第千七十七話 多勢に無勢、寡兵に衆兵(二)
「敵は四千。戦力の詳細は不明。ワラル軍はその黒ずくめの軍容から、黒の軍団と呼ばれているそうですが」
ルウファが前方を見やりながらいってきた。馬上、彼は新式装備の鎧の上から白衣を纏っている。夏の雲を思わせる白の外套は、彼の召喚武装シルフィードフェザーだ。シルフィードフェザーは、外套形態と翼形態を使い分けることができる特異な召喚武装なのだ。外套形態のほうが防御能力は高いらしい。もっとも、ルウファいわく、外套形態のもっとも優秀なところは、普通に身につけていても外見上特に問題がないということらしいのだが。
普段から白の外套を身に着けていてもおかしくはないが、翼を生やしているのは奇異としか言いようが無いということだろうが。
「それだけわかれば十分だろ」
「不十分よ」
横から、ファリアが冷ややかにいってくる。彼女も召喚武装を呼び出している。オーロラストーム。まさに怪鳥が翼を広げたような形状をした射撃武器であり、その奇妙さと美しさは筆舌に尽くしがたい。とくに羽を模している結晶体は、わずかな陽の光を浴びてあざやかに輝いているのだ。美しく、魅入られる。
身に纏うのは、軽装鎧だ。新式装備群の一式だが、一般に支給されているものと違い、青く染められている。青が彼女の象徴だということで、軍が気を利かせてくれたらしい。セツナの黒鎧も同じ理由だろう。セツナの場合は、形状も微妙に異なっているが。
「む……」
「でも、調べようがないのも事実よね」
「だろ?」
「いくら喪に服してるっていっても、斥候くらい出せなかったのかしら」
とは、ミリュウ。彼女も当然のように召喚武装を手にしている。真紅の太刀は、柄頭から切っ先まで真っ赤なのが特徴だった。ラヴァーソウルと命名したらしい。なんでも彼女の想いを込めたとのことだが。ミリュウも新式装備の鎧を纏っている。ファリアと同じ形状の鎧だが、色が違う。髪を赤く染め、赤い太刀を用いる彼女に合わせ、鎧も赤く染められている。
ちなみに、ルウファの鎧も彼の色に染められていた。ルウファは白だ。白鎧に白の翼は映えるだろう。外套形態のシルフィードフェザーも彼の鎧に似合っているのだ。翼形態になれば、さぞや美しいに違いない。
「当然、出しているわよ。けれど、ワラル軍の陣容を調べ尽くすことはできなかったってわけ」
「なーる」
「それはそれとして、武装召喚師がいる可能性は低くはないわよ」
「十中八九、いるでしょうね。クルセルク戦争以来、武装召喚師の需要は高まり続けていますから」
「引く手数多よね」
肩を竦めて嘆息してみせるファリアに、セツナはわざとらしく反応した。
「ファリアたちが引き抜かれないよう気をつけないとな」
「あら、あたしはだいじょうぶよ。セツナ一筋だから」
「俺もガンディアの人間ですからね、隊長がガンディアを辞めないかぎりはついていきますよ」
「わたしも……よ」
「なになに? 聞こえなーい」
「ファリア様、もっとはっきりと仰ってくださいまし」
「なんで《獅子の尾》にあなたがいるのよ」
ファリアは、憤然とレムに向かって憤ったが、レムはどこ吹く風といった表情だった。彼女は、新式装備を身につけてはいない。いつものように黒と白のメイド服を身につけ、“死神”の大鎌を手にしている。とても戦いに赴く格好ではないのだが、彼女は重い鎧を着こむよりも、軽い服で動きまわるほうが性に合うといってきかなかった。いくら不死不滅とはいえ、痛覚がないわけではないはずなのだが。
「答えに窮したからといって逃げないでよー」
「そうですー」
「なんでこういうときだけ息が合うのよ、もう」
「ほんに、息ぴったりじゃのう」
などとファリアの言葉を肯定したのは、ラグナだ。セツナの手のひらくらいの大きさしかない小飛竜は、セツナの股ぐらあたりに乗っかっている。
「今回は役立ちそうにないな?」
「そ、そのようなことはないぞ。わしはおぬしを見守っておる」
「ああ、それは心強い」
「じゃろう?」
「ああ」
セツナは、そういってにこやかに笑った。開戦目前であるにも関わらず、緊張感など皆無に等しい。負けるつもりも、苦戦するつもりもないからだ。もちろん、油断はしていない。そんなことをすれば、たとえどんな雑魚が相手であっても、予期せぬ負傷をもらうことになる。それくらいは、セツナにだってわかる。だから、油断はしない。それはそれとして、緊張を抱くほどの相手でもないと認識してもいる。ただそれだけのことだ。
「敵軍はこちらを包囲しようと考えているんでしょうね。双翼陣がその証拠よ。両翼を大きく展開して、こちらを押し包むつもりなのよ」
ファリアの報告は、彼女がオーロラストームを用いて得た情報によるものだ。無論、セツナにわからないことではない。セツナの視野は、ファリアのそれを大きく上回る。
「そうなれば、いくら俺たちでも不利になりかねない、か」
「あたしたちはともかく、ほかの連中が危ないわ」
「つまり、敵が包囲網を構築する前に撃退してしまえばいい、ってわけだ」
「簡単にいいますねえ」
「魔王軍との戦いに比べりゃ、気楽なもんだろ」
「そりゃあそうですね」
ルウファが苦笑交じりにいった。六万にも及ぶ皇魔の軍勢との死闘を乗り越えたいま、ガンディア軍にとって脅威となるような軍勢は存在し得ないのかもしれない。いまのところ、だが。
たとえば、騎士団が敵となれば、厄介極まりないだろう。
十三騎士の実力は、折り紙つきといってもいい。セツナが保証する。黒き矛を召喚したセツナに肉薄するだけの力があるのだ。そんな騎士が十三人もいるとなれば、脅威と呼ばざるをえない。しかし、ベノアガルドの理念が救済で、そのためだけに行動しているというのなら、必ずしもガンディアと敵対することはないだろう。もしかすると、小国家軍統一を手伝ってくれるかもしれない。
(それはないか……)
即座に頭の中で否定して、セツナは苦い顔をした。だとすれば、ベノアガルドはもっと早くガンディアに協力を申し込んできただろう。それがない以上、ベノアガルドがガンディアと協調することは、考えられなさそうだった
不意に、右翼から雄叫びが聞こえた。シドニア戦技隊が気合を入れたらしい。
「さて、いくか」
「戦術もなにもあったものではないのね?」
「あるかよ。俺は、軍師様やエインとは頭の出来が違うんだよ」
「それ、自慢気にいうこと?」
ファリアが苦笑するので、セツナは黒き矛を握り直した。黒き矛がもたらす超感覚は、彼に広大な視野を与えている。ルシオン領土西部に横たわるハルーン平原の広大な大地が余すところなく把握できる。敵軍の配置、敵軍の様相、敵軍の士気――なにもかも理解したうえで、負ける気がしない。
「俺にできるのは、ただ敵をねじ伏せることだけさ」
「あーん、かっこいー」
「馬鹿にしてるだろ」
「してないわよ、失礼ね」
「ミリュウ様が御主人様を馬鹿にするわけございませぬ」
「おまえなら馬鹿にしてそうだけどな」
「それもありえませぬ」
「そうかな」
「はい」
にこやかにうなずいてくるレムに問いただしたところできっと正解に辿り着くことなどできないのだ、ということを理解しているから、セツナは苦笑とともに前方に向き直った。布陣は整っている。なにも恐れることはない。戦い、斃し、蹴散らし、いつものように勝利を掴み取ればいい。
ただ、それだけのことだ。
「行くぞ」
セツナは、黒き矛を天高く掲げた。
禍々しくも破壊的な漆黒の矛が、曇天を貫くようだった。
左翼で、黒獣隊が咆哮を上げた。
セツナは、笑みを浮かべると、馬の腹を蹴った。
ウルクと命名された黒馬は、一気に加速してハルーン平原を駆け抜けていく。
敵軍も、こちらの動きに合わせて、進軍を開始していた。四千からなる黒の軍勢は、夏の青々とした平原の西半分を黒く塗り潰すかのようだった。
対して、セツナ率いる軍勢は、極めて少ない。ワラル軍の百分の一の戦力であり、それこそ、もみ潰されて終わりそうな戦力差だ。だが、敵も味方も、そうなるとは思っていまい。ハルーン平原の東側に翻る隊旗が、そう認識させる。《獅子の尾》の隊旗が、セツナたちの存在を周知徹底させるかのようにはためいているのだ。
《獅子の尾》は、ガンディアの最強部隊の名をほしいままにしている。発足当時から現在に至るまで、あらゆる戦いの戦功を独占しているのではないかといわれるほどの活躍を見せつてきたのだ。隊長のセツナに、隊長補佐のファリア、副長のルウファ、そしてミリュウ。武装召喚師のみで構成された戦闘部隊の活躍は、近隣国に衝撃をもたらし、影響を与えたという。それほどの部隊。少数といえど、その戦闘力は小国の軍事力にも負けない。
なにせ、セツナひとりで一万の皇魔に当たるのだ。
通常戦力ではとても敵う相手ではない、と認識するのが普通だ。
だが、ワラルは、それでも進軍を取りやめなかった。
ハルーンの大地を西側から黒く染め上げながら、《獅子の尾》のわずか四十人あまりを包囲するべく、両翼を急速に前進させる。双翼陣は、左翼と右翼を大きく前方に展開した陣形だ。中央の本隊で正面の敵部隊を受け持ち、その間に両翼が挟撃や包囲を行うことに向いている陣形だという。兵力差を見れば、正しい選択かもしれない。たった四十人。押し包み、そのまま飲み込んでしまえばいい。
通常、そう考える。
そして、それがワラルの考えであることは、両翼の動きからも明らかだ。
だが、セツナは、ワラルの思い通りにさせるつもりはなかった。そもそも、包囲を完成させるには、穴が有ってはいけないのだ。
セツナの視界は、ワラル軍の本隊を捉えている。黒の軍団。漆黒の鎧に身を包み、黒馬に跨がり、なおかつ黒き矛を手にしたセツナに相応しい軍勢かもしれない。ふと、そんなことを思った。が、くだらない考えは、すぐに頭の中から消え去る。ウルクが、疾駆する。ジゼルコートからもらった黒馬は、駿馬だ。とにかく早い。《獅子の尾》のどの馬よりも早く、敵陣に到達しようとする。当然、敵も黙ってはいない。迎撃が始まる。弓兵による一斉射撃がくるのだ。
ウルクを想うままに走らせながら、セツナは鞍の上に立った。ウルクより早く移動するものがいる。高速飛行で追い抜いていったのは、ルウファだ。セツナの視線よりも下を飛んでいた彼は、ウルクの前に出た途端に急上昇して高度を上げた。そのまま前進し、弓射の一部を受け持とうというのだろう。
「どうするつもりじゃ?」
「見てなって」
セツナは、ラグナが鞍から彼の肩に移動するのを気配だけで認識しながら、黒き矛を構えた。すでに手綱は手放している。ともすれば振り落とされそうな状態だが、黒き矛を手にしたセツナがどのような状況であっても平衡感覚を失うことなど、ありえない。ウルクの全速力も、問題ではない。視界もふらつかない。召喚武装を手にしていることに依る身体機能の向上という副作用は、恩恵としかいいようがなかった。
前方、二千あまりの軍勢が停止した。大盾が前面に展開され、その後方に控えた弓兵が一斉に矢を放つ。放物線を描く無数の矢が、驟雨の如く迫り来る中、紫電が視界を染め、暴風が吹き荒れた。オーロラストームとシルフィードフェザー。矢の雨は、連鎖する雷撃に撃ち落とされたり、吹き荒ぶ風に吹き飛ばされたりして、セツナたちに当たることはなかった。
「さすがじゃな。しかし、まだまだ」
「おまえがいうなよ」
「なんじゃと?」
ラグナが首筋に噛み付いてきたが、セツナは黙殺した。馬上に立っているものの、やはり安定してはいないのだ。気を抜けば振り落とされる。矛を掲げた。切っ先を前方の大盾群に向ける。大盾は、敵部隊との激突時には役に立つのだろうし、弓射を防ぐにも大いに力を発揮することだろう。しかし。
(これはどうだ?)
セツナは、黒き矛に力を込めた。手から力を吸い取られるような感覚があって、吸われた力が柄から穂先へと移動するのも感覚的に理解した。黒塗りの穂先から純白が滲み出したかと思ったつぎの瞬間、白が爆発的な勢いで膨張した。そして、光条となって敵陣へと殺到する。強力な破壊光線は、あっという間に直線上の大盾に吸い込まれ、黒の中で収束した。爆裂し、周囲の兵もろともに吹き飛ばす。盾兵と弓兵の十数人を一気に消し飛ばすことに成功したことで、セツナの進路は開かれた。敵兵がどよめくのも無視して、屈み、手綱を引く。ウルクを後退させると同時に、自分は馬上から敵陣に向かって飛んだ。ウルクが転倒しないよう、あまり強い力では飛ばなかったものの、敵陣間際だったこともあり、セツナの体は爆煙の中に着地することに成功した。
周囲の敵兵が、ぎょっとする。
「黒き矛を相手にするってことは、こういうことだ」
告げ、セツナはカオスブリンガーを閃かせた。
血煙が上がる。