第千百話 ひとのかたち、いのちのかたち(二)
「わたくしが所長を務める研究所では、長年、魔晶石の研究を行っているのですが、黒色魔晶石は、神聖ディール王国領のイーディルラインでのみ産出が確認されている魔晶石でしてね、我々がこれを発見したのは、つい数年前のことです。当初の研究では、他の魔晶石との差異は、この発光色の違いくらいしかないものだと判断していたのですが、ここ一年あまりの研究で、そうではなかったのだということが判明したのです。やはり、ほかに色違いの魔晶石がないということを考えれば、この黒さにも意味があった、ということなのでしょう」
ミドガルド=ウェハラムは、セツナの手の内にある黒い魔晶石についての言及を始めた。
窓の外の空は赤く燃え上がり、いまにも燃え尽きようとしている。夕刻。話の長いウェハラムのことだ。直に夜が来るだろうが、セツナは構わなかった。疲れも、この前ほどではない。二日あまりの休息が、体力の回復に貢献してくれたようだった。
時折、レムが心配そうに様子を窺ってくるのだが、その都度、セツナは表情だけで大丈夫だと伝えた。すると彼女は安心したとでもいうように微笑を浮かべ、ラグナが小首を傾げたりした。ウルクがそんなラグナを見据えているのが妙におかしかったりしたが、本題は、そこにはない。
「さて……わたくしどもがこの王都を訪れた理由はこの黒魔晶石にあると申しましたが、それは、セツナ伯サマ、あなたサマと深い関わりのあることなのでございます」
「俺と?」
問い返したものの、それ自体についてはわかりきったことではあった。ミドガルドはセツナを調べたがっていたようだし、ウルクもセツナを主と呼んだりしている。きっとセツナの知らないところでなにか関係しているのだろうとは思っていたのだが、どこでどう関係しているのかは想像もつかない。彼らは聖王国の人間で、小国家群の、しかも中心とでもいうべきガンディアとは関係の持ちようがなかった。
「五月五日」
「ん?」
「御主人様の誕生日がどうかされましたか?」
「わしの誕生日でもあるぞ」
「黙ってろ」
セツナは自己主張するように飛び跳ねるラグナを片手で押さえつけた。
「ぐぬ」
奇妙な声を聞いた気がしたが黙殺し、ミドガルドを見やる。魔晶石研究者は、普通の魔晶石を片手で弄びながら、こちらを見つめていた。
「五百二年の五月五日、覚えておられませんか?」
「覚えてるよ。色々あったからな」
「その色々あった中で、セツナ伯サマは、黒き矛を用いられておいでですな?」
「ああ。こいつと戦ったからな」
うなずいて、手の下のラグナを解放する。すると、彼は喜び勇んで飛び上がり、セツナの周囲を旋回して見せた。やはり、小さくとも飛竜は飛竜だ。重力を無視して自在に飛び回れるだけの力がある。
「うむ! わしと戦い、わしが滅ぼされたのじゃ」
「なんで胸を張っていえるんだよ」
「強いものに負けることなど、なんら恥じることではなかろう? おぬしはあのときのわしより強かった。ただそれだけのことじゃ」
「そういうもんか」
「そういうもんじゃ」
彼の真似をするかのようにいってきたラグナに、セツナは、苦笑とともに感心したりもした。確かに、強い相手に負けて恥じる必要はないかもしれない。負けた理由が自分より強いというのならば、情けなくもなんともない。相手が強いのだから、負けるのは当然だ。道理といってもいい。
しかし、とセツナは考える。
(人間に負けても悔しくないのは、結構すごいことじゃないか?)
ラグナにいえばなぜかふんぞり返るのがわかっているから、セツナは思っていることを胸中に押しとどめた。ラグナは転生竜だ。何万年もの間生き死にを繰り返しているという。度量が広いのも当然なのかもしれなかった。
「竜殺しの龍府の領伯の竜退治、うかがっております」
「竜尽くしじゃな」
「なにかと縁があるんだよ」
「なるほど、わしと結びつくのも運命だったというわけじゃな!」
「それでいいよ」
「ふふん。嬉しいのじゃろう。そうじゃろうなあ」
「ラグナが嬉しいのでしょう?」
「うむ」
「うふふ」
肩に止まったラグナを撫でながらレムが微笑む。そんないつもの光景を展開する従者たちを半眼で見遣りながら、セツナはため息を吐いた。ミドガルドが、話しかけづらそうにしているのがわかる。
「話を続けてもよろしいですか?」
「むしろ構わず続けてくれ」
「では」
ミドガルドが、話を続けるためなのか、恭しく一礼した。
「この黒色魔晶石がもっとも強く反応したのが、五月五日のことでした」
「ん?」
「調べたところ、セツナ伯サマが竜退治を行っているちょうどその時刻でございましたので、まず間違いなく、黒き矛とセツナ伯サマの力に反応したということでしょうな。もっとも、時刻を調べることができたのは、ガンディア領土に入ってからのことですがね」
「つまり?」
「黒魔晶石は、黒き矛――引いては、セツナ伯サマの生命力に強く反応を示す、ということです。そして、それを確かめるために、聖王国から遥々ガンディアまでやってきたのが、わたくしども、ということですな」
ミドガルドの説明が確かなのは、セツナの手の上の黒魔晶石を見れば一目瞭然だ。彼が嘘をついていないかぎり、だが。それも、ウルクによる否定が入らないところから、ミドガルドが嘘をついているとは考えにくい。もちろん、ウルクがミドガルドと示し合わせているという可能性もないことはないのだが、そこまで警戒する必要も感じられなかった。少なくとも、ミドガルドが神聖ディール王国からやってきたのは間違いないわけであり、それは、彼の研究への情熱がさせたことなのは、疑いようのない事実なのだ。
その情熱がセツナになにをもたらすのかはわかったものではないが。
ともかく、セツナは、手のひらの上で強く輝く黒い結晶体を見つめた。
「それだけのために?」
「もちろんです。研究成果の実証こそ、研究者の責務であれば当然のことにございましょう」
「わたしとセツナを引き合わせるためではなかったのですか?」
ウルクが横目にミドガルドを見やる。無表情のせいもあるのだろうが、彼女の視線がやけに冷たく感じられた。
「それもある」
「ということは、先ほどの回答は間違いです」
「……ああ、そうだね」
「そっちは、どういうことだ?」
「彼女についても、黒魔晶石と大いに関係があります」
ミドガルドが、ウルクを指し示しながら、告げてくる。
「彼女はご覧のとおり、人間ではございません」
その説明には、セツナも驚きを禁じ得なかった。というより、想像だにしないことだ。
「え!?」
素っ頓狂な声が出たのは、必然といってもいい。
「人間では、ない?」
「やはりのう」
ウルクも驚いており、ラグナだけが納得していた。魂の不在という彼の発言は、あながち間違ってはいなかった、ということなのか、どうか。
「人間にしか見えないんだけど……なあ?」
「はい。わたくしにも、そのようにしか……」
レムが怪訝な顔をしたまま、うなずいてくる。
どこをどう見ても、ウルクは人間だった。髪の先からつま先に至るまで人間の女性そのもので、表情がないことを除けば、不審な点はなかった。
(いや……)
セツナは、ウルクの目に視線を止めた。わずかに発光しているように見える目は、それだけで奇妙だった。そして、よく見ると、不審な点はほかにもあった。最初、虹彩が大きすぎて白目が見えないのかと思ったのだが、どうやら白目自体がないようなのだ。つまり、人間の目ではない。まるで宝石でもはめ込められているような目だった。ラグナの目に似ている。ラグナの目も、白目がない。ラグナの目は、眼球そのものが宝石のようになっている。
ウルクが、その目でミドガルドを睨んだ。
「だからいったのです。人間と同じ姿形にするなど、混乱させるだけだと」
「しかしな、開発者の悲願だよ。ひとの手でひとを作り出すのは」
「わたしは人間ではありません」
「そうだが……似たようなものだ」
「違います」
「……まあ、君と問答をしていても、日が暮れるだけだね」
「肯定します」
ウルクがうなずくと、ミドガルドはやれやれとでもいいたげな表情を浮かべた。そんなふたりのやり取りを見ている限り、ウルクが人間ではない、などとは思えなかった。人間ではないのなら、なぜしゃべることができるのか。原理もなにも不明で、確かなことはひとつもない。
「人間ではないなら、なんなんだ?」
「彼女は、ヒトガタ……現在は、魔晶人形と呼称しています」
「魔晶人形」
反芻して、セツナは、改めてウルクの顔を見た。確かに人形のように整った顔立ちをしているとは、思っていたのだ。絶世の美女にも勝るとも劣らない美しい顔立ちも、常に無表情なのも、人形というのならば納得がいく。人形ならばいくらでも美しく作ることができるし、人形が表情を変えることなどありえないからだ。だが、説明されない限りは、人間としか思えないのもまた、事実だ。
彼女は、極めて人間に似ていた。ミドガルドとウルクの話が事実ならば、人間を模して作られたのだろうが。
「ヒトガタのう。確かにひとによく似せておる」
「ええ。本当に、人間そっくりでございます」
ラグナとレムが驚嘆の声を上げる傍らで、セツナも、素直に驚きを感じていた。人間ではなく、人形。いわゆる人造人間と呼ぶべきものなのだろう。人間が作り上げた、人間に似て非なるもの。そのようなものが、この技術も文明も発展していない異世界に存在するとは、想像できるはずもない。しかし、冷静になって考えてみると、武装召喚術なる魔法があり、魔法を駆使するドラゴンがいて、神が存在する世界だ。セツナの生まれ育った世界よりも人造人間が生まれ得る土壌があったのかもしれない。
「魔晶人形の呼称の通り、彼女は魔晶石を動力としており、その動力源こそ、黒魔晶石なのです。彼女がセツナ伯サマを主と呼ぶのは、そのためなのですよ」
「ミドガルドの仰る通りです。セツナ」
「言葉遣いが悪いのが玉に瑕ですが、そういうことです」
「どういうことだよ?」
ミドガルドとウルクは当然のようにいってくるのだが、セツナには、まだまだ納得出来ないことがあった。
「動力源が黒魔晶石で、黒魔晶石が俺と黒き矛に反応するのはわかったけど、だからって、なんで――」
「それは、また明日以降にでもお話しましょう」
「え?」
さっきまで全力全開で話していた男に突然言葉を遮られて、セツナは、ぽかんとした。ミドガルドは苦笑いを浮かべながらいってくる。
「セツナ伯サマに無理をさせると、後が怖い」
「はあ?」
「この間もウルクに叱られましてね。娘に叱られるのは、もう懲り懲りですので」
「ですから、わたしはあなたの娘ではありません。そして、主に無理をさせれば、叱責するのは当然のことです。ミドガルドといえど、関係ありません」
ウルクは確かに無表情で、声に抑揚もないのだが、ミドガルドへの発言には、どこか怒っている風に感じられて仕方がなかった。きっと気のせいなのだろうが。
「ということですので、話の続きは、また、次回ということで。我々はこれにて失礼させていただきます」
「失礼致します。セツナ」
「あ、ああ……」
ミドガルドとウルクは、セツナの反応を待たずして部屋を出ていった。扉が開いた瞬間、ミリュウ、ファリア、シーラの姿が垣間見えたのだが、それは気のせいではあるまい。彼女たちはきっと、病室の中でなにが行われ、どんな話がされているのか気になって仕方がなかったのだろう。怒る気にはなれない。ふたりが去ってからも室内に入ってこなかったのだ。一応、マリアの言いつけは守っているということだ。
ふたりがいなくなると、病室の中は途端に静寂に包まれた。
「なんといいますか、嵐のようでございましたね」
セツナは手に残された黒魔晶石を見下ろしながら、レムのなんともいいようのない感想を肯定した。
「ああ……まったくな」
黒魔晶石は、相変わらず強く発光している。黒い光だ。目に痛くもなければ、闇を照らすこともないだろう。むしろ、闇に溶けるに違いない。
(これが動力源……ねえ)
だから、セツナを主と仰ぐ、という。
理屈にあっているようであっていないような、そんな違和感を覚えるのは、セツナ自身が黒魔晶石になんの関係もないからだろう。まったく関わりのないところで関わりを持ってしまっている。奇妙な感覚だった。不快感や嫌悪感はないのだが、居心地の悪さは感じる。
「だからいったじゃろう。あのものには魂がない、と」
ラグナがセツナの頭の上に乗りながらいった。これではすぐに寝転べない。
「魂がない人形……か。どうやって動いてるんだろうな」
「神聖ディール王国の技術の賜物、なのでございましょうか?」
レムもまた、理解し難いとでもいうような顔をした。
「そういうことなんだろうけど……不思議な事もあるもんだ」
「そうじゃのう」
「不思議の塊のおまえがいうな」
「なんじゃと! おぬしと先輩の間柄も不思議の塊じゃろうが!」
「そういえば、そうでございますね」
「む……」
レムの反応を聞いて、セツナは口を閉じた。
いわれてみれば、確かにそうかもしれない。
レムは死者で、その命は仮初のものにすぎない。黒き矛の能力によって繋ぎ止められた仮初の生命。生命の同期という名の一方的な繋がり。
命というものがいかに不確かで、不可解なものなのかよくわかるというものだ。故に、よくわからないという矛盾した状態に陥るのだが、考えるだけ無駄なのかもしれない。それだけ黒き矛の力がとんでもないということであり、だから黒魔晶石も反応したのだろうか。
しかし、いま、セツナの手の内にある黒魔晶石は、黒き矛にではなく、セツナに反応しているのだ。
セツナの生命力に反応して、黒く輝いている。
その黒い輝きの美しさは、黒き矛の禍々しさとは似て非なるものだった。