第千百一話 ひとのかたち、いのちのかたち(三)
「手酷くやられたんだって?」
ルクス=ヴェインが病室に顔を見せたのは、翌二十日のことだった。
「天下の英雄様もかたなしだな」
銀髪の“剣鬼”は相変わらずの口の悪さで、セツナの傷口に塩を塗りこむようなことを平然と言い放ってくるものだから、セツナも情けない顔をせざるを得なかった。そんなセツナの様子を見てか。ルクスがやけに楽しそうにいってきた。
「まあ、世間の評判はそこまで落ちてないから安心しなよ」
「そこまでってことは、落ちてるんじゃないですか」
「当たり前だろ。ガンディアの英雄、偽者に敗れる……これで評判が落ちないほうがおかしい」
「うう……仕方ないじゃないですか。負けたんですから」
「油断し過ぎなんだよ」
ルクスの言葉に容赦というものはない。
レムはいつものように不動だったが、膝の上のラグナがぴくりとした。ルクスについては剣の師であり、大切ななひとであるとちゃんと説明してあるため、彼が襲いかかるようなことはないだろうが、念のため、右手を彼の背の上に置いた。ルクスのセツナへの言動の辛辣さはいまに始まったことではないのだが、ルクスとあまり面識のないラグナには、少しばかり刺激的かもしれないのだ。
ルクス=ヴェイン。傭兵集団《蒼き風》の突撃隊長にして、“剣鬼”の名をほしいままにする剣の使い手。召喚武装グレイブストーンを用いる彼の剣技に敵うものはいないだろうと言い切れるほどに、凄まじい。
そんな彼の目は、いつものように冷ややかだ。師匠と弟子という関係がそうさせるのだろう。少なくとも、普段のルクスは冷たい人間ではない。
「これまで勝ち続けてきて、慢心してたんじゃないのか?」
「師匠」
「ん?」
「これだけははっきりといっておきますけど、油断なんてしてませんよ。もちろん、慢心もね」
油断なんてできる相手ではないのは最初からわかっていた。黒き矛の眷属とでもいうべきエッジオブサーストとその使い手が相手だったのだ。わずかな油断が命取りになる。いや、そもそも、武装召喚師との戦い自体がそうだ、油断をすれば負ける。そして敗北とは死だ。だから、油断などするわけもない。慢心などするわけもない。
それに勝ち続けてきたという感覚も、ない。
「へえ。油断も慢心もしていなかった、と……そのザマでいうわけだ」
ルクスが皮肉げに笑ってきたが、セツナは静かに認めただけだった。
「ええ」
「言い切るか。わかった。そこまでいうのなら、認めてやろう。油断や過信ではなく、実力で負けた、ということだな?」
「はい」
セツナがあっさりと肯定すると、ルクスは、目を細めた。しばらくの沈黙ののち、口を開く。
「……能力か」
「そういうことです」
「ま、武装召喚師相手じゃ、勝敗なんざ能力次第だからな」
「ニーウェの召喚武装エッジオブサーストは、黒き矛の眷属とでもいうべきものなんですよ」
「黒き矛の眷属? ランスオブデザイアとかと同じか」
当然、師匠であるルクスには、ランスオブデザイアとマスクオブディスペアについて話している。ウェイン・ベルセイン=テウロスが召喚した漆黒の槍と、クレイグ・ゼム=ミドナスが使った闇黒の仮面。どちらも黒き矛の眷属に相応しい力を持っていた。漆黒の槍は特異な能力こそ見せなかったものの、その圧倒的な攻撃力は黒き矛に匹敵し、ウェインの実力も相俟って、強敵として鮮烈な印象を残している。
闇黒の仮面にも、結局のところ、苦戦した。こちらは能力に翻弄されたというべきか、周到に準備された罠が、牙を剥いた。闇黒の仮面そのものに苦戦したというよりは、状況に苦戦したというほうが正しいのかもしれないが、マスクオブディスペアとクレイグが手ごわかったのは間違いない。
そのふたりと比べても、ニーウェは群を抜いていた。
「なるほどな。苦戦するのも当然ってわけか」
「言い訳にしかなりませんが」
「だな。ガンディアの英雄なら、黒き矛のセツナなら勝って当然だ。勝たなきゃならん。それがおまえの役割。これまでさんざん勝ち続けてきたからこそ、いまのおまえがある。おまえがおまえであり続けるためには、これから先も勝利を積み重ねなくちゃならんのさ」
「……はい」
「負けて死ねば終わりなんだ。今回生き残れたのは運が良かっただけだ。そのことを肝に銘じておくんだ。相手がおまえを殺すつもりでいるのなら、なおさらだ」
「はい」
ただうなずくことしかできないのは、いわれずともわかっていることだからだ。改めて言われるまでもない。だが、いわれればいわれるほど、自分の情けなさが浮き彫りになるのも事実で、セツナはルクスの目を見つめながら、自分の置かれている状況に歯噛みした。
ルクスが窓の外を見やりながら、いった。
「とはいえ、ニーウェ・ラアム=アルスール……帝国の皇子か」
「陛下からは戦うな、といわれていますが」
「当然だろうな。皇子を殺せば、帝国が黙っているわけがない。そして、いまのガンディアじゃ帝国を敵に回してただで済むわけがない」
ルクスは、遠い目をしていた。ガンディアと帝国が戦うことになった未来でも想像しているのかもしれない。ふと、そんな考えがよぎる。それから、ルクスがこちらを見て、にやりとした。
「俺としては帝国と戦ってみるのも悪くないんだけどさ」
「はあ?」
「冗談だよ。何百万もの兵力を誇る帝国を相手に戦って、ガンディアが無事に済むはずがないし、俺だってどうなるものか。いや、俺のことはどうだっていいけどさ。団長や副長、団の皆を失うことになりかねないからな」
ルクスはそういったが、言い方からすると、帝国と戦うことになった場合、彼自身、生き残れる自信はなさそうだった。過剰なほどの自信家も、ザイオン帝国という超大国を相手にすれば、そうもなるのだろう。
ルクスは、剣の達人だ。剣の腕に関しては右に出るものがいないといっていいのではないかというほどの実力者であり、超人といっても言い過ぎではないのではないかと想うほどだった。しかし、彼は人間なのだ。人間であるということは、体力に限界があるということであり、どれだけ鍛え上げたとしても、長時間の戦闘に耐えられるものではないということだ。何万、何十万、いや何百万の軍勢を相手に戦い続けられるわけがない。
ルクスですらそうなのだ。シグルド=フォリアーやジン=クレールを始めとする普通の――しかし歴戦の猛者ともいえる――傭兵たちが耐えられるはずもなかった。
それは《蒼き風》だけの話ではない。
ガンディア軍全体の話であり、当然、《獅子の尾》にも関係するところだ。武装召喚師は強い。が、常人と同じく、無尽蔵の体力があるわけでもなければ、無制限に戦い続けることができるわけではない。セツナもそうだ。戦ううちに力尽きるだろう。力尽きれば、いかに黒き矛の使い手であろうと、赤子の手をひねるような簡単さで殺されてしまう。
だから、レオンガンドを始め、多くの人間が帝国を始めとする三大勢力による小国家群への干渉を恐れるのだ。動き出せば最後、ガンディアは抵抗らしい抵抗もできないまま、圧倒的物量に飲み込まれ、滅ぼし尽くされるのだ。
「……そうですね」
「相手がおまえを狙っているのに戦いを避けなくちゃならんのは大変だろうが、皆のためだ」
「わかってますよ」
「おまえが陛下に従順で良かったよ」
らしくもなく、ルクスが笑いかけてきた。皮肉ではなく、素直な感想のようで、それがセツナにはおかしくて、噴き出すしかなかったが。
「とにかく、いまは養生することだ。団長も心配してる。おまえがいなきゃガンディアは立ち行かないし、そうなると、せっかく傭兵局長になった意味がない、ってな」
「シグルドさんらしい」
「だろ。ま、冗談だろうけどさ。体の傷が癒えたら、一から鍛え直してやるから覚悟しておけ」
「一から、ですか?」
背筋が寒くなったのは、ルクスの過酷な訓練を思い出したからにほかならない。
「当たり前だろ。運動に耐えられるように回復するまで体は動かせないんだ。するとどうなる? 筋肉は落ち、体力も減少する。鍛えなおさなきゃ、ニーウェから逃げることもできなくなるんだぞ」
「それはわかってますけど」
「だったら、覚悟するんだな。地獄を見せてやるよ」
愉快そうに告げてきたルクスの表情が、地獄の鬼の表情に見えてきて、セツナはただ茫然とした。
もちろん、ルクスなりの気遣いだということは、わかっている。ルクスなりにセツナに気を使ってくれているのだ。厳しい叱咤も、激励と同じだ。セツナに奮起を促している。それがわかるから、セツナはルクスを嫌いにならないし、むしろどんどん好きになっていく。
彼を師と仰いで正解だったのは間違いない。
「なんじゃ、あやつは」
ルクスが病室を出て行ったあと、ラグナが不愉快そうにうめいた。
「教えただろ。師匠だよ。剣の」
「それはわかっておる。じゃが、わしはどうも好かん。おぬしのことを見下しておるのではないか?」
「師匠だから、見下されても不思議でもなんでもないぞ」
「見下されても平気なのか?」
「別に」
セツナは、ラグナの背の翼と翼の間を指で撫でながら、軽く笑った。ラグナが気持ちよさそうに目を細める。ラグナはどうやらそこを撫でられるのが好きらしい。筋肉が解れたりして気持ちがいいのだろうか。
「むう……そういえば、おぬしは矛の使い手だというに、剣の使い方を学んでおるな?」
「ああ」
「なぜじゃ?」
「……そりゃあ、ほかに師事するべきひとがいなかったからってのもあるし、師匠は、武装召喚師ではなく、召喚武装の使い手だったからだな」
師を求めたのは、必要性を感じたからだ。
あのままでは黒き矛を振り回すのではなく、黒き矛に振り回され続けるのではないかという確信にも似た想いがあった。故にセツナは師を求めたのだが、その師というのは、武装召喚師では駄目だった。周りには優秀な武装召喚師がいた。ファリアもそうだし、ルウファもそうだった。だが、彼や彼女では駄目だったのだ。
武装召喚師に師事するのは、生粋の武装召喚師ではないセツナにはできない相談だったのだ。武装召喚師でもないセツナが武装召喚師に師事するということは、武装召喚術を基礎から学ぶということだろう。武装召喚術の習得には最低十年はかかるといわれている。基礎の基礎さえできていないセツナの場合、もっと時間がかかるかもしれないのだ。
そこまで長い時間を費やすことはできない。
だから、セツナは武装召喚師ではなく、召喚武装の使い手たるルクスに師事したのだ。ルクスが許諾してくれなければ別の相手を探しただろうが、彼が、セツナが弟子となることを認めてくれたことで、その必要はなくなった。
あれから一年以上が経過している。
セツナは、ルクスの厳しい訓練のおかげで強くなれた。少なくとも、一年前の自分とは見違えるほどにはなれただろう。体つきも変われば、体力も大きく増えた。
「つまり、あやつが剣の使い手じゃったから、ということか?」
「そういうこと。まあ、剣の使い方っていうか、戦いの基礎を学んでる感じだけどな」
「ルクス様は厳しくもお優しい方ですし、御主人様の師としてはこれ以上ないお方でございますね」
「ああ。その通りさ」
優しさは、ほとんど見せてくれないが、それもまた、セツナにはちょうどいい塩梅だった。
「おぬしや先輩がそういうのならそうなんじゃろうが。わしは、好かん」
「別に好きになれとはいわないさ。おまえはおまえだからな」
「……おぬしは優しいのう」
ラグナがこちらを見上げながらいってきた言葉の意味は、いまいち理解できない。
「はあ?」
「そんなおぬしが慕う相手じゃ。少しは見込があるということじゃろうな」
「なにいってんだよ。師匠だぞ。見込みがあるとか、そういうことじゃなくて」
「わかっておる。わかっておる」
ラグナのそれは、まるで子供をあやすような言い方だった。セツナは口をとがらせてつぶやいた。
「わかってねえだろ、絶対」
「ラグナはわからず屋でございますね」
「万物の霊長様を相手にわからず屋とは、よくいうたものじゃな」
「うふふ」
「ふふふ……」
「なんだよ笑い合って、気持ちわりいな」
「なんじゃと!」
「気持ち悪いってなんですか!」
ひとりと一匹が同時に叫んできたのを、セツナは両耳を塞いで対抗した。それから、告げる。
「だから騒ぐなよ。マリアに怒られるぞ」
「う……」
「そ、そうですね……お体に障りますし」
ラグナとレムは、互いに顔を見合わせて、わざとらしく笑いあった。彼と彼女は、二度ほど、マリアに怒られている。万物の霊長も、死神も、この病室の支配者たるマリアには敵わないらしい。
そんなひとりと一匹の様子を見ながら、セツナは、小さく笑い、布団の中に潜り込んだ。ルクスと久々に会ったこともあってか、妙に疲れていた。ルクスとの会話には緊張が伴うものなのだ。ルクスには、剣の扱い方を学んでいるわけではない。もちろん、木剣を用いて訓練を行うのだが、彼から学んでいるのは戦闘の本質といったほうがいい。百戦錬磨の“剣鬼”だからこそ学ぶことのできる様々な物事が、セツナにルクスへの尊敬を抱かせ、対峙するだけで緊張を抱かせた。
そんな緊張から開放されたことの心地よさが、セツナを眠りへと誘った。
「おやすみなさいませ、御主人様。良い夢を……」
眠り際、まるでセツナが夢に落ちるのを悟ったかのようなレムの声が、耳に心地よかった。