第百七話 ふたり(前)
「俺にはあんたが理不尽に思えるよ」
「違いない」
アズマリアは否定しなかった。だが、悪びれてもいない。そしてそんな彼女の態度に腹も立たなかった。
「あんたが……俺やクオンを放置しているのはなぜだ? 求めていた力なんだろう?」
「ひとつは、君たちが未熟だからだ」
アズマリアに痛いところをつかれて、セツナは黙り込んだ。痛感していることだ。だからこそ、毎日のように訓練に勤しんでいる。力をつけなければどうにもならない。
「地獄に連れて行くのも構わないが、もうひとつの理由もあるのでな」
(地獄……)
アズマリアは、以前もそんなことをいっていた。セツナは言葉の綾だと捉えていたのだが、どうやらそうでもないらしい。この世界のどこかにそんな場所があるのかもしれない。異世界ならば、自由に移動はできないはずだ、
「……敵の居場所がわかっていないのだ」
「なんだよそれ」
「事実だ。わたしも長年探し回っているが、影さえ見つからないのだ。別次元に隠れていても不思議ではないし、その場合はお手上げだな」
「あんたが死ぬまで隠れ続ける可能性は?」
「わたしは死なないよ」
アズマリアは、平然と告げてきた。
「数百年、生き続けてきた」
美貌や肉体は、数百年生きてきた人間のものではない。が、彼女は魔人と呼ばれ恐れられるほどの人物であり、数多の二つ名が彼女が伝説的な生き物だと証明している。本当に化け物だったとしても、なんの疑問もなく受け入れられる気がする。いや、むしろそのほうが自然かもしれない。
「いま、なにかとても失礼なことを考えなかったか?」
「考えてねえよ」
こちらの思考を読んだような相手の発言に、セツナは一瞬どきりとした。顔に出ていたのだとしても、相手からは見えないはずだ。それでも、魔人ならばそれくらいできそうな気がした。いや、魔人ならば、人の心を見透かすくらい容易いとでも嘯いて欲しいものだ。もちろん、本当に心を覗かれるのは御免被りたいが。
不意に、部屋のドアが軽く叩かれた。小さな音。寝ているものを起こさない配慮がされている。
「セツナ、起きてるの?」
ファリアの声だ。アズマリアとの会話が物音になって聞こえたのかもしれない。
「さて、わたしはこれでお暇しよう。こんなところで騒ぎになっても迷惑だろう?」
アズマリアが、肩をすくめて見せてきた。声は小さく、部屋の外には聞こえまい。
「あんたがそれをいうのか」
「だが事実だ」
「……俺はあんたに従うつもりはないよ」
「強くなってくれればいい。力をつけ、能く生きよ。時が来れば、君は戦わざるを得なくなる。わたしの敵は、この世界の敵なのだからな」
言い捨てると、アズマリアは、窓の外へ落ちるように消えていった。セツナの部屋は隊舎の二階にある。鍛えあげられた武装召喚師なら、飛び降りることくらい平気だろう。そもそも、彼女は魔人と恐れられるほどの人物だ。この程度のことでは驚くに値しない。
「セツナ?」
「起きてるよ」
「入っていいかしら?」
「うん」
彼は、うなずくと上体を起こした。痛みはあるが、横になったままというのは彼女に失礼な気がした。相手はアズマリアではないのだ。
(なんでアズマリアには気を使わないんだろうな、俺)
ふと考えるが、明確な答えが見つかるはずもなかった。嫌っているつもりはない。かといって、好き好んで彼女に付き従う気にもなれない。この世界にこれたのは彼女のおかげともいえるし、彼女のせいだともいえる。もちろん、《門》をくぐったのは自分の意志なのだが。
扉を開けて、ファリアが部屋に入ってくる。月明かりはドアまで届いておらず、彼女の姿が明らかになるにはもう少し待つ必要があった。
「眠れないの?」
ファリアは、ベッドの脇にあった椅子に腰掛けながら問いかけてきた。元々そこに置いていたわけではないのだが、だれかが移動していたのだろう。だれかといっても、ファリアかルウファ以外に考えられないが。
「最近、夜中に目が覚めるんだ」
「訓練が激しすぎるのよ、きっと」
「そうかもね」
「最初から飛ばし過ぎたら、体を壊してしまうわよ。そんなの、だれも望んでいないわ」
それどころか、怒られるに違いない。立場もある。役職もある。訓練で体を壊すなど、言語道断だろう。そんなことはわかっている。だから、限界を超えるほどのものはしていないはずだ。ルクスだって手加減してくれている。彼が本気になれば、黒き矛を手にしたセツナでさえ敵わない。戦ってみてわかったのだ。自分はまだまだ未熟なのだと思い知らされた。
動きが直線的過ぎるとルクスに忠告されたのだが、それがどういうことなのか、いまのセツナには理解しようもなかった。
「そういえば最近、ろくに話していなかったわね」
ファリアが窓の外に目を向けた。風が、少し強かった。カーテンが大きく揺らめいている。月の光と室内の影が踊っていた。
「うん」
「しょうがないわよね。忙しかったもの」
ファリアが屈託なく笑ったので、セツナもつられて笑った。
ガンディオンに凱旋してからというもの、セツナにしてもファリアにしても公務に追われる日々が続き、落ち着いて話をする暇がなかったのは事実だ。王宮晩餐会に王宮召喚師の叙任式、《獅子の尾》隊の結成式に隊舎の改装に関するあれこれ――慣れない仕事に忙殺された。働いたあとは、疲れきってぐったりとなることが多く、ろくに言葉もかわせぬまま眠ることが多かった。
セツナたちが自分の時間が持てるようになったのは、ここ数日のことだ。数日前こそ山賊討伐に出向き、その帰路は要人の警護任務についたものの、精神的に疲れ果てるような仕事はなかった。しかし、そういった日々も、セツナは訓練に費やしてしまっていた。
《蒼き風》の突撃隊長ルクス=ヴェインを師と仰ぐ訓練は、セツナ自身の願いから始まった。強くなりたかった。肉体的だけではなく、精神的にもだ。黒き矛を完全に制御するためには、心身を鍛える必要があると判断したのだ。いまでも力は持て余し気味なのだ。ともすれば暴走し、味方に被害が出てしまうかもしれない。そうならないためには自己を鍛えるしかなかった。
そうして、話をする機会が減った。
「なにを話そうかしら」
話題はいくらでもあるはずだった。しかし、こういうときに限ってなにも思い浮かばないのだ。時間はたっぷりとある。世間は寝静まっている頃合いで、邪魔が入るようなことはない。一番の邪魔者だったアズマリアは、機転を利かせてかさっさと消えて失せた。ガンディオンを混乱に陥れようとしたあの魔人と同一人物とは思えないが、その魔人の側面も、初対面のときからは考えられないものに違いない。
ふと、セツナは思いついたことを口にした。
「ファリアのことを知りたい……かな」
「そういえばわたし、君になにも話していなかったわね」
セツナが彼女について知っていることなど、本当に些細なことしかなかった。ファリア=ベルファリアという名と、《大陸召喚師協会》の支部局員だったこと。それに、召喚武装オーロラストームの使い手だということであり、その他もろもろの小さな情報が浮かんでは消えた。
セツナは、愕然とした。本当に、彼女のことをなにも知らなかった自分に失望すら抱く。ファリアと知り合って、一月半ほどが経過しているというのにも関わらずだ。知る機会ならいくらでもあったはずだ。話す機会ならいくらでも作れたはずだ。もちろん、さっき彼女がいった通り、忙しかったのは事実だ。だが、隙を見て会話することくらい、いくらでもできたはずだった。
ファリアに興味を持っていないわけではない。好意もある。彼女のことを見ているだけで活力が湧く自分がいることにも気づいている。感謝してもいる。なのに、これまで話してこなかったのはなぜなのだろう。
(嫌われたくないとか、そんな些細な事なのかもしれない)
屈折した自分の心の形を見れば、そういう結論を導き出すのも必然に近いものがあったが。
それは、それだ。過去のことだ。そう、振り切る。いつまでも愕然としている場合ではない。話す機会が巡ってきたのだ。夜、セツナの部屋だ。邪魔するものはだれもいない。
いまこそファリアのことを知りたい。
セツナは、叫びたいほどの衝動に駆られた。