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第百十話 ナージュの運命

 彼女が目を覚ましたちょうどそのころ、王宮内は天地をひっくり返したかのような騒ぎになっていた。

 騒ぎは、彼女らに貸し与えられた一郭にまで波及してきそうな勢いで、無関係なはずの侍女たちさえもそわそわとしているのが彼女にはおかしかった。

 重いまぶたをこじ開けるでもなく、薄いカーテンをすり抜ける日差しからは目を背ける。日は既に高い。さすがに真昼ではないだろうが、早朝という時間でもなさそうだった。我ながら、寝過ぎたようだ。

「ここにきてから堕落したような気がする」

 ぼそっとつぶやくと、侍女のひとりが密かに同意するのを見逃さなかったが、彼女はなにもいわなかった。事実を否定する気にはなれない。なにより、頭がぼんやりしていて、考えることも放棄したくなりそうだった。

「なにが起きているの?」

 だれとはなしに問うと、侍女のひとりがベッドの脇に歩み寄ってきた。南方人には珍しい白い肌の少女で、その肌の色そのものような純真さはナージュを虜にしていた。

「レオンガンド陛下がマイラムに向けて出立するとかで」

「そういえば、昨日そんなことをいっていたわね……」

 会議室の扉に耳を当てて聞いた話の内容が、そんなようなものだったと朧気ながらに記憶している。半端な記憶だったが、仕方がない。扉越しだったのだ。明瞭に聞こえるわけがなかった。いや、そこまでして聞く気もなかったのだが。

「昨日の今日よ」

 行動の早い王様もいるものだ、と彼女は感心した。

 侍女たちに着替えの準備を促すと、ゆっくりと伸びをした。眠気が脳内に疼いているが、さすがにもう一度寝るわけにも行かないだろう。せめて、レオンガンドの出立を見届ける必要がある。

 ナージュ・ジール=レマニフラにとって、ガンディオンの日々は決して退屈なものではなかった。レマニフラでの日常が同じことの繰り返しで飽き飽きしていたこともあるだろうが、この国には、あの停滞した都市国家にはない活気があった。

 隣国を飲み込み、領土を拡大したばかりのガンディアは、停滞とは程遠い状況にある。だれもかれもが目をぎらつかせている。兵士たちはつぎの戦いで功をあげることを考え、将はつぎの戦がどんなものになるのかと思案している。文官たちも内政に大忙しで、王都の市民にも悲惨さがない。歪みはどこかにあり、暗い影を落としているのだとしても、彼女の視界には見受けられなかった。

 活気と熱気が強烈に渦巻いている。

 それは、クレブールに到着したときにはわからなかったものだ。ルシオンとの国境に近い都市クレブールは、王都から少し離れているためか、ガンディオンほどに熱狂していなかったのだ。もっとも、街のどこでもレオンガンド王の評判は聞こえたものだし、レマニフラにまで轟く黒き矛の噂についても耳にした。

 そして、彼女はガンディア王都ガンディオンに着いた。四日前のことだ。クレブールからガンディオンまでの道中、黒き矛擁する《獅子の尾》隊がナージュたちの護衛につけられた。破格の待遇だといっていい。侍女の助言に従って、クレブールから使者を飛ばしたのが良かったのだろう。ガンディアは、予期せぬ人物の来訪に慌てふためいたに違いない。だから、黒き矛というガンディア最高の戦力を護衛に回してくれたのだ。

 残念なことに、ナージュは黒き矛ことセツナ・ゼノン=カミヤと直接言葉をかわすことができなかった。移動時の彼女に自由はない。父の命令を至上のものとする侍女たちによって、馬車に閉じ込められてしまうからだ。だから、ガンディオンについたときに声をかけようと思ったのだが、それもかなわなかった。王都には、レオンガンド王が待ち受けていたからだ。

 到着即会談というようなことはなかったものの、黒き矛のセツナの顔を伺う暇はなかった。王宮内の一室に案内されると、旅の疲れが一気に噴出してきたのには彼女自身が驚いたものだ。

 レマニフラからガンディオンまで十六日も要した。長い旅路だったと思わざるを得ない。最短距離でなら数日は短縮できたのだろうが、レマニフラを取り巻く情勢がそれを許さなかった。迂回路は、複数の国をまたがっていた。距離自体はそれほどのものではなかったのだが、手続きで手間取ることもあり、こんなにも日数が経過してしまったのだ。

 しかし、みずから志願したことだ。不満も文句もない。それに、ここに至るまでの道中、物珍しい光景をたくさん見ることができた。旅の醍醐味を味わえたのだ。疲労はたまったが、悪いものでもなかった。

 途中、皇魔おうまに襲われたこともあったが、死傷者は数えるほどしか出ていない。長旅で、その程度の損害で済んだのは僥倖といえる。もちろん、彼女に同行したのが精鋭中の精鋭だったというのもあるが。野盗や山賊の類には出くわさなかった。こちらは五百人からなる集団であり、とても賊如きが手に負える相手ではないと判断されたのだろう。

 もっとも、いくつもの国境を越える際、その人数こそが厄介だったのはいうまでもない。

 ナージュがガンディアを訪れたのは、当然観光目的ではない。観光のためだけに五百名に及ぶ護衛を動員させるわけもない。

 レマニフラとガンディアの同盟を持ちかけるためだ。五百名の精鋭はその手土産のひとつであり、彼女自身も同盟を強固にするための道具にすぎない。政略結婚。それはすべてが上手くいった暁の話だ。幸い、レオンガンドは妻を娶っておらず、ナージュも独身だった。そして、ナージュには弟がいる。王位を継ぐのは彼であり、ナージュは政争の道具とならざるを得ない。

 それは乱世の常。彼女にもわかっている。王家の血は国のために流さなければならない。戦場で血を流すのも、他国へ嫁ぐのも、すべて国のためだ。そう、教育されてきた。父を恨むはずもない。しかし、そうだとしても嫁ぐべき相手は知っておきたいのが心情。

 ナージュが今回のガンディア行きに参加したのは、レオンガンドという男を己の目で見るためだった。自分の目で見て、耳で聞かなければならない。彼がいったいどういう人物で、なにを目指しているのか、知らなければならなかった。

 南方都市国家同盟の盟主として名を馳せるレマニフラが、ガンディアと同盟を結ぶことに意義はなさそうに思える。ナージュが考える限りではそうだ。レマニフラとガンディアの間には複数の国が横たわっており、連絡を取ることさえ容易ではない。ガンディアはログナー併呑から北進の意図を隠しておらず、南方のレマニフラと歩調を合わせることはなさそうに思えた。

 そもそも、レマニフラ自体が国土の拡大に消極的な面がある。メウニフラ、クオラーンと結んだ南方都市国家同盟の維持にこそ全力を注いでおり、野心など持ついわれもなかった。国そのものが停滞した空気に包まれるのも、無理はなかったのだろう。

 この同盟は、そんな空気に風穴を開ける意味もある。

 ガンディアは、少国家群のほぼ中央に位置している。中央からならどこへでも侵攻の手を伸ばすことができるだろう。もちろん、ガンディアが南のルシオンや東のミオンと同盟を結んでいることは知っている。かといって、南や東への野心がないわけではあるまい。ザルワーンという強国の存在がある以上、北への対応に追われているだけだ。それが片付けば、同盟国の領土を侵さないように南進することも可能ではあるのだ。

 もっとも、レマニフラが期待しているのはガンディアの南進そのものではない。レマニフラがガンディアと同盟を結んだ暁には、中央のガンディア及びその同盟国と、南方のレマニフラ及びその同盟国の連携により、周辺諸国の行動を牽制することができるかもしれない。その状況をうまく利用すれば、レマニフラが陥っている均衡を突き崩すこともできよう。

(それに……)

 ナージュは、出立の前夜に交わした父との会話を思い出した。


『ガンディアはログナーを呑み、いまや日の出の勢いだ。その勢いは早々には止まらん。ザルワーンをも飲み込むやも知れぬ。そうなった場合、ガンディアは少国家群を席巻し、レマニフラにまで勢力を及ぼすかも知れん』

 神経質そうなイシュゲルの顔には、疲労が浮かんでいた。ガンディアに同盟を求めるか否か。南方都市国家同盟の首脳陣が顔を突き合わせた連日の会議は、王の体調に影響をおよぼすほどに白熱したらしい。

 遠方のガンディアと結ぶよりも、もっと近場の国と交渉するほうが良いのではないかという意見も出たが、結局イシュゲルの提案が通った。

『……滅ぼされますか?』

 ナージュは、イシュゲルの想像は現実にはなるまいと踏んでいた。たかが一国落としただけだ。その一国を飲みこんだガンディアよりもザルワーンのほうが強大だし、勝てるわけがないというのが大方の意見だ。いくら黒き矛の力が凶悪であろうと、覆せないものはある。

 それに、ガンディアがザルワーンに勝ったとして、レマニフラにまで食指を伸ばすまでに何年かかるか。数年、というものではあるまい。

 もっとも、ナージュはみずからの考えを口にすることはなかった。稚拙な考えに過ぎない。国を出たこともない世間知らずが、人から得た知識と空想だけで描き出した未来図。そんなものに価値はなかった。

『同盟を結べなければ、な』

『同盟の約など……』

 力関係が変われば、その程度の約束など台無しにされても文句は言えない。圧倒的な力の前には、なにものも黙るしかないのだ。倫理や道徳など、戦乱の前には意味をなさない。

『そのときのために、おまえをガンディアにくれてやるのだ』

 イシュゲルの落ち窪んだ目が、いつにも増して暗く輝いていた。

『血を残せ。将来に血を繋げ。おまえの血は、ガンディアと交わろうとも、レマニフラ王家の血。王家の血を絶やさぬことこそ、我らの務め』


「血を……」

 つぶやいて、彼女は鼻で笑った。王家の血を遺すための政略結婚。たとえガンディアが滅んだとしても、レマニフラには彼女の弟がいるし、王家の血筋は数多にいる。ナージュの放出は、王家の将来にとって損失などではないのだ。子供の頃から宝石のように持て囃され、大切に育てられた。王家の役目を耳が痛くなるほど教えこまれ、それが当然となった。

 そういう観点から考えれば、父の言葉は道理だった。頭では理解していたし、納得もしていた。ここにいるのもすべてを承知したからだ。だが。

「どうされました? 姫様」

 不遜な笑い方が気になったのだろう。侍女が不安そうに尋ねてきた。

 ナージュは、彼女の白い肌を撫でると、微笑んだ。

「なんでもないわ。さ、行きましょう。いくら鬱陶しく思っていても、挨拶くらいなら受け取ってくれるでしょう」

 彼女は、レオンガンドのうんざりしたような顔を思い浮かべて、くすりと笑った。類稀な容貌の持ち主は、自由気ままに振る舞うナージュの様子に頭を抱えているらしかった。困らせてやろうと思っているわけではない。ただ、両親の目の届かない世界にいるという実感が、彼女の心を浮つかせていた。

 同盟に関する交渉は、ナージュ自身が行うのではない。交渉の場に同席するものの、彼女が口を挟むことはなかった。ただのお飾りだったが、だからこそ、交渉に真剣に取り組むレオンガンドの顔を見つめ続けることもできた。夫となるかもしれない男だ。よく知っておく必要がある。彼のことを一日中考えているのは、きっとそういう理由に違いない。

 ナージュは、黒ずくめの寝間着から、褐色の肌が引き立つであろう白の衣装に着替えている。三人の侍女とともに部屋を出ると、レオンガンド王の居場所を探すために軽く駆け足になった。

 胸中で、父の言葉を反芻する。

(血を絶やしてはならない……か)

 頭で理解することと、心で納得することは違う。それでも、以前は疑問にも感じなかったことだ。それがナージュという人間の人生のすべてだと信じていた。

 しかし、国を離れ、見知らぬ風景の中にいる自分を見つめ返したとき、それではあまりにつまらないのではないかと想うようになってしまった。あってはならない感情も、咎めるものがいない事実が膨張させる。生きるとはなんなのか。他人に運命を操られ、死人のように生きていくことか。

(死人のように……)

 部屋を出る目前に鏡を見たとき、ナージュの顔は死んではいなかった。ここにきてから顔色が良くなったというのは、侍女たちからの評判でもわかる。それはつまり、レマニフラにいたころは顔色が悪かったということだ。

 ナージュには、その理由が痛いほどわかっていた。

 運命の支配者の元を離れたとき、彼女は蘇生したのだ。

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