第千九十七話 国のため
「セツナ。君が無事で本当によかった」
病室に入ってくるなり、レオンガンドはそういってきた。黄金色の頭髪と片方だけの碧眼が、いつもより眩しく見えたのは、レオンガンドがつとめて笑顔を浮かべていてくれたからかもしれない。
セツナは、寝台の上で身動きひとつできぬまま、笑い返した。
「これを無事といえるのかどうか」
「生きているのだ。無事というべきだろう? そして、それで十分だよ」
レオンガンドは、屈託なく笑ってきた。レオンガンドのそういう気の使い方が嬉しくて、セツナは涙がこぼれそうになった。涙脆くなっているのは、年齢のせいなどではなく(まだ十代だ)、寝台から動けない状態だからだろう。ひとの気遣いが嬉しくてたまらないのだ。
レオンガンドは、政務の最中、セツナが意識を取り戻したと聞いていてもたってもいられなくなり、飛んできたということだった。政務はゼフィル=マルディーンをはじめとする側近連中に任せ、自分はひとり、親衛隊を連れてここまできた、というのだ。大国の王に相応しくないくらいの身軽さだが、そういう身軽さこそ、レオンガンドのレオンガンドたる所以なのだろう。
レオンガンドは、セツナが意識を取り戻したことをひとしきり喜ぶと、彼が隊舎にまで飛んできた理由を語り始めた。
「話というのはほかでもない。君が戦った相手のことだ」
「ニーウェですね」
「ああ。ニーウェ。君の偽名と同じ名の人物だが……」
苦笑交じりに、いってくる。ファリアが考えだしてくれた偽名とまったく同じ名の人物がこの世にいるとは、神ならざるセツナには想像もつかないことだ。そして、偽名と同じ名の人物は、セツナと瓜二つであり、黒き矛の片割れとでもいうべきエッジオブサーストの使い手でもあったのだ。そのことについては報告しなければならない。
「彼は、ニーウェ・ラアム=アルスールと名乗ったそうだな。ラグナから聞いたよ」
「ラグナから?」
「ああ。彼がいろいろと教えてくれた」
あのとき、ラグナが側にいてくれたおかげで、セツナが昏睡状態にある間にも情報を伝えることができたということだ。
「君がまったく歯が立たなかったということも、ニーウェの召喚武装――エッジオブサーストといったか――の能力がまるで理解不能だったということも、な」
返す言葉もない。
ラグナのことだ。レオンガンドに問われて、包み隠さず話したのだろう。それがセツナの従僕たるものの役目だと、彼は想ったのだ。そして、その考えは間違いではない。彼は正しく従僕の役割を果たしたのだ。本来セツナが伝えなくてはならないことを余すところなく伝えてくれたのだから、感謝しなければならなかった。
あとでほめてあげよう――などと思いながら、ニーウェのことを考える。
「それでよかった」
「はい?」
セツナは、レオンガンドの発言の意図がわからず、怪訝な顔をした。
「こういうのもなんだが、君が負けてくれてよかったのだ」
「俺が負けてよかった? どういうことです?」
「勘違いしないで欲しいのは、君が殺されかけたのをよしとするわけではない。君が生きているから、ほっとしているのだ」
「それはわかっていますが……」
「なら安心した。君に勘違いされて、恨まれるのは困りものだ」
レオンガンドが笑った。屈託のない笑い方は、セツナの心に染みこんでくるかのようだった。
「さて、なぜ君が負けて良かったのかについて話そう。それはね、彼の正体が関係しているのだ」
「彼……ニーウェの正体?」
「そうだ。ニーウェ・ラアム=アルスールの正体」
「確かに気になりますが」
ラアムという名が意味するものが関係していることは、なんとはなしにわかる。領伯を示すラーズと似た響きがあることから、ニーウェが特別な地位にあるということも想像できている。しかし、それが本当になにを意味するのかは、わからない。
レオンガンドは、静かに告げてきた。
「彼は帝国の皇子だ」
「え……?」
「ザイオン帝国。聞いたことくらいはあるだろう?」
「もちろんです。大陸三大勢力のひとつで、大陸東部を支配しているという……あの帝国ですよね」
セツナは、おそるおそる、答えた。記憶に間違いがあるかもしれないからおそれたのではない。その国の途方も無い巨大さを想像して、おそれたのだ。レオンガンドの発言の意図が、理解出来はじめている。
ワーグラーン大陸には、三大勢力と呼ばれる勢力がある。大陸北部に横たわるヴァシュタリア共同体、大陸西部に君臨する神聖ディール王国、大陸東部を支配するザイオン帝国。小国家群は、それら三大勢力の勢力圏に包囲されるように存在している。
「そうだ。ニーウェ・ラアム=アルスールは、その帝国の皇子だったのだ。調べてみればすぐにわかったよ。現皇帝シウェルハイン・レイグナス=ザイオンの末の皇子で、闘爵という爵位を与えられた人物。次期皇帝候補からは外れているという話だが、それも小国家群に伝わってきている噂に過ぎない。信憑性の薄いものだ」
「ニーウェが……帝国の皇子……」
反芻して、愕然とする。途方も無いことで、まったく想像もつかないことだった。自分と瓜二つの人物がいて、その人物が黒き矛のかけらに選ばれたというだけでも驚きに値するというのに、その人物が帝国の皇子という身分であるというのだから、その驚きは天地を揺るがすほどといっても過言ではない。
「だからさ」
レオンガンドが、ゆっくりと口を開く。
「だから、君が負けて、君が彼を殺さずに済んで良かったというんだ」
「……なるほど」
「君が勝つということは、君が彼を殺すということだ。そうだろう?」
「そうですね」
それは、否定出来ない。
武装召喚師同士の戦いは、基本的には、生死をかけたものになる。勝者が生き、敗者は死ぬ。召喚武装は、強力な兵器だ。加減こそできるとはいえ、そんなことをすれば負けるのが世の常だ。となれば、全力で戦うしかなく、全力でぶつかり合えば、勝敗を分かつのは生死なのだ。
勝つということは、相手を殺すということになる。
負けるということは、相手に殺されるということになる。
それに、生かせば禍根となる可能性も高い。
だから殺す。
苦い経験が、セツナにそういう考えを植え付けている。
「君の手でニーウェが殺されていれば、いまごろどうなっていたか」
レオンガンドの一言に、セツナは背筋が凍るような感覚を覚えた。レオンガンドが、セツナが負けてよかったというのも、よくわかるというものだ。
もし、あのとき、ニーウェの能力を看破し、彼を手にかけていればどうなったのか。想像するだけで恐ろしい。
無論、そんなことはありえなかったからこそ、セツナは重傷を負い、病室から抜け出すこともままならないのだが。
「いや、いますぐどうなるという話ではないが……遠からず帝国が動いただろう。皇子を殺されたのだ。いかに次期皇帝候補から外れているとはいえ、皇子であることに違いはないのだ。帝国は、報復のために軍の動かしただろう。そうなれば、どうなる? 帝国が動くということは、ヴァシュタリア、神聖ディール王国が動くということだ」
「帝国が動いただけで、ですか?」
「当然だ。三大勢力が沈黙を保っているのは、三大勢力の保有戦力が拮抗しているからだ。いずれかの国が小国家群に侵攻する意図を見せてみろ。他の勢力も拮抗状態を維持するため、同じように動くだろう。数百年に渡って大陸を一つの形に保ち続けていた均衡が、音を立てて崩れ去るのだ。……三大勢力の同時侵攻。小国家群は跡形もなく消え去ることだろうな」
レオンガンドが嘆息とともにいった。
小国家群全体と同規模の戦力が三方から押し寄せてくるのだ。弱小国家などあっという間に蹂躙され、
飲み込まれ、押し潰されていくだろう。そして、それはガンディアも変わらない。小国家群の中でこそ大国であり、強国を誇っているが、三大勢力すべてを敵に回して無事でいられるわけがなかった。クルセルクなどの遠方から飲み込まれ、いずれはガンディア本土まで蹂躙され尽くすだろうことは、想像に難くない。
「わたしは、小国家群を大陸四つ目の大勢力にするために動いている。大陸を四大勢力による分割統治状態にすることで、絶対的な均衡を築くのが目的なのだ。ガンディアによる小国家群の統一など、そのための方便のようなものさ」
だから、レオンガンドは、ガンディアの支配権の拡大に手段を選ばないということだ。実力行使で制圧するだけでなく、政治的駆け引きで支配下に置くことも視野に入れている。国土を拡大するだけが能ではないのだ。同盟を結び、その紐帯を強くすることも大事だったし、属国を増やすことも大切だった。大事なのは、いかに早く、すみやかに小国家群を統一できるかどうかなのだ。
「そのためにも、それまでは三大勢力には沈黙を保ち続けてもらわねばならん」
レオンガンドが窓の外に向けていた顔をこちらに向けてきた。隻眼が輝いているように見えた。
「つまり、ニーウェは殺してはならないということだ」
レオンガンドの言葉を聞いてセツナがつばを飲み込んだのは、それがとんでもないことだったからにほかならない。
「だが、ニーウェは君を殺そうとするのだろう?」
「エッジオブサーストの使い手ですから、今後も俺の命を狙おうとするでしょうね」
「つまり君も、ニーウェと戦う理由があるということだ」
「はい」
「黒き矛の力のかけら……か。運命も酷なことをしてくれるものだな」
レオンガンドは、大きくため息をついた。
「しかし、だ。ニーウェを殺すことだけは、許されぬ。そのようなことをすれば、この世の終わりも同じだ。少なくとも、小国家群の歴史は終わる。ニーウェと戦うことになったとしても、彼を殺すことだけはしないでくれ」
「仰せのままに……」
「済まないな。これほどの目に遭いながら、つぎからは加減をしろというのだ。本当に済まない。わたしの考えばかり押し付けて」
「いえ。陛下が国のことを第一に考えるのは、当然のことです。そして俺は陛下の命に従うのみ。そうやってここまできたんです。いまさら異を唱えることなどありませんよ」
そして、苦笑する。
「それに、殺せと命じられるより、殺すなと命じられる方が、気は楽ですから」
「……セツナ」
レオンガンドが、目を細めた。彼がなにを考え、なにを思ったのか、少し知りたくなったが、考えないことにした。レオンガンドの思考など、セツナにはわかるはずもない。レオンガンドの視野は、セツナよりもずっと広く、遥か彼方まで見渡している。セツナには到底及びもつかないことを考えていても不思議ではないし、だからこそ、大国の君主たりうるのだ。
しばらく、沈黙が続いた。
吹き抜ける風が帳を揺らす音だけが、聞こえていた。
「国のためのついでだ。もう一つ、話を聞いてくれるか?」
しばらくのち、レオンガンドがいってきたこともまた、セツナには想像もつかないことだった。




