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第千七十八話 多勢に無勢、寡兵に衆兵(三)

 双翼に展開した陣形は、中央の本隊が壊滅的な打撃を受けたことで、崩壊の一途を辿っていた。

 蹂躙といっていい。

 圧倒的な戦力による蹂躙。

 圧倒的な兵力差は、戦力差を見せつけるための要素にしかなっておらず、ワラル軍の勝利の可能性など、最初からなかったかのようだった。いや、最初からなかったのかもしれない。なかったのだろう。相手が相手だ。《獅子の尾》。黒き矛のセツナ。ガンディアにおいて最強の二字で讃えられる存在が、敵として立ちはだかったのだ。勝てる道理がない。

(当然だ)

 彼は、目を細めながら、前進を続ける。

 なにもかも目論見通りではあった。

 もとより、数で押せる相手などではないことくらい、わかりきっていたのだ。ガンディアは大国で、その中でも最強部隊である《獅子の尾》について知らないはずもない。中でも《獅子の尾》隊長にして領伯たるセツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドについての情報は、調べられるだけ調べてある。ガンディアがあそこまで巨大化したのは、ほとんど彼のおかげだといわれている。彼がガンディアの敵を滅ぼしてきたから、ガンディアは加速度的に膨張し、小国家群最大の国家となりえたのだ、と。過大評価ではないかという疑念は、数々の証言から否定された。そして、彼のクルセルク戦争での活躍は、彼という存在への畏怖を抱かせるものだった。

 万魔不当。

 一万の皇魔でも、彼を殺せない。

 むしろ、彼はたったひとりで一万の皇魔を殺戮し、魔王軍に敗北を突きつけたという。

 そんな人物が軍を率いてルシオンの援軍にやってきたのだ。

 ワラルが全軍を用いても勝てる道理はなかった。なぜなら、四千やそこらで一万の皇魔に対抗できるはずもないからだ。拮抗することは愚か、抵抗することもかなわないだろう。蹂躙され、蹴散らされるだけだ。

 いまの本隊のように。

 だが、それでも、彼は立ち上がらなければならなかった。軍を起こし、ルシオン領土に攻めこまなければならなかった。三百年来の悲願を果たすには、いまを置いてほかにはない。ルシオン全土が喪に服し、軍事行動を慎み、国土を護ることにさえ力を入れられないいまこそ、ワレリアを奪還する唯一の好機なのだ。

(三百年)

 長い長い悪夢のような、いや、悪夢そのものといっていい日々も、ワレリアを取り戻すことができれば、終わる。魂の故郷の奪還。大いなる霊廟への回帰。それこそ、全ワラル人の悲願であり、三百年前から今日に至るまで、ワレリアへの回帰を果たせなかった魂たちの願いなのだ。

 だから、彼は戦うしかなかった。ほかの選択肢などあろうはずもない。つぎ、何十年後に訪れるかもわからない好機を待つことなど、できない。そのころには、ワラルという国さえなくなっているかもしれない。膨張するガンディアに飲み込まれ、歴史の中に埋没してしまっているかもしれないのだ。そうなる可能性が、ある。

 ワラルはルシオンの隣国で、ガンディアと隣接してはいない。しかし、ガンディアの膨張速度を見ていると、ガンディアと隣接していないことが国を永らえさせることに繋がるとは、考えにくい。そもそも、ルシオンはガンディアの同盟国だ。ガンディアの国土ではなく、ルシオンの国土となる可能性だって、ある。ルシオンも、いつまでもワラルに攻めこまれ続けてばかりではいられまい。ガンディアを頼りに、反撃に出てくることも考えられた。

 ワラルに残された時間は、そう長くはない。

 そして、好機だ。

 ハルワール・レイ=ルシオンの死は、ワラルにまたとない機会をもたらした。ハルワールは賢君であろう。近隣国と極力諍いを持とうとせず、戦いが起きたとしても、交渉で決着を着けることが多かった。ハルワールはルシオン国民にこれ以上ないほど敬愛されてもいた。彼が死ねば、ルシオン全体が悲しみに包まれ、喪に服するだろう。

 攻めこむには、そのときを置いて他にない。

 彼は全軍を投入し、その圧倒的な戦力によるワレリアの奪還を目論んだ。たとえルシオンがガンディアに援軍を要請し、ガンディアが《獅子の尾》を派遣してきたことを知ったとしても、止めようがなかった。止まってはいられない。これ以上、待ってなどいられないのだ。

 対陣した時、敵は、四十名ほどだった。こちらは四千。つまり、百分の一ほどしかいない。だが、正面からぶつかり合って勝てる相手ではないことは、明白だ。黒き矛のセツナが実際に戦場に出てきたということは、自軍の武装召喚師によって確認できている。《獅子の尾》勢揃いであり、ジベルの死神の姿もあるという。そして、アバードの獣姫とシドニア傭兵団の残党が、《獅子の尾》に色を添えていた。

 たった四十人。

 されど四十人。

 油断はできない。いや、油断しようがしまいが、関係なく、蹂躙され、負ける。そんなことは、わかりきっている。だが、戦うしかない。戦わなければ、ワラルの滅びを待つしかないのだ。ならば、みずからの意志で滅びに行くのもまた、一興かもしれない。

 戦いは、《獅子の尾》が動き出したことで始まった。少数精鋭の《獅子の尾》は、その少人数からは考えられないような破壊力を見せつけ、ワラル軍本隊に食い込んだ。雷が荒れ狂い、暴風が吹き荒び、黒き矛が閃き、真紅の刃が乱舞した。死神が踊り、獣姫が荒ぶり、“剣魔”が奔る。凄まじい戦いぶりだった。

 それこそ、悪夢のように。

 とはいえ、ガンディア軍は、少数だ。ワラル軍の百分の一という兵力差がある。戦いを長引かせるのは不利だと判断したのは、間違いない。そして、その判断は、正しい。いかに凶悪な戦力であっても人間は人間だ。体力には限界があり、限界を迎えれば力尽きて動けなくなる。ワラル軍が黒き矛に勝利するには、その瞬間を待つよりほかはないのだが、ガンディア軍がそんなことを理解していないはずもない、早急に戦いを終わらせようとするだろう。

 力尽きるより早く、決着をつけようとするはずだ。

 故に、彼らは正面の本隊に食らいついた。

 彼の目論見通り。

 思惑通り。

 デュラル・レイ=ワラルは、《獅子の尾》が本隊を蹂躙する様を左翼の先頭から遠目に見やっていた。そして、本隊の将兵たちが、《獅子の尾》の圧倒的な力の前になすすべもなく殺戮されていくのを目撃して、愕然とした。まともにやりあって勝てる相手ではない。最初からわかっていたことだが、それが現実のものになると話は別だ。身の毛もよだつとはまさにこのことで、一歩間違えれば、彼は黒き矛の錆になっていたのだ。

 そのことを理解した上で、本隊の犠牲を想う。

 彼らが《獅子の尾》の餌になってくれたからこそ、デュラルは強大な敵を無視して、ワレリアに向かうことができるのだ。

 そう、双翼陣は、ガンディア軍を包囲するためにとった陣形などではない。たとえ包囲に成功したところで、万魔不当のセツナ率いる《獅子の尾》とガンディア軍に勝てるとは、到底考えられないことだ。こちらにも武装召喚師はいる。五名。それぞれ優秀な武装召喚師ではあるが、黒き矛に比べると一段も二段も劣るだろうことを自認しているような連中だ。きっと、黒き矛に一蹴されるのが落ちだ。

 包囲しても、意味がない。

 ならば、包囲しなければよい。

 さらにいえば、戦わなければよいのだ。

 彼らと戦えば負けることなどわかりきっている。戦う必要などない。

 だが、ワレリアを奪還するためには避けて通れぬ相手だ。そして、ワレリアを奪還する機会は、いまを除いてほかにない。いまだけだ。いまだけなのだ。三百年来の悲願を叶えるには、いましかないのだ。だから彼は全身全霊で事に当たった。

 本隊の将兵を犠牲にして、前に進むという選択を取った。

 そして、それが当たった。

 デュラル率いる左翼部隊と、エリザ・レーウェ=ワラル率いる右翼部隊は、見事、ガンディア軍を振り切ることに成功した。ワール平原を突っ切れば、ワレリアが見えてくる。ワレリアにさえ到達することができれば、あとは全力を上げて攻め落とすだけだ。

 ワレリアには、ルシオンの白天戦団が入っているというが、彼の敵ではない。

 ガンディアの援軍にすべてを任せているような相手だ。防衛戦力さえまともに揃えていないのは明白だった。少なくとも、これまでワラルの侵攻を阻んできただけの戦力がワレリアに入っているという情報は、ない。

(勝てる)

 デュラルは、確信とともに馬を走らせた。

 黒の軍団の異名に相応しい黒衣を纏い、黒馬に跨った黒き王は、悪しき夢を終わらせるため、躍起になっていた。

 夢。

 長い夢。

 悪い夢。

 魂の故郷に還ることもままならなかった死者たちの無念が、長いときをかけて、怨念へと変わり、呪詛を説く。呪いは体に染みこみ、意識を蝕み、心を支配する。寝ても覚めても悪夢の中にいるような感覚は、正気と狂気の境界を曖昧なものにしていく。自分がなにもので、なんのために生まれ、なんのために死んでいくのか。そんなことさえ、わからなくなる。

 これは、ワラルの聖地の奪還であり、自分を取り戻すための戦いでもあったのだ。

 平原を駆け抜けると、右翼部隊との合流に成功する。先頭を行くデュラルの隣に、黒馬が近づいていく。黒鎧を身につけた女は、彼の娘であり、彼の最高傑作である王女エリザ・レーウェ=ワラルだ。黒馬を駆る彼女の姿は、悪夢を象徴するかのようでも合ったのだが。

 後悔が、あった。

 やがて、前方にワレリアが見えてくる。堅固な城壁に囲われたワラルの聖地。ワラル人の魂の故郷。大いなる霊廟。

 彼は、眉根を寄せた。ワレリアの城壁にルシオンの国旗が垂らされており、各所にルシオンの軍旗がはためいていたからだ。何度となく見た光景だ。呪わしく、忌まわしい。ワレリアの名さえも穢したルシオン人には、ワレリアにルシオンの国旗を掲げることくらい、なんということもないのだろうが。

(取り戻す……!)

 デュラルが決意を新たにしたそのときだった。

「陛下! 前方に……!?」

 悲鳴じみた叫び声を聞いたときには、彼は、前方に起こった異変を認識していた。

 風景が歪み、不快な音が響いたかと思うと、それらは出現した。

「黒き矛……!」

 デュラルは、うなるように吼えた。

 前方、ワレリアへの進路を塞ぐように現れたのは、黒き矛のセツナと、彼の部下たちだった。


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