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第千九十六話 静かに揺れるように

「王都が騒がしいそうですな」

 老召喚師の声は、書庫の薄闇に必要以上に響く。書庫が狭いわけではない。広い書庫のそこかしこに書物を積み上げ、音の逃げ場がないからだろう。

 低くも知性を感じさせる声は、聞き心地のいいものであり、だから彼は、老召喚師の話を聞くのが好きだった。

「なんでもセツナ伯の偽者が出たとか」

「情報が古いな」

 書庫に篭ってばかりいるからだ、などとはいわない。老召喚師には老召喚師の役割がある。例えば書庫に籠り、思索に耽るのも老召喚師の役割であり、ジゼルコートの話し相手になるのもまた、老召喚師の役割だった。

 ジゼルコートがこうして気まぐれのように書庫を訪ね、老召喚師と言葉を交わすのは、昔からの習慣のようなものであり、老召喚師をケルンノールに招いてから変わらず続いている。飽き性なジゼルコートにしてはめずらしいことと言わざるをえない。それだけ、老召喚師との会話が有意義ということなのは間違いなかった。

「はて……偽者騒動は解決したのですかな?」

「むしろ悪化したというべきかな」

「なにを企んでおいでなのやら」

 老召喚師が苦笑を交えながら、いってきた。彼は、ジゼルコートとの会話を続けながらも、古文書の睨み合いを止めようとはしない。もののついで、といった風である。実際、彼にしてみれば、研究の邪魔をされているようなものなのだ。ジゼルコートは、話し相手になってもらえるだけありがたいと思うべきであり、彼が書物との睨み合いを続けることに対してなんら落ち度はなかった。

 近くの椅子に腰を下ろす。書庫は、ガンディア国内のみならず、周辺諸国から取り寄せた様々な書物が収められている。古書の収集はジゼルコートの趣味ではなく、老召喚師の研究のためであり、老召喚師の研究の成果が、彼の私兵団の強化に繋がっているのだから、実益も兼ねている。

「まるでわたしが手引きしたような物言いだな」

「違いましたかな」

「違うよ」

 ジゼルコートは、老召喚師の歯に衣着せぬ物言いが堪らなく好きだった。彼ほどの立場の人間に対し、包み隠さず本音をぶつけられるものなどそういるものではない。普通の人間は、まず、王族である彼にそのような物言いをすれば、不敬罪に当たると考える。そうなれば、持論を引っ込め、彼の言い分を受け入れるのが一般的なものの考えだ。王族であり、領伯である彼の意に逆らおうとするものなどいないのだ。

 老召喚師は、違う。想ったことを想ったまま口にする。それがジゼルコートには小気味いい。口当たりのいい言葉ばかりを並べ立てるものたちとはなにもかもが違った。だから、こうしてたまに彼の顔を覗きにこなければならない。でなければ、自分という人間を見失いかねない。

「この世にセツナ伯に瓜二つの人物がいるなど、想像できようか」

「弟子どもを使ったものだとばかり」

「あなたの弟子がわたしの命令を聞くものか」

「聞くでしょう。まあしかし、セツナ伯そっくりになれるような召喚武装の使い手は、いませなんだか」

「そうだな」

 肯定しながら、苦笑する。わかっていながらあのようなことをいってくるのだから、老召喚師はおかしい。ジゼルコートがどういう人間で、なにを考え、なにを望んでいるのか知りすぎるくらいに知っているから、あのように言及してきたのだろうが。

「それで、悪化というのは?」

「セツナ伯の偽者が、帝国の皇子だったのだよ」

「ほう……それはまた、大問題ですな」

「陛下がどうされるのか。それが問題だ」

「聡明な陛下が選択を間違えるとは思えませぬが」

「ああ、わかっているよ。陛下は聡明で、賢明であらせられる。ガンディアの存続のために間違った選択をされるとは思い難い」

 レオンガンド・レイ=ガンディアの容貌が脳裏を過る。天使のような――と謳われた美しい顔立ちも、ザルワーン戦争以降、精悍さを増していた。片目を失ったことが、彼の美しい顔立ちを険しい物にしたらしい。大国の王に相応しい顔立ちになったと思えば、片目を失ったことは悪いことではなかったのだろう。話を聞く限りでは、レオンガンドの完全な落ち度だが。

 その失敗が、レオンガンドの考えを改めさせたと思えば、むしろ必要なものだったのだ。

「しかし、アバードのことを軍師に一任するようなところもある。セツナ伯に帝国皇子を討たせるかもしれぬ」

「それはなりませぬな」

 老召喚師が、書物をめくる手を止めて、いった。そんなことをすればどうなるものか、彼にもよくわかっているということだ。

 セツナがニーウェ・ラアム=アルスールを殺すことになれば、そのとき、ガンディアは終わることになる。ガンディアだけではない。小国家群そのものが終りを迎える可能性が高い。

「そうなったときには、動かざるを得まい」

「ジゼルコート様みずからが、でございますか?」

「……道を間違えたのならば、刺し違えてでも止める。それがわたしの役目だからな」

 ジゼルコートが静かに告げると、老召喚師は、なにごともなかったかのように書物をめくり始めた。静寂が書庫を包み込み、しばらくの間、彼が書物をめくる音だけが聞こえた。

 ジゼルコートは、老召喚師がなにを考えているのかを想像しながら、ガンディアが直面した事態に茫然としたりもした。

 ザイオン帝国と神聖ディール王国。

 大陸三大勢力のうち、二勢力の人間がこの国を訪れている。一方は、この国にとって重要で必要不可欠な人物の命を狙い、一方は、この国にとって重要で必要不駆な人物を調べようとしているという。両者の考えは相容れぬものであろうが、いずれにしても、ひとりの人物を抱えているからこそ起きた事態といってもいい。

 その人物とは、セツナだ。

 セツナ=カミヤ。セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドともいう。ガンディア初の王宮召喚師であり、王立親衛隊《獅子の尾》隊長にして、エンジュールと龍府の領伯。ジゼルコートと並び立つ唯一の人物である彼は、ガンディア躍進の立役者であり、英雄と呼ばれるほどの人物だった。

 そして、彼にとって最大の障壁でもある。

 ジゼルコートが日夜考えるのは、それだ。

 セツナをどうするか。

 どうすれば、セツナを倒せるのか。

 どうすれば、セツナを排除できるのか。

 そればかりを考える。

 セツナがいる限り、レオンガンドは無敵といってもいいからだ。

 レオンガンドを倒すには、セツナをどうにかしなければならない。

 この一連の事件で、その方策のひとつが思い浮かんだものの、それは叶わぬことだろうとも思えた、

 帝国の皇子が彼に力を貸してくれることなど、ありうべきことではない。

 となれば、帝国皇子には、退散願うよりほかないのだが、帝国皇子の目的がセツナ伯の命ならば、セツナ伯が生きている限り、帝国領に戻ることなどないのだろう。

 では、レオンガンドはどうするのか。

 帝国皇子がセツナの命を狙う限り、セツナに安息はない。

 セツナの安息のために、ガンディアを窮地に立たせるのか。

 それとも。

 ジゼルコートは頭を振って、椅子から立ち上がった。老召喚師がこちらを振り返ってきたので、頭だけを下げて、書庫を出た。

 考えなくてはならないことは山ほどある。

 この国の行く末についてとなれば、なおさらだ。

 


 病室にいる。

 窓の外、晴れ渡った空が見えている。

 九月十六日。

 あれから三日が経過している。丸二日もの間、眠っていたらしい。

『まだ傷口は塞がっていないんだ。無理して動かないことさね』

 マリア=スコールの忠告通り、セツナは、寝台の上から動かないようにしていた。身じろぎすることにさえ気を使う。笑ったりすることさえも、だ。そういった僅かな動作でさえ、体の節々が痛み、悲鳴を上げてくるのだから、よほどの重傷だったということがわかる。

 生きているのは、応急処置のおかげだと、マリアがいっていた。もし、応急処置が間に合わなければ、セツナは死んでいたか、もっとひどい状況になっていただろう、ということだ。もっとも、応急処置を施してくれる人物がいなければ、そのときはファリアが“運命の矢”を射ち込んでくれたことだろうし、そのことをいうと、彼女もうなずいてくれた。

 もちろん、ファリアとしては“運命の矢”に極力頼りたくはないのだろう。そういう考えが、彼女の重い表情に現れていた。

 オーロラストームの矢の一種である“運命の矢”は、セツナを瀕死の大火傷から立ち直らせたほどの回復力をもたらすが、同時に生命力を蝕む能力でもある。寿命を代価として差し出す必要があるのだ。寿命を差し出した結果、回復したのに死ぬということだってありうるらしいのだ。セツナはまだ若く、そうなる可能性は薄いというが、何度も“運命の矢”を使えば、若かろうとも寿命が尽き果てる可能性だってある。

 既に一度、“運命の矢”に救われているのだ。これ以上はセツナに使いたくないというファリアの気持ちも、わからないではない。あくまで最悪の場合、なのだ。

 瀕死の重傷を負うのは、これで何度目だろう。

 窓の外の青空を見遣りながら、考える。嘘のような晴れやかさは、病室という陰鬱としがちな空間にはありがたいほどに眩しい。帳を揺らしながら入ってくる風もまた、心地よい。九月。夏が終わり、秋に入ろうとしている。まだ多少熱気を帯びた風は、次第に冷ややかなものへと変わっていくのだろう。

 大陸には四季があり、季節の変化が時の流れを感じさせる。

 室内には、セツナしかいない。だから、穏やかな静寂が横たわり、緩やかな時間を感じることができるのだ。仲間がいればそうはいかない。賑やかさと騒がしさは同意なのだ。賑やかで騒がしい連中なのだ。彼女らが室内にいれば、ゆっくりと考えていることもできなかったかもしれない。

 目覚めた直後は、ファリアの報告を受けた仲間たちが殺到して、騒がしいどころの話ではなかった。ミリュウが泣き、ラグナが叫び、レムが笑い、シーラが怒り、エスクが皮肉をいってきたりした。ルウファやエミルも話の輪に入ってきたし、レミルとドーリンの気遣いには感謝した。一番驚いたのはエリナだ。ミリュウの弟子である彼女が隊舎にいるのは別段不思議なことではなかったが、エリナが泣きじゃくってセツナに謝ってきたのには驚くほかなかった。

 エリナは、セツナが昏睡状態に陥るほどの傷を負ったのは、自分のせいだといってきたのだ。

 セツナには、まったく理解できない話だった。セツナが深手を負い、丸二日の間寝込んでいたのは、単純にセツナの実力不足だ。エリナにはまったく関係なかったし、どこにエリナが関わっているのか、皆目見当もつかず、泣きじゃくる彼女をなだめるほかなかった。

 やがて、ミリュウたちの説明もあって、エリナが自分を責めている理由がわかった。

 エリナは、セツナがニーウェと戦った日の朝、ニーウェと出くわしたというのだ。そのことをセツナに報告しなかったことがいけなかったのだ、と、彼女は思い込んでしまっていたらしく、ずっと自責の念に駆られていたようだった。セツナはエリナの思い込みを解きほぐすことに苦心したものの、彼女のせいではないということは明白にした。

 エリナがニーウェと出会ったということを知っていたからといって、セツナとニーウェの戦いが起きなかったはずもない。ましてや、結果が変わることなどありえない。ニーウェの能力は相変わらず正体不明なままだっただろうし、一方的に蹂躙されたことだろう。いずれにせよ、殺されかけたのだ。運良く助かったかどうかはわからないが。

 エリナにそこまではいわなかったものの、彼女は納得してくれた。そして、こうもいってきた。

『お兄ちゃんのために早く武装召喚師になるからね!』

 エリナの純粋さは、ひたすらにまばゆく、セツナは目を細めたものだ。

 それから、マリアが彼女たちを追い出すまで時間はかからなかった。仲間たちが騒ぎ過ぎたのだ。騒ぎたいのなら隊舎の外に行け、というマリアの物言いには、セツナも苦笑した。隊舎の別室で騒ぐことさえ禁じられたのだ。

『そうでもしなきゃ、休めないだろ?』

 マリアの言葉には、うなずくほかない。

 それからしばらくの間、隊舎は静寂に包まれていた。が、すぐさま騒ぎになった。

 レオンガンドが訪ねてきたからだ。


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