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第十話 遅れてきた女

 焦熱の中で。

 轟然と燃え盛る紅蓮の炎に抱かれた小さな街の片隅で。

 セツナは、いまにも散り散りになりそうな意識を辛くも繋ぎ止めていた。彼の全身を焼いた炎は、強烈な痛みとなって、未だに体の内外で狂ったようにのた打ち回っている。体中をかきむしりたくなる。

 それでも、彼は立っている。

(なんでだろうな)

 セツナは、自問とともに視線を下ろした。周囲には、地獄の風景のような惨状が広がっている。カランという小さな街の公園。園内の器物はもちろんのこと、四方に乱立する建物もまた、真紅の猛火に包まれていた。炎はいつまで燃え続ければ気が済むのだろう。消火作業にも入れそうにないほどの火の勢いには、ただただ呆れるばかりだ。

 彼の眼下には、男が倒れている。長身痩躯。至近距離で見れば、黒髪だということがよくわかった。制服のような着衣は、青みがかっているように見える。もはや竜の頭の装飾が失われた杖を、意識を失ったいまもしっかりと握り締めていた。

 火竜娘かりゅうじょう

 男の召喚武装なのか。召喚武装と一般的な武器の違いはよくわからないが、驚異的な力を持つものが召喚武装だと認識して間違いないのだろうか。その杖の力は身を以て知っていた。火を吹き、爆炎を生み出し、破壊を撒き散らす――恐るべき代物だった。

 杖の炎は街を焼き、セツナの全身を焦がした。

 そして、その勢いは衰えを知らないように街を燃やしている。カランは、明日には灰燼と化しているかもしれない。

 そのときには、セツナの命もまた、燃え尽きているのだ。漠然と認識する。だが、後悔はない。やれるだけのことはやったつもりだった。できるだけのことをしたのだ。胸を張ってもいいのではないか、そんなふうに考えている。

 街を焼き尽くした凶悪な男を倒したのだ。この戦いの素人が、だ。それだけで十分じゃないか。だれも褒めてくれなくてもいい。むしろ罵倒されるかもしれない。馬鹿だと思われるかもしれない。炎の中に飛び込み、犯人を倒したものの、命を落とす。本当に馬鹿げた話だ。くだらない。

 けれど、満ち足りている。

 熱気の中で、妙な爽やかさが彼の心に吹いていた。

 ただひとつだけ、無念に想うことがあるとすれば、それは――。

(はっ……)

 朦朧とする意識の狭間、セツナは、自分の愚かな考えに苦笑した。なにもそこまでしなくていいのではないかとも思う。だが、この惨状見ればなんとかしたいと考えるのも素直な気持ちだった。

 街を燃やす炎を消すことは、できないのだろうか。この小さな町を焼き尽くし、恐らく平穏だった日常を奪い去った炎を消し飛ばしてやりたい。そうすることで、あの小さな少女の笑顔を取り戻せるのではないか。夢想は、力になった。

 セツナは、手の中を見た。黒き矛を握っている。漆黒の矛。凶悪な力を秘めていることはわかっているものの、そのすべてを解明してなどいないのだ。

(これなら……)

 セツナは、矛を両手で握ると、穂先を足元に突き立てた。役目を終えれば消えるというセツナの仮説において、黒き矛は既に役目を終えているはずだった。目の前で気絶している男を叩きのめすためだけに召喚したのだ。その目的は達成している。

 それでも消えていない。

(やり残したことがあるんだな……!)

 それは、セツナの思い込みなのかもしれない。最初から、召喚武装に対する認識が間違っているのかもしれない。召喚と帰還の原理など知るはずもないのだ。間違った認識だったとしても、だれが笑えるだろうか。

 しかし、セツナは、このときばかりは自分の想い込みが必ずしも見当外れではないと確信していた。柄を握る両手に力の反応がある。叫ぶ。

「消し去れ!」

 瞬間、石突に埋め込まれた宝玉がまばゆい光を発した。紺青の閃光は、セツナの網膜をあざやかに染め上げ、意識を突き抜けていくようだった。

 なにか、声が聞こえたような気がした。

(……なんだ?)

 セツナは違和感を覚えたものの、それは一瞬にして消滅した。かわりに復活した全身の痛みが、意識をかき乱す。

 矛の宝玉が発した碧い光は、瞬く間に公園中を包み込む。だが、それだけでは収まらない。猛烈な速度で勢力を増していく。公園の外へ。立ち並ぶ建物を飲み込み、カラン全域に広がっていく。

 セツナは、矛の光がカラン中に行き渡ったことを把握した。矛が教えてくるのだ。上空から見下ろしているような感覚がある。そして理解する。矛の光がなにを為そうとしているのかがわかる。

 セツナは、命じた。

「やれ」

 その一言とともに、カラン全域に拡散していた光が宝玉への逆流を始めた。まばゆい光の洪水が巻き起こる。怒涛の如く黒き矛へと押し寄せる紺青の奔流は、莫大な熱気を引き連れてきていた。

 カラン全域を炎上させていた炎という炎が、光の洪水とともに押し流されてくるかのようだった。抗う術も持たない炎は、光とともに宝玉の中に吸い込まれていく。

 紺青の光と真紅の炎が描き出す多重螺旋の中心で、セツナは、呆然としていた。理解はしたのだ。矛がなにをなそうとしたのかは把握できていた。しかし、想像を遥かに超える事象を目の当たりにしては、あんぐりと口を開けるしかなかった。

 そして、紺青の光に抱かれた猛火は、もはやその熱気を維持することもかなわないのか、矛を持つセツナに傷ひとつ負わせられなかった。ものの数秒で、街中の炎が矛の中に消えてしまった。まさにあっという間だ。セツナ自身、なにがあったのかと思うほどだった。

 セツナの周囲からは、炎が消え失せていた。熱気も消え、急激に冷やされていく。頭上には青空が取り戻され、わずか数秒前まで広がっていた地獄の光景が、嘘のように消え去ってしまった。

 無論、炎に焼かれていた建物が無事だったわけではない。炎が消えただけで、すべてが元通りになるはずもないのだ。

 セツナの視界に映るのは、焼き尽くされ、廃墟と化した町並みだった。黒く焼け焦げた建物の群れが、さながら葬列のように沈黙している。

 燃え尽きた木も、風に吹かれて灰を舞い上げる。街は焼き尽くされていた。炎を取り除くには遅すぎたのだ。もっと早くここに来ていれば、こんなことにはならなかったのか。

 無意味だったのかもしれない。

 セツナは、矛に寄りかかるようになりながら、自嘲気味に笑った。もはや彼の体力は、肉体支えるほども残っていなかった。

 あとは地面に崩れ落ち、意識を失うだけだろう。そして、それは彼の人生の最後なのかもしれない。

 火竜娘の炎が焼いたのは、セツナの全身だ。全身が焼け焦げている。大火傷、などという言葉すら生温いのではないか。それほどの熱量が、皮膚の下で燻っている。黒き矛は、炎は取り除けても、セツナの火傷を消してはくれなかったようだ。

 しかし。

(いいさ。これで)

 なぜか、そんな気持ちだった。

 とても清清しい風が、セツナの心の中を吹き抜けていった。こんな感情を抱くのは、生まれてこの方、初めてに違いなかった。

 悔いはない。

 もっと生きたいとは想うのだ。死にたくなどない。こんなところで死んでも、無駄死に以外のなにものでもないというのもわかっている。

 だが、それでも、心の中を吹き抜ける涼風は、セツナの意識から生死を取り払っていく。生への執着が薄れ、死への恐怖がなくなっていく。

(こんなもんだろ、俺の人生なんて)

 それは諦観なのかもしれない。

 セツナは、ふと笑いたくなった。なぜか、この現状のすべてを笑い飛ばしたくなってしまった。しかし、笑い声など出るはずもなかった。そんな気力も体力も、彼には残されていなかったのだ。

 朦朧とした意識の片隅で、いくつもの靴音が聞こえた。物音ひとつなかった街中に、その足音は異様なほどに反響していた。

「おい君!?」

 セツナは、男の驚きに満ちた声に、そちらを振り返ろうとして、そのまま転倒した。流転する視界の端っこに、若い金髪の男が見えた。心底驚いた青年の表情は、間抜けそのものではあったが、いまはどうでもいいことに違いない。

 睡魔の足音が聞こえていた。




 ファリア=ベルファリアにとって、取り返しのつかない失態などはなかった。彼女の二十二年の人生を振り返っても、そのような失敗は一度たりともなかった。断じて。覆しようのない過ちを犯したことなどないのだ。

 もちろん、そんなものが誇りになどなるはずもないし、その程度のことを自信の拠り所とするほど、彼女は脆弱でも無力でもなかった。

 しかし、と、彼女は頭を振った。

「なんてことなの……」

 呆然と、つぶやく。

 カランの街、その東門の残骸を見上げながら、ファリアは、みずからの過失について考えざるを得なかった。見た目にも若い女だ。やや青みがかった黒髪はやや短め、視力が弱いのか、赤い縁の眼鏡をかけていた。

 眉は細く、切れ長な眼の虹彩は緑柱玉のようだった。整った顔立ちと言えるだろう。本来ならどこか冷ややかな印象を与える顔つきも、いまは落胆一色に染まっていた。

 細身で引き締まった肢体でありながら、そのしなやかな体のラインは女性であることを主張してやまなかった。それは、身に付けている衣服が原因でもあるのだろう。黒と赤を基調としたその装束は、彼女の肢体にぴったりとフィットしているらしく、胸部や臀部の凹凸を強調していた。

「間に合わなかった……」

 彼女は、ただ愕然と東門を仰いでいた。もはやそれは門の体すらなしていない。焼け落ちた二本の柱があり、その周囲に門扉が崩れ落ちていた。

 今やその名残すら見つからないが、昔日の栄光そのものたるカランの東門の雄姿は、国内では有名だったのだ。その東門が失われた。それは、カランにとって、このガンディアにとって大きな損失に違いなかった。

 いや、それだけではない。

 ファリアは、東門の亡骸を越えて、カランの市街に進んだ。東門から西門へと至る通りへと入る。そこでまた、彼女はすぐに足を止めそうになったが、ぐっと堪えた。前進を止めることは許されない。

 焼け野原だった。絶望的なまでの惨状だった。それは、戦禍が過ぎ去った跡といって差し支えないだろう。

 ファリアは、通りの中ほどで、ようやく足を止めた。周囲には、彼女と同様に呆然とした表情の人々が、なにかに取り付かれたかのようにさまよっている。その姿は魂を失った亡者のようであり、絶望そのもののように見えなくもなかった。

「これは……こんな……!?」

 彼女の胸に、さまざまな思いが去来し、無数の記憶が脳裏を駆け巡った。通りの脇に立ち並ぶ家々、点在する商店や雑居ビル、大小さまざまな建物が、このカランという街に創り上げた小さな混沌は、たった半日足らずで失われたのだ。

 この住み難く、歩き辛い上に覚え難い街が大好きだった。生まれ育った町ではないし、こちらにきて何年も経っていないのだが。なにかを気に入るのに、時間はそれほど関係ないだろう。

 彼女は、震える胸に手を当てた。沸きあがるのは怒りであり悲しみであり、なにもできなかった己への敵意だった。自己を呪ったところで、現実は覆らない。そんなことは彼女だって理解していた。しかし、行き場のない怒りは、内へ向かう。

「ファリア!」

「なにかしら?」

 ファリアは、背後からの聞き知った男の大声に、幾分不機嫌なまなざしを向けた。それは彼女にとってとても珍しいことではあった。自身への怒りを他者にぶつけることなど、あってはならないのだ。

 振り返った彼女の視線の先には、思った通りサリス=エリオンの姿があった。金髪碧眼の好青年という言葉が良く似合う若者だった。規定通りにぴっちりと横わけにされた髪型からして堅物そのもののように見られがちな彼の本性を知っているのは、ファリアだけ、ということもない。色白の肌も、軍服染みた制服も、黒々と煤けていた。

「遅い到着、ご苦労様」

「相変わらず嫌みったらしいわね」

 軽く手を上げてきたサリスに対して、ファリアもまた、軽く手を上げて返答した。サリスの爽やかな笑顔は、いつも以上に嫌味に感じ取れて、彼女はそんな自分に嫌気が差した。

「そんなことはないさ。君たちの迅速な対応のおかげで、最悪の事態だけは免れたんだ」

「へ?」

 生返事を浮かべて、即座にファリアは後悔した。きっととてつもなく間抜けな表情になっていたに違いない。ほかの相手ならともかく、サリスの前で曝すべき表情ではない。きっと、つまらないネタにされるのが落ちだ。

「街を焼いた武装召喚師を倒したのって、君たちのお仲間だろう? 違うのかい?」

 サリスの言葉の意味は、寸分の間違いもなく理解できたはずだった。しかし、ファリアには、なんのことだかさっぱり理解できず、またしても間の抜けた声を上げるしかなかったのだった。

「はあ?」

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