第千九十四話 聖王国と帝国
「駄目だ」
レオンガンド・レイ=ガンディアは、謁見の間で、その日、何度目かの首を横に振るという行動を取った。謁見の間には、レオンガンド以外に彼の四人の友というべき側近と、エリウス=ログナー、ジルヴェール=ケルンノールが同席している。
そして、いま、レオンガンドと会見を行っているのは、神聖ディール王国からの来訪者であり、だからこそレオンガンドは凄まじいまでの緊張感の中にいた。ひとつでも選択を間違えれば、ガンディアと神聖ディール王国の関係が悪化するかもしれなければ、神聖ディール王国と敵対状態になるかもしれないからだ。ひとつひとつ慎重に、言葉を選び、間違いのない答えをしなければならなかった。
そのうえで、拒絶する。
すると、相手の男は、がっくりと肩を落とすのだ。
「駄目ですか。困りましたね。あの辺境からここまで来るのに三ヶ月以上もかかったというのに、これではなにもかも台無しではないですか。残念です。無念です。いやしかし、どうしても駄目なんでしょうか? これほどお願いしても?」
「駄目なものは駄目だ」
レオンガンドは、嘆息とともに告げる。
相手の名は、ミドガルド=ウェハラムといった。瀕死の重傷を負ったセツナに応急処置を施し、九死に一生を得させた命の恩人でもある彼は、金髪碧眼の男だった。若くはない。四十代くらいだろうか。不健康そうな青白い肌をしており、痩せた体つきもどこか病的だ。身長は高いのだが、ひょろ長いといった言葉がよく似合うような体型だった。身につけた礼服もぶかぶからしい。
一方的にまくしたててくるような喋り方と、眼光鋭いまなざしが特徴的な人物で、一時間ばかり相手にしているとどっと疲れが出てくる。
彼は、神聖ディール王国のとある研究所に所属する研究者であり、また、所長であるという。なにを研究しているのかというと、主に魔晶石に関する研究を進めているといい、その研究のためにこの国に訪れたらしい。そして、その旅の最大の目的とは、セツナとの接触であったというのだ。
レオンガンドが先程から断っているのも、セツナに関することだった。
ミドガルドは、セツナを調べさせて欲しい、というのだ。
「セツナはいま、眠りの中にいるのだろう? そんな状態で調べさせるわけにはいかん」
レオンガンドは渋い顔をした。セツナは、ニーウェ・ラアム=アルスールとの戦いによって重傷を負い、いまは昏睡状態にある。調べさせることなど出来るはずもない。
無論、セツナが無事であっても、そう簡単に許すことはできない。セツナはガンディアの宝だ。至宝といっていい。彼がいたからこそここまで拡大できたのだ。そんな彼を体の隅々まで調べさせて欲しいというのだから、レオンガンドも慎重にならざるをえない。
ミドガルドは神聖ディール王国の研究者だ。主に魔晶石を研究しているという人物がなぜセツナに興味を持ち、彼のことを調べ尽くそうとしているのかはわからないが、その調査がセツナの人格や人間性を無視したものになる可能性がある以上、許可することはできなかった。
そもそも、神聖ディール王国のための研究だろう。ガンディアにはなんの益もなく、であれば、許可する理由はない。
「もちろん、いますぐなどとは申しませんよ。セツナ伯が目覚められ、体調が万全の状態になってからでも構わないのです。わたくしの望みはただ一つ。セツナ伯の体を徹底的に調べさせて頂きたい、ただそれだけなのでございます。それさえ許してもらえれば、わたくしにできることならば、なんでもいたしますがね」
「そなたになにができる? そなたは、神聖ディール王国の一研究者に過ぎぬと申したではないか」
「陛下がお望みとあれば、国との架け橋になるのも吝かではございませんが」
「架け橋……」
「もっとも、我が国と繋がりを持ったところで、我が国が小国家群に対してなにをすることもございませんし、ガンディアにとって喜ばしいことなどなにひとつないでしょうが……ただひとついえることは、それによって陛下の夢も叶えられましょう」
「そなたは……よく知っているようだ」
「調べたのでございます。ここに至るまでに、いろいろと調べあげたのでございます。セツナ伯のことだけでなく、陛下のこと、陛下の夢のこと。大陸小国家群の統一。大それた夢でございますな」
「笑うか」
「そんな滅相もない。わたくしのようにかの国で育ったものからすれば、想像もつかない夢にございますゆえ、少々、驚いたまで。しかしながら、陛下の夢は、大陸にとっても良いものかもしれない、とも思うのです」
「ほう?」
「大陸は大分断から五百年、三大勢力の成立と均衡によって歴史を紡いできました。小国家群だけが取り残された。戦乱に次ぐ戦乱は、小国家群だけを蹂躙した。小国家群だけが血なまぐさい歴史を繰り返してきた。その状況を改めるには、小国家群をひとつの勢力とする以外にはない。わたくしもそう思ったまで」
「ふむ……」
「我が国と結びつくことでガンディアが得られるものはなにもありませんが、小国家群の統一まで我が国が動くことはないという保証は得られるでしょう」
そして、それこそ、レオンガンドが欲して止まないものだ。何年、何十年かかるかわからない小国家群統一の最大の障害が、三大勢力の存在だった。三大勢力が動き出せば、どれだけ統一に近づいていようと、瞬く間に瓦解する。どれだけ戦力を有し、どれだけの兵力を持っていたとしても、三大勢力のいずれかが動き出せば、例外なく他の勢力も動き出し、小国家群はでたらめに破壊される。ガンディアの版図も瞬く間に失われ、彼の夢もなにもかも終わってしまう。
そうならないためにはどうすればいいか。
祈るほか、どうすることもできない。
三大勢力すべてと同盟を結ぶなど、ありえないことだ。そして、どこかひとつと結びつけば、他の二勢力と敵対関係になる可能性が高く、そうなれば、小国家群の蹂躙を許すはめになりかねない。だから、三大勢力のいずれかとも結びつきを持とうとはしなかったのだし、持とうとしたところで、弱小国家であったガンディアの申し出を受け入れる勢力などあろうはずもなかった。
だから、レオンガンドは急いだ。一日でも早くガンディアの国土を拡大し、小国家群の統一を成そうとした。一日でも早く。一瞬でも早く。とにかく、統一を成し遂げなければならなかった。でなければ、三大勢力が動き出すかもしれない。そうなればなにもかも水の泡だ。小国家群を形成する国々も、ガンディアも、あっという間に三大勢力に飲み込まれ、消えてなくなるだろう。
故に急ぎ、ここまできたのだ。
そして、これからも急ぎ続けるだろう。
急がなければならない。
いまでこそ沈黙を守り、均衡を保つ三大勢力だが、いつ動き出すのかわかったものではないのだ。数百年守り続けた沈黙が明日にも破られる可能性だって十分にある。
現に、数百年来音沙汰なかった帝国の人間と王国の人間が、この王都に現れたのだ。
嫌な予感を覚えずにはいられない。
「ミドガルド=ウェハラム。そなたが神聖ディール王国との架け橋になれるという保証がない」
「確かに……。しかしながら、王家が我が研究所に頭が上がらないのは事実なのでございます。その研究所の頂点にあるわたくしめの進言ならば、少なくとも、聞き耳くらいは持ってくれましょう」
「……つまり?」
「ガンディアがどれだけ領土を拡張し、王国を脅かすほどの勢いを見せたとしても、王国が小国家群に手を出すことはない、と約束しましょう」
「……話はわかった。しかし、すぐには許可はできない。少し考えさせてくれ」
「はい、もちろんにございます。ご存分に考え遊ばしてくださいませ。良い返事を期待しております」
そういって、彼は深々と頭を下げた。礼節に通じているのは、彼の挙措動作を見れば一目瞭然だ。慇懃たる態度も、恭しい言葉遣いも、彼が神聖ディール王国内でそれなりの地位にいることを裏付けているかのようだった。
ミドガルド=ウェハラムが謁見の間を去ってから、レオンガンドは小さく息を吐いた。緊張が解け、疲れがどっと出てくる。肉体的にはなんてことはないが、精神的な疲労は凄まじく大きい。相手は一研究者といっていたものの、レオンガンドからしてみれば、神聖ディール王国そのものと対峙しているようなものだったのだ。しかも、彼はディール王家との密接な繋がりを示唆してもいた。判断をひとつ間違えば、小国家群消滅の危機に陥っていたかもしれないのだ。
「とんでもないことになりましたな」
「まったくだ。まったく……途方も無いことになった」
想像だにしない事態とは、まさにこのことだろう。
レオンガンドは、ゼフィルの発言を肯定しながら、しばし虚空を眺め、再び嘆息した。
「まさかセツナの偽者がザイオン帝国の皇子で、セツナの窮地を救ったのが神聖ディール王国の人間とはな」
三大勢力のうち、ふたつの勢力の人間がこの王都に到来するなど、普通、考えられることではない。しかも、その二勢力の人間の目的がどちらもセツナだというのだ。帝国はセツナを殺そうとし、王国はセツナを調査したがっている。
セツナを中心とした新事態は、レオンガンドの頭を大いに悩ませた。
「陛下は、どうお答えになるつもりなのです?」
「……いまはなにも」
エリウスの問いに、レオンガンドは即座にそういった。いまはなにも考えてはいない、という意味だった。実際、いまはなにも考えられなかった。小さな混乱がある。ザイオン帝国とも神聖ディール王国とも敵対したくはない。するべきではないのだ。敵対とはすなわち、小国家群統一という夢の終わりを意味する。小国家群は三大勢力のいずれかに飲み込まれ、この地上から消滅することになる。そうさせないためにレオンガンドは立ち上がり、ガンディアの国土を拡大させてきたのだ。
これからさらに国土を拡大させていこうと考えていた矢先のことだ。
レオンガンドとて、頭を抱えたくもなる。
こういうとき、ナーレスがいれば、的確な答えを導いてくれたのだろうが。
彼はいま、エンジュールにいる。
物言わぬ亡骸となった彼が、エンジュールの地で眠り続けている。
彼は、死んだ。死んだが、彼の死を知っているものはほとんどいない。ナーレスとともにいたオーギュスト、ナーレスの妻であるメリル、そしてレオンガンドだけが、彼の死を認識している。
ナーレスは、みずからの死を秘すことで、生きていると思わせ、それによって各所を牽制したのだ。みずからの死さえも利用するのが、軍師の中の軍師たるもののやり方なのだろうが、レオンガンドとしては、それが悲しくてたまらなかった。
彼が生きている限り、彼の死を悼んでやることもできないのだ。
それが辛く、苦しい。
「目が覚めたら、セツナに決めさせようと思う」
「そうですね。それがいいでしょう」
と、レオンガンドの意見を肯定したのは、ジルヴェールだった。ジルヴェールの秀麗な横顔を一瞥して、告げる。
「セツナなら、認めるだろうがな」
彼は、国のためにならばなんだってするような人物だった。だからこそ愛おしく、だからこそ、痛々しい。
《獅子の尾》隊舎に運び込まれたセツナを見た時、レオンガンドはつい涙しそうになった。泣かずに済んだのは、ほかにもひとがいたからだ。
セツナが瀕死の重傷を負うのは、これで何度目だろう。何度、彼は生死の境をさまよっているのだろう。彼は十八歳。成人したとはいえ、無理をさせすぎているのではないか。自分が彼にニーウェの捜索を命じたから、このようなことになったのではないか。そう思う一方、黒き矛のセツナですらこうなったのだから、ほかの人間を差し向けたところでどうにもならなかったのだろうとも、思う。事実、そうだろう。
セツナはガンディアにおいて最強の戦士だ。黒き矛を手にした彼に敵うものなどいない。だからこそ、衝撃は大きく、波紋は広がり続けている。
セツナが重傷を負ったという情報は、現在、王都に動揺を広げている。