第千七十九話 多勢に無勢、寡兵に衆兵(四)
「セツナ!」
ファリアの警告めいた声が聞こえたのは、ワラル軍との戦闘の真っ直中のことだった。
黒き矛の光線による攻撃から始まるワラル軍本隊への猛攻は、まさに熾烈を極めるという言葉に相応しいものだった。とにかく、ただただ圧倒的な力を振り回し、蹂躙した。
特にセツナは、闇黒の仮面吸収後の黒き矛の力をここまで遺憾なく発揮したことはなかったといっても過言ではないくらいに力を振るった。全力を出しきれたのは、ラグナとの戦いくらいのものであり、それからの戦いでは、黒き矛に頼ってはならないことも合ったし、召喚したとしても全力を出すことができない状況ばかりが続いた。そういうこともあってだろう。妙な開放感が、セツナの戦いを烈しいものにした。
周囲の敵兵を矛の一振りで薙ぎ払って肉塊にし、迫り来る矢の尽くを叩き落として弓兵に殺到する。瞬く間に自分を狙った弓兵を血祭りに上げると、つぎは邪魔になる大盾兵の排除に向かった。セツナにしてみれば大盾を持っていようがほかの兵となんら変わらないのだが(むしろ動きが鈍重になる分、倒しやすい相手といえる)、黒獣隊やシドニア戦技隊にとっては厄介な存在だと考えたからだ。
彼ら全員の無事の生還こそ、セツナ独自の任務だった。
約四十対四千の戦い。
だれひとり欠けることなく勝利することは、ガンディアの強さを世界中に知らしめることにも繋がる。ワラルのように、勝てるかもしれないという勘違いを起こさせないためにも、ここは圧倒的かつ無傷の勝利を挙げなければならないのだ。
もちろん、烈しい戦いを繰り広げているのは、セツナだけではない。ルウファ以下、《獅子の尾》の武装召喚師たちも敵兵を蹴散らすために全力を上げている。
ルウファは、シルフィードフェザーの飛行能力によって戦場を飛び回り、風の力を駆使して敵陣に恐怖と混乱を撒き散らした。弓兵が狙ったものの、空中を自在に飛翔する彼を捉えることは、並大抵の腕前では不可能だった。敵軍に武装召喚師が見当たらない以上、彼を止めるものはいないということだ。
ファリアは、オーロラストームの電撃を広範囲にばら撒くように乱れ撃ち、前方一帯の陣形を乱した。そこへシドニア戦技隊や黒獣隊が突撃し、戦場は狂乱に包まれた。シドニアの戦士たちや獣姫率いる女戦士たちが雄叫びを上げる中、ファリアは狙撃へと移行した。広範囲への雷撃は、味方を巻き添えにする可能性があるからだ。
ミリュウも、召喚武装ラヴァーソウルを駆使し、敵兵を血祭りに上げていった。磁力で結ばれた無数の刃片を鞭のようにしならせながら周囲の敵兵を切り刻み、薙ぎ払い、大斧の一撃を磁力の反発で跳ね飛ばしてみせる。馬から降りた彼女は血の雨を降らせていた。
血の中で微笑うのは、レムもだ。その体型からは持ち上げることさえ困難に思えるような漆黒の大鎌を軽々と振り回して盾兵を切り裂いてみせると、血飛沫を浴びて艶然と笑った。死神には血と死が似合う、とでもいうつもりかもしれない。当然、“死神”も使役し、彼女は死を撒き散らした。
黒獣隊長シーラも、獰猛な獣を想起させる戦いぶりを見せている。斧槍の召喚武装ハートオブビーストを巧みに操り、ワラル兵を鎧ごと突き破っては腹を切り裂き、腕を断ち切っては頭を叩き潰してみせた。血が、彼女の鎧を赤黒く染めた。兜からこぼれた白髪まで赤く染まったとき、シーラの身に変化が起きた。ハートオブビーストの能力が発動したのだ。丸みを帯びた大きな角は、猛牛を連想させた。そして、その印象のままに敵軍を蹴散らしていった。
シーラを除く黒獣隊の面々も猛威を振るった。やはり、シーラとともに戦野を駆け抜けてきただけあって、強い。ワラル兵を相手に全く遅れを取ることはなく、むしろ押していた。クロナ=スウェンは長柄の斧を振り回し、ミーシャ=カーレルは鉄甲拳なる拳を覆う武器で敵兵に殴りかかってみせた。ミーシャが見せた隙を庇うのが、アンナ=ミードであり、彼女の剣技はミーシャとの連携によってますます冴え渡る。そして、リザ=ミードの弓がふたりをさらに援護していた。
黒獣隊の優れた連携力は、彼女たちが常人であることを忘れさせるようなものだった。
戦闘に関しては、シドニア戦技隊も負けてはいない。
“剣魔”エスク=ソーマは、“剣鬼”に並ぶというその剣の腕前を初めてセツナに披露した。シーゼルでもセンティアでも、バンドールを巡る戦いでも、ついぞ、彼の全力をうかがうことはできなかったのだ。シーゼルでは酩酊状態であり、センティアでもそれ以降も彼が戦う姿を垣間見ただけだ。
エスクは、本来はただの剣士だ。しかし、彼はバンドールを巡る戦いで召喚武装を手に入れている。シャルルムに属した武装召喚師の遺品であり、彼は、異能の騎士と戦うため、それを拾ったというのだ。戦後、セツナに降った彼は、その証として召喚武装を差し出してきたが、セツナは受け取らず、彼に持たせた。彼が召喚武装の使い手として成長することは、セツナにとっても、ガンディアにとっても、益のあることだったからだ。
ソードケインと名づけられた短杖は、彼に新たな力を与えた。
彼は、“剣魔”の二つ名に相応しい戦いぶりを魅せつけた。まさに剣の悪魔というべき戦いぶりは、剣の鬼に匹敵するものといっても過言ではなかった。敵陣に切り込み、一瞬にして複数の敵兵を切り刻み、赤い霧で周囲を埋め尽くした。あっという間に数十人の敵兵を切り伏せるその剣技の冴えは、彼が剣の達人であることをまざまざと思い知らせるようだった。しかし、ルクスとは違う。圧倒的な速度と技量を誇るルクスに比べると、まったくの別物に見えた。エスクの剣は、力だ。凄まじい破壊力で敵兵を盾ごとぶった斬り、一刀両断に切って捨てる。ルクスとグレイブストーンに真似のできないものかといわれると、決してそうではないだろうが、しかし、ルクスが彼と同じ様な戦い方をするのは考えにくい。
技のルクス、力のエスク、といったところかもしれない。
もっとも、エスクはまだ召喚武装に慣れていないのか、ソードケインに振り回されているところがあった。召喚武装は、手にしたものの感覚を拡大し、身体機能を向上させるという副作用がある。慣れないものには、その副作用の違和感に酔い、まともに戦うこともできないのだ。そんな彼が見せるわずかな隙を庇うのがレミル=フォークレイの槍であり、彼女の槍捌きもまた、格別なものだった。そのふたりを後方から援護する矢を放つのが、ドーリン=ノーグだ。弓の名手だというエスクの評価通り、ドーリンの弓の腕もまた、素晴らしいものだった。一度に三本の矢を番え、同時に放ち、三人の敵を攻撃する。人間業ではない。
幹部たちの実力を見る限り、シドニア傭兵団が有名なのもうなずける話だ。
強いのは、幹部だけではない。二十数名の元傭兵たちも気炎を上げながら、ワラル軍を圧倒している。久々に暴れられるということもあってか戦意が高く、元々の気性の荒さがさらに荒くなっているようだった。そして、その荒々しさのままに黒の軍団を圧し、押していく。シドニアの元傭兵のひとりひとりが強いのだ。
もちろん、黒獣隊やシドニア戦技隊が、見事なまでの戦果を上げることができているのは、最初にセツナたちが強烈な一撃を叩きこみ、ワラル軍本隊に恐怖を与えたからもあるだろう。暴風の如く死を振りまく《獅子の尾》の突撃は、ワラル軍本隊の士気を挫き、戦意を尽く低下させた。それでも立ち向かってくるのだから大したものだと思わざるをえない。
だれもかれも、死を恐れてもいない。
いや、むしろ、死ぬために戦いを挑んできている――そんな風にさえ思えるのは、セツナに向かってくるものが一向に減らないからだ。
どんな戦場でも、黒き矛のセツナにみずから挑みかかろうとするものは、そう多くない。黒き矛は死の象徴だからだ。最初の攻撃で、それが判明する。禍々しい漆黒の矛に刻まれた絶対的な死。それは絶望そのものであり、遠巻きから矢を射ることはできても、接近戦を挑もうとするものは、そういない。黒き矛のセツナに懐疑的な最初だけだ。その懐疑も、最初の一撃で露と消える。だれもが理解する。黒き矛のセツナに関する情報がまったくの嘘ではないということを実感として、認識する。そうなれば、戦おうとする気さえ起きなくなるものだ。
殺されるだけなのだから。
戦場で、率先して殺されに行こうというものなどいるはずもない。だが、戦いが加熱し、戦場を狂気と熱量が支配し始めると、そういう恐怖感も薄れていくのか、セツナに挑んでくるものも多くなる。ひとつは、セツナを殺すことができれば、大金星も大金星だから、というのもあるだろう。セツナが死ねば、ガンディア軍の士気は下がるに違いない。そうなれば、敵の勝利も見えてくるというものだ。
が、ワラル軍は、まだ戦いが始まったばかりのときから、セツナが最初の一撃を叩き込み、ファリアたちの猛攻が戦場に恐怖をばら撒いた直後から、セツナへの攻撃の手を緩めようとしなかった。黒き矛のセツナの存在を認識していないのかと思いきや、戦場各所から聞こえる話し声からはそういうわけではなかった。黒き矛のセツナを止めよ――そんな命令が飛び交い、ワラルの兵士たちは血眼になってセツナに襲いかかり、つぎの瞬間には物言わぬ亡骸となった。
「死にたいのかよ!」
セツナが唾棄した直後のことだ。
ファリアが叫び、セツナの注意を後方に向けさせた。
「なんだ!?」
「ワラルの両翼の部隊がハルンドールに向かってるわよ!」
「……そういうことかよ!」
再び吐き捨てて、セツナは、周囲から一斉に飛びかかってきた六人を矛の一閃で切り捨てた。空中で胴を薙ぎ払われた六人は、ほとんど同時に絶命し、彼の周りに落下した。血が雨のように降り注ぐのを見やりながら、その向こうから迫り来るワラル兵の数が一向に減らないことに気づく。これだけ圧倒的な力を見せつけても、怯むもしなければ、怖気づきもしない。狂気に支配された戦場となればわからなくはないが、まだ、熱狂が渦巻くには早い気がした。
(いや、最初からか?)
最初から、熱狂に支配されていたのなら、なんの不思議もない。
とは、思うのだが。
しかし、ワラル軍の目論見が判明したと今となっては、ワラル兵が死にたがってセツナを攻撃してくるわけではないことが判明している。それが策なのだ。戦術なのだ。セツナたちをこの場に釘付けにすることで、両翼の部隊はこの戦場を離れてハルンドールに向かう、という。
ハルーン平原からハルンドールまでは、馬ならば半日もかからない距離だ。セツナたちがワラル軍本隊を殲滅するころには、ワラル軍はハルンドールへの攻撃を開始していただろう。
セツナは、飛来した矢を矛の柄で叩き落として、周囲を一瞥した。仲間たちの戦いの様子は、黒き矛の副作用による超感覚で把握できている。ファリア、ルウファ、ミリュウ、レム、シーラと黒獣隊、エスクとシドニア戦技隊――皆、ワラル軍本隊との戦いに熱中している。
二千名あまりいたワラル軍本隊は、瞬く間にその兵数を減少させているが、それでも足止め程度には機能している。少なくとも、すぐさま転進してワラル軍の別働隊を追走することは、簡単なことではない。いくら強力無比な《獅子の尾》とはいえ、敵に背を向けるということは隙を晒すということであり、隙を晒すということは、攻撃を受ける可能性があるということだ。いかに武装召喚師が強力であっても、隙を衝かれれば通常人と同じだ。常人と同じように攻撃を喰らい、死ぬ。
隙を作ることはできない。
それは、ファリアたちもわかっているのだろう。戦いに専念しているのがその証左だ。
「どうするのじゃ?」
ラグナがセツナの兜の上から問いかけてきた。戦いの最中、彼はセツナの兜から振り落とされないようにするので必死だったらしく、いまのいままで黙り込んでいた。発言する気力すらないのかもしれない。それほど、アバードでの消耗が激しかったということだ。あれからある程度は魔力も回復したはずなのだが、よくわからない。
「こうするんだよ」
セツナは適当に言い返して、背後から近づいてきていた敵兵を切り捨てた。漆黒の矛が閃き、鉄の鎧ごと敵兵の肉体を両断する。真っ赤な断面。噴き出す鮮血。血の中に景色が浮かぶ。だが、足りない。まだ、足りない。振り向き、踏み込み、敵兵を切りつけ、返す刀で左右の敵兵も切り倒す。頭蓋を突き破り、足を叩き壊し、首を刎ねる。
「ただ敵を倒しておるだけではないか」
「ああ、そうさ」
「なんじゃ。あの街がどうなっても構わんのか?」
「構うに決まってんだろ」
「む」
「行くぞ」
「いく?」
「ああ」
敵兵をつぎつぎと切りつけ、切り裂き、切り刻み、大量の血で視界を埋め尽くす。黒く、赤く、視界が染まる。その赤黒い液体の中に浮かび上がるのは、強固な城壁だ。ルシオンの紋章。白天戦団の軍旗。ハルンドールの城門。黒き矛に力を吸われた。意識が歪む。世界が歪む。目の前が一瞬、真っ黒になった。
そして、つぎの瞬間、世界に色彩が戻り、感覚の歪みが是正される。
前方に黒の軍勢がいた。
「そういえば、あったのう」
「忘れてたのかよ」
「うむ」
「偉そうにうなずくなっての」
セツナは、苦笑とともにラグナに突っ込んだ。負担を感じる。空間転移は、消耗の激しい黒き矛の能力の中でも、特に多大な消耗を強いられる能力なのだ。転移する距離が遠ければ遠いほど、その消耗も大きくなる。精神の消耗は肉体への負担に繋がる。あまり多用はできない。
背後で、声が上がる。
「あれ?」
「どういうことだ?」
「セツナの転移でしょ」
「でも、わたしたちまで?」
「そりゃあそうだろ」
セツナは、前方で黒の軍団が馬を止めるのを認めて、にやりとした。ワラル軍別働隊は、突如として出現した《獅子の尾》の一団に目を丸くして驚いたに違いない。愕然としたに違いない。《獅子の尾》を始め、セツナ軍の全員が、この場にいる。もちろん、後方に待機していたマリア、エミル、ウェリスの三人も、転移対象から外していない。主戦場から離れていたとはいえ、置いてけぼりにすることなどできるはずがない。
全員だ。
全員をこの場に転移させるため、セツナはワラル兵に大量の血を流させた。
血を媒介とする空間転移。
転移対象は、必ずしもセツナに触れているものだけではない。一度、周囲の皇魔ごと転移した経験もある。戦場に散らばった仲間もろとも転移することも不可能ではなかった。もっとも、周囲の敵兵ごと転移する可能性も高かったが、選別には成功したようだった。その分、消耗も多くなっているようだが、仕方がない。
そして、たとえ大量に精神を消耗していたとしても、負けるつもりはなかった。
敵は、ワラル軍の別働隊。数はおよそ二千。
こちらは、《獅子の尾》、死神、黒獣隊、シドニア戦技隊――だれひとり欠けることなく揃っている。
負ける要素は、ない。
「ハルンドールを死守するぞ」
セツナが声をかけると、皆、一斉にうなずいた。