて、その尋常ならざる様子から声をかけてくれたことはあまりに大きい。
エリナも、エスクを覚えていて、彼に隊舎まで連れて行って欲しいと頼み込んだという。
「ああ、そんなことか」
彼は、きわめて軽くいった。
「ま、あんたの弟子ちゃんは、俺の主にとっても大切なひとらしいしな。大将のことで苦しんでいるってんなら、力を貸したくなるのは当然のことさ」
「あんたって意外と優しいのね」
「意外と、は余計だぜ」
「そうかもね」
「そう、だよ」
それから、エスクは再び苦笑を浮かべ、肩を竦めた。それから、ゆっくりといってくる。
「ま、心から敬愛するひとを失いかけたんだ。嬢ちゃんの気持ちも、少しはわかる」
「そう……」
「なんにせよ、大将が無事でよかった」
彼は、胸を撫で下ろすような声でいってきた
「あのひとに死なれたら、今度こそ、俺の居場所がなくなる」
エスクの一言は、ミリュウの心情とも合致した。この隊舎にいるほとんどの人間に当てはまるのではないか、とも思えた。
ファリアも、レムも、ラグナも、シーラも、そういう想いで、この隊舎にいるのではないか。
セツナで結ばれた絆。
セツナがいなくなれば立ち所に消えてなくなるような、そんな結びつき。
だからこそ大切にしなければならない。
だからこそ、大事にしなければならない。
そのためには、もっと強くなるほかない。
ミリュウは、隊舎の窓際で決意を固めた。
「それこそ、数えきれないほどの命を奪ってきた。きっと、必要以上に殺してきたんだ」
手が、震えている。エリナの小さな手ではなく、セツナの手が、だ。わずかな震えは、彼の心情を示すようだった。
手が、覚えている。
黒き矛の冷ややかな感触も、黒き矛から流れ込んでくる膨大な力も、その力がもたらすものも、なにもかも覚えている。覚えていて、恐れを抱く。黒き矛の力がもたらすのは、破壊だ。圧倒的な力による破壊と殺戮。軽く振っただけで鎧は砕け、胴を両断し、絶命させる。軽く突いただけで兜もろとも頭蓋を貫き、即死させる。振り回せば、周囲の敵はただの肉塊と成り果て、血飛沫がセツナの視界を彩った。むせ返るような血のにおいが鼻腔を満たし、死が、意識を埋め尽くす。
ひとを殺すことをためらわなくなったのは、いつからだろう。
命を奪うことを躊躇しなくなったのは、いつからなのだろう。
この手が血に汚れ、拭いきれなくなったのは、いつなのだろう。
「本当に、本当に多くの……」
「お兄ちゃん……」
エリナが、セツナの顔を覗き込んでくる。あどけない少女の顔はいま、心配そうな表情を浮かべ、セツナの目からなにかを読み取ろうと必死になっているようにも見えた。彼女の想いに応えるには、どうすればいいのか。
セツナは考えながら、口を開いた。口を開けば、言葉が湧き出す。無意識に、考えていたことや思っていることが言葉となってあふれだす。
「だれかを殺したくなんてない。命を奪いたくなんてない。いつだってそう思ってる。でも、戦いになれば、そういってもいられない。戦いなんだ。倒さなきゃ、殺さなきゃ、こっちがやられる。俺がやられなくても、味方の誰かがやられる。だから俺がやるんだ。だれよりも多くの敵を殺して、だれよりも多くの血を流させて、だれよりも多くの死体を積み上げるんだ。それが俺の役目だから。それが俺だから」
エリナの目を、見つめる。彼女もまた、こちらを見ていた。じっと、目をそらすまいとしてくれている。そのことが嬉しくて、悲しくて、妙に寂しい。
「でも、そのことで賞賛されたって、嬉しくもなんともないんだ。英雄だって褒め称えられたって、さ。ただ敵をだれよりも多く殺しただけのことだ。だれよりも多くの命を奪ってきただけのことなんだ。そんなの、褒められたもんじゃない。ほめられるようなことじゃない。胸を張っていられるようなことじゃない」
どれだけ大義を掲げ、綺麗事を並べ立てたところで、セツナのしてきたことは、結局のところ、ただの人殺しなのだ。他者の命を奪ってきた、ただそれだけのことなのだ。それが許される状況とはいえ、冷静に考えると、心が凍てつくほどに恐ろしいことだ。
「エリナ。君の手は、こんなにも真っ白だ」
セツナは、彼女の手を見つめながらいった。
「どうか、血に染めないで欲しい。俺と同じ道を歩まないで欲しい」
「……でも、わたしはお兄ちゃんの力になりたいよ」
「そういってくれるのは嬉しいよ。ありがとう」
エリナの目を見つめながら、微笑む。
「でも、だからこそ、エリナには、俺とは別の道を歩んで欲しいんだ」
この道は修羅の道だ。人道を外れること甚だしく、振り返ってみれば屍山血河が横たわり、心には寒々しい風が吹き抜けるだけだ。そんな道にか弱い少女を巻き込みたくはない。巻き込む必要もない。しかし、エリナは首を横に振った。
「嫌だよ。いくらお兄ちゃんのいうことでも、そんなの、嫌」
「エリナ……」
「わたしは、お兄ちゃんに恩返しがしたい。お母さんもいってたよ。全部、お兄ちゃんのおかげだって。だから、わたしはお兄ちゃんの力になるの」
「……ありがとう」
セツナは、エリナの両肩に手を置いた。彼女の華奢ながらも少しずつ筋肉のつき始めた体は、武装召喚師としての日々の訓練の賜物であることは明白だ。彼女は、いま、武装召喚師としての道を確かに歩み始めているのだ。それを止めることなど、できるわけがない。
わかっていたことだ。
「わかった。エリナの決意は本物だ。だから、止めない。でも、これだけは約束して欲しい」
「約束?」
「ひとを殺すのではなく、ひとを助ける方向で、俺の力になってくれ」
「ひとを助ける……」
「召喚武装は、異世界の武器だ。けど、なにも敵を倒すだけが召喚武装じゃない」
まっさきにクオンのシールドオブメサイアが脳裏を過る。理想は、彼の絶対防御の盾だが、エリナにたとえ武装召喚師としての才能があったとしても、シールドオブメサイアほどの能力を持った召喚武装を呼び出せるとは思えない。しかし、同じような能力を持った召喚武装ならば、呼び出せるようになるかもしれない。そうなればセツナとしてもありがたいことだし、なにより、彼女自身にとってもいいことだ。防御能力に特化した召喚武装ならば、まず負傷することがない。
「敵を倒さなくとも、俺や皆の力になれる召喚武装だってあるはずだ」
「それなら、いい?」
「それなら、俺も安心できる」
「うん!」
エリナの表情がこれでもかという位明るくなる。雲間に日が差したかのようなあざやかな変化。やはり彼女には笑顔が似合う。太陽のような笑顔。見ているこちらの心まで明るくなるような、そんな力があった。
「わたし、頑張るね! 頑張って、武装召喚師になって、お兄ちゃんに恩返しするね!」
「ミリュウにしっかり学ぶんだぞ」
「うん! お兄ちゃん大好き!」
そういって、彼女はセツナに抱きついてきたかと思うと、頬に口づけをしてきた。
「エリナ……」
「あらあら」
「おやおや」
「なんだよおまえら」
「そんなところ、ミリュウ様に見られでもしたら、御主人様が大変な目に遭われていたのかもしれませんので」
「しれんのじゃ」
「そうかよ」
セツナは、しれっとした顔でそんなことをいってきたひとりと一匹を半眼で睨んだあと、エリナに向き直って、彼女の赤らんだ顔を見た。
やはり、彼女もひとりの女性なのだということが明らかになって、だからこそ、たったいま、彼女に想いを伝えることができてよかったとも思った。
ひとを殺さずとも、戦うことはできる。
それは、セツナにはほとんど不可能なことだが、まだひとを殺したこともなければ、ひとを傷つけたこともないエリナにならば、できないはずがなかった。