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第千九十二話 セツナとニーウェ、そして……

 ニーウェ・ラアム=アルスールと名乗ったその男との戦いは、熾烈を極めた。

 闇黒の仮面マスクオブディスペアを取り込み、強化されたはずの黒き矛の力を持ってしても捉えきれない速度で移動する相手に、セツナはただただ翻弄された。超速の斬撃は軽々と避けられ、不意をついたはずの突きも難なくかわされた。虚を突く光線発射も意味をなさず地面に穴を開けただけで、ニーウェに一撃を叩きこむどころかかすり傷ひとつ負わせられない状態が続いた。とはいえ、ニーウェもニーウェで、セツナに傷を負わせられたのは最初の一撃だけだが。

(いや、それだけで十分過ぎる……)

 セツナは背中から感じる熱量と痛みに顔をしかめながら、ニーウェとの間合いを図った。離れている。ニーウェが間合いを取っているのだ。二刀一対の短刀であるエッジオブサーストの攻撃範囲よりも、そしてカオスブリンガーの攻撃範囲よりも遥かに広い間合い。敵を倒すための距離感ではない。が、その間合いこそが彼の間合いなのだということは、ここまでの戦いでわかりきっている。セツナにしても一足飛びで埋められる程度の間合いではあるが、ニーウェの場合は、さらに簡単に間合いを詰められる。それこそ、セツナが気づかないほどの速度で、一瞬にして、だ。だから、ニーウェは間合いを取りながら、こちらの攻撃手段を観察するかのように悠然としていられるのだろう。

 最初に食らった一撃が致命傷に近い。

 右肩から臀部にかけて斬られている。ただ、切り口が浅いから助かっているようなものだ。もう少し深く斬られていれば、セツナは絶命していただろう。そして、いまも、死に近づいているのではないか。血が流れている。止まらない。止めようがない。相手は彼を殺すつもりできている。止血する時間など、与えてくれるはずもない。

 速攻で倒すしかないのだが、全速力で襲いかかっても避けられるだけなのだ。そのうえ、攻防ともに精彩を欠いた。背の傷口が常に痛みを訴えてきている。激しく動けば動くほど、その痛みは強くなり、激しくなる。戦いに集中できない。

「どうしたのじゃ? らしくないのう」

「らしいもなにも……!」

 吐き捨てるように言い返しながら、セツナは、地面を蹴って前に飛んだ。ラグナの魔法による援護は期待できない。そんなものを期待して戦うべき相手ではない。自分の手で、自分と黒き矛の力で倒さなければならない相手だ。

 自分とまったく同じ顔、同じ姿、同じ声をしたもうひとりの自分。

 パラレルワールド。

 ここは異世界。

 もうひとりの自分がいたとしても、なんら不思議ではなかったのだろう。そういう可能性に思い至らなかっただけで。

 猛烈な勢いで飛びかかるも、ニーウェは、いつの間にかセツナの斬撃の届かない位置にいた。前方、転移したかのように移動している。そして、こちらを見て、目を細めている。

「早く、強く、恐ろしいね。まともに戦うのが馬鹿馬鹿しいくらいだ」

 賛辞には実感が込められてはいたが、いまこの場で賞賛されたところで嫌味か皮肉にしか聞こえなかった。実際、そのつもりなのだろう。セツナは、黒き矛を掲げて叫んだ。光線を放つ。

「嫌味かよ!」

 セツナの精神力を吸って切っ先から放たれた光の奔流は、寸前までニーウェの立っていた地面に吸い込まれるようにして収束し、爆発を起こした。爆砕の衝撃で大気が震え、土砂が舞った。

「嫌味なんかじゃないさ。本当にそう思う。だから、こういう風に戦うんだ」

 声は、後方から聞こえた。即座に振り向き、敵を視認した瞬間、飛んでいる。一足飛びに跳びかかり、黒き矛を振り抜く。腹部に痛みがあった。鋭い痛み。斬撃が空を切るのを認識したのは、その直後だ。見下ろす。脇腹に黒の短刀が突き刺さっていた。

(どうやって?)

 疑問が浮かぶ。

 ニーウェは、どうやって短刀の一振りをセツナの脇腹に突き刺したのか。セツナから猛然たる勢いで突っ込んだのだから、ニーウェ自身は接近してくる必要もなく間合いに入ることができたのは確かだ。しかし、短刀の間合いよりも、黒き矛の間合いのほうが広く、斬撃もまた、こちらのほうが格段に速い。そのことは、ニーウェ自身も認めるところだ。そして、ニーウェが突き刺してきたのならば、こちらの斬撃を避けることなどできないはずだ。

 だが、いま一瞬垣間見たニーウェは傷一つ負っていなかった。そもそも、黒き矛に手応えがなかったのだが。

「残念だったね」

 囁くような声は、左から聞こえた。崩れ落ちそうになるのをなんとか踏み止まって、振り向きざまに黒き矛を叩きつけるべく振り抜く。だが、やはり、矛の一撃は空を切っている。そもそも、矛の届く範囲にいなかったようだ。

 それも、わかってはいたのだが、振ることで、牽制にはなったはずだ。

「つぎで終わりにしよう」

「そうかい。もう、終わりそうだが」

 セツナは、腹部に刺さった短刀を抜こうとして、止めた。抜けば出血の勢いで死ぬかもしれない。いままさに瀕死の状態なのだ。これ以上血を流せば、ニーウェの攻撃を受ける前に死んでしまう。ただでさえ意識も不確かで、立っているのもやっとの状態だった。背と脇腹。どちらが深いかというと脇腹のほうだが、おちらにせよ致命傷なのは変わらない気がして、苦笑した。時間はない。早急に倒さなければ――いや、倒したところでどうにもならないかもしれない。

 ニーウェは、余裕を持って、こちらを見ている。短刀一振り。頭上が騒がしい。

「セツナ! なにをしておる!」

「見えねえんだよ……!」

「かくなる上はわしの魔法で……!」

「やめろ」

「なぜじゃ!?」

「魔力の無駄使いだ」

 断言する。ただでさえ消耗の激しい魔力をこんなところで浪費するなど、正気の沙汰ではない。そもそも、彼に魔法が通用するのかどうかさえわからない。黒き矛による斬撃も刺突も光線さえも簡単に避けてしまうような相手だ。たとえラグナが攻撃魔法を使えたとして、それがニーウェを倒せるとはとても思えない。

 もっとも、だからやめろというのではない。

 エッジオブサーストを倒すのはカオスブリンガーであり、ニーウェを倒すのはセツナなのだ。セツナでなければならないのだ。

 本能が、そう叫んでいる。

「この期に及んでなにをいうのじゃ。おぬしはいまや瀕死の身。この状況を脱するにはじゃな――」

「うるせえ。従僕なら俺の命令に従え。おまえの魔力は万が一のときのために取っておけってんだ。ただでさえ燃費悪いってのに、こんなときに使ってどうする」

「こんなときじゃからこそじゃ!」

「だから」

「そう、どうせ死ぬもののために無駄なことはしないほうがいい」

 ニーウェが、軽く地を蹴った。しかし今度は視界から消えない。目で追えるほどの速度。こちらが瀕死の重傷だということで手を抜いているのかもしれない。ニーウェからすれば、あとは止めをさすだけなのだから、全力を出すまでもないと踏んだのだろう。

(馬鹿にして!)

 残る力を振り絞って、踏み込む。視界が暗い。血が流れすぎた。手に力も入らない。それでも体は動いた。セツナが思った以上の速度で前に出て、ニーウェとの間合いを詰める。矛の切っ先が届く距離。攻撃範囲はこちらのほうが広く、深い。横薙ぎに振り抜く。手応えがない。いや、それどころではなかった。

「なっ?」

 セツナは、わずかに変化した視界に戸惑いを覚えた。踏み込み、ニーウェを斬りつけたと思ったら、ニーウェの後方の景色に向かって矛を振り抜いていたのだ。

「後ろじゃ!」

 ラグナに警告されるまでもなく、セツナは背後に出現した気配に気づいている。向き直った時にはニーウェが目の前にいた。彼は無造作にセツナの脇腹に刺さったままの短刀を引き抜いた。血が、噴き出した。

「これで終わりだ」

「ああ、そうだな」

 セツナは、ニーウェの赤い目を見つめながら、その瞳に写り込んだ彼とそっくりの顔を認識して、笑うほかなかった。そして、ニーウェの両手が動く。斬撃が走り――。

 次の瞬間、ニーウェが吹き飛んでいくのが見えた。

「なっ!?」

 セツナは、脇腹から噴き出す熱量に苦悶を覚えながら、ニーウェの体が軽々と吹き飛ばされていくのを見て、愕然とした。

「なんじゃ!?」

 ラグナが驚いているところを見ると、彼の魔法ではなかった。そもそも、彼の魔法で吹き飛ばされたというのなら、まっすぐ吹き飛んでいくはずだった。しかし、そうではなかった。左方向に飛んでいったのだ。つまり、右からの衝撃が彼を吹き飛ばし、ニーウェはそのまま新築の家屋の壁に激突した。

「護衛対象の確認および敵性存在の撃退に成功。これより護衛対象の確保へ移行します」

 そんな聞き慣れない声に、セツナは目をぱちくりとさせた。朦朧とする意識の中、立っていることもままならなくなる。だが、まだ崩れ落ちる訳にはいかない、矛を杖にして、体を支える。ニーウェは、壁から体を引き剥がし、ゆっくりとこちらを見た。傷を負っているようには見えない。どうやら、負傷は避けられたらしい。安堵する。なぜかはわからない。

 ニーウェは、激突の衝撃で落としていた短刀を拾い上げると、こちらを見て肩を竦めた。

「せっかく、君と一対一の戦いをしようと思っていたというのに、まさか邪魔が入るとはね。まあもともと、一対一ではなかったか」

 彼はおそらく邪魔者を見ているのだろうが、セツナは、ニーウェから目をそらすことができない。彼から目をそらせば、その瞬間、死ぬ。そんな確信がある。いや、目をそらそうとそらすまいと、死が近づいていることに変わりはない。時間がない。命が急速に失われている。目眩がした。力を振り絞って、立っている。それもいつまで持つかはわからない。

「しかし、君の力はわかったし、決着はいつでもつけられると考えれば、悪くはないか。どうかそれまでは死なないでほしいものだ」

「ここまでしておいて、よくいうぜ……」

 そう言い返すのがやっとだった。

「そのまま死んでくれても構わないが、その場合、黒き矛を破壊しに行かなくてはならないのでね。どうせなら、決着をつけて、そのときに破壊したいんだよ」

「勝手なことをいいやがる」

 セツナが吐き捨てた時、彼の視界に何者かが入り込んでくる。女性らしいというのがその体型や長い髪で、なんとなくわかる。灰色の髪が風に揺れている。その女は、セツナとニーウェの間に入り、セツナを庇うような態勢を取っているらしい。つまり、彼女がニーウェを吹き飛ばした張本人だということだろうが。

 何者なのか、まったく想像がつかない。

「……君はだれだ?」

「それ以上接近すると、排除の必要性を認識し、迎撃行動に移ります」

 女の、無機的な声が耳に残る。耳障りだからではない。妙に聞き心地の良い声だった。聞き慣れた声などではないし、知っている女性の声でもない。だが、なぜか、知っている――そんな気がした。

「既に排除されたんだが……まあいい」

 ニーウェは苦笑すると、両手の短刀の刀身を重ね合わせた。

「では、また」

 そういうと、ニーウェの姿がセツナの視界から消え、感知範囲からも消えて失せた。瞬時にだ。空間転移のような予兆もなければ余韻もない。完全に消失したのだ。

「いった……か」

「いったようじゃな……」

 ラグナが周囲を見回しながら、いった。ほっとする間もなく、セツナは、目の前に立っている女性に声をかけた。長身痩躯。腰まで伸ばされた灰色の髪が特徴的な女性。彼女は周囲を警戒しているらしいことが、その緊張感に満ちた態度からもわかる。

 とりあえず、礼をいう。

「あなたのおかげです。恩に着ます」

 すると、女はこちらを振り返り、予想もしないことをいってきた。

「いえ、わたしは当然のことをしたまでです。我が主」

「はい?」

 セツナは、女のいっている言葉の意味がわからず、茫然とした。意味がわからなかったのはきっと頭に血がいっていないせいで、血を流しすぎているせいなのだと勝手に理解して、そして、その場に崩れ落ちかけた。転倒せずに済んだのは、女が彼を支えてくれたからだ。人形のように整った顔が、間近で見えた。

「いやあ、良かった。良かった。本当に良かった。無事で何より――って、瀕死じゃないか。まあ安心しなさい。わたしがいる。わたしがいる限り、君が死ぬことはない。いやいや、領伯サマに君だなんて失礼極まりないかな。困ったな、どうするべきか。それはさておき、間に合ってよかったね。君の大事な主が死ぬところだった――」

 突如、どこからともなく現れた男のまくし立てる言葉を聞きながら、セツナは、意識が薄れていくのを認めた。死ぬのではないか。そんな気がしたが、きっと死なないのだろうとも思えた。

 きっと、死なせてくれないのだ。

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