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第千七十六話 多勢に無勢、寡兵に衆兵(一)

「陣を敷くっても、この人数じゃ、陣なんていえるようなもんじゃないっしょ」

 エスクは、セツナの指示を受けて、憮然と言い返した。ハルーン平原に到着した直後のことだ。八月九日。空には雲が多く、陽の光が遮られることが多かった。風が強く、雲の動きもまた、早い。光と影が踊るように平原の色彩を変える。どこまでも続くような平原の西側はワラル軍によってほぼ制圧されているといってもいいような状況だった。一方、東側に布陣したセツナ軍だが、平原の東部を制圧できるだけの人数はいない。

 たった四十一人と一匹。そのうち三名は戦闘要員でさえない。つまり、三十八人あまりの戦力なのだ。平原の東半分を制圧することなど、できるわけもなかった。そして、そんな少人数で陣を敷いたところで、数の暴力の前では飲み込まれるだけにしか、思えない。

 敵は四千。

 平原西部を埋め尽くす軍勢は、黒々としており、ワラル軍が黒の軍団と呼ばれる所以を見せつけているかのようだった。実際、見せつけているのかもしれない。圧倒的な数と、恐怖を煽る黒鎧の群れ。こちらが恐怖に屈し、引くことを望んでいるのかもしれない。

 だが、エスクたちが引くはずもない。退けば、ハルンドールが攻撃される。そんなことを許すセツナではないだろう。

「そりゃそうだ」

 セツナは、至極あっさりと認めた。エスクが拍子抜けしたのも当然だった。

「まあ、指示には従いますがね」

「そうしてもらえると助かる。が」

「が?」

「兵の運用に関しては俺は素人だからな。そういうのは、各自に任せるよ」

「へい、そういうことなら、お任せあれ」

 エスクは安請け合いにうなずくと、持ち場に戻った。


 持ち場には、シドニア戦技隊の二十五名が待っていた。元シドニア傭兵団の生き残りの二十五名だ。アバード騒乱後、セツナの元に下ることを決意したエスクは、一応、部下であった団員たちにも意向を伺った。彼は、だれもついてこないかもしれない、と思った。皆、自分に愛想を尽かしているのではないか。あのような無惨な戦いしかできなかった自分になど、ついてくる道理はない、と思った。

 しかし、だれひとりとしてエスクの前から去ることはなかった。皆、エスクの決定に従い、セツナの配下に入ることを了承した。レミルはともかく、ドーリンや二十三人の傭兵たちまでもがエスクの考えに同調するとは、思ってもいなかった。

 エスクは、そのとき初めて彼らに感謝し、頭を下げている。

 自分のような愚か者についてきてくれる彼らには、感謝するほかなかったのだ。

 セツナ配下の部隊になったことで、シドニア傭兵団という看板は降ろさなければならなくなった。傭兵集団ではなくなるからだ。セツナ伯直属の部隊ということになるらしく、隊名を考えることになった。シドニア元傭兵隊という案もあったが、安易な上、格好悪いということで何度も考えなおし、シドニア戦技隊と仮称した。そして初陣にあたり、シドニア戦技隊に決定することとした。

 シドニアの名を残すのは、全員一致で決めていたことだった。

 シドニアは歴史ある名だ。傭兵集団ではなくなり、設立当時の理念も目的も失われたが、ラングリードが団長となってアバードと専属契約を結んだときには風化していたのだ。問題はあるまい。

 シドニアという名は、代々の団長が名乗ることになっている。戦技隊長であるエスクもシドニアと名乗るべきではないか、という隊士たちからの声もあったが、エスクにその気はなかった。シドニアの名を受け継ぐべき器ではないという判断が、そうさせる。

 ラングリードの印象が強すぎるのだ。

 ラングリードがシドニアの名を継いだのは、彼がシドニア傭兵団長になったからだが、同時に彼の人格がシドニアの名に相応しいからでもあった。人格者であり、実力者であり、卓越した戦術家であり、政治家でもあった彼に比較すると、エスクは自分の小ささを実感せずには、いられない。

 ラングリードを乗り越えたと言い切れるくらいに成長できたのならば名乗ってもいいのだが、おそらく、そのようなときは来ないだろう。ラングリードは、最盛期といってもいい時期に死んでしまった。彼を越えることは、自分の仲のラングリード像を越えるということであり、不可能に近い。

 それでいい、と彼は考えている。

「しっかし、四千かあ」

「ははは、いくらなんでも酷い兵力差ですなあ」

「勝ち目があるとは、とても」

 ドーリンとレミルの表情は、戦場に到着し、敵陣を目の当たりにしたことで深刻さを増していた。敵は圧倒的に多く、こちらは圧倒的に少ない。たった四十一人と一匹(実際には三十七人と一匹)だ。戦力差、などという言葉すらおこがましい。通常ならばもみ潰されて終わる。

 とはいえ、不安は皆無に等しかった。

 こちらが負ける要素は、ないといっていい。

「ま、大将がいるんだ。俺達が負けることはねえ。ただ、大将が勝つっても、俺達が生き延びられるかどうかは別問題だがな」

 大将とは、セツナのことだ。アバード騒乱以来、エスクは彼のことをそう呼んでいる。そして、それは必ずしも間違ってはいない。セツナはエスクたちの総大将であり、そのことは、今後揺るぎようがないだろう。少なくとも、セツナがエスクたちを見放さないかぎり、エスクたちがセツナの元を離れる道理がない。

 そのセツナがいる限り、セツナ軍が負けることなど考えられなかった。

 彼は、強い。

「確かに」

「せっかく生き延びたんだ。このままもう少し生きていよう」

「ですな!」

「ドーリン野郎はどうでもいいんだが」

「相変わらずひどい扱いですな」

 ドーリンが自慢の髭を撫でながら渋い顔をするのを横目に見て、隊士たちを順に見回す。ガンディア謹製の新式装備に身を包んだ元傭兵たちは、セツナ軍の中で異彩を放っているといっていい。屈強な荒くれものども。《獅子の尾》や黒獣隊とは、明らかに印象の異なる顔ぶれだった。そして、それが重要なのだろう。シドニア戦技隊の面々が、セツナ軍に迫力を与えている。

 とはいえ、二十数人では、その迫力もたかが知れているのだが。

「てめえらも初陣だからって気張りすぎてから回るなよ? いくら俺達が強いっても、相手がどんな戦いをしてくるかわかったもんじゃねえんだ。武装召喚師なんかにあたってみろ、俺だってまともに戦えるかどうか」

「隊長には召喚武装があるじゃないですか」

「あるにはあるがな」

 ちらりと、自身の腰を見下ろす。帯の金具に短杖を吊り下げている。

 アバードの戦場で拾った短杖は、いまも彼の所持品となっているのだ。名も知らぬ短杖の召喚武装。ソードケインと名付けたのだが、それが彼の手元にあるのは、セツナが許可してくれたからにほかならない。彼は戦後、戦いの最中に拾った召喚武装ということで、セツナに提出している。セツナの配下になるということは、ガンディアに属するということもでもある。ガンディアに黙って召喚武装を拝借すれば、問題になるかもしれない。その問題がエスクだけに振りかかるのならばまだしも、周囲の人間やセツナにまで波及するのは勘弁願いたかった。強力な召喚武装を手放すのは残念だったが、致し方のないことだと諦めた。

 剣の腕には自信がある。召喚武装がなくとも、百人力程度には戦える。それで今日まで生きてきたのだ。問題はない。

 そんなふうに考えていたら、セツナに手渡されたものだから、困惑した。

『おまえは俺の配下に入ったんだろ? だったら、おまえが持っていてもなんの問題もないさ』

 セツナのあっけらかんとした言いようは、まるでそのことで自分が追求されたとしてもなんの問題もないとでもいうかのようであり、そのことを問うと、彼はまたしても、平然といってきたものだ。

『陛下には俺からいっておくさ。それでなんとでもなるだろ』

 友達にでもいっておく、とでもいうような口ぶりに、エスクは呆気にとられたものだが。

 セツナがレオンガンドに重用されているという話を聞く限り、本当にそれくらい気安い間柄なのかもしれない、とも思った。

 それ以来、ソードケインは彼の武器となっている。

 使い方に関しても習熟した。《獅子の尾》には優秀な武装召喚師が多い。彼女たちに召喚武装の扱い方について話を聞くことも忘れなかった。いわく、エスクのように短時間で召喚武装を扱えるようになった人間は稀だといい、エスクには武装召喚術の才能があるのではないか、という話になった。が、武装召喚術を習得するには、いくら才能があっても時間がかかるため、諦めた。武装召喚術を習得するよりも、短杖の扱いを極めたほうがずっと強くなれる気がした。

「ま、てめえらもできるかぎり死ぬな。せっかく拾った命だ。無駄にするな」

 エスクは、自分に言い聞かせるようにいって、視線を前方に戻した。シドニア戦技隊は、セツナ軍の右翼に展開している。左翼には黒獣隊、正面には《獅子の尾》だ。黒き矛のセツナと《獅子の尾》が最前線にいる。総大将みずから最前線に飛び出すのはどうかと想う一方、セツナほどの戦力を後方で遊ばせておくのはもったいないだけであり、自軍の損害を減らすにはセツナをぶつけるのが一番だということも、だれもが知っている。

「さて、シドニア戦技隊のお披露目だ。野郎ども、やるぜ」

「おおーっ!」

 エスクの号令に隊士たちが雄叫びを上げると、レミルが囁くようにいってきた。

「隊長、かっこいいです」

「だろ?」

 エスクは、レミルを一瞥して、片目を閉じた。


「黒獣隊、気合を入れろ!」

 シーラは、右翼から聞こえてきた雄叫びに対抗するべく、声を励ましていった。

 このハルーン平原での戦いが、領伯近衛・黒獣隊の実質的な初陣となる。

 アバード騒乱において、黒獣隊は戦いを経験している。が、黒獣隊として正式に参加したわけでもなければ、シーラも黒獣隊長としては参戦していなかった。シーラ・レーウェ=アバードとして、アバードの騒乱を鎮めるという大義名分の元、戦いに赴いたのだ。その結果がどうなったかは周知の事実だが、ともかく、シーラたち黒獣隊は、アバード騒乱後、再度発足したようなものだと考えればいい。

 黒獣隊は総勢六名の部隊だ。たった六名ではあるものの、シーラを始め、皆、歴戦の猛者といっても過言ではない。クロナ=スウェン、ミーシャ=カーレル、アンナ=ミードリザ=ミード、、ウェリス=クイード。このうち、ウェリスだけは戦闘要員ではない。一応、ガンディア軍の新式装備に身を包んではいるものの、体格その他、戦闘に関するものは、ほかの隊士たちに一段も二段も劣る。

 新式装備。ガンディア軍がアバード騒乱の直前に導入した装備群の総称であり、シーラ率いる黒獣隊にも支給されたのだ。黒獣隊はガンディア軍に属しているわけではないが、黒獣隊の主であるセツナがガンディア軍における重要人物であり、また、ガンディアにとってもセツナの戦力が強化されることは願ってもないことであるため、支給される運びとなったようだ。

 黒獣隊の名に相応しく、鎧も兜も黒く塗られていた。意匠は他の鎧と同じなのだが、色が違うだけでこうも印象が変わるものかと驚いたものだ。黒は、セツナの象徴色でもある。そして、セツナ配下の黒獣隊の色でもあるのだ。

 シーラにはその髪色に似合うだろうということで白い鎧兜も用意されていたのだが、黒獣隊長に専念するため、黒鎧に身を包んだ。アバード王家の象徴たる白にこだわる必要はなくなったのだ。

 黒に身を包めば、否が応にも気が引き締まるというものだ。

「隊長、いつになく気合入ってますね」

「そりゃあ初陣だしねえ」

「なんだよ?」

 シーラは、クロナの意味深気な表情が気にかかって、問いかけた。黒獣隊の中でもっとも上背のある彼女は、シーラを見下ろしながら、にやにやしていた。その目で、前方を一瞥した。

「セツナ様の前ですし」

「な、なにがいいてえんだよ!?」

「隊長、顔が真っ赤……」

「こんなときになんでそんな風にしていられるのかがわからないわ」

「乗りが悪いなあ」

「悪かったわね」

 ミーシャとアンナのやり取りに、シーラは言葉をつまらせた。確かに、こんなことをしている場合ではない。戦いの目前だ。

「まあ、いいじゃありませんか。シーラ様が元気で、それだけでわたくしは幸せです」

「ウェリスさんも戦うの?」

「まさかー。わたくしは、後方で待機していますよ」

「ですよね」

「最悪、マリア様とエミル様を護るために戦う所存ですが」

 と、ウェリス=クイードは、手にしていた長柄の槍を軽く振り回してみせた。実戦経験など皆無の彼女ではあるが、一応、武器の扱い方は学んでいるらしいことが、その動作からうかがえる。まったくもって頼りにならない感じはあるが、かといってまったく戦えないわけでもなさそうだ。しかし、実戦経験がないということは、それだけで不安を煽った。彼女は、シーラに女性らしさを身につけさせるためにセリスが用意した侍女だ。クロナたちのような戦闘要員ではない。だから、シーラは彼女を戦場に連れて行かなかったし、彼女もそれを受け入れていた。この戦いに本当は連れて来たくなかったのだが、ウェリスのたっての願いで、同行させたのだ。ウェリスは、黒獣隊の一員である。黒獣隊の初陣の場にいないなど、彼女としては考えられないことだったようだ。

 そういう心遣いは、素直に嬉しいと感じた。

「安心しな。そうはならねえよ」

「シーラ様……」

「様はいらねえ。俺はもうただのシーラだ。今度こそ、な」

 アバード王家との繋がりは絶ち、彼女は今度こそ完全にただのシーラとなった。もう二度と、アバード王家の名を名乗ることはないだろうし、アバードを騒がせるようなこともない。これからの人生は、セツナのために捧げるだけだ。

 それが彼との約束だ。

 一方的なものではあるが、約束は護るためにある。

 セツナが護ってくれたように、今度は、シーラが約束を護る番なのだ。

 前方を見やる。

 陣の先頭に黒馬に跨がる黒鎧の男を見つける。手には禍々しい漆黒の矛が握られており、その矛がかざされた時こそ、進軍の合図だ。黒獣隊をどう動かすかはシーラに任されている。この度の戦いは、ガンディア軍の援護もなければ、参謀局の補助もない。セツナ率いる《獅子の尾》と、セツナの手駒だけで行われるのだ。戦いがどうなるのかは、シーラたちの働きにかかっているといってもいい。

 ただし、負けることは、ありえない。それだけは明らかだ。

「そして俺達には、あのひとがついてくれている。負けようがねえ」

「はい」

「俺は、あのひとの恩義に報いるために戦う。おまえたちも、それでいいな?」

「はい!」

「もちろんです」

「そりゃあね」

「シーラ様を助けてくださったんです」

「セツナ様のために……」

 黒獣隊の想いがひとつだということは、彼女たちの反応からも明白だ。龍府で拾ってくれた上、アバードにおいても救ってくれたのがセツナだ。そのうえで、なにもかも与えてくれた。なにもかもだ。生きる力。生きる理由。生きる目的。生きる価値。

(なにもかも)

 シーラは、胸に手を当て、自分の想いを再確認した。心は熱く、燃えている。

「いくぜ!」

「おおーっ!」

 黒獣隊の咆哮は、掲げられた黒き矛に捧げられた。

 戦いの火蓋が、切って落とされたのだ。

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