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第千八十一話 勝利のために敗北を(後)

「残念?」

「ハルンドールには行かせない」

「往くさ。往かねばならぬのだからな」

 デュラルは、黒き矛の切っ先がこちらに向けられていることに気づいたが、止まらなかった。進み、間合いを埋めていく。距離はある。だが、黒き矛のセツナならば、この程度の距離など意味をなさない。踏み込み、矛を振り抜けば、その瞬間、デュラルは死ぬ。

 恐怖はない。

 が、まだ、死ぬわけにはいかないのだ。

 彼は、セツナの目を見据えていた。まだ十八歳になったばかりだという少年の目には、戸惑いが揺れた。黒き矛のセツナに接近するということは、死に歩み寄るも同じだ。そのことがわからないのか、とでもいわんばかりの困惑。

「もう、わかっただろ?」

「なにがだね?」

「あんたらワラルの軍勢じゃ、俺を、俺達を抜くことはできない」

「ああ、そのようだ。一度出し抜けたと思ったのだがな……どうやら、わたしの思い違いだったようだ」

「出し抜くなら、倍の戦力は用意しないとな」

「ふむ……」

 会話の中で、セツナという人物に抱いていた印象が変わっていくのがわかる。デュラルは、セツナ=カミヤという人物を、鬼神

「それでも、伯を抑えることは難しいだろう」

「どうかな。武装召喚師を注ぎ込めば、なんとかなるかもしれないぜ?」

「……なるほど。本命に武装召喚師を投入したのが、間違いだったか」

「そういうことだ。降参しろ。俺達の目的はハルンドールの防衛。ワラル軍の殲滅じゃあない」

 黒き矛のセツナの言いようでは、まるでワラルの敗北が決定的で、このまま戦闘を続行すれば、一人残らず死ぬことになるかのようだった。四千の将兵が、たった四十人足らずの戦力に殲滅されるという。馬鹿げた話だが、これまでのところ、そうなる可能性は極めて高い。

 たとえ敵がセツナひとりであったとしても、同じ運命を辿ったのかもしれない。万魔不当。一万の皇魔を持ってしても、彼を倒すことはできなかった。四千の人間では、彼を倒すことは愚か、封殺することなどできるわけもなかったのだ。

 わかりきったことだ。

 最初から、わかりきっていた。それでも、彼は戦わなければならなかった。ワレリアを取り戻すには、いまを除いてほかにはないのだ。いま、この機を逃せば、永遠に取り戻せなくなる。そんな確信めいた予感が、彼を突き動かした。その結果、多くの将兵を失うことになったのだとしても、多くの死者を出し、数多の魂を迷わせたのだとしても、ワレリアを取り戻すことができればだれもが納得するだろう。逆をいえば、ワレリアの奪還に失敗すれば、すべて無駄になる。この戦いで流した血も、払った犠牲も、これまでに積み上げてきたすべての物事が、一切無駄になってしまう。

 だから、行くしかなかったのだ。

 無駄にはできない。

「我々の目的を知ってのことかね」

「ワレリアの奪還、だろう?」

「ほう……」

 デュラルは、そこではじめて足を止めた。ワレリア。ワラルの三百年前の首都であり、ワラル人の魂の故郷。大いなる霊廟。

「三百年前、ルシオンに制圧されたんだってな。それ以来、取り戻すのに躍起だったってことも知ってるぜ」

「なぜ、そこまで知っている? ルシオン人のほとんどが忘れてしまったことだ」

 デュラルは、多少の驚きをもって、セツナに問いかけた。ワレリアの戦いは、ルシオンにとって恥ずべきことだったのだろう。ルシオンは、ワレリアの制圧後、すぐさまハルンドールと名を改め、ワレリアの戦いに関する情報を消し去ったといわれている。もちろん、それが真実かどうかは定かではない。ワラルに伝わってきているところではそうだという話であり、ルシオン人の大半が、ワラルがハルンドール(ワレリア)に拘る理由を知らないという事実から推測しただけのことだ。そして、そういう推測や憶測が、ワラル人のルシオンへの憎悪を膨れ上がらせるのだが、そんなことが問題になったことはない。

 問題なのは、ワレリアがルシオンの手の中にあるということであり、それ以外のことはどうでもよかったのだ。真実を捻じ曲げようと、歴史を捏造しようと、どうだっていい。ワラル人にとって大切なのは、ワレリアの奪還であり、それ以外は些事といってもいい。

「俺の部下に博識なのがいてね」

「……博識という問題でもあるまいに」

「ま、いろんな人間がいるってことさ」

「ふむ」

 そのことについて異論を挟む必要はなかった。確かにいろんな人間がいる。いろんな人間がいて、様々な考えがあり、多用な意見がある。正義は数多あり、ぶつかり合って正邪を分かつ。ワラルにとっての正義がワレリアの奪還ならば、ルシオンの正義はハルンドールの防衛であり、ガンディアの正義はルシオンからの要請を遂行することであろう。

 正義と邪義。

 ぶつかり合えば、どちらか滅びるまで戦い続けるしかない。

「しかし、我々の目的が分かったところで、どうすることもできまい」

「そうだな。俺たちは、あんたらの目的がなんであれ、ハルンドールを護るだけだ」

「ならば、問答無用」

「だから、これ以上の戦いは無意味だって」

「無意味だと?」

「そうだろ。あんたらに勝ち目はない。どうあがいたって、俺達の勝ちだ。結果がわかったんだ。これ以上、無駄な犠牲を払う必要はないだろ」

 彼は、デュラルの目を見据えていた。こちらをじっと見て、説得してきている。この戦いを終わらせるには、ワラルが軍を退くか、ワラルが目的を果たすか、ワラルが殲滅されるかのいずれかしかない。黒き矛のセツナにとって、二番目はありえないだろう。三番目も、彼の発言を鑑みれば、あまりしたくはないらしい。黒き矛率いる軍勢ならば不可能ではないとのだろうが。

 一番目こそ、彼にとって最善ということになるが、それは、ワラルとしてはありえないことだ。目的を果たすまでは、軍を退くことなどできるわけがない。

「そうだ。無駄な犠牲を払う必要はない」

「だったら」

「犠牲を払った以上、無駄にはできない」

 デュラルは、再び歩き始めた。セツナが目を細め、矛を握る手に力を込めるのがわかった。相手が聞く耳を持たないならば、戦うのもやむなしと考えている。説得してきたのは、こちらが応じれば、彼らにとっての無益な争いが終わったからに違いない。殲滅することも不可能ではないのにそれよりもワラル軍の撤退を良しとするのは、彼が殺戮を好んでいないということだろう。

 これまで何千、何万の敵を殺してきた彼だからこそ、そういう考えに至るのかもしれなかった。

 が、デュラルには、関係がない。セツナがなにをどう考え、どういう想いでこの戦いを終わらせたいのかなど、彼には全く関係がないのだ。彼は、目的を果たさなければならない。そのためにここまできた。犠牲を払い、道を作った。あと一歩のところまできている。黒き矛のセツナの背後にワレリアの門がある。

 門を開き、ワレリアを取り戻すことさえできれば、あとはどうとでもなるのだ。

 だから、彼は歩く。歩きながら、勝利を信じる。その勝利には敗北がまとわりついているし、敗北の先にこそ勝利があるといっても過言ではない。

 間合いを詰めるように、歩く。

 一歩、また一歩とセツナへと歩み寄っていく。セツナは、たじろいだ。デュラルに気圧されているわけでもあるまい。ただ戸惑っている。デュラルがワラル軍の総大将で、デュラルを討てば戦いが終わるということも認識しているにも関わらず、だ。彼がなにを戸惑っているのか、デュラルにはわからない。わからないまま、前進する。

 轟音が聞こえ、頭上の大気が震えた。セツナが飛び、矛を振る。一閃。なにかが切り裂かれ、上空で爆発した。閃光と爆音がデュラルの頭上を彩る。見ない。武装召喚師たちによる砲撃が始まったのだ。それこそ、ワレリアの門を破壊するための手段だった。そして、その連続的な砲撃は、デュラルの進路をがら空きにした。セツナは、砲撃から正門を護るために動かなければならなかったのだ。でなければ、武装召喚師の攻撃によって正門が破壊されかねない。

 正門へと、近づく。

 乱舞する爆音の中、彼は閉ざされた門の目前にまで辿り着いた。砲撃はまだ届かない。雨のように降り注ぐ砲撃のすべてがセツナや《獅子の尾》の武装召喚師たちによって妨げられ、ここまで届かないのだ。

 だが、問題はない。

 デュラルは、懐から短剣を取り出した。派手な装飾が施された短剣を手に触れた瞬間、彼は、意識が暴走するかのような感覚を抱き、目を見開いた。いつも以上に目が見え、音が聞こえる。強化された五感は、脳裏に戦場の風景が克明に描き出されるほどの情報量をもたらす。正門を砲撃していた武装召喚師たちが《獅子の尾》の武装召喚師との戦闘状態に入ったことまでわかる。彼らの援護は、もはや期待できない。そして、援護を期待するまでもない。

 辿り着き、召喚武装を取り出したのだ。

 彼は、短剣の召喚武装でみずからの左手首を切りつけた。一瞬の痛み。切り口が燃えるように熱い。血が溢れた。熱量を持った液体のあざやかさは、自分が呪われた存在であることを忘れさせるようで、彼は不思議な感覚に囚われた。が、その感覚に意識を奪われている場合ではない。血は、止めどなく流れている。時間はない。

 召喚武装ブラッドクリス。

 流した血を力に変える召喚武装は、彼が臣下から献上されたものだった。そして、彼はこの召喚武装を手に入れたときから、ワレリア奪還作戦の練り直しを始めた。それから数年が経過している。ブラッドクリスの能力もはっきりと理解した。どうすれば最大の威力を発揮するのかもわかったし、最大の威力を発揮すれば、どれほど強固な門であっても破壊可能だということもわかっていた。

 だから、彼はみずからの手首を裂いた。鮮血を浴びた短剣は、浴びた血の量ではなく、デュラルの流す血の量に応じてその輝きを増す。刀身が膨大な輝きを発する中、彼は、ブラッドクリスで門扉を斬りつけた。凄まじい衝撃が彼の右腕に伝わってきたかと思うと、破壊音とともに城門に大穴が空いた。分厚く巨大な鋼鉄の門さえも溶かすように穴を開ける――それがブラッドクリスの最大威力なのだ。

 もっとも、ブラッドクリスの最大威力は、常に発揮できるものではない。大量の血を流す必要がある。それこそ、死に瀕するほどの。

 条件付きだからこその威力だと、武装召喚師たちはいっていた。使うのは勧められない、とも。

 彼は武装召喚師たちの反対を押し切り、使った。その結果、彼はみずからの命が失われていくのを認めた。左手からこぼれ落ちるのは血ではなく、命だ。命が、急速に失われていく。しかし、目的の第一は果たせた。ワレリアの閉ざされた門を解き放ったのだ。

(あとは死ぬのみ)

 デュラルは、門にできた大きな穴の中へと足を踏み入れた。穴を抜ければ、そこはハルンドールだ。ハルンドールにこそ、ワレリアがある。

「待て!」

 セツナの叫び声が、遠い。死が近いからかもしれない。

「待てぬよ」

 彼は、ぼそりといった。待てば、無駄に死ぬだけになる。そうなれば、エリザに後を任せるしかない。彼女も覚悟を決めている。彼の代わりに死ぬことも厭わないだろうし、そういう風に育て上げている。しかし、ここまできた以上、エリザに任せるのではなく、自分で成し遂げたいという想いのほうが強い。それに、エリザには――彼女には、戦後のことを任せたかった。

 戦後、ワレリア奪還後のワラルを任せられるのは、エリザをおいてほかにはない。

 故に、彼は征く。

 後方から圧倒的な速度で迫り来る気配を感じる。召喚武装の超感覚がそれを認識させる。セツナだ。ハルンドールへの到達を止めようとしている。だが、もう遅い。デュラルは既に門を潜り抜けた。ハルンドールの城壁内に辿り着き、そして。

「射て!」

 市内で待ち構えていた何百人ものルシオン兵が矢を放ち、デュラルに殺到した。彼は目を見開き、理解した。死を認識し、笑った。笑いながら前進し、想うままにブラッドクリスを振り回した。いくつかは避け、いくつかは切り落とし、いくつかを浴びて、さらに進む。間断なく飛来する何百もの矢。すべてを回避することなどできるわけもない。矢は、前方からだけではないのだ。全周囲。ありとあらゆる方向から飛んで来る。ハルンドールの防衛戦力がなにも用意していないはずなどはなかった。それもまた、わかっていたことだ。

 何本、何十本の矢を受けて、ようやく、彼は足を止めた。視界が霞む。意識が薄れる。痛みは感じなかった。痛覚の消失。死が近い。視界が揺れた。流転する。迫り来るルシオン兵の群れ、そして空を見た。赤い空。雲は流れ去り、晴れ渡った夕焼け空が頭上を埋め尽くしていた。

 デュラルは、己の血が、ハルンドールの地を濡らし、ワレリアを解き放つのを感じた。

 三百年の長き渡り続いた呪いがいま、終わろうとしている。

 物心付く前から意識を苛んでいた悪夢が終わり、現実へと回帰する。

「これで……良い……」

 そうつぶやいたとき、彼を覗きこむものがいた。だれかはわからない。それくらい、視界がぼやけていた。しかし、黒い兜から、セツナなのではないかと想えた。

 遅かったな――とは、いえなかった。

 目的は果たせた。

 ワレリアの奪還はなったのだ。

 これで、ワラルの人々は救われる。

 少なくとも、呪いから解き放たれ、悪夢に悩まされることはなくなった。

(これでいい)

 国民の安穏を確保するという王としての責務を果たして死ねるのだ。これ以上、喜ばしいことはない。

 彼は無常の喜びの中で、意識が薄れていくのを認めた。


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