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第千七十五話 ワラル・アタック

 ワレリアの奪還は、悲願である。

 ワレリアはワラルの魂なのだから。

 ワレリアの奪還は、希望である。

 ワレリアはワラルの魂なのだから。

 ワレリアの奪還は、夢想である。

 ワレリアはワラルの魂なのだから。

 ワレリアの奪還は、絶望である。

 ワレリアはワラルの魂なのだから。

 悪夢の目覚めとともに彼の頭の中を氾濫するのは、そのような言葉の群れだ。意味を持たない言葉の羅列。意味もなければ力もなく、存在する価値さえない呪文のような言葉の群れ。ただひたすらの頭の中を反響し、意識を掻き乱し続けるだけの言葉。言葉。言葉。

 故に夢見るのは悪しき夢であり、目覚めたときに直面するのもまた、悪夢のような現実なのだ。

 鏡に映り込む青ざめた顔を見つめる。狂っているのは自分なのか、それとも世界なのか。どちらにせよ、自分には関係がないとも思える。なにが正しくて、なにが間違っているのか。なにが正常で、なにが狂っているのか。いまとなってはもはやどうでもいいことのようだった。

 狂っていようと狂っていまいと、正しかろうと正しくなかろうと、どうだっていいのだ。

 確かに天は回っていて、世界は揺れている。

 この揺らぎを是正するには、ワレリアを奪還するほかないのだ。

 デュラル・レイ=ワラルは、いつものような最悪の目覚めを最低の体調の中で認識するとともに、決戦の朝がきたのだと理解した。

 八月七日。

 ワラル領コーレル要塞には、彼が長年かけて育て上げた最強の戦力が集い、進軍のときをいまかいまかと待っているのだ。

 デュラル・レイ=ワラル。

 ワラルの国王にして、ワラル最強の武人は、みずからワレリア奪還のため、戦場に立つつもりだった。でなければ、なんの意味もない。でなければ、長年に渡ってみずからを鍛え上げてきた意味がなくなるのだ。

 なんのために肉体を鍛錬し、なんのために剣の腕を磨き、槍の扱いを習熟し、必中の弓の技を体得したのか。

 それは、ワレリアを奪還するためだ。

 ワラルの魂たるワレリアを取り戻すことこそ、生まれ落ちた瞬間から彼の意識に付き纏っている悪しき夢を終わらせる唯一の方法なのだ。

 部屋を出ると、彼の娘が控えていた。まるで従僕のように、傅いている。

「エリザ」

「はい。父上」

「そなたも来るのだ」

「はい。父上」

「我らからワレリアを奪った憎きルシオンの末裔を血祭りにあげよ」

「はい。父上」

 エリザ・レーウェ=ワラルは、反論を用いない。ただ、デュラルの命令に唯々諾々と従うだけだ。まるで人形のようだ。だが、それでいい。そのように教育し、そのように育て上げた。デュラルの命じるまま敵を殺戮する戦闘人形。それがエリザ・レーウェ=ワラルであり、だからこそ彼女はワラル最強の戦闘者となりえたのだ。彼女と同じ方法で育成したものも数多くいるが、彼女ほど傑出したものは生まれ得なかった。彼女は特別なのだろう。

 ワラルの血、ワレリアの悪夢がそうさせるのかもしれない。

 故に彼女もまた、ワレリアの奪還に心血を注ぐに違いない。

 ワレリアの奪還こそ、ワラルの悲願なのだ。

 コーレル要塞には、ワラルが出しうるすべての戦力が集っていた。

 総勢四千人に及ぶ大戦力。ルシオンと戦争をするには心許ないが、四千人のそれぞれがデュラルが手塩にかけて育て上げた戦士たちなのだ。その実力たるや、エリザにこそ遠く及ばないものの、ルシオンの白聖騎士隊や白天戦団など、歯牙にもかけないだろう。

 そして、ルシオンとの戦争が目的ではないのだ。

 目的は、ワレリアの奪還である。ルシオンによってハルンドールなどと名づけられた地の奪還こそが、ワラルの数百年に渡る悲願であり、悲願を叶えることさえできれば、あとはどうとでもなる。ワレリアを取り戻すことだけが目的であり、そのためならば全戦力の投入も辞さなかった。

 その戦力が一堂に会し、号令の時を待っている。

 デュラルは高揚感を覚えずにはいられなかった。そのときばかりは脳裏を埋め尽くす悪しき夢も、鳴りを潜めた。

「コーレルに集った諸君、出陣のときは来た。黒き翼を広げよ、牙を突き立て、喉元を食い破れ。復讐のときはいま。蹂躙せよ。殺戮せよ。そして、奪還せよ。ワレリアを取り戻し、我らに再び安らぎを!」

『安らぎを!』

 四千人の大音声が、デュラルの演説に続いた。

 ワラルによるルシオン侵攻が始まったのだ。


 八月九日。

 ハルンドールがにわかに騒がしくなったのは、コーレル要塞を発したワラルの軍勢がルシオン国境を突破し、ハルンドールを目指して進軍中だという報せが入ったからだ。

 ワラル軍がルシオンの国境に築かれた防衛拠点を突破したのは八日のことであり、防衛拠点がワラルの軍勢によって制圧されたちょうどそのころ、ハルンドールにコーレル要塞から軍が出動したという報せが入っている。

 コーレル要塞に集ったワラル軍が目指すのは、当然、ハルンドールであり、ハルンドールにて指揮を執る白天戦団長バルベリド=ウォースーンは、《獅子の尾》に出撃の準備を行うように話を通した。セツナたちは、ワラル軍の軍容も判然としないまま、装備を整え、ときが来るのを待った。

 もちろん、セツナはハルンドールを戦場にするつもりはないし、ハルンドールで敵を待ち構える予定もなかった。ハルンドールは、大陸の都市の例に漏れず、強固な城壁に護られた都市であり、砦としての機能も十分に備えているのだが、敵軍の全容が明らかではない以上、おいそれと都市を盾に戦うことはできないのだ。なんらかの攻城兵器を用い、城壁や城門を破壊し、都市内に雪崩れ込んでこられては、援軍に参上した《獅子の尾》の立つ瀬がない。

「しっかし、ワラルも馬鹿だねえ」

 八日夜半、バルベリドが開いた軍議の場で、エスク=ソーマが皮肉交じりにいった。軍議で決まったことといえば、ハルンドール市内の防衛には白天戦団が当たり、セツナ率いる《獅子の尾》と黒獣隊、シドニア戦技隊(仮)は、ハルンドールの西に広がるハルーン平原でワラル軍を迎え撃つ、という程度のものだ。軍議を開くまでもなかったものの、セツナたちがどう戦うのか、バルベリドは知っておく必要があったに違いない。

 ハルンドールの城壁をあてにして戦うのか、それとも、ハルンドールの外で戦うのか。前者ならば、ハルンドールのひとびとにもそれなりの覚悟を決めさせる必要が出てくる。

「こちらにゃあ黒き矛のセツナがいるってんのに、戦おうとするかねえ、ふつー」

「普通ではないのだ」

「普通じゃない?」

「ワラル人は、このハルンドール――ワレリアの奪還を悲願としている。何百年も前から。それだけがワラル人のすべてだといわんばかりにな」

 バルベリドの厳粛な口調は、エスクの軽々しい態度とは正反対といってもいいものだった。軽薄な皮肉屋という印象の強いエスクには、そんなバルベリドの態度こそ不快なのかもしれないが。

「へえ……それまた厄介なことで」

「ワレリアはワラル人の魂の故郷」

 唐突に、ミリュウが割って入って、告げた。

「へ?」

「大いなる霊廟、ともいうわね」

「ミリュウ?」

「……確かに、ワラル人はワレリアをそう呼んでいますが、ザルワーンの方がよくご存知ですね?」

 バルベリドは、ミリュウのほうを見やりながら、少しばかり不思議そうな顔をした。厳つい顔が余計に怖くなり、その物腰の柔らかさでもいかんともし難い迫力を得てしまう。そんな迫力のある顔を目の当たりにしても、ミリュウの表情は涼しいものだ。

「ワレリアがルシオンに制圧されたのはおよそ三百年前のことよ。三百年前のワラル国王が亡くなられ、ワラル全土が喪に服している時期。ルシオンは、電撃的にワレリアに攻め込み、あっという間に制圧してしまったわ。ワレリアにいたワラル人のほとんどがルシオンに徹底的に抗い、戦死したのよ」

 ミリュウは、まるで見てきたかのようにいった。実際、見てきたことなのだろう。ミリュウ自身が、ではなく、リヴァイアの先祖のだれかが、その目で見、その耳で聞いてきたことなのだろう。彼女はリヴァイアの知を受け継いだという。記憶の大部分は封印されているそうだが、明らかになった部分にワラルの記憶があったに違いない。彼女の表情は努めて冷静であり、虚偽や欺瞞を弄しているようには見えない。そもそも、彼女がこの場で嘘をつく必要がない。ルシオンとワラルのことに関して嘘をついたところでなんの意味もないのだ。嘘だったことが明らかになったとき、ミリュウの印象が悪くなるだけのことだ。他人の評価など露ほど気にしていない彼女であっても、セツナや仲間たちにまで嫌われそうになるようなことをするとは、思えない。

 ファリアが、怪訝な顔をした。ミリュウの身に起きたことについて知っているのは、セツナだけだ。彼女が普段になく饒舌に話すのは、奇異に映るのだろう。

「詳しいわね?」

「詳しい……のでしょうか。我が国の歴史書には、そのようなことは記されておりませんが」

「知られたくない歴史の真実なんてものは、闇に葬られるもんでしょうよ。まあ、彼女のいっていることが真実かどうかは知らんけど」

「……そうね。あたしのいったことが真実なのか、ただの妄想なのか、判断はあんたたちに任せるわ」

 ミリュウは、あっさりと主張を引っ込めると、バルベリドやエスクたちを一瞥した。

「でも、これだけはいっておくわ」

 彼女の言葉だけが、軍議の間に響いた。

「ワラルのひとびとは、ワレリアを取り戻すためなら、死ぬことなんて怖くもなんともないのよ。そして、ワレリアを取り戻すまで、絶対に諦めないでしょうね」

 それが昨夜のことだ。

 翌日、九日の午前中には、セツナたちはハルンドールを出発している。バルベリド率いる白天戦団とハルンドールの市民に見送られながら、四十一名と一匹の小軍団は、総勢四千名に及ぶというワラル軍を撃退するべくハルーン平原を目指した。

 道中、ミリュウが馬を寄せてきたことがある。

「昨夜の話、適当に聞き流しておいてね」

 ミリュウは、片目をつむって、そんなことをいってきた。彼女がワラルとルシオンの歴史について話したことだろう。セツナは嘆息とともに言い返す。

「無理だよ」

「なにが?」

「リヴァイアの記憶なんだろ?」

 ほかのだれにも聞こえないように、囁く。彼女は、しばし黙った後、静かにうなずいた。

「……うん」

 道中、セツナは馬上にいる。乗馬技術こそ低いものの、ひとりで馬に乗れるようになったことは、セツナに大きな恩恵をもたらしていた。

 それは、だれかの後ろに乗らずに済むということだ。だから、ミリュウとも小声で話し合うことができる。

「いろんなこと、知ってんだな」

「わかんない」

 彼女は、困ったように首を横に振った。

「ほとんどの記憶が封印されているんだもの。なにを知っていて、なにを覚えているのか、あたしにもわからないのよ。ワラルの話だって、あのとき、あの瞬間まで知らなかったわ。急に、降って湧いたように、さ」

 突如として知らなかったことを思い出すのは、奇妙な感覚だったに違いない。だから、彼女は不安を増大させるのだ。以前、ミリュウがいっていたことが現実になるかもしれない。膨大な記憶に意識を押し潰され、ひとの姿をした化け物に成り果てる――そんなことがあれば、自分はどうすればいいのだろう。セツナが思い悩むのは、そこだ。

 シーラとの、白毛九尾との戦いの中で、セツナの考えは示したはずだ。だが、彼女は納得しなかった。それどころか、自分はしっかりと殺せ、などといってきたのだ。

 できるわけがない。

 そう、想う。

「そうやって、どんどんあたしの知らない記憶があたしの頭の中を埋め尽くしていくのよ。きっと」

 彼女は、思いつめた目で、セツナを見ていた。

「いまは、だいじょうぶ。でも、いつか、あたしもリヴァイアの記憶に飲み込まれてしまうかもしれない。そのときは、よろしくね」

「嫌だよ」

「嫌じゃないの」

 まるで駄々をこねる子供をなだめるような、そんなやさしい口調だった。どうして、そこまで優しくなれるのだろう。彼女がいっていることは、自殺志願のようなものだ。自分を殺せといっているのだ。どうして、そこまで冷静に自分の命を見放すことができるのか。

「なんでだよ」

 セツナは、ミリュウから目をそらして、前方を見やった。遥か彼方、広大な平原が広がっているのがわかる。ハルーン平原。その名から分かる通り、ワレリアをハルンドールと呼ぶようになったルシオンは、その平原の名も変えている。元は、ワレル平原という名称だといい、そのことを教えてくれたのもミリュウだった。

 リヴァイアの血の継承者が一時期ワラルかルシオンにでも住んでいて、ワレリアの戦いをその目で見たに違いなかった。

 血。

 血の記憶。

 知。

 知の継承。

 ミリュウの身に起こっていることの行き着く先が、狂気による精神支配だとすれば、セツナは彼女を殺さなければならなくなるのだろうか。

「なんで、俺なんだよ。なんで、シーラもおまえも、俺なんだよ」

「簡単なことよ」

 彼女に視線を戻す。そうしなければならない気がした。

「あなたのことが好きだから」

 ミリュウの目が、やさしげに微笑んでいた。

 だから、なにもいえなかった。

 なにもいえないまま、彼女を慈しむよりほかなかった。


 やがて、セツナたちはハルーン平原に到着し、陣を敷いた。

 ワラル軍四千もまた、ハルーン平原西部に展開していた。

 四十二対四千の戦いが、始まろうとしていた。


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