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第千八十七話 従者と夢と

「どうかごゆっくり、お休み下さいませ」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 セツナは、レムの笑顔に見送られながら室内に向かう途中、ふと、足を止めた。振り返る。レムが立っている。その部屋は、《獅子の尾》隊舎二階にあるセツナの寝室だ。彼女が室内に入ってこないのには、そういう理由がある。特別なことでもない限り、従者は主の寝室には立ち入らない。もちろん、それは世間一般の感覚ではなく、レムの感覚的には、従者とはそのようなものだということだ。レムの感覚というのは、どこかずれている。言葉遣い、文法も変だし、間違っている気がすることも多々ある。しかし、セツナはそれを是正しようとは思わなかった。そもそも、彼女が使用人とも従者とも下僕とも呼ばれるような立ち位置にいるのは、彼女自身が望んでやっていることであり、セツナが強制したことはひとつもない。

 いや、ひとつだけある。

 その強制したことというのは、彼女の再蘇生であり、セツナが死ぬまで生き続けるという運命だ。だからこそ、セツナは彼女を縛らない。彼女を自由にさせることが、彼女の意思を無視して蘇らせてしまったことの罪滅ぼしなのだ。

 だから、セツナは、部屋の前で頭を下げるレムに、微笑みかけるのだ。

「レムも、しっかり休めよ」

「御命令でございますか?」

 レムがきょとんとした顔をする。予想していなかった言葉というわけでもあるまいが。

「ああ」

「わたくしのことなど、お気になさらずともよろしいのですが」

「気にするさ。大事な仲間だからな」

「仲間だなどと……わたくしは御主人様の従者で十分にございます」

「そうか」

「従者のほうが長く御主人様の側に居られますから」

「そういうことかい」

 セツナが突っ込むと、彼女は口に手を当てて笑った。すると、セツナの頭の上でもぞもぞと動く物体があった。もちろん、ラグナだ。

「なるほどのう。なれば、わしも従者のままでよいぞ」

「……」

「なんじゃ?」

「おまえの場合、魔力吸収のためだからなあ」

 セツナは、頭の上に陣取った小飛竜の能力を思い出して、少し意地悪くいった。ラグナは、以前、圧倒的な力を誇るドラゴンだった。しかし、セツナとの戦いに敗れ、消滅した彼は、黒き矛が放出した力を利用することで肉体を構築、いまの姿へと転生を果たしている。それによって彼はすべての力を失ったにも等しい状態にあるといい、再び魔力を蓄えるべく、セツナの頭の上に乗っているのだ。

 万物の霊長たるドラゴンは、万物――この世に存在するありとあらゆるものから魔力を吸収することができるという。しかしながら、天然自然に存在する無機物、有機物から摂取できる力などたかが知れていて、その力もただ吸うだけでは意味がないのだという。吸った力を魔力に転換しなければならない。二度手間なのだ。微量な力を己が魔力にするための労力を考えると、無駄が多いという。それでも、何万年もかければ膨大な量になるらしいのだが、以前、ラグナが猛威を振るっただけの力を取り戻すだけでも数百年はかかる計算であり、ラグナとしてはとても待てるものではないのだ。

 ラグナもまた、セツナの下僕となった。ドラゴンは自分の打ち負かしたものに従うという。その法理に従い、彼はセツナの従僕となったのだ。だから、何百年もかけて力を蓄えている場合ではないのだ、という。

 人間は何百年も生きられない。

 何万年もの間転生を繰り返してきた彼に比べれば、ほんのわずかな時間しか生きられないのだ。悠長に力を蓄えていれば、セツナの従僕として役立つこともできぬまま、主の寿命が尽きてしまうのだ。そうなってからでは遅い、と彼は考えている。

 では、どうしたのかというと、セツナから直接魔力を摂取し、それを己の魔力としているのだ。

 なにやら、魔力には波長があるらしく、波長が合う魔力ならば吸収効率もよく、力を蓄えるのに持って来いなのだというのだ。

 セツナは、セツナ自身の生活や行動に支障がない程度の吸収は許していた。そのおかげもあって、彼はアバード騒乱において大活躍し、シーラの命を何度も救ってくれている。彼に魔力を吸わせ続けてきたおかげであり、これからの活躍を期待する上では彼に魔力を吸収させるのは重要なことだ。

 ラグナは武装召喚師ではないし、死神でもないが、ドラゴンだ。万物の霊長を名乗るに足る圧倒的な生命力、絶大な力を誇り、魔法を用いる。魔法。まさに魔法だ。魔法を行使するには膨大な魔力が必要だといい、セツナから吸収して貯めた魔力などすぐ枯渇してしまうというが、彼の魔法ほど頼りになるものはそうそうあるものではない。

「そ、そのようなことはないぞ」

「本当かよ」

「ラグナも御主人様の側がお気に入りなのでございます」

 しどろもどろなラグナを見かねたのか、レムがにこやかにいってくる。

「へえ。嬉しいこった」

「なんじゃその乾いた返事は。もっと嬉しがらぬか」

「やだよ」

「なぜじゃ!」

「疲れた。寝るぞ」

 頭上で喚くドラゴンとのやり取りも面倒になってセツナは室内を振り返った。室内は暗いが、魔晶灯を点ける必要はないだろう。寝るだけのことだ。

「では、また、明日にございます」

「ああ、しっかり寝ろよ。寝なくていいんだとしてもな」

「はい、ご随意に」

 レムの快い返事を聞きながら、セツナは自分の部屋に入った。


「むう」

 ラグナがうなったのは、寝室に入り、扉を閉じてからのことだった。廊下からの光もなくなり、ほとんど完全な暗闇が寝室を埋め尽くす。窓も閉じていたし、今夜は月も出ていない。曇り空なのだ。星明かりもなければ、月光もない。暗い世界。それでも不安ひとつ覚えないのは、ここが《獅子の尾》隊舎で、そこかしこに仲間たちがいて、すぐ側にラグナがいるからだろう。

 ひとりではないと確信できるだけで、不安は軽減されるものだ。

「どうしたんだよ」

「先輩とわしの扱いが違いすぎるのは気のせいかの?」

「気のせいじゃねえよ」

 ぶっきらぼうにいいながら、闇の中を歩く。ただ寝るだけの部屋だ。なにがあるわけでもなく、天蓋付きの寝台が室内の空間のほとんどを占有しているにすぎない。少し歩けば、寝台に至る。ラグナが頭の上で身をよじったのがわかる。

「なぜじゃ」

「なぜもなにも、おまえがドラゴンで、万物の霊長だからだろ」

 適当なことを、いう。ラグナが首を傾げるのを気配だけで感じながら、寝台の上に体を投げ出す。

「ふむ……わからぬ」

「わからないならわからないでいいさ」

「つまり、わしがひとの子であったならば、同じようにあつこうてくれるのかの?」

「レムと同じ扱いがいいのか?」

 ふと、疑問に想う。ラグナはドラゴンで、ドラゴンであることに誇りを持っている。万物の霊長、この世界におけるありとあらゆる生物の頂点に立つ存在としての自負があり、なればこそひとを見下し、あらゆる生き物を見下している。竜としての圧倒的な力がそうさせるのだろうし、それが彼にとっての当然だったのだから、仕方のないことだ。そして、それもまた、事実だ。セツナが彼に勝てたのは、彼を倒せたのは、単純に黒き矛の力のおかげだ。黒き矛がなければセツナは殺されていたし、仲間たちも同じく殺戮されていたかもしれない。あのとき、あの瞬間のラグナはセツナたちに対して容赦なかった。

 もっとも、セツナが黒き矛の使い手でなければ、そもそもラグナをぶつけられるような事態にはならなかった可能性が高いのだが、

 アズマリアは、セツナと黒き矛の力を確かめるためにラグナをぶつけてきたのだから。

「もう少し気を使って欲しいのじゃ」

 枕に向かって突っ伏したセツナの目の前で、ラグナがこちらを覗きこむようにしてきた。エメラルドを思わせる美しい外皮が淡い光を放っている。眩しすぎず、目に痛くはない程度の輝き。枕元を照らすためではなく、彼自身がそこにいるということを示すためだけの光。つい、見とれる。見とれるが、そのことを悟らせないように、笑う。

「はは」

「なんじゃ! なぜ笑うのじゃ!」

「そんなことかと思ってな」

「そんなこと……!」

 憤然とするラグナに対し、セツナは軽く体を起こして手招きした。

「おいで」

「む」

 ラグナはむっとしながらも、なにか抗えない魔法にでもかかったかのようにセツナの手元に飛んできた。一足飛びだ。いまだ手のひらに収まる大きさの飛竜は可愛らしいとしか言いようが無いが、その可愛らしい物体を両手で包み込んで、セツナは小さく笑った。

「別に邪険になんてしてねえだろ」

「むう」

「邪険にしてたら、一緒に寝ようともしねえっての」

「そういえば……そうじゃな」

 彼は、少し思案したあと、室内を見回して納得したようにつぶやいた。

「わしだけじゃ」

「うん」

「ふふふ……」

「なんだよ、気味わりいな」

「よいのじゃ、よいのじゃ。気にするでない」

 妙に機嫌の良くなったラグナの様子に、セツナは表情を緩めた。そのせいかもしれない。急速に眠気が襲ってきて、セツナは彼を手で包み込んだまま、崩れ落ちるように寝転がった。ラグナを押し潰さないように注意しながら、だ。枕に頭を落ち着けてから、ラグナを枕元に解放する。彼は、枕の上を踏み均して寝床を作ると、その場に丸くなった。

 ふと、思い出す。

「そういえば……おまえのことも話したんだよ」

「なんの話じゃ?」

「陛下にさ……聞かれたから……」

「どんな話をしたのじゃ?」

「なんだっけ――」

 意識が闇に沈む寸前、ラグナの怒るような声が聞こえた気がする。

 なにを怒っているのだろう。

 眠りに落ちる直前の意識では、そのようなことしか思えなかった。

 そして、夢を見た。

 いや、夢とは、違う。

 気が付くと、灰色の世界に紛れ込んでいていた。そこは、夢と現の狭間。黒き矛の干渉が織り成す、夢とも現実とも異なる世界。召喚武装は意思を持つ。その意思が現れるのが、この夢と現の狭間なのだ。ここだけが世界の壁を越えられるとでもいうのだろう。

 そこはやはり、空も、雲も、太陽も、なにもかも灰色に塗り潰された世界だった。ただ、いつもと見える風景が違うことが彼には気にかかった。奇妙なことだと想う。思うのだが、どうでもいいことだとも思ってしまう。地平の果てまで見渡せる高度にいたからなんだというのだ。いつもの平原とは違うからなんだというのだ。

 そんな風に思う。

 それから周囲を見回して、寒気を覚えた。

 塔の上に立っていた。とてつもなく巨大で長大な塔の、おそらくは頂点付近に立っている。見下ろすと、眼下の風景が霞んで見えなかったのだ。遥か彼方に地上があるのはなんとはなしにわかるのだが、地上までどれほどの距離があるのかはわからない。つまり、それだけの高さにいるということだ。高高度にいるということは、風が強く吹いているということであり、塔の鉄材を強く掴んでいなければ、ふとしたことで吹き飛ばされるのではないか。

 もっとも、吹き飛ばされたところで問題ないといえば、問題ないのだが。

 眼下から、なにか黒く巨大な物体が迫ってくるのがわかる。異様なまでの圧迫感が体を震わせ、意識を強張らせる。世界が揺れる。それの到来をこの夢と現の狭間が恐れているかのように。拒んでいるかのように。震えて揺れる。激しく揺れる。鉄塔が揺れている。振り落とされる。あっと声を上げる間もなかった。自由落下。視界が激しく流転して、空が見えた。鉄塔が遥か天の彼方まで続いているのが見えて、頂点と思っていたのが勘違いだということが判明する。どうでもいいことだ。どうでもいいことだが、そういうことがわかって、少しばかりほっとした。頂点でなければ、落下の痛みも軽減されるのではないか。馬鹿馬鹿しいことばかりが脳裏を過る。落下速度が減ることはない。ひたすらに落ちていく。なにかが視界を覆った。黒。絶対の黒だ。黒く巨大な翼。長い首。頭部前面に刻まれた無数の亀裂。無数の目。赤い目。血のような目が、こちらを見た。黒い竜。巨大なドラゴンは、こちらを一瞥したのち、口の端を歪めた。

「ついにきたぞ」

 それは、ただ、それだけをいった。

 それだけをいって、天に昇っていった。

 セツナは落ちていく。

 彼は昇っていく。

 まるでなにかを暗示するようでいて、そうでもないのかもしれないとも、想った。

「ついに……?」

 反芻したとき、目が覚めた。

 目の前にラグナが寝ていた。

 夢現の狭間に現れる黒竜とは打って変わって愛くるしさの固まりのような化物を見つめながら、セツナは、しばらく茫然としていた。

 奇妙な感覚だけが残っている。


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