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第千八十九話 偽者を探して

 九月十三日。

 その日、空は朝から雲に覆われていた。

 一面が鉛色の空模様であり、陽の光は一切届かず、乾いた風の運ぶ冷ややかさが夏の終わりを告げるかのようだった。

 夏。夏といえば、なんらかの思い出を築く季節なのかもしれないが、セツナは、この世界に召喚されてからというもの、季節に纏わる思い出を作った記憶があまりなかった。昨年の夏も、夏らしいことをした覚えがなく、今年の夏もそうだった。

 七月はアバード騒乱まっただ中だったし、八月はほとんどが移動で費やされてしまった。気がつけば九月だ。あっという間にときが過ぎていくような気もするが、濃密な時間を過ごしているような感覚もある。ようするに緩急が激しいということだろう。

 その変幻自在の速度の中で自分を見失わずに済んでいるのは、周りにいてくれるひとたちのおかげなのだろうということを度々、実感する。

 今日もそうだ。

《獅子の尾》隊舎の寝室で目を覚まし、部屋を出ると、いつものようにレムが待っていて、彼の着替えを手伝おうとする。着替えくらいは自分でできるというのだが、彼女は従者の仕事を奪わないで欲しいと泣きついてくるので、仕方なく、衣服の選択は任せたりする。そうしていると寝ぼけ眼のミリュウが現れ、挨拶代わりに抱擁してくるものだから、レムが着替えの邪魔だと怒り、それに対してミリュウが憤慨する。そんなふたりのやり取りに怒鳴り込んでくるのがファリアで、それによって騒ぎはまた大きくなるが、マリアはまだ寝ているか食堂で二度寝していたりする。ルウファとエミルも難を恐れて寄り付かないか、アルガザード家の本邸で起床しているかのどちらかだ。

 そういうやりとりが、自分の立ち位置を再確認させるのだ。

 今朝は、特に騒がしかった。シーラたち黒獣隊の面々も、エスクたちシドニア戦技隊の面々も個性豊かな人物ばかりだ。特にシドニアの元傭兵たちは荒くれ者揃いであり、端的にいってうるさかった。とはいえ、セツナの不興を買うことを恐れているのか、あまり馬鹿げたことはやらないようだが。

 それでもマリアが悲嘆にくれるのもわからなくはないほどに騒々しい。

 これが隊舎の日常風景になる、ということもないのだが。

 黒獣隊もシドニア戦技隊も領伯の私的な戦力であり、《獅子の尾》隊舎に常駐させておくつもりもなかった。黒獣隊は龍府に、シドニア戦技隊は龍府かエンジュールに配置する予定でいる。

 今回の任務にも、彼らを使うつもりはなかった。

「なんでだよ?」

 朝食を終えた後、シーラが不満そうな顔で尋ねてきたことがあった。

 朝食は、隊舎一階にある酒場兼食堂で、全員集まって行った。全員だ。《獅子の尾》、従者、黒獣隊、シドニア戦技隊の約四十名全員揃って食事をしたのだ。それはもう賑やかで騒がしかったものの、ゲイン=リジュールの手料理が美味しすぎて、煩さも気にならなかった。

 食後、その席でセツナはそれぞれに指示を出したのだ。《獅子の尾》は、昨日、レオンガンドに命じられたセツナによく似た人物の捜索をセツナとともに行うこととした。そして、黒獣隊とシドニア戦技隊には隊舎での待機を命じている。

 シーラは、そのことが気に入らないらしい。

「なんでだ、じゃねえだろ、隊長さんよ」

 話に絡んできたのはエスクだ。彼とシーラの間には常に微妙な空気が流れているのだが、いままさにその微妙な空気が緊張を帯びた。

「あん?」

「大将は、あんたにとっても主君だろ。命令なら、従うしかねえだろ」

「わかってるよ。それくらい。でもさ」

 食い下がるシーラに、セツナは説明するべく口を開いた。納得させられるだけの理由はある。それを説明しなかった自分が悪いだけのことだ。

「ここはガンディオンだからな」

「ん……」

「私兵を好き勝手に使うのは憚られるだろ」

 ガンディオンは、王の都だ。ガンディア王家の統治運営する都市であり、領伯とはいえセツナが勝手にしていい場所ではない。レオンガンド直々の命令が降りているとはいえ、王命を遂行するためならばなにをしてもいいというわけでもない。《獅子の尾》隊士ならまだしも、黒獣隊やシドニア戦技隊の隊士が暴れ回り、王都の人々に迷惑をかけたとなると、セツナの評判そのものに繋がる。セツナにも立場があり、評判なども気にしなければならない。不用意なことで評判を下げるようなことは、できない。そもそも、セツナの評判を下げないためにセツナによく似た人物を探しだすのだ。そのために自分の評判を下げては、本末転倒も甚だしい。

 無論、シーラたちが王都で暴れ回るとは思わないし、彼女たちを使ったところでなんの問題も起きないだろうが。

 シドニア戦技隊は、どうか。荒くれ者揃いで、傭兵団のころもラングリード・ザン=シドニアでなければ統率の取れなかった集団だ。いまはエスクを隊長と仰ぎ、彼の命令に従っているが、王都に放った途端暴走する危険性があった。シドニア戦技隊だけを残しておくこともできない。よって、シーラたちも隊舎に残しておくことにしたのだ。

 つまり、シーラたちには、シドニア戦技隊が勝手なことをしないよう、見張らせようというのだ。

「……なんだ。そういうことか。そういうことならそういってくれればよかったのに」

「すまんな。説明をしっかりしていなかった」

「いや、いいって、いいって。俺が悪い」

「そうだぜ。あんたが悪い」

 エスクが悪乗りをすると、シーラが彼を睨みつけた。

「てめえにいわれたかねえっての」

「そうそう。隊長はただセツナ様に遠ざけられているんじゃないかって、気が気じゃなかっただけだしねえ」

 といったのはクロナ=スウェンだ。シーラが素っ頓狂な声を上げる。

「はあ!?」

「なるほど。それならむくれるのも納得だ」

「てめえ勝手に納得してんじゃねえよ!」

「そうなのか?」

「違う! 断じて違う!」

「あれ、隊長、セツナ様のこと嫌いなんです?」

「嫌ってもねえよ! なんなんだよ、もう!」

「素直になればいいのに……」

「リザ!」

「はうっ……」

 シーラに睨みつけられて、リザ=ミードが体を強張らせた。まるで蛇に睨まれた蛙のようだ、などと思いながら、セツナは、シーラとエスクがうまくやっていけるのかどうか、不安を感じたりした。皮肉屋で、ひとの感情を逆撫でにする発言の多いエスクと、生真面目で一本気なシーラのふたりは、反りが合わないどころの話ではない。

 そういう意味では、ふたりを残しておくのは少し賭けではあった。ふたりがぶつかり合うようなことが起きなければいいのだが。


 ともかく、セツナは、《獅子の尾》の部下とともに隊舎を出た。

 午前十時過ぎ。

 目撃証言のあった新市街までは、馬を飛ばすのではなく、ルウファを頼った。馬でも良かったが、速度を考えると、彼のシルフィードフェザーのほうが圧倒的に速い。

 新市街を探し回らなければならないのだ。新市街までの移動に時間を掛けたくなかった。

 もっとも、新市街をくまなく探す必要はない。アレグリアによると、参謀局が集めた目撃証言は、当初東部に集中していたものの、ここのところ、新市街南部での目撃情報ばかりあるという。つまり、捜索するのなら新市街南部を中心に探し回ればいいということだ。

 ルウファは、シルフィードフェザーを展開すると、その最大能力顕現というべきオーバードライブを駆使した。そうでもしなければ多人数を運ぶことは難しいという。オーバードライブの難点は、一分程度しか持たないことだが、その制限時間内ならば通常とは比較にならないほどの力を得られるのだ。

 ルウファに運ばれたのは、当然、セツナだけではない。ファリア、ミリュウ、そしてレムも、ルウファの翼に掴まって、王都上空を南下した。ラグナもいるが、彼はセツナの頭の上の定位置にいる。

 ラグナはともかく、レムが同行しているのは、彼女ならば問題を起こすようなことはないという確信があるからだし、私兵とは異なる立ち位置にいるからだ。シーラも、レムの同行には納得してくれていた。ラグナも、問題など起こすわけがない。存在そのものが騒ぎを起こす可能性がないではないが、彼がセツナから離れることなど考えられない以上、杞憂だろう。

 王都の広大な町並みを見下ろし、感慨にふけっている時間など、あるわけがなかった。

 先も言ったように、シルフィードフェザー・オーバードライブには制限時間がある。一分以内に群臣街から新市街南部まで飛ばなければならないのだ。目が回るほどの高速飛行であり、その速度は、ルウファから振り落とされるのではないかという恐怖を抱かせた。

 灰色の空の下、大気を貫いて飛翔する。

 眼下に横たわる王都の町並みが目まぐるしく変化した。群臣街、王宮区画、旧市街南部、そして、新市街への城壁を越え、新市街南部へと至る。すると、ルウファは急速に地上へと降下し、セツナたちを解放した。美しくあざやかな三対六枚の翼が、音もなく崩れていく。無数の羽が舞い散り、虚空に溶けて消えた。シルフィードフェザーの翼を維持できなくなったのだ。残ったのは外套の一部分だけだった。その一部分も、ルウファの意思によって送還され、消える。

 そして、ルウファは近くの壁にもたれかかった。その表情や態度から彼の消耗具合が窺える。

「俺はもうダメです」

「駄目じゃない。探すのよ」

「隊長補佐は鬼ですか」

「鬼は隊長よ?」

「つまり、鬼嫁……」

 ルウファがぼそりといった言葉をセツナは聞き逃さなかったが、追求しようとはしなかった。そんなことをすれば藪蛇になる。

「なにかいった?」

「いえ……」

「ルウファはしばらく休んでいろ。時間効率を考えると、十分な働きだ」

 セツナは助け舟を出すべく、命令した。隊長命令はなによりも優先される。隊長補佐のファリアでも反対はできない。

 ほんの一分足らずで《獅子の尾》隊舎から新市街南部にまで辿りつけたのだ。馬を飛ばしても、数十倍の時間を要したことだろう。それを一分に短縮できたのだから、その働きたるやなにものにも代えがたい。時間ほど重要なものはないのだ。

 自由に飛び回れる彼を捜索に加えられないのは残念だが、移動時間を短縮できたことを考えれば、十分だろう。それに、ずっと捜索に参加できないわけではない。動けるようになれば、彼もすぐに参加してくれるだろう。

「はい! 隊長は優しいなあ」

 ルウファがしみじみといってきたので、セツナは苦笑いを浮かべた。

 ファリアが憮然とつぶやく。

「……なんかわたし悪いこといった?」

「そうね。ちょっと」

「ミリュウ様が同情なされるほどですから」

「そう……」

 ファリアはなにか釈然としない様子だったが、そんな彼女に対し、ミリュウがもたれかかるようにした。

「張り切り過ぎなのよ。セツナの偽物をとっちめたいって気持ちはわかるけど」

「別に張り切っていないわ。セツナの姿で悪事を働かれたら許せないってだけよ」

「それで息巻いておられるのでございますね。まさに愛の力ですね」

「愛の力って、あなたねえ」

 レムのにこやかな発言に、ファリアがあきれてものもいえないといった表情になった。

 そんな女達のやりとりを聞きながら、セツナは、周囲から様々な声が聞こえてくることに気づいた。場所は、新市街南部、旧市街と新市街を隔てる南門付近の大通りで、行き交うひとびとがセツナたちを見つけては足を止めていた。人集りができ始めている。

「それにしても注目を集めすぎたな」

「まあ、仕方ないわよ。副長の翼があまりにも綺麗だったものね」

「突然現れたからもあるだろうが……行くか」

「そうね。さっさと偽セツナをとっ捕まえましょ」

「はい!」

 威勢よくうなずいたのはレムで、彼女の格好が一番目立っているのではないかと思えてならなかったが、セツナはなにもいわなかった。彼女が目立とうと目立つまいと、関係がない。

「俺はここらで休んでますんで。回復次第、捜索に参加しますよ」

「ああ、しっかり休んでろよ」

 ルウファの心強い言葉にセツナは笑みを返した。


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