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第千百五話 ひとのかたち、いのちのかたち(七)

「詳細に話してもよかったのですか? ミドガルド」

 ウルクが問いかけてきたのは、ミドガルドたちが病室を出た直後のことだった。病室での三度目の話し合いを終えたミドガルドは、確かな手応えを感じており、満足感を覚えてさえいた。そんなおり、唐突にウルクから問われて、彼は彼女に目を向けた。魔晶人形の表情に変化などなければ、その声が感情を帯びるということもない。いつも通りの無表情で、こちらを見ている。

 両目から漏れる波光は、黒魔晶石の波光とは思えないほどに美しい。

 詳細に話した、というのは、彼女のことについて、だろう。

 ウルクは、人間ではない。ヒトガタ、魔晶人形と呼ばれる存在だ。ミドガルド=ウェハラム率いる魔晶技術研究所が研究開発した最新の魔晶兵器。それが彼女であり、魔晶人形なのだ。魔晶石が持つ力を利用した技術が生み出した人造人間である彼女には、心も、感情もない。しかし、自我があり、意思がある。疑問を感じ、問いかけてくるだけの知能がある。

「ああ。問題はない。問題などあるわけがない。君の正体を知ったところで、魔晶人形のなんたるかを知ったところで、わたしと我が研究所でなければ魔晶人形を開発することなど不可能なのだからね。まがい物を作り出すことさえできないさ」

 それに、と彼は言葉を続けた。ガンディア王立親衛隊《獅子の尾》が隊舎として利用している屋敷の廊下だ。彼は、できるだけ声を絞って話した。どこに監視者がいるのかわかったものではない。余計なことを口走るつもりもないが、勘違いでセツナに警戒されては意味がない。

「調査に応じていただくには、セツナ伯の警戒を解き、納得していただく必要がある。納得には、それだけの情報の提示が必要だ。明かせる限りの情報は明かしてしまえばいい。隠すことなどなにもない。やましいことなどなにもないのだからね」

「セツナは納得するでしょうか」

「どうだろうね。ただ、彼は君に興味を抱いただろう。君と、黒魔晶石と、自分の関係について知りたいと思ったのではないかな」

 ミドガルドの手応えによれば、セツナがこちらの話に聞く耳を持ち始めていることは確かだ。このまま話し合いを続けていれば、そのうち、彼の方から体を調べて欲しいと言い出してくれるのではないか、とも思えた。

「なんにせよ、セツナ伯がうんといってくれるまでここに滞在するつもりだ。なに、時間はいくらでもある。急ぐことでもない。君も、その間はセツナ伯の側で護衛でもなんでもしていればいいさ」

「はい」

「皇子サマがいつなんどき襲ってくるか分かってものではないしね」

「また、セツナを狙うのでしょうか」

「どうだろうね。皇子サマの狙いに関しては、よくわからないな」

 ミドガルドは、渋い顔をして、いった。

 皇子様とは、ニーウェ・ラアム=アルスールのことだ。ザイオン帝国の皇子である彼は、神聖ディール王国が掴んでいる情報によれば、次期皇帝候補争いからは脱落しているということだが、その武装召喚師としての才能、実力は筆舌に尽くしがたいものであり、故に若くして戦爵の爵位を与えられたということだった。そんなニーウェがなぜこのガンディオンにいて、セツナと交戦したのかは、検討がつかない。

 ニーウェの容姿がセツナと瓜二つだということが関係しているのか、どうか。

 そんなことが関係しているはずもないのだが(そもそも、帝国領土から一歩も外に出たことがないはずのニーウェがセツナの容姿を知るわけがない)、ふと、思ったことが妙な引っ掛かりを覚えさせた。

「しかし、あそこまで似ている人間がいるとはね」

「似ていますが、似ていません」

「波光の話かね?」

「はい」

「君ならば、皇子サマとセツナ伯を間違えることはなさそうだ」

「当然です」

 にべもない。

 ミドガルドは、ウルクの無機的な話し方が嫌いではなかったし、むしろ、それこそ彼女なのだと認識してさえいた。そうでなければ物足りないと感じるくらいには、ミドガルドは彼女に魅了されている。もちろん、研究対象として、だ。

 ウルクに自我が芽生え、彼女が自律的な行動を取るようになったのは、完全な誤算だ。そういう意味ではミドガルドたちの研究開発は盛大に失敗した。しかし、それまで失敗続きだった魔晶人形の開発計画が、彼女の目覚めによって再び動き出したのは事実であり、その再始動とともに、魔晶人形の開発計画は新たな段階へと入ったといってもいい。

 そもそも、魔晶人形の開発自体、それまでの魔晶兵器開発とは異なるものだった。

 ただの戦闘兵器ならば人間を模倣する必要はない。それでも人間の模倣に拘り続けたのは、それこそ、ミドガルドを始めとする研究者たちの願望がそこにあったからだ。

 その願望の結実たるウルクがみずからの意思で歩き、みずからの意思で言葉を発することが、ミドガルドにはたまらなく嬉しい。

 それがたとえ、ミドガルドたちの想いとはまったく違った形で現出した自我であり、制御不能の存在だとしても、だ。

 やがて、ミドガルドはこの隊舎でのウルクの持ち場に辿り着くと、部屋の片隅に向かって歩いて行った彼女と分かれ、隊舎を辞した。

 ミドガルドは、神聖ディール王国からの客人として、王宮の中の一室を与えられていた。ガンディアとしては、三大勢力の一角たる神聖ディール王国の人間を変に刺激して、ディール王国を敵に回すようなことがあってはならないと必死なのだ。実際、ミドガルドにもしものことがあれば、ディール王家は黙ってはいまい。

 もっとも、ミドガルドに聖王国とガンディアの間に諍いを起こすつもりなどあるわけもなく、彼は、日々、ガンディアの気遣いに感謝するのみだった。

 おかげで、研究に集中できるというものだ。

 


「うーむ……」

 ミリュウが、難しい顔をしだしたのは、彼女が部屋に入ってきてからのことだった。《獅子の尾》隊舎一階の広間。室内には、ファリアのほか、ミリュウ、シーラ、黒獣隊の面々がいて、ついさきほど、ミドガルド=ウェハラムとともにウルクが入ってきている。ミドガルドはすぐに広間を出て行ったが、ウルクは広間の片隅の定位置まで移動すると、壁を背にして直立不動の体勢に入った。

 直立不動とは、まさに直立不動だ。まっすぐに立って、いっさい動かない。普通の人間ならば微妙に動いたりするものだが、彼女は、そういったことが一切なかった。当然なのかもしれない。ウルクは、人間ではないというのだ。

 魔晶人形、というものらしい。

 魔晶石を動力源とする人造人間だというのだが、そんなものが実際に存在し、人間の手で作り上げられたなど、到底信じられることではないのだが、現実に目の前に存在しているのだから、信じるよりほかない。驚きしかないし、その話を耳にしたときは、ミリュウ、シーラと顔を見合わせて愕然としたものだ。だが、ウルクが人間ではないという話は、なんとなくわかる気がした。彼女には表情がなく、声にも感情がない。すべてにおいて無機的なものを感じさせるのが彼女であり、それこそ、彼女が作られた存在であることを示しているのではないか。

 そんなことを考えながら、ファリアは、手元の書類に視線を戻した。書類には、ファリアがついさっき聞いたことを纏めている最中だった。聞いた、というよりは、盗み聞きした、といったほうが正しい。つまり、病室で行われたミドガルドとセツナの会話を纏めたものなのだ。

 ミドガルドがセツナになにを話すのか、話したことを纏め、報告しろというのは、レオンガンド直々の命令だった。

 ファリアがセツナの病室に耳を欹てていたのは、そういう理由があったのだ。ミリュウとシーラは個人的な理由だろうが。

 ちなみに、ミドガルドたちがセツナの病室を出る直前にはファリアたちも病室前を退散しており、急いで広間に戻ってきている。とはいえ、息が荒くなるほどではない。三人とも、体がなまってなどいないのだ。

「うーん……」

 またしても、ミリュウがうなった。彼女は、長椅子に腰掛けたファリアの隣で、膝を抱えて座っている。

「さっきからどうしたのよ?」

「なんかさ」

「なに?」

「なんか、嫌な感じ」

 ファリアは、横目にウルクのことを見遣った。美しい女性を模した人造人間は、相変わらずの無表情で虚空を見つめている。彼女がなぜ隊舎にいて、この部屋にいるのかは、彼女自身から言明されている。つまるところ、セツナの身辺を警護するためだ。病室ではなく広間に待機しているのは、病室に入っていることが許されているのがレムとラグナだけだからであり、病室前での待機を諦めたのも、マリアに怒られるからだが。

「彼女のこと?」

「……わかんない」

 ミリュウは頭を振って、ぼそりといった。彼女自身、感情の置き所がよくわかっていないという風だった。王都に戻ってきてからというもの、心が休まるときがなかったことが大きいのかもしれない。

 帰還早々、偽者騒動があり、セツナがニーウェに殺されかけるという事件があった。王都中が大騒ぎになる中、ファリアたちはセツナの回復を祈りながら、自分たちの無力さに打ちのめされた。

 無力。

 セツナのためになにをしてやることもできなかった。

 彼を助けるどころか、力になってあげることさえできなかった。

『おまえらがいながらなんでだよ!』

 瀕死のセツナを連れて隊舎に戻った直後、シーラにぶつけられた言葉がいまも耳に残っている。本当にそうだ、と思わざるをえない。

 ファリアだけでなく、ミリュウもレムも、ニーウェと交戦中のセツナの元に辿り着けなかった。ニーウェの仲間(おそらく臣下だろう)がそれだけ強敵だったということなのだが、だとしても、そんなことは言い訳にもならない。セツナのことを思うのならば、無理をしてでも突破し、助勢するべきだった。そうなれば、乱戦になれば、セツナも致命傷を負わなかったのではないか。

 セツナにそういうことをいえば、彼は笑ってこういうだろう。

『そういうことじゃないよ』

 と。

『ファリアたちのせいじゃない』

 という彼のことだ。なにもかも自分のせいにして、自分ひとりで抱え込むのだ。それがセツナの強さであり、弱さなのだから。

 だから、ファリアたちも思い悩む。

 ミリュウが苦しんでいるのも、そういったことが原因なのかもしれない。セツナとゆっくり話し合う時間が取れないのも一因だろう。彼はいま、回復に専念しなければならない。ミリュウにとってセツナはすべてといっても過言ではない。セツナがいるから、彼女はいま、ここにいる。そのセツナが苦しんでいるのになにもしてあげることもできなければ、側にいてあげることもできないというのは、苦痛以外のなにものでもないのだ。

 ファリア自身がそうだ。

 ファリアは、仕事がある。レオンガンド直々の命令によって報告書をまとめ上げなくてはならない。そのため、感情の揺らぎをある程度抑えることができた。しかし、ミリュウにはなにもない。彼女は不安定な精神状態のまま、この数日を過ごしている。

「気晴らしに散歩でもしてきたら?」

「そんな気分じゃない」

 ミリュウは、膝を抱えたまま、ぶっきらぼうに言い返してくる。どこか駄々をこねている子供のようにも聞こえた。となれば、ファリアは彼女の姉のように振る舞うしかない。年下なのに、だ。が、別段、不快感はない。いつものことだ。

「そんな顔してると、セツナに嫌われるわよ」

「セツナがそんなことで嫌うわけないでしょ」

「そうかしらねー」

「どういうことよ」

「セツナだって、不機嫌なミリュウより、いつものミリュウのほうが好きだと思うな」

「……そうかも」

 彼女は、膝の間に埋めていた顔を上げると、抱えていた膝を解いた。ゆっくりと伸びをして、いってくる。

「うん。そうね……ファリアのいう通りよね。ちょっと風に当たってくる」

「いってらっしゃい」

「うん。ありがとね」

「いいのよ」

 ファリアは、ちらっと笑顔を見せた彼女に微笑み返して、彼女が部屋を出ていくさまを見送った。颯爽と広間を出て行く彼女からは、迷いは感じられなかった。少しは吹っ切れたのだろうか。

「なんていうか、扱いになれてんなあ」

 シーラが苦笑交じりに話しかけてきた。

「まあ、そこそこ長い付き合いだし、わかりやすいし」

 ファリアも笑みを浮かべたまま、答えた。

 ミリュウと知り合って、一年近くになる。最初、彼女は敵だった。ザルワーン魔龍窟の武装召喚師という触れ込みで敵対した彼女は、一時、セツナを追い詰めたという。しかし、黒き矛を複製したはいいものの、制御しきれず、暴走し、逆流現象に飲まれた。セツナは、彼女を殺さなかった。セツナは敵には容赦しなかったが、気を失い、戦うことのできなくなった相手まで殺しはしなかったのだ。ただそれだけのことだが、それだけのことが、彼女の運命や人生を変えたと思うと、セツナの判断は正しかったのかもしれない。

 彼女は逆流現象の中で、それまでのセツナのすべてを知り、目が覚めたときにはセツナの虜になっていたらしい。おかげで、ファリアはそれからというもの気苦労が絶えないのだが、悪いことばかりでもなかった。

「ま、確かに。ミリュウはわかりやすいほうか」

「隊長殿もわかりやすいっちゃわかりやすいんだけどねえ」

 と、シーラの対面でにやにやしているのは、クロナ=スウェンだ。。黒獣隊はシーラとその侍女団が元になっている。現在の隊士は皆シーラの侍女であり、だからこそシーラに対して気安いのだろうし、シーラもそれを許し、その気安さを心地よく思っているのかもしれない。

「なにがいいてえんだ?」

「セツナ様が運び込まれたときの取り乱しっぷり、いまでも覚えてますよ」

 クロナが告げると、シーラがきょとんとして、すぐさま顔を真っ赤にした。ファリアの脳裏に、セツナを隊舎に運び込んだときの光景が浮かんだ。シーラが取り乱したのもそうだが、エスクたちシドニア戦技隊の連中も大騒ぎに騒いでいたのを覚えている。皮肉屋エスクが皮肉のひとつもいわず、セツナの無事を祈っていたことが記憶に残っていた。

「わ、忘れろ!」

「忘れませんよ」

「そうそう、忘れられるわけないじゃない。ねえ?」

「まあね」

「てめえら……」

 シーラが、固めた拳を震わせながら、いまにも噴火しそうな勢いで立ち上がった。

「ひとをからかうのもいいかげんにしろ!」

「きゃー、こわいー」

「獣姫が獣になった!」

「逃げろー」

 クロナを筆頭に黒獣隊の面々がシーラに追い立てられるように広間を出て行き、シーラも広間から姿を消した。喧騒は一瞬にして広間を騒音で満たしたかと思うと、次の瞬間には消えてなくなり、その静けさの中でファリアは苦笑を浮かべた。

 広間には、ファリアと、ウェリス=クイード、それにウルクだけが取り残された。


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