第千七十二話 剣鬼と剣魔 その二
レオンガンドとの会見を終えたセツナが部下の控えている部屋に入ってまず驚いたのは、傭兵集団《蒼き風》の幹部が勢揃いしていたことだ。
団長のシグルド=フォリアー、副長ジン=クレール、そして突撃隊長ルクス=ヴェインの三名である。驚いたのは、彼らが傭兵団であり、王宮への登殿資格を持っている身分ではないという思い込みがあったからだが、よくよく思い返してみれば、以前、傭兵局長に任命されたシグルドには当然、登殿資格があり、彼の補佐を務めるジン=クレールにもその資格があるはずだった。ルクスに資格があろうとなかろうと、ふたりの同行者ならば、問題はあるまい。
彼らが王宮内を歩き回っていても、なんら不思議ではないということだ。
それでも、驚いてしまったのだから、仕方がない。
「その驚きようはなんなのかな?」
「いえ、師匠……なんでもない、です」
ルクス=ヴェインの半眼の迫力に、セツナは後退りしながらそういうしかなかった。
“剣鬼”ルクスと“剣魔”エスクは、当然の如く、顔見知りだった。互いに傭兵同士。そうではないかと想っていたのだが、それが事実であったことは、セツナの興味を引いた。
《蒼き風》は、ガンディアとの専属契約を結ぶまでは各地を放浪しており、アバードと契約を結ぶ前のシドニア傭兵団とも何度かやり合ったことがあるのだという。そういう戦場でしのぎを削りあったのが、ルクスとエスクであり、互いに一歩も譲らぬ戦いは、歴史に名を残すほどの名勝負だった、とはシグルドの談。
「あんなのが歴史に名を残すだなんてとんでもないけどな」
エスクがぶっきらぼうにいうと、ルクスが強くうなずいた。
「そうそう、買いかぶりにも程があるって」
「ま、ふたりはこういうがな」
「本人たちは納得しませんが、わたしから見ても凄まじい戦いだったことは保証しますよ」
「へえ……」
シグルドとジンのお墨付きだ。歴史に名を残すほどに凄まじいといわれるふたりの戦闘には、興味を抱かずにはいられなかった。そう思ったのはセツナだけではないらしい。特にシーラは目を輝かせて話を聞いている。シーラは根っからの戦士だ。国のため、民のため、闘争に身を置いてきた彼女は、いつからか戦いこそがすべてになっていた。
「師匠とエスクが戦うとこ、見てみたいかも」
「あれと殺り合うのは勘弁願いたいね。命がいくつ有っても足りない」
「あれってなんだよ。まあ、俺としては、いつでも相手になっていいんだけど」
「は、冗談じゃねえ」
ルクスの提案に、エスクが吐き捨てるようにいった。友好的なルクスに対し、エスクの態度は剣呑極まりない。シグルドのいう歴史に名を残す戦いが、エスクにとっては後味の悪いものだったのかもしれないし、別の理由かもしれない。いずれにしても、ルクスとはあまり関わりたくなさそうなのが、エスクの態度からもわかる。
「てめえみたいのと戦いたくねーっての」
「なんで嫌われてんの?」
「そりゃおめえ、“剣魔”が“剣鬼”の後につけられた二つ名だからだろ」
「ほほう……ちっさいやつだな」
ルクスのなにげない一言に、エスクが怒り心頭といった風に口を開いた。
「うっせえ、こっちは迷惑してんだよ。いつでもどこでもてめえと比べられてよ」
「だったら、決着つければいいんじゃ?」
「はん、やだね」
「あ、逃げるんだ?」
ルクスがにやりと挑発したが、エスクはさらりとかわしてみせた。
「俺の命は、大将に捧げたの。自分のために使うつもりはねえよ」
「なにも命の取り合いをしようなんていってないだろー」
「だったらなおさらだ。真剣でやり合わずに決着をつけるなんてこと、ありえねえ」
エスクの言い分には、ルクスも納得せざるを得ないらしいのだが、不服そうな表情に変わりはない。戦いこそすべてなのは、ルクスも同じなのだ。戦うこと以外に興味がない、ともいう。その点では、シーラ以上にルクスのほうが戦いに重きを置いているといえるだろう。シーラは、国のこと、民のことを考えた末での戦闘狂だった。
ルクスとは、違う。
エスクがたっぷりと間を置いてから、告げた。
「そして、真剣なら、てめえの勝ちだろ?」
「ん?」
「真剣勝負ってことは、あのときみたいに通常武器じゃなく、召喚武装を用いいるということだからな」
「ふむ……そうなるね」
ふたりの会話から、歴史に名を残す戦いが通常の剣を用いて行われたということが、わかる。それはそうだろう。でなければ、エスクが通常武器を用いてグレイブストーンを凌ぎ切った超人だということになりかねない。いかにエスクが剣の達人とはいえ、召喚武装の補助を得たルクスの敵ではないだろう。それは、彼自身がもっともよく理解していることのようだ。
「俺はまだ召喚武装を使い慣れていないんでね。負けるのは十中八九、俺になる」
「なるほど。って、召喚武装持ってんだ?」
「まあな」
「へえ、それは楽しみだなあ」
ルクスがにこやかにいうと、エスクが気味の悪いものでも見るかのような顔をした。
「だから、たとえ召喚武装の扱いに慣れたからって、てめえとは勝負しねえよ」
「えー」
「えー、じゃねえ」
「楽しいのに」
「楽しかねえ」
“剣鬼”と“剣魔”。
どちらも剣の達人と知られる傭兵だが、やり取りを見る限り、その性格、考え方はまるで違っていた。戦闘を楽しみ、命のやり取りをも楽しんでいるルクスと、戦闘を仕事と割り切っているようなエスク。ふたりの会話が咬み合わないのも当然のことなのかもしれない。エスクがルクスを毛嫌いしているのは、そういうこともあるのだろう。一方、ルクスはエスクに対してなにか思うところがあるという風でもない。強敵のひとりとしては認識していて、そのことは覚えているようだが。そして、エスクと戦うことが楽しいと思っている節もある。
セツナとしては、ふたりの仲が険悪でなくてほっとする一方、ふたりの木剣による試合さえ見れそうもないことには落胆した。
「大将が命をかけろ、ってんなら、戦ってもいいんですがね」
「仲間内で殺し合えだなんて、命令できるわけ無いだろ」
「ですよねえ」
エスクの嬉しそうな反応は、セツナならばそういうだろうと想っていたからだろうが。
「えー」
「だから、えー、じゃねえっての」
ルクスは、終始不満そうな声を上げていた。
そのあと、エスクたち元シドニア傭兵団をセツナの配下の部隊にするべく、手続きを行った。
シーラたち、エスクたちの国籍問題を解決するための手続きも行うこととなり、受理されれば、彼女たちは正式にガンディア人となり、大手を振ってガンディア国内を歩き回れることになるだろう。
シーラは、ガンディアに移り変わることに対し、なんの問題もないという様子だった。セツナが懸念したようなことは一切起きず、なにもかも、滞ることなく、すみやかに行われた。
一連の手続きにより、黒獣隊もシドニア戦技隊(仮)も、正式にセツナ配下の部隊として認証されることとなった。それによって、ルシオンへの同行も認められる運びとなったのだ。
そんな中、セツナの頭の上から疑問の声が降ってきた。
「わしはよいのかのう?」
「ドラゴンに国籍なんて必要か?」
セツナは苦笑とともにラグナを見上げた。頭の上に乗ったドラゴンの姿を見ることはかなわないが、彼が困ったような顔をしていることは想像がつく。人間とはまったく異なる姿形の存在でありながら、その表情の多様性は、人間に勝るとも劣らないところがあった。それが、ラグナが仲間として受け入れられている最大の要因なのかもしれない。
もっとも、彼の存在は、王宮内を大騒ぎに騒がせてしまっているのだが。
小さくとも人外異形の化け物で、しかも人語を解し、流暢に共通語を駆使するのだ。だれだって驚くし、度肝を抜かれるだろう。王宮内が騒然となるのも、必然といってもよかった。想像できていたことだが、それでもセツナはラグナを王宮内に入れることにしたのは、彼の働きに報いるためでもあった。騒ぎになるかもしれないからといって彼だけ除け者にするのは、あまりにも可哀想だ。それに、今後も王宮内に連れてくることだってあるだろう。そういうときのためにも、いまのうちに慣れてもらうべきだとも考えたのだ。
「わし自身はなくとも問題はないが、おぬしに迷惑がかかるのではないかのう?」
「かかんねえよ」
「それならばよいのじゃがな……」
「ドラゴンは、万物の霊長なんだろ?」
「うむ」
「だったら堂々としていればいいさ。ドラゴンを支配することなんざ、人間にできるわけねえ」
「わしはおぬしに支配されておるぞ?」
ラグナが、セツナの視界に飛び降りてきた。セツナは慌てて両手を差し出し、彼の体を受け止める。自由に空を飛び回れる彼のことだ。わざわざ受け止める必要もなかったのだろうことは、両手に着地の衝撃が少なかったことからもわかる。
小飛竜の体を覆う緑色に輝く外皮は、この世のものとも思えないほどに美しい。宝石のような目も、同じだ。同じように美しく、まばゆい。
「本当かよ」
「なにゆえおぬしを欺かねばならぬ?」
「そうです、ラグナが御主人様に嘘をつく道理がございませぬ」
「なんでおまえまでラグナの気持ちを代弁してるんだか」
セツナは、レムの反応に苦笑して、手のひらの上のドラゴンに視線を戻した。
「疑ってなんていないさ」
ラグナがセツナの命令を遵守し、そのために全力を尽くしてきたことは、よく知っていることだ。彼がシーラを護るために全身全霊を注いでくれたからこそ、アバードの騒乱を生き抜いてこられたのだ。ラグナがセツナの命令を無視するようであれば、ああも無事にはいかなかっただろう。
そのことは、シーラもよく理解しているのか、バンドールからガンディオンへの道中、シーラはラグナをよく労り、可愛がっていた。ラグナもまんざらではなさそうな態度を取っていたものだ。
「ただ、おまえを支配しているだなんて実感がわかないだけのことだよ」
「むう……」
「ラグナは可愛いもんねえ」
「可愛い?」
「うんうん、可愛いよ」
ミリュウがラグナの背を撫でながらいうと、ラグナは、なんだか気恥ずかしそうに目を細めた。
「ま、そういうこった」
「どういうことじゃ」
「可愛いから支配している気がしないってさ」
ミリュウが補足すると、ラグナは困ったような顔をしたのだった。ラグナにはわからない感覚かもしれないし、かつて圧倒的な巨躯を誇っていた彼には、可愛いなどといわれること自体、奇妙なことなのかもしれなかった。
しかし、丸みを帯びた小飛竜の姿は、愛らしいという他なく、ミリュウの意見を否定するものは、《獅子の尾》にはいなかった。
王宮で様々な手続きを済ませ、報告書の提出を終えた一行は、群臣街にある《獅子の尾》隊舎に足を向けた。
隊舎には、マリアとエミル、黒獣隊の面々とシドニアの傭兵たちが一足先に辿り着いていたということもあり、セツナたちを出迎えた。
マリアはようやく隊舎に戻ってこれたということでだらしない格好で寝ていたらしく、セツナたちを出迎えた時は寝ぼけ眼の上寝癖が全開といったありさまで、そんな彼女の姿を見たエミルが慌てて隊舎の奥へと連れて行く始末だった。
傭兵たちには、シドニア戦技隊(仮)の発足を伝えるとともに、ガンディア国籍を取得するための手続きを取らせた。黒獣隊の面々にも、同様のことをしている。それらの書類は、王宮からついてきてもらった文官に手渡し、任せた。
夜は、龍府からガンディオンに戻ってきていた《獅子の尾》専属の調理人ゲイン=リジュールの手料理を久々に満喫することができ、セツナは、大満足のうちに王都への帰還を実感した。
明日一日を挟んで、ルシオンに向かうことになる。
「明日は休暇ってことよね?」
「まあ、一応、そうなるかな」
ミリュウが尋ねてきたのは食事の後のことだ。隊舎の広間に皆が集まっていた。ファリア、ミリュウ、ルウファ、エミル、マリアという《獅子の尾》の面々に加え、レム、ラグナの従者ひとりと一匹、シーラ率いる黒獣隊の面々である。
シドニア戦技隊(仮)の面々は、別室にいる。シドニア戦技隊(仮)は、現状、総勢二十六人からなる大所帯なのだが、その全員を受け入れられるだけの空間が《獅子の尾》隊舎にはあった。さすがはナーレスの元屋敷というべきかもしれない。それを増改築したのが現在の《獅子の尾》隊舎であり、元傭兵たちは、ルウファが陣頭指揮を取った改築によって増設された酒場兼食堂で飲んだくれているらしい。シーゼルで酒浸りの生活をしていたこともあるのだ。呑んだくれるのも無理はない。
「わたしたちはルシオン行きの準備のために忙殺されそうだけど」
「ですね」
ファリアの発言に、ルウファが同意すると、マリアの介抱をしていたエミルが心配そうな顔をした。
「大変ですね、ルウファさん……」
「これも副長の務めだから、問題ないよ」
「さすがです」
「なにがさすがなのかはともかく、そういうこと」
「うん、おふたりさん、がんばってね」
ミリュウが、どうでもいいとでもいうかのように告げると、さすがのファリアも半眼になってミリュウを見据えた。
「ミリュウは手伝ってくれないのね?」
「だって、そういう仕事は得意じゃないし、それに、弟子ちゃんの修行に付き合ってあげないといけないし」
「ま、期待してなかったけど」
「では、わたくしがお手伝いいたします」
「ありがと。さすがレムは気が利くわね」
「悪かったわね、気が利かなくて」
「本当、悪いわよ」
「ひどい」
「どこがよ」
「あーん、セツナー、ファリアがいじめるー」
ミリュウがここぞとばかりに抱きついてきたので、セツナは、苦笑するしかなかった。
「いじめてないわよ」
「わかってるよ」
セツナがいうと、ファリアが片目を閉じて茶目っ気たっぷりに微笑した。その微笑みの穏やかさにはっとする。
こんな幸せがいつまでも続けばいいのに、と願わざるをえない。
それだけの幸福感が、広間の中にあった。




