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第千九十八話 王国

 夕暮れが迫っている。

 窓の外、晴天の青空が赤みを帯び始めていた。直に夜になる。夜になれば、彼と話し合う時間を持つことなどできないだろう。彼は休まなければならない。長く、深く、休まなければならないのだ。それが、彼のいまの使命といってもよかった。少しでも長く休み、傷を癒やす。それがセツナに課せられた使命であり、そのためには、ファリアたちも我慢しなければならなかった。

(我慢……ねえ)

 まるで子供のようだ、と思わないではないが、実際、彼との時間を我慢しなければならないのだから、考えに間違いがあるわけではない。いまも、彼と接していたいという衝動を抑えこんでいるのだ。我慢しているのだ。

 レオンガンドが来てから長い時間が経過していた。話が長引いているらしい。レオンガンドのことだ。セツナに無理をさせることはないだろうが、それでも心配になる。

 別室に待機しているファリアたちにしてみれば、我慢比べのようなものだったし、ミリュウなどは何度か病室に飛び込もうとして、レムやシーラに取り押さえられたりした。ミリュウがそのような目に合わなければ、ファリアがそうなっていたかもしれない。それくらい、セツナの様子を見たがっている自分がいる。

 瀕死の重傷を負った彼の側にいたい、というのは、そうでもしなければ、彼が生きていることをこの目で確認していなければ安心できないからだ。視界に収め、見守り続けなければ、不安でしかたがない。それは、ファリアたち女性陣の共通認識であるらしいのだが。

「さっきからずっと気になってることがあるんだけど、聞いてもいい?」

 ミリュウが少し苛立たしげに、問いかけてきた。セツナとじっくり話せないことが、彼女の不満を募らせているのははために見てもわかる。ファリアも同じ気持なのだが、ミリュウほど感情を表に出さないこともあって、周囲にはばれていないだろう。

「わたしにわかることならね」

「あの女、いったいなんなの?」

 ミリュウの視線を辿らずとも、彼女がだれのことをいっているのかわかった。わからないはずがなかった。嘆息とともに告げる。彼女自身、知っていることだが。

「……神聖ディール王国のひとよ」

「それは知ってるわよ! なんでディールの人間が《獅子の尾》隊舎にいるのよ!」

 ミリュウが叫んだことで、彼女が苛々している理由のひとつが判明した。つまり、彼女は、神聖ディール王国からの訪問者である女の存在が許せないのだ。

 その女は、セツナが隊舎に運び込まれたときから、ここにいた。長身痩躯。腰まで届く灰色の髪と、光っているように見える目が特徴的な女性で、細身の体にぴったりとした衣服を着込んでいる。表情が乏しい上、口数も少ないため、なにを考えているのかわからないことが多かったが、彼女がなぜかセツナの護衛についているということはわかっている。それは、ミドガルド=ウェハラムの説明のおかげなのだが。

「不思議よね」

「不思議よね、じゃない!」

「ですが、あの方が御主人様を窮地から救ってくださったのは紛れもない事実でございます。そうですよね、ラグナ?」

「先輩の言うとおりじゃ。あのものが我らが主の窮地を救ってくれたのじゃ。わしではなく……のう」

 ラグナがレムの肩の上で、長い首をことさらに低くした。セツナの力になれなかったことが余程応えているらしい。

「それは聞いたし、感謝はしてるわ。でも、だからって、なんでここにいるのよ。おかしくない?」

「ミドガルド=ウェハラムだっけ? あの王国人も、セツナに興味があるって話だし、王国自体、セツナに興味を持ってるんじゃねえの?」

「だから、なんでよ?」

「んなこと、知るかよ」

 シーラが吐き捨てるように、いう。彼女もまた、聖王国の女の存在が気に食わないらしい。その女は、人形のように整った顔立ちをした、いわば美女だ。そんな美女がセツナのために行動しているということが、気に入らないのだ。

 ふと、女がミリュウを見つめていることに気づいた。無機的な、感情のかけらも見当たらない表情を見ていると、人形と向き合っているような、そんな錯覚を抱く。ミリュウが尋ねる。

「なによ?」

「セツナは現在、安静にしなければならない状態です。別室とはいえ、騒音を立てるのは良くないことです」

「わかってるわよ! そんなこと!」

「わかっているのなら、静かにしてください」

 女のすまし顔に、ミリュウの感情が爆発した。

「あんたはいったいなんなのよ!」

「わたしはウルク。セツナを守り、セツナとともにあるもの」

『はあ!?』

 素っ頓狂な声を上げたのは、ミリュウだけではなかった。



「神聖ディール王国……ですか?」

 セツナは、レオンガンドが発した言葉を反芻して、きょとんとした。神聖ディール王国といえば、帝国と並び称される国であり、三大勢力の一角だ。

「そうだ。帝国と同じく三大勢力のひとつで、大陸西部を支配する国。王国。聖王国ともいうな」

「それが……?」

「その聖王国からの訪問者が、君を窮地から救ってくれたのだ。応急処置も、聖王国の人間がしてくれた。マリアがその手際の良さに感心するほどだったが、それはいい」

 レオンガンドの説明に、セツナはただ衝撃を受けた。驚くほかない。ザイオン帝国の人間だけでなく、神聖ディール王国の人間までが絡んでくるなど、想像しようもないことだった。そして、途方も無いことだと思う。

「君に応急処置を施し、一命を取り留めてくれたのはミドガルド=ウェハラム。聖王国の研究所で所長を務めているということだが、なんの研究なのかまでは教えてくれなかったよ。ただ、彼がこの王都にきたのは、研究の一貫ということまではわかっている」

「研究……」

「彼は、君を調べたいといっている」

「俺を……ですか?」

 セツナは、困惑した。自分を調べてどうなるというのか。

「なんでも、君を調べることが、技術革新に繋がるということなのだが、そのへんはよくわからんな」

「許可されたのですか?」

「いや、許すわけがないだろう。君はわたしのものだ。勝手に調べられては困る」

 レオンガンドが微笑を交えながらいってきた。冗談半分、本音半分といったところだろうか。不快感はない。事実、セツナはレオンガンドのものだ。レオンガンドに仕えている。レオンガンドだけがセツナの主なのだから、それについて異論を挟む余地はない。

「はあ……」

「それに、聖王国の人間の研究が、我が国に益をもたらすわけがない。利を得るのは聖王国だけさ。研究成果がどうあれ、なんらかの技術革新に繋がるというのなら、聖王国がより強くなるだけだろう、三大勢力の強化など、認められるはずもない」

 レオンガンドは、冷ややかに断言したが、セツナにもその考えは理解できた。ただでさえ強大な国をさらに強化することを認めれば、ガンディアが小国家群を統一したとしても、なんの意味もなくなるかもしれない。

 小国家群の統一による均衡の構築こそがレオンガンドの目的だ。そのためには、三大勢力の力関係が変化してはならないのだ。

 それは、セツナと黒き矛がニーウェとエッジオブサーストに負けてはならない、ということでもある。ニーウェがセツナを殺し、エッジオブサーストが黒き矛を取り込むということは、帝国が著しく強化されるのと同じだ。

 黒き矛の真の力を得るということなのだから。

 だから、セツナはニーウェに負けられない。勝たなくてはならないのだ。

(殺さずに、勝つ……) 

 簡単なことではない。

「しかし、彼には感謝してもいるのだ。君を救ってくれたのは事実だし、君とこうして話していられるのも、彼と彼の部下のおかげだ」

「あの女の人ですね」

 セツナとニーウェの戦いに割って入り、セツナを絶体絶命の窮地から救ってくれた女性。長い灰色の髪が記憶に残っている。彼女の存在が、なぜかニーウェを撤退させた。撤退理由は不明だが、ニーウェが撤退してくれたおかげでセツナが生き延びたのは事実であり、そして、ニーウェが撤退したのは、ディール王国の女が手助けしてくれたからなのは疑いようのない事実だ。

「ウルクというらしい」

「ウルク」

 聞いたことのある名前だと思ったが、すぐに思い至った。ウルクといえば、セツナの愛馬の名前だった。古代言語で黒を意味する言葉であり、黒馬であることからそう名付けたのだ。その黒馬も、黒き矛のセツナに似合うように、とジゼルコートが選んでくれたものだった。

 その女性の名がウルクなのは、偶然だろう。

「彼女はいま、隊舎にいるぞ」

「ここにですか?」

「君を護衛しているらしい」

「どうしてです?」

「ミドガルドにいわせると、それが彼女のすべて、ということだが」

「すべて……」

「まったく、わけがわからんだろう?」

 レオンガンドが肩を竦めて笑った。確かに、わけがわからない。ミドガルド=ウェハラムの目的も、ウルクと名乗る女の目的も、なにひとつ想像できない。自分を研究すること。自分を護衛すること、底に一体何の意味があるのか。大国の人間の考えなど、想像するだけ無駄なのかもしれない、とも思うのだが、考えずにはいられない。

「帝国に王国。三大勢力のうち、ふたつの勢力がこの王都に現れ、その両者が君を求めている。帝国皇子は君を殺そうとし、聖王国研究者は君を調べたがっている。君を中心に、この事態は動いているといっても過言ではないな」

(俺を中心に……)

 レオンガンドが平然といってきたことが、セツナには衝撃的だった。自分を中心とした事態。そんなこと、いままであっただろうか。これまでの戦いの多くは、セツナはただの戦力だった。ランスオブデザイア、マスクオブディスペアとの戦いこそ、セツナと黒き矛が大いに関係する戦いではあったが、それ以外の戦いや出来事でセツナが中心となったことなどはない。いつだって、セツナは戦力だったのだ。駒だったのだ。

 だというのに、この状況は、セツナを中心に動いているという。

「どちらとも、うまくやり過ごせないものかと考えているのだがな。帝国に関しては、こちらからはどうすることもできない。君がなんとかしてくれるのを願うしかな」

「俺が……」

(なんとかする……か)

 胸中でつぶやいて、とんでもないことだと思った。ニーウェとの戦いは、想像するだけで頭が痛かった。エッジオブサーストの能力さえわかれば、対策も考えつくのかもしれないが、あの程度の戦いでなにがわかるはずもない。

 音もなく、気配もなく、空間への作用もなく、消え、現れた。

 空間転移能力と見るべきかもしれない。カオスブリンガーとは違い、媒介を必要としない空間転移。精神力を消耗するだけならば、無敵の能力といってもいいのではないか、と思えるが、本当にそれだけだろうか。確かに空間から空間に転移したような感じはある。だが、それだけがエッジオブサーストの能力とは思い難い。

 なにかが引っかかる。

「聖王国のことも、君に任せる」

「俺に……ですか!?」

「聖王国は聖王国で邪険にはできないからな。君の体を調べたいというのも、いまのところ断ってはいるのだが、ミドガルドから打診もあってね」

「打診?」

「君のことを調べる代わりに、ガンディアと聖王国の間を執り成してくれる、というのだ」

「聖王国と……同盟を結ぶ、ということですか?」

「いや、そんな大それたことはできんよ」

 セツナの問いに、レオンガンドはすぐさま首を横に振った。

「いま、聖王国と同盟など結んでもみよ。帝国とヴァシュタリアが黙ってはいまい。ガンディアは小国家群の中でも最大の国だ。その国が聖王国と結びつけば、他の二勢力よりも強大な勢力になるのは間違いない。そうさせないためにも二勢力が動き出すだろう。そうなれば、なにもかも台無しだ。三大勢力の間だけで争ってくれるのならば構わんが、地理の関係上、そうはいかないのが現実なのだ。三大勢力が争えば、おのずと小国家群が巻き添えを食う」

 小国家群は、三大勢力に取り囲まれるように存在している。三大勢力が相争えば、小国家群が戦場になるのは、当然の道理といってよかった。たとえ三大勢力にその意図がなくとも、それぞれの軍が動き出せば、そうならざるをえない。

 三大勢力とはそれほどまでに強大なのだ。

「そうならないためにも、三大勢力には沈黙を保っていてもらいたいのだ」

「陛下はなにをお考えなのです?」

「聖王国には、小国家群に手出しをしないよう、黙って見ていてもらいたいのさ。それが、ヴァシュタリアや帝国への牽制にもなる」

「なるほど」

「だから、ミドガルドの機嫌を取りたい、というのも本音だ」

「それなら、俺のすることは決まってるじゃないですか」

「……君が嫌なら応じなくていい」

 レオンガンドのまなざしは、いつになく優しい。まるで重傷のセツナを労ってくれているようだった。実際、そういうつもりもあるのかもしれない。レオンガンドのそういうところがたまらなく好きで、だから、セツナは彼に仕えていてよかったと想うのだ。

「調べるといっても、なにを調べるのかわからない上、そのことが聖王国を強化する可能性もある」

「可能性、ですよね?」

「ああ。そうだ。彼のいう技術革新がどれほどの変化をもたらすのか、皆目見当もつかんからな。案外、なんということもないのかもしれない」

「俺のことを調べて技術革新に繋がるなんて、まったく想像もつきませんが」

「本当にな」

 レオンガンドも苦笑を浮かべた。

 ふと、気づくと、窓の外、夜の帳が降りていた。随分長い間話し込んでいたらしい。そして、理解する。レオンガンドと話し合っている間、セツナは痛みを感じることもなかった。話に夢中で、それどころではなかったらしい。いまさらのように脇腹が悲鳴を上げてきて、苦笑した。その苦笑いが痛みをさらに増加させるものだから、余計に笑えてくる。

「本当に……君はいい仲間を持ったな」

「はい?」

「君を隊舎に運び込んでよかった、とも思うよ」

(……そういえば)

 セツナは、レオンガンドの何気ない一言に、警備も厳重な王宮の医務室ではなく、隊舎の一室にいることを思い出した。通常、セツナほどの立場の人間ならば、王宮の医務室に運び込み、厳重な警備と監視の下に置くはずだ。王宮内ならば、なにが起こっても即座に対処できる上、そもそも、そのような事態に陥ることなどありえないくらいの厳戒態勢が敷かれるはずだ。それなのに、セツナは隊舎にいる。最初から隊舎に運ばれたらしいのは、マリアやファリアたちの話からもわかっている。

「王宮では、こうもいくまい」

「王宮のほうがしっかり見てくれそうですけど」

「王宮警護が、な」

 レオンガンドが複雑な心境を隠さなかった。

「王宮内では、王宮警護と、我が親衛隊くらいしか使えないのだ。王宮だからな。その点、隊舎ならば、軍を動員したところでなんの問題もない。ここは群臣街で、王宮ではない」

 レオンガンドの説明に、セツナは素直に納得した。

「《獅子の尾》だけでなく、君の従者も、君の部下も、君の身辺警護のために使えるからな。君が運び込まれてからずっと、君の部下も配下も寝る間を惜しんで警護に当たっているよ」

「そうだったんですか」

「それだけ、君が慕われているということだ」

 レオンガンドの穏やかなまなざしと声が心に響く。

「それに、傭兵局も総出で隊舎の警備に当たってくれている」

「傭兵局ってことは、シグルドさんが?」

「ああ。彼が言い出したこと。そのために国庫から特別手当を出さなくてはならなくなったが、まあいい」

「すみません、俺のために……」

「君のため……か。確かに君のためだが、君のためは国のためでもあるのだ」

 レオンガンドが、語る。

「君はガンディアの英雄だ。君が偽者と戦い、重傷を負ったというだけで、王都は大騒動になった。その上君の命になにかあってもみよ。大騒ぎどころの話ではないぞ」

 セツナは、レオンガンドの言葉を聞きながら、茫然とした。王都が騒ぎになっているなど、聞いたこともない話だった。きっと、ファリアたちが気を利かせて教えてくれなかったのだろう。

「君を失う訳にはいかない。かといって、君を頼らないわけにもいかない。矛盾しているが、それがこの国の実情なのだ。君がいて、はじめてガンディアは成り立っている」

「そこまで……」

「そこまで重要な位置に、君はいるのだ」

 はっとする。

「だから、君に任せる。君の想うままにしたまえ。なにかあれば、そのときはわたしを頼ってくれればいい。そういうときにしか力になれないのだから」

「陛下……!」

「いつも、君に頼りきりなのだ。たまには頼られたいものさ」

 レオンガンドの微笑みに、セツナは、目頭が熱くなるのを感じた。


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