第千七十話 剣鬼と剣魔
セツナが謁見の間に案内されてから、二時間ほどが経過している。
その間、ファリアたちは、王宮の一室で手持ち無沙汰のまま、彼の帰りを待っていなければならなかった。ファリア、ルウファ、ミリュウ、レム、ラグナに、シーラ、エスク=ソーマ、ドーリン=ノーグ、レミル=フォークレイ。
広い室内で、《獅子の尾》は《獅子の尾》で固まり、従者は従者で固まり、傭兵は傭兵で固まっていた。従者とはレム、ラグナ、シーラのことだ。厳密に言えばシーラは従者などではないが、レムたちと一緒にいるところを見ると、そういう区分けになるのではないか、と想えた。従者ではないものの、セツナの近衛部隊長なのだ。大きな違いはない。
傭兵たちも、セツナ配下の兵隊ということになるのだが、いまだ正式な契約を結んではいない上、彼ら自身、自分たちがどういう立ち位置にいるのか判然としていないからだろう。ファリアたち、レムたちとはどうしたところで距離があった。
ファリアも、彼らとは距離感を覚えずに入られなかったし、それを埋めようと努力しようとも思わない。彼らがなにもので、なぜ、セツナが配下に加えようとしているのかもわかっていないからだ。彼らはガンディア軍の意向を無視し、シャルルムに攻撃を加え、戦場を混乱に導いた張本人なのだ。裏切り者といってもいい。だというのに、セツナは彼らを配下に迎え入れようとしている。もちろん、レオンガンドの了承が得られたら、という話だろうが、セツナの考えをレオンガンドが否定するとは考えにくい。
レオンガンドは、セツナに甘い。
甘くなるのも当然ではある。
セツナは、ガンディアの勝利の立役者だ。あらゆる戦いの勝利に貢献し、ガンディアの領土拡大にもっとも力を尽くしてきたのがセツナだ。セツナがいなければガンディアの戦いはもっと困難なものとなっただろうし、ここまで加速度的に領土を広げることなどできなかったことは疑いようがない。レオンガンドがセツナを優遇し、セツナの要望を聞き入れたとして、なんら不思議ではない。そして、それについてだれが文句をいえるのか。
この国に住む人間は、多かれ少なかれ、彼の活躍の恩恵を受けている。ガンディアが栄華を誇っていられるのは、セツナが粉骨砕身闘いぬいてきたからにほかならないのだ。
とはいえ、ファリアは、エスクたちシドニア傭兵団の残党には気を抜くべきではないだろう、と警戒の目を緩めなかった。セツナから話は聞いているし、彼らが頼りになるのはわかっている。特にエスク=ソーマは“剣魔”の二つ名で知られる凄腕の剣士だ。彼を仲間に引き入れることができれば、戦力は大幅に向上するのは間違いない。
しかし、それとこれとは別の話だ。
ガンディアを裏切り、陥れようとした連中をそう簡単に信用することは、できない。
「それにしても、長いわねえ」
ミリュウが退屈を持て余したように、大きく伸びをした。あくびさえもらしている。彼女の手前にある机の上にはお茶と菓子が用意されているものの、彼女が手を付けた様子はなかった。セツナを置いて休憩を堪能する気にはなれない、といったところかもしれない。それは、ファリアも同じではあるのだが、。
「色々報告することがあるんですよ」
「それに、陛下からの話も聞かなきゃいけないしね」
レオンガンドからは、《獅子の尾》のルシオン行きの詳細についての話があるに違いない。もっとも、レオンガンドからの命令は簡単なものかもしれないし、現地にいって指示を受けよ、というものである可能性も低くはない。
いずれであっても、セツナの報告に時間がかかっているのだろうが。
ミリュウが不満そうにいってくる。
「そんなの、書類で良かったんじゃないの?」
「そうなると、わたしか副長がセツナから全部聞かなきゃならなくなるわ」
「いいじゃない」
「あなたねえ」
「気楽にいってくれますよね、ほんと」
ルウファが肩を竦めた。
書類仕事が板についてきたとはいえ、できるだけしたくないというルウファの考えが透けて見えるようだった。
書物だけならばまだしも、セツナから話を聞き、それを文字に起こすとなれば、膨大な時間がかかるのではないか。もっとも、バンドールからガンディオンに辿り着くまでの時間で出来なかったとは言いがたい。しかし、馬車での移動中、セツナを報告書の作成に拘束するのは忍びなかった。
セツナには、休息が必要だ。
そんな風に時間を過ごしていると、部屋の扉が開いた。
ファリアが目を向けると、筋骨隆々の大男と長身痩躯の眼鏡男、銀髪の青年が視界に飛び込んできた。
「よお、アバードくんだりから苦労なこったな、《獅子の尾》の!」
と、片手を上げていってきたのは、筋骨たくましい大男ことシグルド=フォリアーだ。傭兵団《蒼き風》の団長である彼がなぜ王宮にいるのか判然としないが、いたのだから仕方がない。隣で、眼鏡の男が目を細める。ジン=クレール。《蒼き風》の副長だ。
「団長、言葉遣いが汚いですよ」
「汚いってなんだよ。普通だろ、ふつー」
「団長の普通は他人の普通以下だしー」
そういってシグルドの太い腕に首を閉められたのは、ルクス=ヴェイン。《蒼き風》の突撃隊長にして“剣鬼”と呼ばれる剣の達人。そして、セツナの剣術の師匠だ。
「てっめ、言うに事欠いて俺を常人以下だと!?」
「いや、だから、言葉遣いの話だって」
「んなもん、別にいいだろ、減るもんじゃねえし」
「団長の品位、引いては傭兵局の品位が疑われます」
「あんだと」
「傭兵局の品位が疑われれば、局長の座も危うくなるかと」
「ぐぬぬ……」
「まあ、傭兵局長なんていう似合わぬ立場に固執しないのなら、話は別ですが」
ジンの話から、彼らがなぜ王宮内にいるのかがわかった。わかったというよりは、思い出したというほうが正しい。シグルド=フォリアーは、新設された傭兵局という組織の局長に任命されたのだ。傭兵局とは、その名の通り、ガンディアと契約を結んだ傭兵たちを一纏めに扱うための組織であり、局長とはその頂点に君臨する存在のことだ。シグルドが局長に任命されたのは、彼が率いる《蒼き風》が長らくガンディアと専属契約を結び、ガンディアを支え続けてくれたことへの返礼でもあるのかもしれない。もちろん、人格、能力は言うに及ばず、だが。
「は……俺以外のだれが傭兵どもを纏められるんだってんだ?」
「副長ならできると思うけどなー」
「わたしにその気はありませんが、どうしてもと仰られるのなら、お引き受けしましょう」
「あのなあ!」
「ちょっと、うるさい」
ミリュウが両耳を抑えながら、告げた。耳を抑えているのは、大袈裟にもほどがあると想えたが、彼女が静かにしていたかったのだとすれば、間違いではないのだろう。
「うるさいってなんだよ」
「うるさいからうるさいっていったんでしょ、傭兵ども」
ミリュウが冷ややかな視線をシグルドに注ぐ。シグルドは憮然とした。
「どもって、おい」
「まあ、ども、でしょう」
「うん、まあ、そうだよね」
「納得するんだ」
ファリアがつぶやくと、ジンがかすかに苦笑した。
「王立親衛隊の皆様からすれば、傭兵など、そのような扱いを受けても文句はいえませんよ」
「なにもそこまで卑下なさらなくとも……ルクス様は、御主人様のお師匠でございますし」
「卑下するつもりもないけどさ、自分たちの立場くらいはわかっているつもりだよ。セツナは弟子だけど、弟子が偉いからって、師匠まで偉くなるわけじゃないだろ?」
「それはそうでざいますが」
レムが不承不承肯定すると、ルクスは室内をきょろきょろと見回した。
「で、肝心の弟子はどこ?」
「謁見の間で陛下と会見中にございます」
「そういえば、長旅から帰ってきたところだったんだっけ」
「はい。アバードから……」
レムがいうと、ルクスはしょうがないとでもいうように近くにあった椅子に腰を下ろした。
不意に、シグルドが、シーラに声をかけた。
「姫さん、大変だったそうだな」
「……姫じゃないがな」
「あ?」
「俺はただのシーラさ」
シーラが、シグルドを見て、告げた。
「龍府領伯近衛・黒獣隊長シーラ。それがいまの肩書なんだ」
「へえ。なんだかよくわかんねえが、つまり、アバード王家の人間じゃなくなったってことか」
「そういうこと」
「お姫様のままだったら、さっきのあんた、気安すぎたわよ」
「む……」
「ほら、団長、品位がどんどん下がっていくんだから、口、閉じてなよ」
「品位とか知らねえっつってんだろー。俺は、陛下から要請があったから受けただけだ。局長の座に拘りなんてねえよ」
「でも、ほかのだれかが局長についたら拗ねるんでしょ?」
「俺は子供か」
吐き捨てるようにいってから、平然と付け足す。
「……まあ、気に食わねえだろうがな」
「やっぱりね」
「子供じゃない」
「うるせえ。こちとら長らくガンディアと契約結んでんだ。どこの馬の骨ともわからんほかの傭兵が傭兵局長になって命令されるなんざ、おことわりだっての」
「とはいえ、だれが局長になろうとも、我々がガンディアを離れる理由にはなりませんが」
「……ま、そうだな。ガンディアにいる限り食いっぱぐれることはないだろうし」
「ガンディアを離れたら弟子を鍛えられなくなるし」
ルクスの一言にレムがにこにこしたのが、ファリアの印象に残った。レムは、セツナが評価されるのが嬉しくてたまらないらしい。セツナとルクスの訓練を目の当たりにしているのは、レムくらいのものだ。その彼女によれば、ルクス直々の訓練は筆舌に尽くしがたいほど厳しいものであるらしく、ミリュウが見れば卒倒するのではないか、というほどのものらしい。少なくとも、ルクスのことを受け入れられなくなるだろうとのことであり、ファリアも遠慮するべきかもしれない、と思ったりした。
ともかく、そんな厳しい訓練を課すルクスがセツナを評価していることが、レムにとっては嬉しい事この上ないのだ。彼女の肩に乗ったドラゴンにはなんのことかわからないようだったが。
「おや」
「ん? どうした?」
「そこにいるのはだれかと思えば、シドニアの方では?」
「ん……」
ジンに指摘されて、シグルドがそちらに目を向ける。部屋の片隅。三人の元傭兵が屯している。彼らは、シグルドたちにすぐに気づいていたようだが、自分たちから関わろうとは思わなかったらしい。ジンに見つかったことさえ、どこか嫌そうな顔をしていた。
「あ」
「なんだよ、俺達がここにいちゃおかしいかい? 《蒼き風》のシグルドさんよお」
エスク=ソーマの突き放すような声音が、彼とシグルドの関係性を示しているように想えた。
「懐かしい顔だな。エスク=ソーマ。“剣魔”エスク……!」
「その名で呼ぶなって、いったよな?」
「俺の二番煎じは嫌だって、いってたっけ?」
といったのは、ルクスだ。その瞬間、エスクが明らかに嫌悪の表情を浮かべたものの、ルクスには通じないだろう。ルクスは、他人の悪意などまったく意に介さないようなところがある。
「そうだったかな」
シグルドの発言は、とぼけているのか、本当にそう想っているのか、いまいちわかりづらいところがある。
(知り合いなんです?)
(傭兵だからね。何度か戦場でやり合ったことがある)
(なるほど)
レムとルクスの囁きがファリアの耳にまで聞こえてきたのは、ふたりがすぐ近くにいたからだが。
《蒼き風》もシドニア傭兵団も傭兵集団だ。《蒼き風》は、ガンディアにいつく前、小国家群を放浪していたというし、シドニア傭兵団もアバードと専属契約を結ぶ前は、各地を流浪していたという。どこかの戦場で遭遇し、敵味方にわかれてぶつかったことがあったとしても、なんら不思議ではない。そして、同じ国に属することになったとしても、おかしくはないのだ。
運命の不思議を感じるとしても、だ。
「ま、それはそれとして、だ。なんでまたシドニアの連中がここに? アバードにいたんじゃねえのか? っていうか、ラングリードの野郎はどこだ? 今度あったらどっちが先に飲み潰れるか勝負しようって約束してたんだが……?」
シグルドのなんの気なしの発言に、エスクが驚いたような顔をした。それから、冷ややかに告げる。
「団長は死んだよ。ってか、知らなかったのか?」
今度は、シグルドが驚く番だった。ただし、深刻な驚きぶりではない。何かを理解していたような、覚悟していたような、そんな驚き。
「……知っていたさ。けど、信じられなかった」
「……そうか」
「あのラングリードが死ぬなんざ、信じられるかよ」
「あんたも、うちの団長のこと、買ってくれていたんだな」
「ラングリードほどの男はそういるもんじゃない」
シグルドは、ため息を浮かべるように、いった。
「惜しい男をなくしたもんだ」
「本当に……」
シグルドとジンの反応から、シドニア傭兵団の団長だったというラングリード・ザン=シドニアの人柄がうかがえる。シグルドが認めるほどの人物だ。相当優秀な傭兵だったのだろうことは、疑いようがない。
そんなふたりの様子を見て、だろう。エスクが苦笑した。
「あんたらの反応を見て、つくづく思い知ったよ」
「ん?」
「俺じゃ、あのひとの代わりを務めるなんざ、無理だったんだろうなってさ」
「そりゃそうだろ。なにいってんだ」
「ひでえな、相変わらず」
「てめえは剣の腕しかねえだろが。ひとを率いる器なんざ、これっぽっちも持ち合わせていねえのは、わかりきったことだろ」
シグルドの辛辣な物言いは、彼らの親密さを示すものなのだろう。でなければ、シグルドとエスクの間に険悪な空気が流れてもおかしくはない。だが、ふたりの間にあるのは、常と変わらぬ空気であり、それがふたりの関係なのだということがよくわかる。
「ああ……わかってたさ」
エスクが肩を竦める。
「わかってたけど、なんとかしたかった。なんとかしたかったんだよ、けど、なんともならなかった。そんで、このザマだ」
彼は、自嘲気味に笑った。
「だが、大将も、悪くない。団長ほどじゃねえが……団長には及ばねえが……うん、悪くねえんだ」
「大将?」
「セツナ様のことです」
とは、レミル。彼女は、エスクのことを心配そうに見ていたが、エスクが大丈夫そうだとわかると、安心したような表情を見せていた。綺麗な女性だった。ミリュウが彼女を警戒したのもわからなくはないが、彼女がエスクに向ける視線とセツナへの態度を見る限り、心配することはなにもないだろう。
「なるほど。つまりおまえはセツナ様の配下になったってわけか?」
「そういうこと。それも傭兵として、じゃなく、な」
「なんだ、傭兵じゃねえのか」
「傭兵稼業は廃業、シドニア傭兵団は団長の代で終わり、俺たちゃ、セツナ様配下の戦闘集団になったのさ」
「傭兵としてガンディアと契約を結んだってんなら、俺がこき使ってやったのによ」
シグルドがにやりと笑った。本心でそう想っている、というわけでもなさそうだった。
「残念だったな。これから俺たちをこき使おうってんなら、セツナ様に喧嘩を売るのと同じってことだと思っておけよ」
「は……セツナ様に喧嘩を売るのは、こいつの専売特許だ」
シグルドは、ルクスの頭をぽんぽんと叩きながらいった。ルクスは嫌な顔ひとつしない。むしろ、どこか嬉しそうなのは、彼がシグルドを敬愛しているからだろうか。
エスクが怪訝な顔をした。
「“剣鬼”の……? ああ、そういえば、大将の剣の師匠だったか」
「まあ、ね」
「あんたが剣術の師匠なんてできるとは思えないがな」
「師匠としては不十分だと想うよ」
ルクスは、苦笑交じりに告げた。
「俺は教えるのが下手だから、彼を叩き潰すようなことしかできない」
「なるほどな」
「ん?」
「あのひとの底知れぬ力の源泉、あんただったか」
「源泉……ねえ」
ルクスは、どこか遠くを見るような目で、いった。
「それは違うと思うけどね」
小さな声は、エスクに届いたのかどうか。
少なくとも、ファリアやレムにしか聞こえなかったのではないか。そう感じたのは、だれもルクスの言葉に反応を示さなかったからだ。そして、ルクスもそれでいいとでもいわんばかりに、微笑んだ。
「しっかし、シドニア傭兵団も廃業か。もったいないなあ」
シグルドが残念そうにいう。
「時代の流れさ。俺じゃ、団長は務まらんしな」
「ま、ラングリードの野郎がいなくなったら、瓦解するのもやむなしか」
「シドニアという名は残すつもりなんですがね」
「よお、髭おやじ、元気にしてたか?」
「元気ですとも。しかし、髭はともかく、おやじはないでしょうに」
「はは、てめえは髭でおやじじゃねえか」
シグルドが大口を開けて笑うと、ドーリンも笑うしかないとでもいうように笑った。
そんな風にして、セツナ不在の時間は過ぎていった。




