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第千百六話 ひとのかたち、いのちのかたち(八)

 ミリュウは、隊舎一階の廊下をひとり歩いていた。

 広間を出て、隊舎の正面玄関に向かっている。

 ファリアのいう通りだと思ったからだ。

 感情の整理がつかないからと不機嫌な顔をしていたり、不愉快さを吐き散らしていたら、セツナに嫌われてしまいかねない。

 セツナは、そんなことでは嫌いはしないだろう。セツナはなにもかも受け入れてくれる。どのようなミリュウであっても受け止めて、受け入れてくれる。リヴァイアの知を受け継いでしまった自分をここに置いてくれているということは、そういうことだ。約束もした。きっと、彼ならば殺してくれるだろう。だから安心してここにいられる。彼のことを見ていられる。彼の側で、笑っていられる。

 しかし、セツナもまた、普通の男だ。

 まだ少年のあどけなさを多分に残しているものの、十八歳となり、成人を迎えた彼は、立派な男性なのだ。

 ミリュウがどれだけセツナのことを想い、愛しているといっていても、常に不機嫌で不愉快な顔をしていれば、感情も変化するだろう。表面的にはわからなくとも、奥底で。

 通路を抜け、正面玄関へ至る。隊舎内外の飾り付けが質素なのは、隊舎改装の陣頭指揮を取ったというルウファの意向というよりも、セツナの意向が反映されているらしい。確かに、ルウファならば派手に飾り立てそうなものだ。ルウファが譲らなかったという食堂の内装を見れば想像がつく。

 見慣れた風景ではあるが、ここのところ、隊舎を空けることが多かったことを思えば、懐かしさを感じないではない。

 ここが、彼女の家なのだ。

 玄関を出ると、傭兵集団《蒼き風》の傭兵たちが警戒している場面に遭遇する。隊舎を警備しているのだ。なぜ傭兵団が親衛隊長の居場所を警護しているのかと思うかもしれないが、傭兵団《蒼き風》は、半ばガンディア軍に組み込まれているといっても過言ではなくなっているからだ。新設された傭兵局の局長として《蒼き風》団長シグルド=フォリアーが任命され、シグルドが拝命したことが大きい。元々、《蒼き風》はガンディアと長らく専属契約を結んでいた傭兵団だ。その団長であるシグルドが傭兵を束ねる傭兵局長に任命されるのは道理であり、また、彼が深い付き合いのあるセツナのために警備部隊を差し向けるのも、理解できないことではなかった。

《蒼き風》の突撃隊長ことルクス=ヴェインは、セツナの師匠だ。

「いつも大変ね」

「いやいや、セツナ伯になにかあれば、ガンディアの一大事ですからね」

「ミリュウさん、相変わらずお美しいですな」

「お世辞、ありがと」

「世辞じゃあありませんぜ」

「そういうことにしておくわ」

 軽くいって、ミリュウは彼らから離れた。正面玄関から、ゆっくりと正門へと向かう。そのわずかな距離を歩く間、彼女は、セツナが隊舎に運び込まれたその日、隊舎のみならず、群臣街、王都全体が大騒ぎになったことを思い出した。

 いや、セツナを運びこむ前から騒ぎになっていたのだ。ならないわけがない。それこそ、ミリュウがガンディオンで暮らすようになって最大の騒動といってもいいのではないだろうか。

 セツナがセツナの偽者と戦い、瀕死の重傷を負った――衝撃的な情報は、電撃的な速度と勢いで王都中を駆け抜け、ガンディオンに住むひとびとに強烈な一撃を叩き込んだ。あのセツナがやられたというのだ。あのセツナだ。ガンディアの英雄であり、ザルワーンの守護龍を斃し、クルセルクの巨鬼を屠り、アバードの白狐を滅ぼしたあの黒き矛のセツナが、為す術もなくやられたという。

 これほど衝撃的な報せがあるだろうか。

 王都が震撼したのも当然だったし、多くの人々が嘆き悲しむのも道理だった。

 無論、セツナはこれまで無傷の勝利を得てきたわけではない。多かれ少なかれ傷を負い、ときには命の危機に直面するほどの重傷を負うことだってあった。そのことはだれだってよく知っていることだ。しかし、いまやセツナはガンディア最強の戦士であり、英雄なのだ。その彼が倒れることなど、ガンディオンのひとびとには想像できるわけもなかったのだ。

(あたしも……そうだった)

 ミリュウは、胸に手を当てて、足を止めた。生ぬるい風が頬をなで、少し伸びた髪を弄ぶ。

 ミリュウもまた、セツナの勝利を信じて疑わなかった。セツナが負けるはずはないと思っていた。相手がだれであれ、特にセツナの偽者になど、彼が負けるわけがない。そう想っていた。彼は黒き矛の使い手で、最強無比といってもいいくらいに強い戦士だ。

 さらにいえば、彼は、この一年余りで肉体も鍛え上げ、初めて対峙したときとは比べ物にならない身体能力を得ていたのだ。その上で強化されたカオスブリンガーを手にした彼は無敵だと思えた。ラグナの生まれ変わる前の状態がどれほど強かったのかはミリュウにはわからないが、ファリアたちの話を聞く限りではいまの可愛らしい姿からは想像がつかないほどに凶悪だったという。そんなラグナを消滅させるほどの力を持っているのが、いまのセツナなのだ。

 それだけの男が、負けた。

 ミリュウは血まみれになったセツナを目の当たりにしたとき、頭の中が真っ白になった。全身から血の気が引き、なにも考えられなくなった。そのあと、ルウファが来て、彼がすべての力を振り絞ってセツナを隊舎まで運び込んでくれたのだが、そのときばかりはルウファと彼の召喚武装に心から感謝し、また、セツナを助けてくれたというふたりの奇妙な異国人にも、何度となく感謝した。特に、セツナに応急処置を施し、一命を取り留めてくれたミドガルドには感謝のしようもなかった。

 ミドガルドとしては、感謝されるほどのことではない、ということだったし、ウルクのほうも、当然のことをしたまで、というようなことをいっていた。ふたりがなにもので、どういう理由でセツナを助けたのか、そんなことはどうでもよかった。ミリュウからしてみれば、セツナを助けてくれたというだけで十分すぎるのだ。

 そして、冷静さを取り戻したときに真っ先に考えたのは、自分の無力さについてだ。

(シャルロット=モルガーナ……か)

 思い出すのは、若く美しい女剣士のことだ。長い黒髪に青い目の召喚武装使い(武装召喚師ではあるまい。おそらく、だが)。冷ややかな目と言葉が印象に残っている。そして、剣技の冴えだ。召喚武装を使っているという点を差し引いても実力者であることは疑いがなく、故にミリュウはシャルロットという障壁を突破することができなかった。

 シャルロットの召喚武装は、彼女が手にしていた剣であり、その剣の能力に翻弄された。見えない斬撃。軌道の分からない攻撃。どこからくるのかもわからない数多の攻撃に翻弄され続けた。

 翻弄されたのだ。

 シャルロット=モルガーナには、ミリュウを殺すつもりなどなく、ただ彼女の主であるらしいニーウェ・ラアム=アルスールとセツナの戦いを邪魔されないため、ミリュウの進路を塞いでいたのだ。だから、ミリュウは負傷することは有っても、ことごとく軽傷で済んだ。応急処置の手当で十分なほどの傷。セツナとは比べようもない。

 故にミリュウはセツナにも傷のことはいわなかった。いえば、セツナに責任を感じさせてしまうかもしれない。

 そう考えているのは、ミリュウだけではない。ファリアも、ランスロット=ガーランドという名の武装召喚師と戦ったといい、レムもミーティア・アルマァル=ラナシエラと名乗る女と交戦したという。どちらもふたりの進路を阻み、セツナとニーウェの戦いが終わるとともに消えたことから、ニーウェ配下の人間だろう。

 ファリアはランスロット=ガーランドとの戦闘で負傷し、レムもまた、ミーティア・アルマァル=ラナシエラとの戦いで片腕を切り飛ばされたという。しかし、ふたりとも、セツナに心配をかけまいと黙っていた。レムの場合は隠しようがないのだが、切断された腕はいまや元通りになっており、隠し通そうと思えばいくらでもできるということだった。さすがは死神レムとでもいうべきか。切断面を引っ付けるだけで元に戻ったというのだから、彼女が常人ではないことは疑いようもない。そんな死神でもミーティアなる人物を突破することができなかった。

 ニーウェ配下の三人は、防戦に徹していたのだ。ミリュウたちを倒すのではなく、セツナの元へ辿り着かせないことを目的としていた。逆に、ミリュウたちの目的は、セツナの元へ辿り着くことであり、そのためには進路を塞ぐ敵を倒さなければならなかった。目的が違えば、戦い方も違う。ミリュウも、ファリアも、レムも、ニーウェ配下の三人に翻弄され続けて、終わった。

 とはいえ、長時間戦っていたわけではない。

 ごく短時間。

 それだけセツナとニーウェの戦闘時間が短かったということもあるが、そのわずかな戦闘の間にセツナの元に辿り着き、援護することができていれば、結果は大きく変わっていただろう。

 だから後悔し、無力さに打ちひしがれる。

「ほらよ」

「ありがとう……」

「いいってことよ。ま、大将に会えるかは知らねえがな」

「うん……」

 ふと、聞き知った声同士の会話が耳に飛び込んできて、ミリュウは顔を上げた。いつの間にか俯いていたらしい。

 視界に飛び込んできたのは、正門の内側で立ち止まった馬と、馬から降りたらしいエスク=ソーマ、そして彼の手で馬から降ろされている最中のエリナ=カローヌだった。シドニア戦技隊長のエスクが隊舎に戻ってくるのは当然としても、なぜ、エリナを連れて来ているのか、不思議でならなかった。奇妙な組み合わせだ。エリナがエスクと会話している場面など出くわしたこともない。が、エリナならば、エスクと仲良くなっていても不思議ではなかった。

 エリナは、だれとでも仲良くなる才能がある。

 才能。

 きっと、そう呼んでいいようなものだろう。荒くれ者揃いのシドニア戦技隊の元傭兵たちとも普通に言葉を交わしていたし、戦技隊士たちが頬を緩めてエリナに応対している場面に出くわしたこともあれば、黒獣隊の元侍女たちともまるで友達のように接していた。エリナは、出会ったばかりのひととすぐに打ち解けることができるらしい。

 そういえば、ミリュウともそうだったのかもしれない。

 地上に降ろされたエリナの腕の中から、黒い毛玉が飛び出したかと思うと、あっという間にミリュウのところまでやってきた。小犬のニーウェだ。

「あ、ニーウェ! 師匠!」

「エリナ」

 ミリュウはその場に屈みこんでニーウェの相手をしながら、エリナが駆け寄ってくるのを見ていたのだが、その後ろで、エスクが髪をかきあげながらもわずかに微笑んでいるのが印象的だった。


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